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【N010】 |
『ヤマトタケル』の千秋楽からはや・・・・日。いまだに感動の余韻にひたったまんま
というような私たちですが、猿之助さんは、早くも歌舞伎座十二月公演の準備や
お稽古に邁進中。 私たちもそろそろ気持ちを十二月の舞台に移さなくては・・・
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■ 新しい一年の始まりです。今年もどうぞよろしく、そしてもちろん『翔・猿之助ファンの広場』をご贔屓に。
大阪はとーっても暖かくよいお天気つづきで、最高のお正月だったと思います。ただし我が家は喪中(昨年義父が他界)ということで、どこにも出掛けず家でゴロゴロを決め込んでいたところ、今度は実父が年末に入院。実際には殆どゴロゴロ気分には浸れないままお正月が終わってしまいました。幸い心配な状況はなくなったらしく、本日退院。ヤレヤレというところです。
それにしても、ここだけの話、入院の知らせ聞かされた時
とっさに思ったのは「よかった、春秋会の時やなくて、十二月公演の最中やなくて」だったんですからねェ・・・。(お父さん、ゴメン、カンニン)
さて、感想です。今回は朝日、毎日、読売、産経、日経、東京新聞他と、身体がムズムズするくらい誉めてもらってファンとしては嬉しい限り。こんなに揃いも揃って誉めまくられると、「もしかしたら面白いことないんかなァ〜、退屈なんかなァ〜?」なんて却って不安になってしまりするって、天の邪鬼?屈折し過ぎ?
でもそれは杞憂で、私は昼・夜ともに充分楽しみました。ただし、奮闘公演じゃなく大一座の中に加わってとなれば、いつものように猿之助さんがおいしい役を一手に引き受けるなんてことは出来ないのだから、そういう意味での満足度は落ちるだろうことは計算に入れた上でのことですが。
一本目の『白石噺』 。出演者の皆さん本当にゴメンナサイ。見逃しました。前日、朝の4時近く(当日の朝ってことか)まで仕事してたもので、いくらなんでも6時起きは無理でした。
というわけで『敵討天下茶屋聚』から。
通しでなかったのは残念だけど、「今年の見納めに猿之助さんを瞼の奥に焼き付けて帰るネン」なんて思いで出かけた私としては満足満足の元右衛門でしたね。
卑しくて、小心で、小心ゆえにエスカレートする残虐さ。
虚勢、へつらい、小心、大胆。人間の心のうちにあるそれら相反するものが、元右衛門の中には誇張された形で凝縮されているんですよね。
猿之助さんはその二面性をくっきりと切り取るように強調して演じていて、そこが、猿之助さんの元右衛門をして「猿之助屈指の傑作。当代一の仁」(上村以和於氏)と評される素晴らしさになっているんだと思うんです。
それに、そういう理屈をつけなくったって、とにかくとにかく
”かっこいい!”
あの花道での本性をあらわす、”戻りの瞬間”のかっこよさ!
じーっと当たりを窺う元右衛門の目がギラッ!(ほんとに音が聞こえるもん。ギラッ!って)と光る。もうあそこで私は半分死にましたね。
≪貸座敷≫での、あらわになった腕、脚、血走った眼差し・・・・。その一挙手一投足が”絵”になっていて、目が離せないというよりは、吸い付けられてしまうという感じ。
≪福島天神の森≫の場では、一転、白塗りに黄八丈、緑の帯。袖裏の緋色がチラチラのぞいて、これがまたまた色っぽい。
「びっくりするな、まだある、まだあーる!」悲運の伊織を返り討ちにする時のふてぶてしさ!憎ったらしさ!なのに観客は拍手喝采してしまう。思わず「キャー!私も殺して〜。ギリギリジワジワいじめ殺して〜〜!」なんてネ。(危ない・・・)
歌六さんの弥助はいつもながら実直で情の深い人物になっていて、すごくいい。
それから梅玉さんと門之助さん。登場するだけで既に薄幸の悲運を背負った兄弟という雰囲気がただよい、ハマり役って感じでした。憎ったらしい東間と元右衛門、可哀相な伊織と源次郎兄弟という図式が際立つほどこのお芝居は盛り上がるわけだから。
段四郎さんの東間はもちろん、松江さんの染の井といい、笑三郎さんのお吉といい、それぞれが役にピタリとハマッテいて、≪貸座敷≫≪福島天神の森≫に限って言うなら、最高によかったんじゃないかと私は思っています。
『蜘蛛の拍子舞』 見終わった時、「うわァ、この舞踊、当たりやなァ〜」って思いました。音楽もすごくいいし、三人揃っての連れ舞は綺麗、華やか、快い、嬉しい
etc。猿・玉・左の全員が初役だったとのことだけれど、楽ともなれば流石によく揃っていて、思わずこちらの身体までが動き出しそうになるくらい楽しかった。
玉三郎さんの妻菊の出。透き通るような美しさで、体重だとか、体温だとか、そういうものを感じさせない、でもただならぬ緊張感のようなものが廻りの空気には漲っているんですね。しかも正体をあらわしてからも、血走った目、真っ赤な舌、描きなぐった隈取りなど怒りの形相は凄いのに(玉三郎さんの役者魂がビンビン)、雄の蜘蛛じゃなく、女郎蜘蛛だな・・・と思わす優雅さのようなものがちゃんとあって、サスガ・・・って思いましたね。
猿之助さんの頼光は、長所のいきた踊りじゃないような・・・って声もあったけど、付き合うなら貞光じゃなくやっぱり頼光だろうなって気がします。
それに私は、あのちょっともの憂げな、熱に浮されたようなトロンとした、けれどものすご〜〜っく綺麗な猿之助さんも非常に好もし〜く眺めていましたから。くどきのところなども、濃〜い二人の世界になってましたし。でも妻菊と頼光が手を取り合って踊るところ、妻菊の手の中に頼光の手がスッポリと隠れてしまった時は(猿之助さん、手足小さいでしょ)思わず「カワユイ・・」なんてつぶやいてしまいました。
さて、『国性爺合戦』です。
私、かなり好きですよ、このお芝居。だって、いかにも”嬉しいお芝居”って感じが溢れかえっているではありませんか。
プロク゜ラムの表紙絵(三代目・歌川豊国による『国性爺合戦』)を見ると、スーパー歌舞伎も真っ青っていうド派手さですよね。当時は大当たりを取ってすごいロングランを続けたってことだけど、この派手な表紙絵から察すると、たぶん超ど派手なエンターテイメント、スペクタクル、そして多分異国の物語だということが未知の国への憧れ、好奇心などを強く刺激してお客さんを集めたんじゃないかって。もちろんあの近松さんのことだから、それだけには終わらせず、しっかりお得意の義理人情のドラマも描きましょうってことで、甘輝館の件があるけれど、基本的には大エンターテイメント、大スペクタクルの”嬉しい嬉しいお芝居”として作られたものだったんじゃないのかって。
で、それは本当にその通りの舞台として見事に蘇っていたと思いません?
エキゾチツクな大道具、衣裳、中国風な下座音楽も楽しめたし、何たって大虎相手のあの立ち回りの楽しさったら。あんまり虎の動きと表情がチャーミングなもので、猿之助さんを見るのついつい忘れちゃうというのが少々欠点ではあったけど・・・。
でもあの時、猿之助さんまでが、「見て見て、この虎いいでしょ!」「かわいいでしょ!」みたいな感じでやってらっしゃって、そんな猿之助さんが私にはまたまたたまらなく「カワユイ・・」でしたね。
二幕目はじっくり芝居を見せる場ということで、いよいよ注目の玉三郎さん登場。
玉三郎さんの錦祥女は華やかで、凛として、けれどどこか肉親の情に薄い寂しげな影を宿していて・・・第一あのヒラヒラづくしの扮装がいかにもそれらしく似合うんだもの、やっぱり玉三郎さんでなきゃ〜っ気がしました。
錦祥女ってしどころ一杯の役どころだから、玉三郎さん随分乗って演じていらっしゃって、こっちも乗り出して見入ってしまった一幕でした。
それと特筆すべきは今回のバリエーション豊かな立ち回り!!
中でも京劇風のコミカル&スピード感あふれる立てはすぱらしく、それを見事にこなした猿弥さん、猿四郎さんはじめ大勢の演者の皆さんに拍手、拍手ー!!何たって『国性爺合戦』なんだから、華々しい合戦場面って不可欠ですもんね。終演後、楽屋口近くで猿十郎さんにバッタリ。思わず「今回の立て、素晴らしかったです!」と声をかけたら、「ありがとうございます。お陰様で歌舞伎座賞をいただきました」とニッコリ笑顔を残して帰っていかれました。
たしかに猿之助さんは心理描写もあまりない和藤内一役で、何だか物足りないという声、わからないでもありません。甘輝(段四郎さん)や呉三桂(右近さん)の方がむしろかっこいい、しどころのある役だな・・・って私も思うけど、あのお芝居の主役はやっぱりやっぱり和藤内なんですよね。それにあの華やかさと豪快さとそして色気が必要なハリキリボーイの和藤内役、しかも超ど派手なあの扮装に負けない人ってことになったら、結局んとこ猿之助さんをおいて他にはいない!って思うんです。確かに猿之助さん、どの衣裳もよく似合ってたでしょ。それに数々の見得、華やかで豪快な花道の引っ込み、パワフルな立ち回りetc。ネ、少々の不満はあっても(近松さん、もうちょっとおいしい役に書き直して・・・)やっぱりあの和藤内役は猿之助さんのものなんだなって気がするではありませんか。
それよりも今回は、有名な話にも拘らず「通しでは誰も見たことがない」というお芝居の完全通し上演を、猿之助さんがやってのけたってこと!やっぱり、これですよね!!
ごくタマに第二幕近辺の上演はあっても、退屈な芝居の代表みたいに言われ、結果ますます敬遠されることになるという芝居を、こんなに”面白く蘇らせた”その力量、その意思、その情熱に拍手しなきゃ〜って。
プログラム巻末の上演記録を見るとそれがどんなに凄いことかってこと実感出来ます。それによると、お芝居の全様を示すことが大きな使命の一つのはずの国立劇場でさえ、三度上演しているけれど、/千里ケ竹/から/獅子ケ城/甘輝館/紅流し/を経て/元の甘輝館/までが一回。あとはさらに/千里ケ竹/をカットしたものが一回。/甘輝館/の件をカットしたものが一回という有り様なんですね。
因みに今回の公演はどうかっていうと/大明御殿/海登の湊/平戸の浜/千里ケ竹/獅子ケ城楼門/甘輝館/紅流し/元の甘輝館/松江の湊/九仙山/雲門関/龍馬ケ原/石頭城/長楽城/元の九仙山/南京城/というわけで、素直に凄いな、偉いな、よくやったな!!って気になるでしょ。
私は舞台見終わった時、すごーっく誇らしい思いで一杯になりましたもん。
猿之助さんだからこそ出来た”仕事”だな。猿之助ファンでよかったな、って。
1999年1月3日/ Miyako K
■ 北前様を始め、皆さま、あけましておめでとうございます。またポチポチ感想を送りますので、今年もよろしくお願いいたします。m(_
_)m
さて、千秋楽・夜の部を観て去年も無事に終わりました。
12月は昼夜それぞれ2回ずつ通いました。3階席で昼夜通しで観た5日は体調最悪で、そのせいか夜の部の『国性爺合戦』の二幕目は、ほとんど「白河夜船」に乗ってしまったのでした。ううっ。
改めて昼の部は15日に観に行きました。←最前列・花横で。
『天下茶屋聚』 確かに通し狂言でなかったから、話もすっきり終わらないけど、猿之助さんを堪能するってのにはふさわしすぎる演目。
もぅ〜・元右衛門がかっこよくって、かっこよくって(*^-^*
)。3階席で観てた時もすごかったけど、間近で観るとホントに目が釘付け。猿之助さんの「自分を見よ」っていう気迫がビシビシ伝わってきて。
もう、そこに立って居るって状態だけでも、決してファンの贔屓目だけじゃなく、パワーが違うもの〜。最初のめくらから、もどりのシーンなんかすっごいカタルシスです。ほぉ〜んとに、かっこいいぃ〜\
(*^^*)/。屋根に潜む場面の虫をはらう仕草のコミカルなリアルさもよいです。
他では歌六さんの弥助の可愛らしさと、梅玉さん&門之助さんの兄弟って雰囲気が似てて良い組み合わせで、二人とも幸薄そうな哀れさがよかったです。
『蜘蛛の拍子舞』は、連れ舞がちょっとアカ抜けないような感じはしたけど、なかなか派手で楽しかったです。主役三方の綺麗なこと(#。#)
。蜘蛛の造型も素晴らしかったし。左團次さんと玉さんとが並んでる姿も、なんだかとってもうれしい。『天下茶屋聚』の暗めな気が晴れて、昼の幕切れにはふさわしかったです。
そして、楽日(26日)の夜の部『国性爺合戦』。だいぶ席は後ろでしたが、また花道横での鑑賞。今回は見逃さないよう気合いをいれました(笑)。
舞台装置・衣装と、そしてペモペモした中国っぽい音響が、エキゾチックな歌舞伎らしい傾いた趣向で。通しにしてくれたので、よぉく内容がわかりました〜。
スピーディに処理されてるので、あっちゅう間な一幕目。<虎>可愛かったですよね〜。ぐる〜っと竹の切り株の上を歩くところ、凄いです。
食事休憩後の二幕目、やっぱ(食後という条件もあるかも
)錦祥女の口説きの場面で睡魔に襲われそうになるのをぐっと我慢(^^;)
。でもそれは一瞬で、また面白く中に引き込まれました。見終わってみると、錦祥女は玉さん以外に誰が・・って気がしてきちゃうほどハマってましたね。
そして大詰めのかっこいい立ち回り、単純にとってもスカッとして大満足(^
-^)。…夏の『義経千本桜』の時にカットされちゃった「花矢倉」の憂さが晴らせました(笑)。
亀治郎さんの栴檀皇女は可愛らしかったです。和籐内との唐語のやりとり、超可笑しかった〜(^^;)。なんか和みましたよ(笑)。
あと猿弥さんのバク転、意外性があってとっても効果的でした。三幕目の吾三桂と神様2人が碁盤目から通してみるってのも、面白かったです。
唯一の不満は日本国・日本国って言い過ぎちゃって、忠臣愛国な歌舞伎の物語に馴れてるはずでも、ちょっとへきえき〜。(そんなのは近松に言えって?…^〜^;)
でも総体的にさすが猿之助さんが復活しただけあって、素晴らしく面白かったです。
芝居でみせるところと視覚的に楽しいところのバランスもとってもよかったし。歌舞伎ならではの、バカバカしさウレしさが目白押しでした
(^-^)。一門の役者さんだけじゃなく、舞台に厚みが増していたのもすごーくうれしかったですし。
98年って、ワタシ内のスーパー歌舞伎ベスト1&2の「オグリ」「ヤマトタケル」、そして通し狂言で「義経千本桜」、その他にも通し狂言が2つも観られ、京都造形大の他にも大阪の歌舞伎セミナーもあった凄い年だったんですね〜。(その節はテレビ画面にも映ってしまった…^-^;;)
さて、今年は21世紀歌舞伎組で幕開けです。そして若手の浅草。舞台上の猿之助さんには、2月の春秋会でお会いできます。またいっぱい素敵な舞台をたくさん観て、たくさん感動して、そのためにも自分自身も頑張って行きたいと思ってます。それでは長々と失礼いたしました。でわでわ〜。
1999年1月1日/幸せごはん
【編集部より】=ホントにねェ〜、通し狂言を打つって一本だけでも大仕事だと思うのに、「摂州合邦辻」「義経千本桜」「国性爺合戦」ですもんね。それに「オグリ」「ヤマトタケル」だってもちろん通し狂言なわけだから・・・。その上に、あの、あの、重量級歌舞伎講座を二回!しかも、あの歳で!!(#。
#) ← それを言っちゃイカン。
まったく、同じ人間の血が流れてるとは思えないですよね〜。
■長い間ご無沙汰いたしております。今年度はいろいろお騒がせいたしました。おかげさまで無事に
1年を過ごし、新年を迎えることができそうです。
今年は私たちにとって特別いろいろなことがあった年でした。来年は子供も生まれ、ますます大変な年になりそうですが、どうぞよろしくお願いいたします。
来年こそは妻 (Yuka)もメールを送れるようにがんばると言っています。
今年は妻の影響で、猿之助氏の舞台もビデオもふんだんに見せてもらいました。北前さんfはじめ、熱烈ファンを妻に持った旦那さんの胸中も何やら判るような気がします。(まだまだの声あり)
来年も二人ともどもよろしくお願いします。
1998年12月31日/ Hiroki M
【編集部より】=お見合いの次の初デイトの時、猿之助ファンのお見合い相手のためにHirokiM さん、一晩がかりで「翔」HPをプリントアウトして持参。おかげで話に花が咲き初デイトは大成功!というわけで、お二人の結婚にはほんの少しカンでると言えるんですよね。(蔭の仲人ってか?)そして来年にはお父さん、お母さんに・・・やったネ、おめでとうございます!!
それにしても「旦那さんの胸中も何やら判るような気がします」やて・・・どんな胸中なんやろか?
■今日は、今年の千穐楽。
振り返れば心おだやかならぬ一年であった。イイ年をしたオッチャンが、イイ年をしたオッチャンを追いかけ回すハメになろうとは!!客観的に見れば、大笑いであろう。
こんな事になろうとは、一年前、正確に言えば、一年と一ヶ月ほど前には、夢にも考えていなかった・・・ 昨年の11月に翔に投稿をしなければ、こんなことには、ならなかったであろう。そして、本誌・翔7号を申し込みしなければ、今迄どおりの心おだやかな生活をすることができたのであろう。
いずれにしろ、小生の人生にとって大きな節目となった一年であった。(ゴツン)痛ぇなあ・・・素直に、ありがとうございました、って言ったら、どうなんだい。今さら気取ったって手遅れだよ。
イヤハヤでございます。経験不足・不勉強の未熟者の手前勝手な感想を掲載いただき感謝しています。書き過ぎと言葉足らずの文章を補綴いただだき、ありがとうございます。今後とも、お見捨て無きよう、御願い申しあ〜げ奉りまするぅ〜。
寅年の最後に、虎が活躍する国姓爺合戦を上演したのは、御大の芝居心・遊び心のなせることだったのではと思っています。ところで皆様は、和藤内をネタにした<虎拳>という遊びを御存知でしょうか?ジャンケンと類似の三スクミのゲームです。
△ジャンケン=グー>チョキ>パー。
△虎拳=虎>婆様>和藤内。
国姓爺の芝居が先だったのか、虎拳が先だったのか、気になるところです。虫拳も歌舞伎関連です。
△虫拳=蛇>蛙>ナメクジ。
自雷也がガマに乗って活躍する話です。事のついでに、狐拳というのもあります。
△狐拳=狐>庄屋>猟師。
歌舞伎には関係ありませんが<狐>となれば、見過ごすわけにいかないでしょう?? 愚にもつかぬ蛇足でございました。千里を走る虎足にて退散仕りまする。
1998年12月31日/しっぺえ太郎
【編集部より】=イイ年をしたオッチャンを追いかけ回している、イイ年をしたオッチャンを、イイ年をしたオバチャンはどう思ってるのか、聞いてみたいですねェ〜。虎拳、虫拳、狐拳か。なるほど〜。
■大掃除さぼって、ちょっとPCで遊んでます。
もしかしたら、 85年の12月、歌舞伎座で北前さんと遭遇していたのかも!
私は、あの12月が初観劇でした。ヨーロッパ凱旋公演の義経千本桜・忠信編。
その時、すでに、北前さんは「切実モード」に入っているファンで、私は初めて出会って、超驚愕!なんで、こんなにも魂を揺り動かされるのか、何が自分の中に起こったのか分からず、とにかくびっくり仰天!って感じでした。
まあ、その前にTVの画面で観た欧州公演の模様にもかなりキテいたんですが。TVにかじりつきながらら「私は絶対これを観にいかなければいけない」って。何か神の啓示のように・・・・それからの2年間、以前メールさせていただいたし、8号にも投稿したように、ホント何が自分をこうも駆り立てるのか検証する術も知らず、ただ、ただ追い求めて舞台を見続けた日々・・・
Kikukoさんはまだ、幸せよ〜〜。すぐ翔と出会えたんだもん。あの頃、出会っていれば、私も、もっともっと癒されたものを(TT)なんか昇華できない想いを抱えつつ見続けてた。それに田舎でも日本で良かったって。
私は、4キロ先は内乱やってるアフガニスタン近くのゲリラ地帯やシルクロードの砂漠の地にも仕事で行きましたが、(そこに生まれあわせた人には悪いけど)ホント、こんなとこに生まれていたら猿之助さんと出会えなかったと思うと、天の配慮に感謝するもん。いや、都会に生まれていたって、出会わない人は出会わないんだから。この感激や幸福と出会えた人生で良かったよねぇぇぇぇ!どんなに切なくても!!あと、猿之助さんと同じ時代に生まれてきたこととかも、やっぱりよねぇぇぇぇ!って。
それと、私も北前さんが書いていたのと同じようなこと、いつも思って舞台観てるの。ああ、みんなおんなじなんだァって、すごーっく嬉しい。
舞台を観ているとき、満座の客席に向かって心の中で
「どや、すごいやろ!すごいやろ!!」って、言ってますよね、ファンはみんな。自分の夫や恋人や息子が舞台に立っている・・・くらいの気持ちで。本当にファンはみんな勝手に身内感覚だから、猿之助さんの勝利は自分の勝利(!?)のように感じるし、反対に客席が盛り上がってないときは、とても辛いのだ(;
; )
という訳けで今年もお世話になりました。来年もよろしくお願いします。
1998年12月31日/Yasuko W
■KikukoTさんのお便り(一つ前の)、本当は”私信”となってたんです。でも、なんかとーってもカワユイというか、ファンになり立ての頃のファン心理がすこ゜ーっくでてて、思わず15年前の自分の姿を思い出し、ニタニタしてまいました。
Kikuko T さん、ゴメン!カンニン!
ルール違反してしまいました。でも私、基本的にこういうお便り、大好きなんですよね。
だって、直に表現してあるわけではないけれど、Tさんにとって、いま猿之助さんが、遠い遠い人ではあるけれど、どんなに大きく心を占領している存在かってことがよーっく分かるし、見てきた舞台がどんなにTさんをとらえたかってことも同じくとっても分かるんですもの。
とにかく 「猿之助さんが大好き!!」と、声高らかに、なりふりかまわず宣言しなくてはいられないというような人の存在が、私には何にも増して嬉しいことなので(あ、ここにも私がいる!みたいな気がして安心するんですよね、たぶん)、そして私が嬉しいことは、きっと多くの熱烈ファンにとっても嬉しいことに違いないなんて思い込みがあるので、ついつい載せずにはいられなくなってしまうという・・・。
”載せたい病”が疼くようなお便りは、私信と記されていても極タマにはこうなっちゃうこともありますので、要注意って感じですね。でもその辺りは、猿之助ファン&翔ファンにふさわし〜く(?)、おおらかに笑ってお許し下さるはずなんて勝手に確信しているというわけです。
実は私も泣きながら帰ったこと、泣きながら舞台を見たこと、何度かあるんですねェ〜。
≪ーーー 立ち止まったが最後、まっしぐらに引き返してしまいそうな気がして、風のように改札を駆け抜けホームを走り、エイッとばかり発車寸前の新幹線に飛び乗ったのに。
静かに列車が滑り出すと、何故なの?、ポロポロ泣けてくるなんて。
「悲しい別れの後なんだろう」と好奇の視線が注がれて、私は暗い車窓をにらんだまま「そう、たったいま、大好きな人と辛い別れをしてきたんです・・・」なーんて胸の奥で言ってみる。
超多忙の12月は、徹夜で仕事をこなしても、日帰りの観劇行が精一杯。しかも、豪華絢爛のあの花矢倉とカーテンコールの興奮をも捨て、最終列車めざして歌舞伎座を走り出てきたんだもの、「子供みたいに泣いたって、誰に迷惑かけるわけやなし、そんなにジロジロみんといて!」
悲しいからでもなく、嬉しいからでもなく、何が何だかわからなくても泣けるってことありますよね。
師走興行の夜、しかも月曜なのに、人人人で埋まった客席。気迫が漲り燃え立つ舞台。まったく『鳥居前』の忠信のあの雄々しさはどうでしょう。『吉野山』の匂い立つ妖しい美しさと、いよいよ哀切さを増した子狐の愛らしさと・・・。
「どうだ、素晴らしいだろ!猿之助さんは日本一やで!世界一やで!これが泣かずにいられよか!!」それにしても、車窓に映った自分の姿に切ないものがこみあげる。ああ、なんでこんなやっかいなものに足を突っ込んじゃったんだろう。
夢や目標のある自分の人生を、しっかり歩いて行く時の、飾りのように、心の寄り道のように、猿之助さんの舞台と猿之助さんがあるというのが理想だけれど、実際は、むしろ私の日々のど真中にドカッと居座っているようで、しんどいったらありません。
猿之助さんを知る前の、あの心静な日々よ、「
カムバーック !」 ≫
これ、昭和60年の暮れだから、ちょうど14年前「義経千本桜・忠信編」の時の私なんですね。ファンになって2年あまりの頃、後援会誌に投稿したものなんですけど、ね、一緒でしょ。
それにしても、あれからもう14年も経ったなんて、し、し、しんじられへ〜ん!という心境です。いまだにファンとして大した成長もせず、同じレベルに止まって、「キャー」とか「ヒィー」とか騒いでいるんだから・・・。これでいいのかしらねぇ〜。
12月舞台の感想は私もお正月休みに・・・。(一応主婦してるもんで流石に年末は忙しい)
どうせ書いても「キャー」「ヒィー」といった感想なんですけどね。
それではみなさま、一年間ホントにお世話になりました。よいお年をお迎えください。
1998年12月30日/北前 美耶子
■千秋楽遠征お疲れ様でした。東京では大変お世話になりました。
帰り道、羽田に 向かうモノレ−ルから 東京タワ−のイルミネ−ションを見た時、今度東京に来れるのは7月だな..それまで観劇できないんだな..と思うともう、せつなくてせつなくてさみしくてなさけないけど涙がでそうになりました。
どうして 私は 地方に生まれたんだろう...どうせ
田舎に生まれるのなら東京か大阪にもっと近い田舎に生まれたかったと思えてなりませんでした。
今日も 一日 仕事しながら ため息 ため息です。
えん と いう字を キ−で打った時 猿 とも 縁ともでますよね。
猿之助さんは縁之助さんとも私には言えます。本当にたくさんの縁を私に結んでくださいました。
歌舞伎に出会えた事 。それが おもだかやの舞台だった事。そして
北前さんや翔のメンバ−の方々をはじめ多くの猿之助ファンの方々と出会えた事などなど。
縁というものの素晴らしさを知った1998年の後半は
、私にとって とても素敵な時間でした。
とり急ぎ お礼かたがた メ−ルいたしました。また
千秋楽の感想は お正月休みにゆっくり書きたいと思っています。
1998年12月29日 / Kikuko T
■ 十二月、私の初見は昼の部が7日、夜の部は9日でした。
初日、昼の部にはプロンプターが入っていたことや、国性爺も初日から数日アクシデントがあったりしたことを友人たちから聞いており、なんとなく心配だったのですが、7日昼の部を観たとき、そして9日と、いつもの熱っぽさのようなものが感じられず、(それはあくまでも私が感じなかったということですが)ずいぶんさらさらっと、舞台が進行していくなぁ、というのが第一印象でした。
天下茶屋の元右衛門は、すっかり猿之助さんのもので、ご本人も楽しそうに生き生きとなさってますから、どーにも悪い奴なのに、観てるこちらの方も楽しくなってしいます。
通しの舞台が面白いのをみんな知っているとは思いますが、元右衛門の魅せるところは十分詰まっているし、共演の役者さんのしどころも損なわず、これはこれで上手く纏まっていると思いました。
「敵討ちはどうしたん?」と叫んでいた知人もおりましたが(笑)。
(ハハハ、『返り討ち』天下茶屋なのだ〜〜!?)
今回の演目の中ではいちばん猿之助さんも綺麗だし。(とワタシは思う・・・)最初の按摩姿、大好き。シンプルで猿之助さんの顔立ちの美しさが引き立つ。(ミーハーとしてはやはりこれが大切!)
それぞれの役どころもぴったりで、いい舞台なのになぜかあっさり目の前を過ぎていくという感じで、ぐっと引き込まれるものがなかった。でも何度か幕見もしましたが、これが一番安定していたとは思います。
蜘蛛の拍子舞は、7日の観劇ではあまり三人が揃っているようには見えませんでしたが・・・猿之助さんの小忌衣も違和感があったし・・・(^^;)見慣れないだけでしょうか?
猿之助さんが貞光で、梅玉さんが頼光でも良かったかも・・・と。
それでは、ありがちすぎる配役?
そのあと一度幕見をして、そして楽に観たのですが、初見では違和感の強かった猿之助さんの頼光もこの日は前シテ、蒼白な雰囲気がちょっと漂っていて(だんだん役が乗り移っていくのかしら)でも、猿之助さんの長所が活かされる舞踊ではないように、私は感じました。
さて、国性爺合戦は復活通狂言ということで、期待値(最)大!で臨んだのですが、冒頭にも書いたように、なんだかいつもの、心臓の中にぐっと手を入れられて、魂を掴み取られるような激しさを感じられず、なんだか血中興奮濃度が低い自分を発見して「なんで〜〜!?」とずっと思っていたのですが、たぶん、和藤内にあまり感情移入出来ないからかしら?と思うに至りました。
確かに、おもだかニュースのコメントを読み返してみれば、「芝居的な活躍がない人物」と紹介されてます。「それを荒事に当てて豪勇の存在感を出す」と・・・。
しかし、ここのところずっと、猿之助さんの演じる役の心理描写に共鳴し、涙を流し、あるいは何かを仮託するというような見方をしていたので、そういった部分での物足りなさを感じてしまいました。
道具立ても立派だし、下座の音楽もとても良かった。
顔合わせの大きな芝居なのに、猿之助さんにしどころが(少)ないというのは、ちょっと(かなり)淋しい。
視覚美(?)も、はっきり言って、最初に見たときは、あまりの極彩色の氾濫に引いてしまったのですが、後に三階席から観たときは、全体のバランスからあれくらいでないと主人公としては際立たないのね、と認識しました。
(玉三郎さんの衣装も ^^;)
江戸時代には、見知らぬ国への憧憬(と想像)だったのかもしれませんが、現代の私たちにとっては二重のパロディですね。
あと、大道具の展開の良さも上からの方がよく分かりました。
でも、なんだか段四郎さん(←の扮装を見てつい『関羽』と思った人多数!?)や歌六さんの方がすっきりした衣裳でカッコいいんだもん。。。。
あるいは顔合わせの芝居というのは、こういう物であるというのがはっきり示された舞台とも言えるのかもしれません。
猿之助さん(だけ)が芯になってぐいぐいと引っ張るというものでなく各役者さんに均等に配分されるというか。
最初の観劇はやっぱり猿之助さんが何をするのか・・ばかりに気を取られる。でも、何度か観て(といっても今月はあまり観劇できなかったのですが)そして、楽日にやっと、私なりに国性爺の面白さが分かってきたような気がしました。
若手の役者さんについては笑三郎さんは短い場面でも情の深さが良く出てたし、笑也さんも、女の可愛らしさから一変して、若武者風の立ち廻り、かつてはトンボも返っていた笑也さんだからこそのしっかりした殺陣でした。
トンボといえば、猿弥さん・・・。まさかバック転まで披露してくれるとは〜〜。猿四郎さんの、切れのあるきびきびとした動作もさすがですね。立廻りの要のところでは必ず魅せてくれます。
門之助さんと春猿さんの白髪良かったです〜〜!!二人とも九仙山の方が雰囲気があって良かった。なんかあの場面、色彩の氾濫から解放されてほっと(?)するんですよね。右近さんの濃さがあのシンプルな場面ではドラマ的にはちょうどいいカンジだし、あの戦の場面を碁盤の幻想で見せるのは面白い趣向だなと思いました。
これって今回のオリジナルでなくてもともと本行もそういう演出なのかしら?
大掛かりで、とても手間暇かけて丁寧に作られた舞台というのはよく分かるし、確かに虎狩りや立廻りは観る者を沸かせる力はある。
朝日の劇評にあった「快作・労作」というのもつくづく納得。でもその話をしてた時、おもだかな友人が「でも傑作じゃないのね?」と言った一言に私も引っかかります。
たぶん、歌舞伎の趣向自体を純粋に楽しむという目で観ていれば、とても面白いものだとは、思いますが。
(きゃ〜〜、なんだか長いわりには纏まりのない文章。でも感じたことを素直に打鍵していたらこうなってしまいました・・)
追伸:疾風のようにお車に乗られ、軽井沢に向かった猿之助さん・・・なんだかとても遠い異星に旅立っていってしまわれたような寂しさを感じます・・・早く帰還して下さいね〜〜(と叫べど、春秋会までお会い出来ないのですね。。。)
1998年12月29日/Yasuko W
【編集部より】=猿之助さんへの思いゆえに舞台への思い入れも深くなるんだけど、もっとおおらかにゆったり観ないとしんど〜くなるよォ。歌舞伎っていろいろあるんだから、いろいろ。それに何たって通し上演の初演なんだもの。
「ヤマトタケル」だって12年をかけて現在の舞台になったんだし、「千本桜」だって「忠臣蔵」だって、初演時から傑作だったと思う?
一つの舞台が生まれ、それがどんどん秀作になり傑作に育っていくのをあーでもないこーでもないとワクワクしながら見続ける楽しみって、すごーっく大きいのだから、むしろそういう楽しみをより多く持つことが出来る猿之助ファンって、とても恵まれてる・・・と思っているのですが。
■暮れも押し迫り皆さん如何御過ごしでしょうか。
26日千秋楽の夜を観てきました。期待以上の出来で楽しませてもらいました。虎の演技の素晴らしさに驚き、猿弥丈の出てくるだけで面白いキャラクターに大笑いして大満足しました。
猿之助丈も何時にも増して素晴らしく、飛び六方も何度も出たり、弁慶のくだりを出すなど演出もさすがと思いました。
最後のカーテンコールに虎の演技をされた御二人の方が出てくる事を期待したのですが、残念ながら出てはいらっしゃいませんでした。猿之助さん並びに一門の方々、来年も大いに楽しませて下さい。大いに期待しています。
私事ですが大晦日は徹夜で仕事ですが、歌舞伎の放送(四天王…)を楽しみにがんばります。皆さんもお体に気を付けて来年も歌舞伎を、そして猿之助丈の活躍を楽しみましょう。
というところで、本年はこれ切り〜〜。
1998年12月28日/矢橋の橋蔵
■北前様、お疲れ様でした。ひるです。25日はちゃんと御挨拶もせず、失礼いたしました。
千秋楽は出待ちなさったのでしょうか? 私は知人に挨拶しただけで帰ってしまったのですが、すごい人でしたね〜ぇ。
で、舞台の感想を。私も北前さんと同じく25、26日と観ました。
最初の観劇日は昼夜とも1列目の花横あたり。めちゃくちゃ良い席なのに、なんだか観てても気が乗らない。面白いことは、面白いんだけど、なにかちょっと引っかかるものがあるような気がして……。
次の日は、両方とも3階席。ところが、ところがすっごく面白い!!
2回観てようやく面白さがわかるなんて。
別に話が複雑なわけでも、台詞が難しいわけでもないのに…。
で、その理由を考えてみました。『国性爺合戦』って当たり前ですけど、義太夫のしめる割合が大きいですよね。
しばらくちゃんとした義太夫狂言をみてなかった私は、そのテンポをすっかり忘れていて、一回目の観劇の時には違和感を感じてしまった……。って違うかな?ただ単に私がおバカで、始めてみるお芝居を一回じゃぁ理解できなかった。ってのもあり得るセンですが……。
今回の収穫は、男装の麗人(^^)な笑也さんと、思わず手を伸ばしてとってしまった蜘蛛の糸。蜘蛛の糸や笑也さんの写真を手に、にへらにへら笑いながら過ごしております。
それでは、良いお年を……。
1998年12月28日/ ひる
■千秋楽、昼、夜の部と見て参りました。補助席が出るほどの賑わいで、ファンとしては嬉しい限りでした。
千秋楽は特に役者さんも、見る側も熱が入り、大向こうさんの声も雨のようにいっぱい掛かっていましたよ。
24日、クリスマスイブには夜の部を1階7列目で観劇。
初日よりしばらく間があいて久々に見たのですが、トラの演技がまたまた違っていました。ウルトラC(古いなー)級の演技って感じでした。
26日歌舞伎座楽屋口お会いした皆さま、お世話になりました。来年もどこかでお会いできるのを願っています。そして宜しくお願い致します。
それにしても本当に楽しい1年間でした。
歌舞伎をとうしていろいろな方とお友達になり、ご贔屓の役者さんのお話が弾み、あっという間に過ぎてしまった1998年でした。
千秋楽を見終わったいま、来年もまた楽しく観劇したいと思いを新たにしています。
まずは、横須賀で21世紀歌舞伎組を見ることからスタートです。
ではみなさま、良いお年をお迎えください。
1998年12月28日/お仕事中の美翠です
■猿之助様一門へのファンレターはどこへだしたらいいのかと聞かれたのですか・・・
「株式会社おもだか」でしたっけ? あそこへ出せばいいのかなぁ???
ホームページがある人は、掲示板に書き込んだり
お便りコーナーに出れば本人に見てもらえるのかな???
友達に聞かれたんですの。教えてください!
1998年12月24日 / りんご
【編集部より】=公演中の劇場気付で出すのが最も早く確実に届く方法だと思います。公演が無い時は、後援会あてに出すといいでしょう。
因みに猿之助さんの場合は・・・
『おもだか会』/〒160-0015 新宿区大京町20−3
福住ハイツ206/03−3359−5205
※「株式会社おもだか」というのはプロダクションであって、後援会とは別になります。お間違いなく。いずれにしても、役者さんにとってファンレターほど嬉しいものはないと聞きますから、ドシドシ書いてお出しになることを是非おすすめします。名文じゃなくっても、通の鑑賞眼なんかなくっても、感じたままを飾らずありのままに書きさえすればいいのですから。
因みに私(北前)の場合、最初のファンレターが16枚という(!)
会社休んで、お姉ちゃんと3才の弟を母に預け、ご飯食べるのも忘れて、正真正銘一日がかりで書いたんですね。たしか結びの言葉は、「これからは、客席の片隅から人知れず静かに深く舞台を見つめる、そういう本物のファンに育って行きたいと思います・・」みたいなこと書いたような・・・・。
(何ィー!人知れず!?深く静かにィー?!アッハハハハハ〜・・・)
■ 『十二月大歌舞伎』、20日の夜、21日の昼と行ってまいりました。私の今年最後のお楽しみ、虎年の最後を飾るにふさわしい「国性爺合戦」は、いかにも中国の舞台という感じで、赤がふんだんに効果的に使われて、とてもあざやかでした。衣裳もやはり中国風で、とても華やかでうつくしいものでした。中国雑技団の人が中に入った虎は大変可愛く、(目がパチクリ!)とても活躍していました。
下座には胡弓も入っていて不思議な音色を奏で、なかなか面白かったですよ
和藤内はあまり心理描写とかがなく、したがって見せ場もいつもより少ないように思いましたが猿之助さんが立っていらっしゃるだけで私には充分に楽しいものでした。
そして、珍しく笑也さんの立ち回りもありました。後で筋書きを見ると、むかし梅田コマでやったとき笑也さんは虎の後ろ足だったとか。
また、20日の日はNHKの歳末たすけあいで
幕間にロビーで右近さんたちのサイン会があったりして(もちろん並びました。お陰で予約していた歌舞伎そばは、一口食べたところで5分前のベルがなりましたが・・・くっくっくっくやしい。)本当にとても華やかでした。
21日の昼の部は私のとても見たかった「天下茶屋聚」でしたが、猿之助さんの悪人/元右衛門がすごっくよくて、面白くて大笑い。これは是非通しで観たいなと思いました。
そして最後の「蜘蛛の糸拍子舞」。
白塗りの猿之助さんはとても派手で古風で綺麗でした。玉三郎さんもいつものようにとてもあでやかで、左団次さんと三人で踊るところなど、もう華やか華やか、本当に素晴らしいものでした。また、蜘蛛の正体を現してからの玉三郎さんは、顔に隈取りをして、真っ赤な口をカッと開き、あっちこっちに蜘蛛の糸をあざやかになげ、派手に動き回り、いつも綺麗な玉三郎さんしかしらない私はとても感激しました。
私は今年の予定がすべて終わって、いま放心状態ですが、また来年に向けて(来年は段四郎さんが出演される松竹座の正月大歌舞伎の初日から私の一年ははじまります。)エネルギーを蓄えます。
それでは、北前さんはじめ「翔」の皆さま、そして猿之助ファンの皆さま、よいお年を!そして来年もよろしくお願いいたします。
1998年12月21日/康子 S
【編集部より】=こちらこそよろしくお願いします。この一年も猿之助ファン同士として沢山のあたらしい方々といい出会いをすることができました。本当に感謝、感謝です。
■ 昨日、職場の熟女トリオ(修士1年生で、飛び抜けて年齢が高い3人)で「国性爺合戦」にいってきました。
一人は、学生時代に「音楽」の講義をとっていたら歌舞伎鑑賞があって(30年前の千葉大って結構文化的だったのね)、そのおかげで授業以外でも何度かいってた、けど20年ぶりだっていう人。もう一人は「いや〜、小学校以来だよ!」っていう人。
二人ともとっても喜んでくれました。
『小学校以来』の人は「寝ちゃうんじゃないか」とかなり心配してた(本人が)のですが、「面白いね〜、眠くなるとこなんか無かったよ!」
『20年ぶり』のほうは「場面転換がすっごくスムーズで、ずいぶん進歩したのね!」というので、あれは猿之助さんがとっても神経使って一生懸命工夫してらっしゃるんで、まだまだチンタラのろいのもある、と説明しておきました。
二人とも声をそろえてたのは、「猿之助さんって、かっこいいねェ〜」って。それと「あんなに声のいい人だとは知らなかった、台詞がとっても分かりやすいね」ですって。!!!声いいんだって!、うれしいわあ〜。
ただ『小学校以来』 はエレクトーンかなんかの先生でもあって「歌舞伎は素人だけど耳だけはいい」んだそうで、「猿之助さんって、他の人とちょっと台詞回しというかイントネーション違わない?」なんて言うんですよ。私「荒事だからね、そのせいもあるのよ…、それにその独特のところが猿之助節というか・・・」なんて。
昨日のトラさんは、また振りつけ変わってました。前は側宙だったのが、今度は「連続後方宙返り」。同じ人らしいんだけど側宙で捻挫かなんかして、2、3日猿四郎さんに変わって、今度は振りをかえたらしいです。
とにかくかわゆいです。見慣れてきたら、昼よか夜のほうが面白いくらい。
昼の元右衛門はそりゃすっごくいいけど、やっぱり通しじゃ無いのはもの足りないです。
頼光様は、特にえぼしになってからがとおーっても綺麗ですよ。
小忌衣がイマイチ似合ってなかったかな?って気がしないでもないけど。でも踊りそのものは、”拍子舞”というだけあって、よく揃い(初日頃はピタッって感じじゃなかったですから)文句なく楽しめます。
ではまた。
1998年12月21日/ Kyoko O
■知り合いにビデオを録画してもらったものを見ました。(未だBSに入っていないため)
猿之助さんの歌舞伎に対する情熱を、ひしひしと感じる事が出来ました。
歌舞伎ファンでこの放送を見る事が出来ない事は、大きな損であると思います。NHKはもっと多くの視聴者に観てもらうべきだと思います。
1998年12月21日/Yutaka E
【編集部より】=本当にそうですよね。あれほど教育テレビで放送するのにふさわしい番組って、ちょっとないという気がするんですけれど・・・。
■ 国姓爺合戦は、初心者が観て面白く、歌舞伎通にとっても見所が沢山あり、御贔屓違いの中級者が観ても納得する、懐の深い芝居だと思いました。だが、しし・・・澤潟屋贔屓の皆様の中には、満足はしたけれど大満足では無かったと思う方がいらっしゃるような気がします。(ゴツン)
「痛ぇなあ・・」
「ぜいたく言ってんなぁ、おまいさんのこっちゃないのかい・・」
「そりゃまぁ、そうだがよぉ。考えてもみねぇ。オグリ、千本桜、ヤマトタケルと立て続けに2回ずつ見ちまったんだぜ。歌舞伎の歴史に残る名作ばかりじゃねぇか!!目が奢ってもしょうがねぇやな。なにもかも御大が悪いんじゃねぇか(ゴツン・ゴツン・ゴツン)イテテテテ・・」
「お芝居のハナからキリ迄、ニヤニヤ、デレデレして喜んでたなぁ、何処のどいつだぃ。おまけに掛け声を3回も掛けちまってさぁ。今度は3列目だから、大人しくしてるって言ったじゃぁないか・・」
「ありゃあ声のヤツが勝手に出ちまったんでぃ。おいらのせいじゃねぇや(ゴツン)痛ぇなあ・・」
「また言い訳かい。男らしくないよ・・」
「てやんでぇ。おめぇこそ、もっと女らしくしろってんでぃ。」(ポカリ)!バタバタバタンの大立回りぃ〜
<閑話休題>御大は『古典の手法を駆使して国姓爺を復活させる』という主旨のお話をされていましたが、看板に偽り無しでございました。
大掛かりな舞台装置と、小さな工夫を上手く組み合わせたスピーディーな場面転換の見事さに加えて、それぞれの場面、エビソードは、いいとこ取り=本歌取りの集大成のようでした。歌舞伎に詳しい方ほど楽しみが多いのではないでしょうか。
そこで、小生も、つたなき本歌取りを御披露申し上げ奉りまするぅ〜
【水くくる 祥花もみじと 見まごうは 情義ハザマの
錦なりしか】
◇祥花→この歌では、紅葉に対応してサクラと詠んで下さい。無理矢理、祥という字を使った、手前勝手な当て読みなので、世間に通用するわけではないことを御承知おき下さい。祥の字には、幸せ、慶事、尊い、とかの意味があるとのことです。
◇情義→ナサケと読んで下さい。芝居では、人情と義理が両方からんでいますので、文字は情義としましたが、言葉の感じが堅いうえに、三角定規と間違えられるかもしれない?(ゴツン)痛ぇなあ・・なお、本歌は、古今集から、百人一首に撰ばれた歌です。
【千早ぶる 神代もきかず たつた川 からくれなゐに
水くくるとは】
ことによったら、原作者の近松さんも、この歌をヒントにして、紅流しの場を作られたのではないか??と思っていますが・・・ 楼門の場での、玉三郎さんは、美しさ、風格・存在感だけでなく、ときおりちょっと甘えた台詞廻しをまじえて、親を慕う娘の気持ちを表現するなど、見事というか、流石というか、当たり前というか・・・申し分ありませんでした。
甘輝館では、母・渚の宗十郎さんが素晴らしかった。自然体の柔らかな演じ方なのにグイグイと引きつけられ、涙を流してしまいました。千里ヶ竹の場では、虎さんを相手にお芝居を楽しんでいるような感じでした。一月の国立劇場では<散切りお富>を<復活上演>されるとのこと。御大と同じ志を持ち、実行をしていらっしゃいます。御活躍を期待しています。
第三幕は、歌舞伎には珍しい?澤潟一門では当たり前?得意とする大活劇。歌舞伎のキの字が、ニンベンなのがもっともだと納得させられました。絡みの皆様が大奮闘でした。なかでも、猿四郎さんが、殺陣軍団のキャプテンとして出ずっぱりの大活躍でした。名もなき役ばかりなので、一般人?は、気が付かなかったかもしれませんが、敢闘賞をさしあげたいと思います。
この場は、一門の皆様が入れ替わり立ち替わで登場してきました。『アレッアレッ。みんなで出て来るじゃん』と家内がつぶやいていました。いろいろなパターンの立ち回りを見せて下さいます。本歌取りも様々です。
御大は欲張りで一度に二つ(三つかな?)まとめてやってました。観劇中にわかった元ネタは、御大と笑三郎さんだけだったのですが、感想を書こうと思い出しているとイロイロとわかってきました。配役にも楽屋落ち風の仕掛けがあったとのではないかと思います。例えば・・(ゴツン)痛ぇなあ・・で、ございます。
BSの歌舞伎講座で、御大は<見得はクローズアップ>と解説されましたがイイトコ取りのパロディは、オーバーラップであり、名場面ハイライトであり一粒で二度も三度もおいしいファンサービスなのだと実感しています。例えば・・(ゴツン)痛ぇなあ・・男だったら我慢おしよ!
1998年12月20日/しっぺえ太郎
■ 北前さん、こんばんわ。ご無沙汰しています、歌六さんファンの南です。
先日BSで放映していたワークショップ。ああいう内容だったんですね。
実はあのワークショップの募集を知ったとき、「おお!これは応募せねば!」と思いながらも、うっかり締切日を忘れてしまって応募しなかったのです。知り合いが応募したのですが、書類選考は通過したものの、次の選考で落ちてしまったんです。
その子が「南さん、ワークショップの発表が中座であるから見に行きませんか?」というので「ああ、いいよ」と言ったのだけど、一向に詳細を言ってこない!ギリギリになって「見学希望者が多くて選にもれました」
その時はただの発表会だと思っていたので「まあ、いいか」と思っていたのですが、まさかあのような内容だったとは!
行きたかった!出たかった!
軽い気持ちで放送を見ていたのですが、気がついたら正座で画面を凝視していましたよ。テレビの前から離れられなくなってました。
私は10年以上お芝居をしています。猿之助さんのおっしゃられていたことは過去に先輩諸氏から言われたことと一致するのですが、そういう場合「言葉」だけで言われたり、こちらがその「言葉」を受け止められる状態じゃなかったりで、理解度はかなり低かったりします。後になって「ああ、そうか」というのが多いのです。
でも、あれだけの長時間、実演をまじえて下さると実にわかりやすい。お話を聞いていて感心したり、反省したり。見ていたらだんだんと耳が痛くなってきましたよ。
「歌舞伎の講座」という枠にとらわれず、演劇の講座としてもとても良い番組だと思います。
もう一つ思ったことがあります。
番組中に一門の方々が懸命に受講生に教えておられるシーンが見受けられました。人に教えることって難しいですよね。普段自分が自然に出来ていることなんて特に教えにくいと思います。でも教えることによって自分の中に理論が生まれていくと思うのです。形になっていくと思うのです。それって役者をやっていく上でとてもプラスになるような気がします。一門の方々はとても良い機会を与えられているなあと思いました。そういう経験が一門の力量向上に繋がるのだと思います。
猿之助さんが番組で見せてくれたのは単なる歌舞伎の講座だけじゃなかったような気がします。
ああ、もっと前にこんな講座見たかったです。
どなたかの文章で「この講座を教材に」というのがありましたね。賛成です!生徒さんをどんどん感動させてあげてください。長くなりましたが、この辺で失礼します。
追伸:「講座」を見ていて‘キレのいい、殺陣のうまい’この人は誰なんだろう?と思った方がいらっしゃいました。猿四郎さんでした。大きな役を貰って、実力をもっともっと生かして欲しいと思いました。がんばれ〜!猿四郎!
1998年12月20日/ ・:*:・ ゜★,。・
南 '☆ ,。・:*:・°
■「BS2の放送、再放送して下さい」ってNHKにメールを打ちました。そしたらそういう希望が多いらしく「再放送を検討します」というメールが返ってきたんです!!本当にそうなるとうれしい!形式的なサービス回答だけじゃないことを祈ってます。
友達にビデオを撮ってもらったんですが、7・8日のぶんはそれぞれ別のテープに撮ってくれたんですが、9・10日のぶんは3倍速で一つのテープに撮ってあるのです。こだわる私としては、再放送があった時にはそれぞれを別のテープに標準で撮って、永久保存版にしたい!と思っています。
1998年12月16日/ おさよでした。
■ 「YUKA蔵(仮)、今月は何回歌舞伎座に行くの?」会社の人にまでそんなこと聞かれてしまった・・・。う〜んと、、、7月ほどは行けません(^_^;)ホンマですってば。
人ってわりと単純なもんで、1人何かに熱心になってると周りの全然興味がなかった人もちょぴっとくらいは興味を持つみたいです。
歌舞伎好きであり、猿之助さんのファンである私を知っている人々は、テレビで見たとか劇評が載ってたとか何気に報告してくれたりするし。そんな中から「今度、一緒に観てみる?」なんて話もあったりして、まぁそれはよい傾向やなぁと思ったりしてるんですが。
こないだね、ある人が「今、歌舞伎座で『国性爺合戦』ってやってるんでしょ?"や"っていう字が"爺"って書くヤツ・・・」というので、へぇよ〜知ってるやん、なんて話になったんです。そしたら、、、「あれって、花咲か爺さんとかサルカニ合戦なんかのおとぎ話のパロディ?」って真剣に聞くんですよ?!・・・・・・なんでやね〜んっ!!そやけど、笑うに笑えませんでしたよぉ・・・世間一般でいう歌舞伎ってそんなに未知の世界なん・・・?うそやろぉ?もぉ、、、なんかショックぅ・・・(;_;)そんな感じでした。
多分、歌舞伎に限った話やないんでしょうけど、知らないってことはすごい誤解の中にあるもんなんやなぁ、、、と思ってしまった。とほほ。
とにかくっ 観な分からんもんなんやってばっ!とやかく言う前に自分の目で確かめてちょうだい!自分の耳できいてちょうだい!・・・そういうしかないですよねぇ。
*+*+*+*+*+*+* 12月某日、取引先の会社の方と上司の間で、電話の取り次ぎをよくする私の話題がでたらしい。
「何?YUKA蔵(仮)にあってみたい?そしたら歌舞伎座のチケット送ってください。ひょこひょこ出てきますよ(笑)」と上司。そんなこと取引先の人に言う〜〜〜っっ?!でも否定できひんその悲しさ・・・(;_;)「あの〜できれば猿之助さんの出てはるヤツにしてくださいって言うといてください。1等席で。」*+*+*+*+*+*+*
あ〜ぁ。歌舞伎座、行きたいですねぇ。行くけどね。
1998年12月16日/ YUKA蔵
■大歌舞伎見てきました。
第一感想
・・・ううん・・・すっげぇ・・・ってかんじ。
もっと堅苦しいものかと思ってたんですけど、結構笑えたりするところもあってイメージと違ったデス。
11日昼の部を2等席(でも、花道の横)
12日夜の部を3階席(前から3列目ど真ん中)で見ました。
昼の部
やっぱり思いましたが、調子というか、テンポのいいのが楽しいですね。
3幕全部お話が違うというのがちょっと付いていくのが大変でした。
それから、イヤホンガイドがないとちょっとまだ分からないとこもありますね。超初心者には。
「敵討天下茶屋聚」
猿之助さん面白かった。
すごいリアリズムで
藪蚊にさされたりするところ・・・笑いました。
「蜘蛛の拍子舞」
玉三郎さん初めてみたけど、流石に綺麗ですね。
でも、あたしは笑也さんや笑三郎さんも好きですね。はっきり自覚しました。
やっぱりああいう、テンポがあって面白いのは、楽しいですねえ。
でもでも、やっぱりすっごく長いので、腰やお尻がいたくなるし、1度は眠くなってくるんですよ。
鍛錬がたりんのかな???
夜の部は
「昼の部より眠くなるよ・・・たぶん」っていってる人もいたけど、昼より私は好きだな。
お客さんがマダムっぽい人やお金持ち母娘(無論二人とも着物)が多くて、昼より大向こうかける人がおおくて(あたしもやってみたい)、面白かった。
猿之助さん、いいねぇ・・・!
ひゃーかっちょええーっていかんじで、楽しかった。
すごい面白ろかった! 猿弥さん、
その声にしびれた! 左團次さん、
そこはかとなくかわゆかった! 亀治郎さん、
気高くて美しかった! 笑三郎さん、
・・・書ききれませんね。 よかったです。行って本当によかった。
正直もっと違うもの(難しくて、堅苦しくて、退屈で・・・)想像していたので・・・。
では・・・また! 1998年12月16日/りんご
■ ご無沙汰しています。七月頃に一度お便りさせて頂いたアツコと申します。
BS2の「歌舞伎講座」中継、とてもおもしろかったです。歌舞伎の講義なんていうと、誰もが堅苦しくて退屈で難しくて、なんて思い込んでいると思うんです。それが、歌舞伎の全てを体系的に、論理的にきっちりと講義して、しかもあんなに面白い!
「猿之助さんは教育者としても超一流だ 」という梅原猛先生の言葉を読んだことがありますが、深く納得しました。
それはKikukoさんもおっしゃってますが、歌舞伎が好きで好きで大好きで、伝えたい、分かって欲しい、好きになってもらいたい!!そういう祈りにも近い思いが猿之助さんの中にあるからで、その通りそういう思いが渦巻いているのが見えるような講義でしたね。猿之助さんが、とにかく大好きな歌舞伎のことを話すのが楽しくて嬉しくてしかたない!みたいな感じだったのがなんかカワイかったです。
紋付き袴の”素”で演じられた「連獅子」「正岡」「松の廊下の刃傷」「封印切」「弁天小僧」「毛抜」「一本刀土俵入」などなど、どれも本物の舞台以上に引き込まれました。”素”だからこそ、よけいに役者さんたちの真剣な眼差し、集中力、気迫等が迫ってくる感じで、ついテレビに向かってるんだってことを忘れ息を殺して見入ってしまいました。
学校の教材に使いたいという意見、本当にそう思います。大方の生徒が寝たおしちゃうような(引率の先生までが眠っちゃたりするのよ〜)鑑賞教室に大金使って連れていくより、この放送を見せる方が、よっぽど興味を示すんじゃないでしょうか。そして次は絶対に本物の舞台を見てみたい!って気になること請け合いです。
あの「歌舞伎講座」は、毎年京都造形芸術大学で講義されている公開講座と同じ内容なんですよね。ヨーシ、来年こそは何がなんでも聴講しよう!!
1998年12月13日/ アツコ
■ はじめまして。日刊演劇マガジンの方にも書き込んだのですが、8日、10日、11日とBS2の歌舞伎ワークショップを見て深く感動、何か言わずにはおれない気分なもので、ちょっとお邪魔させていただきました。
私は福井県は鯖江市在住の一中学校教師です。
授業のほかには演劇部の顧問も務めているのですが、これは特に演劇について学んだことがあるから、というようなことでは全くなく、ただ歌舞伎が好きで、時々はるばる東京、名古屋、大阪くんだりまで出かけたりしていたところ、勝手に「適任者」にされてしまったというだけのことなのです。
けれども授業のほかに演劇を通して生徒たちと接してみて感じたのは、演劇は正しく総合芸術であり総合教育の手段としてとても有効だということでした。教育の場にもっと演劇を、もっと感動の体験が出来る場をつくることが必要だと痛感しています。
なんだか前置きが長くなってしまいましたが、表題のとおり、猿之助丈とその一門による「市川猿之助のスーパー歌舞伎講座」、全10時間30分を拝見しました。
前々から、丈が芸大の教授であることを知っていましたし、大学での熱血講義の噂も聞いていました。けれど、10時間30分にわたる講義は想像をはるかに超える、正しくスーパーな歌舞伎講座でした。
当然歌舞伎についての講義ですから、歴史から、狂言の種類から、演出・演技術からと、多岐に亘って縦横無尽に語られる内容を通して、歌舞伎を全体的にゆったり大きくとらえることが出来たことはとてもよかったと思っていますが、それよりも印象的だったのは、聴講生の人達全員がなんとも言えないほどいい表情をして講義を受けていたことです。歌舞伎の魅力に引き込まれ、好奇心の塊のようになって丈の話に、またお弟子さんたちの真剣な、火花が散るような実演に見入る彼らの目の輝き!私はいまだ生徒たちの目をあんなに輝かせる授業をしたことがありません。
いろんな意味で、深く感動し、考えさせられた、とても素晴らしい放送でした。いまはあの素晴らしい放送を何とか生徒の教材に使いたいものと考えています。全部は無理でも、一日目のデモンストレーションの2時間だけでも是非生徒達に見せてやりたいのです。
ただ、残念でならないのは、衛星放送であったことです。衛星放送であったからこそあの長時間放送が可能だったのかもしれませんが、地上波による放送であったなら、もっともっと多くの人が見ることができたのにと思うからです。
1998月12月11日/鯖江の女
■ ズーッと待っていた「歌舞伎講座」、終わってしまいました。
それにしても、平日の 昼間に BSを 見ることができる人ってごく限られていますよね。そんな環境だけでの放送ではあまりにももったいない番組です!
本当に あの 番組の素晴らしさは 想像以上でした。何しろ10時間もの放送ですから週末ゆっくり見ようと思っていたのに、最初の日の放送を10分も見たらもう止まらなくて、延々4時間見続けてしまいました。明日仕事なのに...と思いながらも....。
やっぱり 猿之助さんは 素晴らしい 方ですね。役者さんは
いっぱい いらっしゃって、演技で歌舞伎を伝えられる役者さんはいらっしゃっても、あれだけ歌舞伎について(演技ではもちろん)言葉でも人々に伝えられる方はぜったいにいないと思います。
どんなに 歌舞伎を愛して 大切に 思っていらっしゃって
人々に伝えたいと思っていらっしゃるか...、その熱い思いが画面からビンビン伝わってきました。
私、最初は 気楽に 布団にはいって 寝転んで
ビデオを見てたのに、皆さんの一生懸命な姿をみてテレビの前に正座して見なきゃいけないわ!!!って気になりました。
はじめは、 歌舞伎ファンではあるけれども特に
猿之助ファンで ないという子には放送があることを伝えていなかったのです。初日の放送を見て、とっても後悔して、木曜日の放送はぜったいに録画するようにすすめました。
それで 今日 聞くと、 さっそく 帰って 見て
、昨夜寝たのは 2時すぎとのこと。やっぱり彼女もちょっと見たが最後やめられなくなったんですね。
「猿之助さんのこと う−んと 見直したでしょ??
株は上がったでしょ??」と聞くと大きくうなずいてくれました。(ところでメガネを取ると猿之助さんって、とってもハンサムな事に初めて私は気がつきました。遅すぎる??)
26日の 観劇日まで あと 半月。舞台はもちろんですが、またお会いできる事も楽しみにしています。
1998年12月12日/Kikuko T
【編集部より】=はい、遅すぎます! はっきり言わしてもらいますが、猿之助さんは、ハンサムです!
■今日は12月9日、猿之助さんのお誕生日です。バースデイケーキ買って帰ったら、家族は当然??てな顔。
「急に食べたなってんもん、ええやん」
「それやったらフツーのショートケーキでよかったのに、もったいな・・・」
「ええの!このま〜るいのんがたべたいの!」
なんてワケのわからん言い訳して切ってたら、脇からジーっと見透かすみたいな視線を送ってるヤツがいる。
うん?って思って振り向いたら、我が家に来てまだ半年にしかならない喜助(猫)がニタニタ笑ってるではありませんか。(ホントにそんな気がした!)
ところで、朝日の劇評、結構早めに出ましたね。やっぱり劇評は早目に出なきゃ意味ないですもんね。
ファックスで送ってくれた人がいて、<千里ケ竹虎狩りの場>の写真に「へぇ〜、これが噂の・・・」とばかり見入ってしまいました。
「労作、力作、快作である」「この作品のスケールの大きさが目の前によみがえった。猿之助とスタッフの大きな功績だ」(国性爺合戦)って。素直に嬉しいね。
めったに出ないめずらしいお芝居だけに、猿之助さん、玉三郎さんはじめ皆さんそれぞれが初役に挑戦ということですが、それぞれが熱演でなかなかいい!ってね。きっと初役のオンパレードで、全員にいい意味の緊張が漲っているのでしょう。
大好きな元右衛門についても、「元右衛門の愛嬌、悪に戻るすごみがなんとも魅力的だ」って。本当に猿之助さんの元右衛門は、憎ったらしくて、かっこよくって、セクシーで、ゾクゾクものですもん。ただ、通しではないから、矢橋の橋蔵さんのおっしゃるように物語としての面白さに欠けると言う点はあるだろうな・・・という気はします。猿之助さんの主張の一つでもある”通しで見せる”ってことがどんなに大きいかってことですよね。
それにしても、「玉三郎初の、<蜘蛛の拍子舞>は、はでに糸が飛ぶ」
はないですよねェ〜。それしかないみたいな書き方で、玉三郎さんのファンならずとも、もうちょっと書くことあるやろに・・・って気がしてしまいましたけど・・・。
ああ〜、早く行きたい、行きたい、行きたい!
でも、12月って、給与、賞与、年末調整と、経理担当者にとっては最高に多忙な一ケ月で、どうしても楽ギリギリにしか行けないんです。ホント、待つ身は長い・・・。
PS=『市川猿之助のスーパー歌舞伎講座』当然ごらんになっていますよね。実際のワークショツプの素晴らしさがTVではどこまで伝わるかって不安があったんですけど、とってもよくまとまっていて、歌舞伎の素晴らしさ、おもしろさ奥深さが、ワクワクドキドしながら見て聞いてしているうちに、自然としっかり分かってしまうという、最高のワークショップ中継になっていると思いました。それと共に猿之助さんの素晴らしさ、そして一門のお弟子さんたちのキラキラした輝きもよく出ていて、たった一回の放送だけだなんて、もったいない!!と思いません?!
ぜったいに絶対に再放送してほしい。歌舞伎ファンのためにはもちろんだけど、歌舞伎を知らない人のためにこそ、ぜひ再放送を検討して欲しい!!って思います。
1998年12月9日/Miyako K
■ 猿之助ファンの皆さん御元気ですか。
5日に歌舞伎座の昼の部を観てきました。天下茶屋の安達元右衛門は、期待どうりの出来でした。
しかし平成5年に通しで観ているので、どうしても少し物足りなく感じてしまいました。元右衛門が酒で失敗して段々悪に染まって行くくだりなど、非常に面白かった事を覚えているものですから、あの件がないのは惜しまれます。次回はやはり是非通しでお願いしたいものです。
それと、折角、梅玉丈との共演なのに、もっと同じ場で顔を合わせて舞台で競い合ってほしいですね。
玉三郎丈、左團次丈、梅玉丈などとはなかなか共演の機会が無く、今回の共演はファンとして非常に嬉しい事なのですから。
千秋楽には夜の部を見に行く予定です。きっと熱気がすごいのでしょうね。今から期待しています。
春秋会もAプロBプロ共見に行く予定ですので、皆さんもぜひいらしてください。待っています。
1998年12月9日/矢橋の橋蔵
■ 5日に昼夜通しで行って来ました。もうもう・・・大満足です。昼夜ともとっても充実していて見応えがありました。詳しい感想を書きはじめると長くなってしまうので、今日はとりあえす゜大満足の舞台でした!ということの報告のみですが・・・。
ところで発売中のソワレ1月号に猿之助さんと京劇俳優の李宝春さんとの対談が載っています。見開きの2ページだけですけど、李さんとはどちらも俳優同士だった親御さん達からのおつきあいだそうで、その当時の写真も載ってます。
これはほめてるんですけど、猿之助さんて若いころより今のほうがずっと素敵ですね。男は40過ぎたら顔に責任をもて、とは誰の言葉だったかしら? やっぱり若いころの表面的な美しさではなく、生き様が磨き上げ、内面から魅力がにじみ出る40過ぎの顔がよくなくては駄目ですよね。特に役者さんは。
骸骨とその上に載った皮が多少きれいなんてのはすぐにうつろいます。
そういえば、先日は笑三郎さんのお蔦さんを褒めて下さってありがとう。
松江さんのお蔦さん、何となく想像できます。「演劇界」にも土地の親分の思い者なんだからもっと派手にやったほうが・・・と書いてありました。松江さんって、お行儀のいいキッチリとした芸風の方だから、、それがプラスに作用することもあればマイナスに作用することもあるということなんでしょうね。要するに「崩れた色香」がもっと出ればってことなんでしょうか。
では、楽の日にお会いできるといいですね。
1998年12月 8日 / しずか
■ La Vie de 30ans(ラ・ヴィ・ドゥ・トランタン)という、婦人画報社発行の、雑誌の1月号に“年末年始は歌舞伎・能・狂言・雅楽へ”という特集がありました。電車の中でつり広告を見てバイトの帰りに本屋さんへ寄って、立ち読みしてたんですけど、財布の中のお金で何とか買えそうだったんで、買ってかえりました。税込みで700円です。
市川染五郎さんのインタビュー。ちょっとした歌舞伎のいろんなことの解説。雅楽の東儀秀樹さんのインタビュー。お能の梅若靖記さんのインタビュー。狂言のお豆腐狂言で有名な茂山千三郎さんと、茂山逸平さんのインタビュー。歌舞伎大好きなリリパットアーミーという劇団の座長さんのわかぎえふさんのインタビュー。などなど。
最後に公演スケジュールが載っていてその下に、“近松門左衛門の世界を市川猿之助が魅せる!”と、書いてあり小さいですが、猿之助さんの和藤内姿の写真が載ってます。隣には三之助の写真があり、下の文章に『若手の市川亀治郎にも注目』と書いてあります。なんとなくこの一言と、わかぎえふさんのファンでもあるんで買ってしまったんですけどね。
ただし猿之助さんの情報は写真と歌舞伎座の公演スケジュールが載ってるだけでした。だから、猿之助さんにとってはやっぱり物足りない雑誌かもしれないです。
ところで、『松竹座千秋楽』の感想を読んで、「観慣れてる方の観方と、観始めて1年の私の観方は違うんだなぁ」と感じました。実は私も行っていたんです。でも私は十分楽しめたし、今大阪に歌舞伎役者さんがいらっしゃらないことにすごく寂しさを感じています。私も“花桐いろは”の娘役の人が女優さんだったのは、ちょっと嫌だったんですけどね。(何が嫌なのか上手くは言い表せないんですけど)梅玉さんに「華やかさが足りないような・・・」とのことでしたが、確かに猿之助さんに比べたら、おとなしい感じですけど、猿之助さんには猿之助さんの、梅玉さんには梅玉さんの、吉右衛門さんには吉右衛門さんの魅力や演じ方があるのだから、と私は思います。
今回観たのは夜の部だけでした。1回目に観たときと、今回と“松竹梅〜”の中のネタが少し変わってたんですよ。前回は侍が「♪お七はどこじゃ、お七はどこじゃ」と歌いながら探している時に、一人が饅頭をとって「この饅頭、食べたらおいちいね〜。おいちいね〜お七いねえ〜」(ばんざ〜いていうかんじですね。大喜利みたいですけど)て言ってたんですけど、今回は突然十手を取り出して「♪男だったら一つにかける〜」と歌い出して、他の人が「親分!」ってその人に寄っていって「八はいるけどお七はいねえぜ」というネタでした。この人一番おいしいところを持っていってる気がしました。花道から出てきたときからむっちゃ嬉しそうな顔をしながら、入ってきてたんで、『この人絶対何かするわ!』って予想はついてたんですけどね。
今回観に行ってまた好きな人見つけちゃった。(気が多すぎ)右近さんや笑也さんたちと同じ今回名題試験に合格した、宗丸さんです。これからちょっと応援していこうかなと思いました。
“一條大蔵譚”のとき〜桧垣〜が終わってから〜奥殿〜までの5分間の休憩にオペラグラスを買いに行かされたんです。3階席(実質4階)から2階のロビーまで。階段を駆け降りまた駆け上がり戻ったら、母親が一言「早かってんねぇ」て。他になんかあるやろ!ご苦労様とか、お疲れさまとか。どう思います!
母親は「次は寝るかも」って保名の前に言うんです。でも、結局寝ずにちゃんと観てました。しかし許せないのは横の2人。途中で二人で笑い出すし、なんなんこいつら!と思いながら腹立たしい時間も過ごしました。
ところで座ってた席がなんと、3階1列目の5・6番。これってちょうど花道の真上なんですよね。もうお分かりですね。“ヤマトタケル”で、猿之助さんが入っていったところです。正面からあの宙乗りを見たらどんな感じなんやろう?て思いながら、休憩時間は過ごしてました。
あ、それから、ずっと書こうと思って書き忘れてたんですけど、“ヤマトタケル”の千秋楽に行ったことを母親に言いました。(ちゃんとその日のうちに)「自分だけな〜、そんなことしてな〜」と嫌味ったらしく言われました。でも、どうやった?て聞いてきたんで、感じたままを言いました。その影響もあったのかな?今回もう1回みたいって言い出したのは。
帰りには「ここが楽屋口やで」って母親と楽屋口のところに行きました。でも、終わったばっかりで誰も出てくる気配がないし、雨が降ってたんで帰ってきました。
皆さん12月は歌舞伎座に行かれるんですよね。うらやましい。私は皆さんの感想を読みながら悔しさに浸って歌舞伎組の公演を待ちます。ということで、おさよでした。
1998年12月03日/おさよ
■松竹座・十一月大歌舞伎の千秋楽に行ってきました。九、十月と人に言うのもはばかられるくらい通った松竹座ですが、演目により、演者により劇場の雰囲気もかなり変わる感じがするもんだなぁ〜と。
まず、金曜日だったにも拘らず、補助席も出て、3階までも大方は入っていたのですが、特に十月後半の、超満杯、芋の子洗うみたいな連日の客席を知っている者には、ちょっと物足りない気のする客席ではありました。
それと、全体的に平均年齢が高いかなァ〜というのと、九、十月はもっと客層にバラエティがあったなァ・・・という感じがしました。
「花桐いろは」って、随分珍しい狂言とのことでしたが、いわゆる「新歌舞伎狂言」なので、感覚としては商業演劇の時代劇に近い感じで見ていられる、予備知識なしでも、誰にもよく分るといったお芝居でした。歌舞伎人口の少ない大阪でお客を呼ぶためには、こういうわかり易いお芝居で引っ張るということも必要なのかもなァなんて思いつつ見ていました。
泣いたか?泣いたか?もっと泣かしたろか?というような筋立てで、素直〜、且つ涙腺感度良好の私としては、やっぱり最後のあたりクグッっとくるものがありました。
ただ、落ちぶれた人気女形・花桐いろはの娘をやるのが何と女優で、後半はこの娘の泣かせる台詞で引っ張っていくという感がなきにしもあらず。
梅玉さんは前半の全盛時代の”花桐いろは”より(ちょっ華やかさに欠けるような・・・)、落ちぶれてからの、過去の栄光を捨て去り、けれど実はそれに固執してもいるという屈折した演技の方がよかった気がします。
劇中、”花桐いろは”を追っかけしてる娘たちや奥さん連中が登場するんだけど、猿之助さんのストーカー騒ぎのエピソードが入って受けていました。
「五十間四方以内に近づくことまかりならぬ・・・・・」なんて。メートル法がちゃんと尺貫法に直ってるところなども笑えるでしょ。
「一本刀土俵入」はさすが公演回数の多さを誇る人気狂言だし、吉右衛門さんの演じ分けも鮮やかで見ごたえがありました。吉右衛門さん、カッコ良く台詞聞かせてました。ただ、松江さんのお蔦、情があって良かったんだけれど、欲をいうならもうちょっと捨て鉢に生きている女の”色香”も感じさせてほしかったなァ・・・と。
その点、本公演ではまだ実現していないけれど、京都造形大の授業で、また中座のワークショップなどで度々目にした笑三郎さんのお蔦にはそれがあったと私は思ってるんですが・・・。
昼夜通して約一月ぶりに”歌舞伎の空間 ”に身を沈め、それなりに堪能した一日でしたが、見終わった後、何だかな〜んとなく納得できない気分が残りました。
演目の選び方というか、ならべ方というか、観客のことあんまり考えてるとは思えないんですもん。
だって、昼の部は二本とも新歌舞伎の涙頂戴(私は嫌いじゃないけど)で、女優さんは活躍するし、見得もなければツケもなし、もちろん色彩的にも地味〜。「ヤマトタケル」の方がよっぽど歌舞伎だったなァ〜って気分でした。しかも二時半過ぎには終わっちゃって、後ろのお客さんも「エッもう終わり?」なんて言ってました。
対して夜の部には舞踊が三本も出て、その上に「一条大蔵譚」だから、見得、ツケ、華やかさどっさり、いかにも歌舞伎、歌舞伎した世界なんです。おまけに「松竹梅・・・」など笑いもどっさり(あまりにドタバタの軽い笑いで、吉本の芝居見てるような気になりましたけど)で、何か片寄り過ぎてると思ってしまったんですけど。
それから 「一本刀土俵入」「一条大蔵譚」(昼夜を通して
私は一番よかった!)の力の入った吉右衛門さんにたいして、「松竹梅・・・」の吉右衛門さんは、おふざけの役柄みたいなものだから仕方ないのかもしれないけれど、あまりにも軽く流している感じがして(勘九朗さんの軽く流す感じともちょっと違う)、むしろ笑う気がちょっと削がれてしまいました。
これって、おふざけの場まで一生懸命に力を入れてふざけなくては気の済まない猿之助さんを見つけているせいなのかもねぇ〜。
あ・あ・ぁ・ァ〜、あと三日よ、三日!
大好きな猿之助さんの、思わず「殺してー!」なんて言っちゃいそうな
悪〜い奴(元右衛門)にまた会える!玉三郎さん他との共演もス、スゴーイ楽しみだし、それにも増して14年ぶりに取り組む復活通し狂言上演という大目玉!!ほんと12月歌舞伎座は見逃せませんよねー!!!
1998年11月29日/Miyako K
■ 「翔・6号」をお貸し下さり、本当にありがとうございました。”回覧用”をつくり、それを次々と回覧していくというのも、相当な労力ではないかと思ってしまいました。
もう九年も前なんですねェ、この号を作られたのは・・・。当時と今では随分状況は変わっているのだろうと思いますが、猿之助ファンとして色々と鬱屈した想いがあって、こういった一冊になったのでしょうね。何度も何度も読み返し、頭の芯が熱くなるような感覚がしました。
さて、話はコロッと変わりますが、先日の日テレ「アメリカ横断ウルトラクイズ」に猿之助さんの舞台が問題として出題されていました。
質問 = ”ヤマトタケル” ”オグリ”等、三代目市川猿之助が確立したジャンルを何と言う?
答え = もちろん”スーパー歌舞伎 ” ですが、番組の中では不正解でした。(バカ者だー!)
読売テレビが9,10月公演の協賛だったことを思えば不思議ではないのでしょうけど、それを抜いても世間の話題からかけ離れたものは出題対象にはならない訳で、「これはスーパー歌舞伎が完全に根付いたってことじゃ〜〜!」と思い、嬉しくなりました。
歌舞伎座前には12月の大っきな看板が掲げられ、猿之助さんたちの写真を見たら、「うわぁ〜、いよいよだァ・・・」と、目頭が熱くなってしまいました。
タイムリーな記事も新聞に出て、写真の下には ”虎と戦う市川猿之助 ” だって。(もうちょっと別の表現なかったのかしらねェ〜)
なんて言いながらも、何だか嬉しくて、ずーっとずっと、眺めて読んで、しています。それではっ!
1998年11月29/Mami H
■ 寒くなりましたね。皆さん、お元気でいらっしゃいますか?
今日、12月のチケットが届きました。それを見るたびに顔がニヤけてしまう・・・。
HPのぞくと、売り出し日当日は皆さんもなかなかチケットホン松竹の電話がつながらなかったようで、まだ私はラッキーな方だったってことに気がつきました。
さて、お便りしたのは、今週、BS2で「能と歌舞伎に遊ぶ」という番組があったのですが、まさか猿之助さんが出るとは思わなくてノーチェックだったのです。それで今日何となくお昼休みにNHKのホームページをのぞいていたら、16日(月)に猿之助さんの演目が放送されているじゃないですか。
「キャー、見逃した!!」と思った時、気が付きました。
「うん? ”黒豚 ”?って何??」
これって「黒塚」の間違いですよね!
天下のNHKでもここまでのミスをするんですね。し、しかし”豚
”はひどすぎる・・・・・。
いけないとは思いつつ、笑わせてもらいました。
1998年11月18日/Kikuko T
【編集部より】=うっそ〜!?と思って覗きに行ったら、確かに”黒豚”でした。しかも”猿扇十種の内”だって。それも書くなら”猿翁十種の内”だろうが〜・・・って、怒りたいんだけど、私も思わず大笑い。ホント笑うしかないわ・・・。
■ お元気ですか?何度と無くお騒がせ致しましたが、ようやくメールを打つ事が出来、嬉しくてなりません・・・と、言いつつ、実はまだ半信半疑なんですけどね。
ちゃんと届く事を願って、初メールを打たせて戴きます。
とはいえ、何しろ7月の舞台以来、猿之助さんとも歌舞伎とも御無沙汰してしまっているものですから、その後観た芝居やら、色々感じた事など書かせて戴こうと思います。
「小劇場」といわれる芝居を観る機会が多く、人気劇団や、まだこれからという若い集団や、元々弟はこちら方面に詳しい事もあって、様々な劇団を知る事が出来ました。
10月に、劇団M.O.Pの「夏のランナー」を、半ば弟に引きずられるようにして観ました。
戦後、プロ野球が復活して、その事に刺激を受けた人々が自分達も草野球を始める事によってたくましく復興していく姿を、大いに笑わせながらテンポ良く感動的に描いた舞台でした。
本当に面白い良い舞台と出逢えた幸福というものを、今更ご説明をする必要は無いのですが、本当につくづくこの芝居を観る事が出来て良かった!と、内心弟に深く感謝したのでした(面と向かって言うものか・・・あはは)。
こうも強く思ってしまった理由の一つは、今年の初芝居「龍神伝」があったからでした。
本格的に芝居にのめり込んで観るようになって十数年になります。もちろん、まだまだ未熟な集団の芝居も観ましたし、演技力とか脚本とかまだまだ未完成でしかない芝居も観ています。でも、それでも不満はありませんでした。若い役者達の一生懸命で熱い気持ちは、十分伝わってきましたから、むしろその潔いくらいのストレートぶりは清々しいくらいでした。
しかし「龍神伝」からは、そのようなものを感じられなかったのです。あれだけ実力のある、熱い舞台を観せてくれる21世紀歌舞伎組から、私には何も伝わってこなかった・・・ショックでした、彼らのいつも同様の熱演にも拘らずです。これはむしろ私自身の感性のせいであろうかと、オロオロしました。
「翔」のホームページを拝見して、楽日に近づくにつれ様子が変わり、どんどん感動的な舞台になっていったそうですので、安心すると共に、新しいものを創り出す事の困難さを思い、それに挑み続ける猿之助さんの偉大さを改めて思ったりしました。
何でこんなにも、忘れたいとすら思った「龍神伝」について考えたかというと、私たちの斜め後ろの席に横内謙介氏がいらしたからでした。
「夏のランナー」は、客席数が300にも満たない小さな劇場で上演されました。芝居の登場人物は29人、舞台の規模からすれば大人数といえるかと思いますが、一人として無駄なものはなく、全てに意味があって活き活きと存在していました。
全ての登場人物に意味が見出せなかった「龍神伝」を思い出し、そして来年の「三国志」を思ったのでした・・・頑張ってね〜!あの長大で大人数の物語を料るんだから!!!と、内心祈りにも似た叫び声をあげていました。
さて、ザ・コンボイという集団をご存知でしょうか?
8人のダンサーによるエンターティメント集団で、そのステージの魅力は口コミで伝わり、公演のチケットは即日完売、私も12時間並ぶというオソロシイ経験をしました。そうまでしても彼らのステージは、実際に観ねばならない!と思わせる魅力にあふれていました。ここ数年、ようやく気付いたマスコミが扱うようになりました。
そのメンバーの一人が、初めてソロ・プレイを行いました。
初日、ダンサーはずいぶんと痩せてしまっていて、このプレイに賭ける想いを否応無しに伝えたのですが、その最終日はさらに痩せてしまっていました。
わずか三日間とはいえ、この公演に賭ける姿の劇しさに胸を打たれました。暗転の一瞬の間に聞こえた激しい息づかいに、その懸命さ、ひたむきさがひしひしと伝わり、その一瞬がなんと愛おしいものかと思いました。
アンコールは、そのダンサーの思い出をたどるようでした。ダンスと出逢い、夢中になり、やがて苦しみも知り、挫折しそうになっても乗り越え、支えられ、声援を受けとめ、さらに踊り続ける姿を、情感たっぷりに表しました。無駄の一切を削ぎ落とされた身体は美しく、しなやかな長い腕は大気を抱きしめ、そして晴れ晴れと踊るその様は、観るものを幸福にしました。
鳴り止まぬ拍手の中、さすがにダンサーも感激の様子で、達成感と安堵感と、そしてピークはとうに超えている疲労とで少し虚脱感も漂わせていましたが、その時大きな花束を抱えてザ・コンボイのメンバーが現れました。ダンサーの中にあった全ての感情がとうとう堰を切ってしまったかのように、彼は泣いてしまっていました・・・
なんて美しいものであろうかと、私は不思議なくらい平穏な気持ちでそのシーンを堪能していました。一人の芸術家が、迷いや不安や焦りから開放され、さらなる芸術の高み目指し歩み続ける事を始めたと、そんな事を思っていました。
こういう瞬間に立ち会えた幸福を、つくづく感じます。
生身の人間が表現する舞台に魅せられ、見続ける幸福はこういうところにあります。つまり「感動」という事です。
さて、長くなりました。
だいたい、本当にちゃんと届くのかなぁ・・・まだ疑っている・・・
今日、12月の切符が届きました。23日の夜です。とっても良い席を戴きました。
これがあるから、何とか仕事頑張って、何とか世間と戦っていけます。御多忙の事と思いますが、どうぞお身体お気を付け下さい!!!
1998年11月17日/ ★☆☆千香子★☆☆
【編集部より】=ちゃ〜んと届きましたよ!「翔」本誌の投稿欄でおなじみの千香子さんのお便りです。3、4度も文字化けメールが届いた末の成功で、ヤレヤレ、お目出度う。これからもドンドンお便り送ってください。
■ もう最高に面白かったです。一番最初の演目が“花桐いろは”という演目でした。
先代の梅玉さんが50年前にやられた演目だそうです。主人公の花桐いろは役が梅玉さんで、その元恋人役が時蔵さんでした。この時蔵さんのお役の名前が“おさよ”だったんです。もう舞台の間中誰かが「おさよさん」という度にドキドキしてしまいました。特に梅玉さんが「おさよさん」といった瞬間の『ドキッ!』が一番でした。(別に私を呼んでるわけじゃないんですけどね。でもうれしい)
信二郎さんもちょっとだけ出てらしたんですけどね。ほんまにぼんぼんという感じのする方ですね。
私が猿之助さんの一門を見出したころには信二郎さんは一門を離れてたんであまり信二郎さんの強烈なイメージというもんがなかったんで、舞台の上での役のイメージがそのまんま今の私の中での信二郎さんのイメージになっています。
いつも古典を見に行くときには予習をしていくんですけど“花桐いろは”は、50年前に上演されていらいされていなかったみたいで(後ろの上演暦を見ると)本などにも(演目辞典などにも)のっていなかったんで、ぜんぜん話の内容がわからないまま見てたんですけど(一応パンフのあらすじは読んだんですけど)もう最後には涙が止まりませんでした。
最初は振り袖を着て“お夏笠物狂”を踊るんですけど、最後に老俳優となった花桐いろはが売れっ子の役者の“お夏笠物狂”に「あかん」と後ろでつぶやいたことに、役者が怒って「それならば踊ってみろ」といわれ、踊る場面があるんですね。その時に梅玉さんの格好は振り袖とはかけ離れた巡業の格好なんですけど、踊りだすとまるで最初の振り袖姿で踊っているように見えてくるんですね。そして舞台の幕が開き巡業者の役で舞台に立つんですが、途中で倒れてしまって運ばれてきて「親方の名前を教えてください」といわれ、「花屋。初代花桐いろは」と名乗るんですね。もうそのころには涙が止まらなくってボロボロないてました。
その次の“一本刀土俵入り”も、吉右衛門さんがかっこよかったです。でも、“一条大蔵譚”の、一条大蔵卿がとってもおかしくって、最前列で笑いまくってました。作り阿呆から、キリッとした顔がまたかっこいいんですね。で、また作り阿呆に戻る。もう最高でした。
梅玉さんの“保名”もなんか吸い込まれそうな感じだったし、(よく分からないですよね。ゴメンナサイ。年上の方にこんな言い方はどうかとも思うですけど、抱きしめてしまいたくなってしまうような気持ちで見てました)
宗十郎さんの“女伊達”も、りりしくてかわいかったです。来年の歌舞伎組の公演で笑三郎さんと春猿さんが“女伊達”をやられますよね。2人になるとどうなるんだろう?と思いながら見てました。
この時信二郎さんのほうを見ると絶対に目が合ったんですね。(また私が一人で思ってるだけかもしれないんですけど)そらすのもなんだし、でもずっと見てるのも変だし、なんとな〜くそらしながらでもまた見るとまた合うんですね。最後にはずっと見てましたけど。きっといやな客になってたと思います。
最後の“松竹梅湯島掛額”は、八百屋お七のパロディで、何でもありの喜劇なんですね。梅玉さんは素の顔に戻るし、時蔵さんは笑いをこらえるのに必至だし、何といっても吉右衛門さんの「だっちゅ〜の」!もう、笑いましたよ。しかもちゃんと手までつけてました。
こういう時の1番前は最高ですね。役者さんのちょっとした表情の変化も見えますしね。もうとにかく面白かったです。お七のパロディなんでちゃんと人形振りもあって、時蔵さんががんばっていらっしゃいました。母は時蔵さんのファンで(7月歌舞伎からですけど)カレンダーまでしっかり買っていました。
実は楽日に見に行くことになったんです。(またもや)昨日電話をかけたら3等の1列めも空いてるということだったんで、その席を取りました。顔見せにお客さんを取られてるからかまだ良い席があるみたいです。ぜひ行ってみてください。昼の部は泣いて、夜の部は笑えますから。それでは。
1998年11月16日/ おさよでした。
■先月の大阪での盛り上がりを未だに引きずっています。本当に素晴らし「ヤマトタケル」でした。
走水のところで春猿さんが水の中に消えていく時に乗る台車をお友達が写真に撮ってきてくれて見たのですが、台の上は畳でした。千秋楽の最後の片付けで松竹座の出入り口に置いてあるのを撮ってきたのだそうです。なるほどと感心しました。
12月歌舞伎座も、もうじきですね。楽しみにしています。
何時もは人に頼んでチケットを手に入れているのですが、玉三郎さんとの共演ということで中々チケットが取れませんでした。
15日の朝から電話をかけて、初日の分を自力で取りました。10時にチケットホン松竹に電話を掛けましたがつながらず、結局4時までつながらず、お昼も食べずに頑張って電話をかけまくりやっとつながった時にはもうくたびれはてていまいました。おかげさまでというか、努力のかいがあって、チケットを初日、千秋楽と取ることができました。
何時もお友達に頼んで楽しているから、「チケツト取りって大変なんだなー」と気が付いたという貴重な日曜日でした。
今回は東京の歌舞伎座なので、着物を着てでかけるなど目いっぱい観劇を楽しもうと思っています。
夜の部「国性爺合戦」は初めて見るので早速雑誌メイプルを購入し予習をしてから見に行こうと思います。
歌舞伎座は7月以来なので通うのが嬉しいです。一幕見でまた木枯らしに震えながら並ぶのも乙なものですし?
暑い7月、寒い12月、特に12月は暮れの忙しい時期だというのに・・・猿之助さんにはまって歌舞伎通い。でも、やはり見なくては今年は終わりませんものね。
1998年11月16日/お仕事中の美翠です
■ りんごさんご案内の『おもしろ歌舞伎講座』に行ってきましたので、御報告いたします。
会場は豊田市 猿投(さなげ)コミュニティーセンター。猿の字が使われているのも嬉しい。
出演は笑也さんと、市川梅香(ばいか)さん。司会者の質問に答える形で進行した。
梅香さんは市川少女歌舞伎の御出身とのこと。娯楽の少ない昭和20年 代から30年代にかけて、東海地方の各地で興行されていました。現在は子供たちに歌舞伎と踊りの指導をされているとのことでした。
笑也さんは芥子色?の着物姿。穏やかな話し方と面白い内容のミスマッチ? で、会場は和やかな雰囲気で、くすくす笑いが絶えませんでした。
小生は、笑 い上戸の家内が突然バカ笑いをしないかと、気が気ではありませんでした。話題が”大向こう”のことになり、掛け声の説明や見本を示して下さった時は、過日を思い出し冷や汗ものでした。
講座の目玉は、男の観客をお姫様にしてしまうことでした。この日は勇気あ る若者の手が上がりました。結果は予想通り?に盛り上がりました。
講座終了後、抽選会がありました。3人目に小生のカードの番号が呼ばれま した。ビックリしたまま舞台に上がり色紙を頂いて戻ってきましたが、家内は不満そうな顔をしていました。
会場を出て廊下やロビーに掲示さているポス ターや歌舞伎関連のパネルを見ているうちに何時の間にか家内がいなくなってしまいました。しばらくして、ニコニコ顔で戻ってきました。笑也さんと握手をしてきたとのこと。夫婦ともどもイヤハヤとしか言いようがありません。
笑也さんの講座は、先週・今週だけでなく、もう2回あるとのこと。このよ うな有意義なイベントを小生の地元でも開催して欲しいと願っています。しかし、所詮はパンピーの小生なので、鳴神上人の法力におすがりするしか方法はないのでしょうねぇ。
1998年11月16日/しっぺぇ太郎
■ かけまくって、かけまくって、意地になってかけまくって、トイレに行く間、お茶飲む間も母親の手まで動員してかけまくったんですよ。
それで何とやっとつながったのはもう夕方近かった!!
しかもそんな時間だから、当然のことながら土日は14列15列目あたりしかないという有り様で・・・。
堺くんだりから大金はたいて(私には大金なんですゥ)たった一回見るために行くというのに、それはあんまりやでぇ〜と思ったけど、
泣く泣く押さえました。
抜けるような青空がまぶしい最高の日曜日を丸一日も使って取ったチケットがあれか・・・と思ったら。でもそれは「人気の証拠や!」と思って健気に喜ぶことにしよ。
でも、おかげで「ヤマトタケル」の余韻に浸りまくって、未だに地上30センチあたりをフワフワ歩いてる感じやった毎日からちょっと抜けられそうな感じです。
そのかわり 猿&玉共演の舞台への期待でまた次のソワソワに突入するというわけやから、結局はおんなじことですかね。
1998年11月15日/Junko N
■ 疲れました....。まだお昼なのにパワ−を使い果たした気分です。
10時前に先輩と二人で十分な打ち合わせをしてスタンバイ。電話を2台、交互にかけて10分後、何と、つながるじゃないですか!!すごい!ラッキ−!!と思ったらなんとチケットホン松竹のコンピュ−タ−が故障して10時まえから動かなくなり、復旧のめどがたっていないとの事。直り次第、座席の販売を行いますので、また、電話を掛け続けてくださいとのことで呆然として電話を切りました。
今度つながった11時前もまだ故障中.....またまた、かけつづけ、再度つながった11時20分にやっと予約ができる状態になっていました。
私としては、会社の先輩と、(おんなじ課...しかも課に女は私たちだけ..)御一緒する事になっているのでできたら有休をとらずにいける土日に行きたいと計画していました。それで、第一候補.19日、第二候補、12日の予定だったのです。
でも松竹座で熱い楽を思い出し「千秋楽もいいなァ・・・」なんて。私が利用しようと思っているエア−&ホテルプランは26日からは年末設定になっていて、料金がポ−ンと上がっていているのですが(ほんまに1万以上高いんです。予算オバ−になってしまう..)まあそれも候補にあげとこうかと考えていました。
で、どうだったと思います???? 19日も12日ももう、残っているのは 隅っこの1−4番くらい、しかも、19日の夜は、もう一階席は残っていないとの事。特に、夜の部の人気が高いようですね。ともかく、後ろの方のすみしか空いてないんです。一等席。まだ、昼前ですよ昼前!!おそるべし、熱烈ファン...後援会....歌舞伎座会特別会員....それにしてもすごい人気!
というわけで12月12.19両日は断念しました。それで、結局、休まずにいけて、まだ一番お席が“まし”だったのがなんと千秋楽の土曜日だったのです。意外でした。昼がは列。席は二人離れましたがなかなかのお席が取れました。一幕ごとに替わりたいと思います。夜はに列ですが、おもいっきり端のお席しかあいてませんでした。全くすごい、人気ですね。うれしいような....残念なような....。
で、結局千秋楽に海を越えて東京遠征を決行することになりました。また、千秋楽を体験できるなんて...うれしいです。財布は痛いけど....。これで追加公演でもあってこの日が千秋楽でなくなったら私は泣きたい!!!(勝手な話ですが...)
私の同行者は主婦の方なので、年末のかたずけは早くしとかなきゃ..とおっしゃってます。連れ出す私は少々こころが痛みますが。でもやっぱり...楽しみ!!!!
1998年11月15日/ Kikuko T
■ 笑也さんはスーパー歌舞伎の華だと申し上げたら、「それは誉めすぎよ・・」とお叱りを受けるでしょうか。けれども、あの志貴の里の場面を思い出して頂ければ、御同意くださる方も多いのではと存じます。
ヤマトタケルを失った悲しさに耐えて、ワカタケルに優しく振る舞う兄姫の姿を見ているうちに、目の前がボンヤリとしてきました・・『弟姫やみやず姫をうらやましく思ったこともあります』・・そのツラサを乗り越えて、タケルの想いを受けとめてワカタケルを育てていこう・・妻の優しさと母の強さを、上手に表現していたと存じます。タケヒコとヘタルベの嘆きを聞きながら、身じろぎひとつしないで、長い間じっと立っている姿も美しく、印象的でございました。
やがて、右近さんの帝の使者に導かれ、兄姫は花道にさしか
かりました。『新しい国は私たちの手で・・』きっぱりと言いきって、形を作ります。大向こうさんの掛け声も決まっていました・・兄姫の後を追って、タケヒコがやってきます。ヘタルベを振返り心を残しながら立ち去りました。すねていたヘタルベも後を追います。ヘタルベに成りきった亀治郎さんの、なりふり構わぬ??泣き笑い??のようなお顔が魅力的でございました。(最初の観劇は花道の近くでした)
この、花道での三段構えの演出は見事でございました。
哀しい物語の大詰 で、未来への希望を持たせて下さいました。ヤマトタケルの心を、私たちの心を救って、お芝居を引き締める素晴らしい場面でございました。
また、配役にも意味があるように感じられました。兄姫の笑也
さんに加えて、タケヒコは盟友の歌六さん、ヘタルベは御曹司の亀治郎さん・・八犬伝の伏姫と親兵衛を重ねあわせて、澤潟屋御一門の、21世紀での御活躍・御発展がお約束されたことと、受け止めさせて頂きました。
【美しく 若木育ちて 花ひらく 想ひをつなぎ
命つながん】
三人が立ち去った後、舞台の石塔がくずれて、ヤマトタケルが登場しまし
た。いよいよ神の鳥の飛翔でございます・・二度目は二階席にして良かったと存じます。空中に浮かぶ猿之助様に、手を伸ばせば届いてしまいそうでございました。私も一緒に浮かんでいるような気持で見つめていました。一所懸命、拍手をしたような気もしますし、何もしなかったような気もします。情けないことに、良く覚えていないのでございます。
そして、とうとうフィナーレになってしまいました。皆様がお揃いになった
ところへ小碓命が登場し、帝の手をとって膝まづきました。猿之助様も、段四郎様も、にこやかに笑っていらっしゃいました・・初演から12年が過ぎて、お二方の胸のうちは如何でございましたのでしょうか・・過ぎ去ったことを懐かしく思い出していたのでしょうか・・それとも、もっと大きな夢を求めての新しい旅立ちを確かめ合っていたのでしょうか・・心暖まる、味わい深いフィナーレでございました。
【あにおとと 互いの胸に 誓いたる 燃ゆる想ひは
今なお遥か】
1998年11月11日/ Hanako
■ この前の感想は、とにかく興奮状態で、さらに授業が迫っていたということもあって、後で自分で読んでも訳の分からないことを書いてるな〜と思いました。今はその興奮状態もさめ(あんまりさめてなかったりもしますけど)もうちょっと落ち着いた感想が書けると思います。(前回とダブってしまうこともあるかもしれませんが、そこらへんは 許してくださいね)
まず楽日の感想を一言で言うならば“最高”でした。(ぜんぜん興奮さめてないかんじ (;) )みんなから感じるパワーが違うし、気合も違ってました。なにがどう違うというのを言葉で表すのはすっごい難しいけど、簡単に言ってしまえば以前に感じたものが倍ぐらいに感じられたと言ったらわかりやすいかな。
ヤマトタケル(猿之助さん)の気高さ。兄姫(笑也さん)と弟姫(春猿さん)のかわいらしさ。(もちろんみやず姫もかわいかったですよ。相変わらず)倭姫(笑三郎さん)のすべてを包み込む優しさ。(というか神々しささえ感じました)ヘタルベ(亀治郎さん)の純粋さ。タケヒコ(歌六さん)のパワフルさ。帝(段四郎さん)の威厳。皇后(門之助さん)の憎らしさ。(もうこれ1番感じましたね。あのにくったらしい笑い方。ついつい「うわー、やなかんじやなぁ」と口にしてしまうぐらい。でも、それだけ演技がよかったということですよね)兄タケル(團蔵さん)と弟タケル(右近さん)の豪快さ。等など、すべてが『おっ、今日はなんかみんな違うぞ!』と感じました。
ところで私見る度に思ってたんですけど、大碓と小碓が双子にはどうしても思えませんでした。それはきっと2人から感じた年齢があまりにも違いすぎたからだと思います。小碓は『とっても純粋な少年』という感じがしたし、大碓は『知恵も権力もある男性』という感じがしました。小碓は10代の半ばから後半ぐらいかなぁという感じがしたけど、大碓は20代後半から30代前半ぐらいに感じました。だっていきなり弟姫を襲ってるんだもん。
でもひょっとしたら周りが大碓をそんな風にしてしまったのかもしれない。皇后の心のうちを知ってしまったからああなったのかもしれない。帝を慕い、愛しているからこそああなってしまったのかもしれない。と今なら思います。(観たときは『兄姫がいるのに妹まで襲うのか!』と思いましたけどね。)
最初は小碓が言うようにぜんぜん性格が違ってると思ったけど、最後は『ん?ちょっと似てるかな?』と思いました。それは山神が言うように最後に“傲慢”なところが出てきたからな?と思いました。
さすがに3回も観に行くと早変わりの場面で、猿之助さんなのか吹き替えの人なのかが分かりますね。大碓の屋敷で、小碓姿の猿之助さんが、上手のほうに下がるときに鬘に手をやってはずしかけながら下がっていく姿が見えてしまったんですね。(3階だから見えてしまった!)『早変わりは大変だけど、もうちょっと我慢して!』と心の中で思ってしまいました。
でも、2ヶ月間もあの早変わりをはじめ出ずっぱりの奮闘を続けられたなんて、本当に大変やったでしょうね。
お稽古のときに早変わりをしに入ったら、早変わりのスタッフが1人もいなかったという事もあったそうですね。「本番ではそういうことはないですけど」ともおっしゃってましたけどね。(TVのインタビューで)
吹き替えの人もタイミングが大事やから、2ヶ月間やっぱり大変やったでことでしょう。でも、誰がやってはったんでしょうね。いまだに誰やったんやろう?って思います。
最近、花道でヘタルベがしゃべってる場面をよく思い出すんですね。(何故か)でも、顔は亀治郎さんなのに声が右近さんなんです。右近さんのヘタルベは観てへんのになんでやろ?と考えるんですけど、答えが出ないんですよね。なんでなんでしょうね。(ビデオで観た右近さんのヘタルベの台詞は「あれはなんだ!」しかなかったと思うんですけど。あの、イノシシが出てくる場面ね)
今でもこんな感じで、頭の中が真っ白になると“ヤマトタケル”のあちこちのシーンが頭の中に浮かんできます。
白鳥となった美しい宙乗りのところとか、さっき書いた「船頭どもよ船を出せ〜!」のところとか、笑也さんが台詞をかんだときのあのむっちゃかわいい顔とか、段治郎さんの琉球の踊り子姿とか、猿弥さんの犬神使いの「持ってま〜いりま〜した」というあの場面とかね。その日によって浮かんでくる場面は違いますけど、いまだに劇場に居る感じでいてたりします。(やっぱり興奮さめてないですね。やっぱり)ちょっと袖の長い服を着たりすると、つい真似してはばたいてみたりとか(家でですよ。もちろん。人がいっぱい居る所ではしてませんよ)
13日に松竹座に吉右衛門さんを(吉右衛門さんだけじゃないですけどね)観に行くんで、その後は今よりももう少しはさめてるかなぁと思いつつ、松竹座に行くと却って興奮状態がまたよみがえってくるかも・・・なんて思う今日このごろです。
そうそう、母親が「百済観音さんが見たい!」というんで、この前法隆寺に行ってきたんですね。メインは今、特別拝観が行われている百済観音と救世観音なんですけど、他にもいろいろ重要文化財(いわゆる国宝です)があったんですけど、その中に薬師如来尊があったんですね。それを見て『おぉ、門之助さんや。』と思ってしまったんですね。国宝を見ときながら門之助さんを思い浮かべてる自分に驚き、あきれてしまいました。『あぁ、こりゃはまってるな。もう病気やな』と自分で思いました。自覚してもたらもうあかんな、おわりやなぁと思いつつ、いくところまでいったろやないの。という気でいたりもします。
ホンマ12月東京に行きたいです。でも、お金ないし、学校あるし、クラブあるし、親は許さんやろし。だから、皆さんいろいろ感想聞かせてくださいね。(でも感想聞いたらむっちゃ行きたくなるんやろなぁ)
も〜早く来い来い1月。はよ来てもたら困るけど、でもはよ来て欲し〜!(歌舞伎組の公演の時って定期テスト期間なんですよね、実は。それでも行きますけどね)
歌舞伎組の公演までヤマトタケルと吉右衛門さんと歌舞伎組の本と笑也さんの写真集(この2冊この前買ったんです)にひたって、がんばって生きていきます。皆さんは今ごろ、お休みなのかな?もう次のお稽古に入ってるのかな?右近さんはしっかりバカンスしてきたみたいですけど(!!)。でも、休める時に休まないと。ほとんど休みがないらしいですからね。ゆっくり休んで欲しいと思いつつ、早く次の舞台を観たいと思ってしまうファンってほんと勝手なもんですよね。
あ〜、も〜ホンマに早く来い来い一月!また今回も長くなってしまってゴメンナサイ。あと心配なのが段之さんなんですけど、千秋楽前から休演されてたんですよね。大丈夫なんでしょうか?もし知ってらしたら教えてください。ということで、長々とゴメンナサイ。
1998年11月10日/おさよでした。
【編集部より】=吹き替えは大碓が猿十郎さん、小碓は延夫さんだと思います。それにしてもいまだに袖の長い服を着ると、ついはばたいてしまうだなんて・・・愛い奴、愛い奴。
■11月7日に豊田に市川猿弥さんがみえて、「おもしろ歌舞伎やじうま話」として講演なさったんですよ。
面白かったです!
写真で見るよりも「いい男!」でした。
浜松から女の子きてました。HP見て来たって!
他にも滋賀からも見えてました。(常連さんみたい・・・ヤマトタケル8回も見た!っていってましたから)
12月の東京公演行こうかどうしようか迷っていました。
もし行くならば、11時と4時とどっちがいいのかなぁ・・・2つとも見たら疲れちゃわないかなぁとか思ったりなんかして・・・たのですが、講演聞いたらやっぱり行こう!って。
本当のとこ東京は遠いので、ちょっと迷ってたんです。けど行く決心をしました。
二十一世紀歌舞伎組を招いて開催する豊田市民向けの歌舞伎講座企画の担当に割り振られちゃった時はホント面食らいましたよ。どうしていいものやら見当つかないし、「歌舞伎のカの字も分んないのに・・・どうにでもなれ」なんて気分で、正直あんまりやる気わかなかったですね。
それがネットで「翔」を知って、『オグリ』や『ヤマトタケル』観てビックリ。
そして歌舞伎講座第一回『おもしろ歌舞伎やじうま話』の猿弥さんのお話にますます親近感持っちゃって、12月はついに東京遠征!とは。私もしっかりハマっちゃったもんですねェ。
まったく「人間どこでつながっているか分からないなァ」って。
「今日の話は責任もって、ネットに書き込んどきます」とお約束(猿弥さんに)しましたので(笑)、簡単にですがご報告です。
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当日の猿弥さんのいでたちは
黒スーツ・黒シャツ・グレイに黒水玉ネクタイ・くろに斜めのチェックいりの靴下・黒革靴!しぶいっ!
ちょっとでも痩せて見えるようにって言ってました。
いらっしゃりたくても、いらっしゃれなかった方のために
ちょっと内容をご紹介!!!
東京生まれ。
一人っ子。
今の市川猿弥さん(31歳)は2代目で1代目は女性。
小学校の時のあだ名は色が白くて丸っこいことから「シロブタ」。
両親は、新潟出身で上京した。
芝居好きの母親が児童劇団にいれた。
歌舞伎の子役やったのがきっかけ。
荒事が好きだけど、女形もやってみたい。
「踊りの猿弥」などと言われているが、実は踊りはそれほど好きじゃない。
理由は、頑張って踊っても、歌舞伎の世界じゃ踊れて当たり前の世界だから。
でも最近はちょっと好きになってきた。
女形は日に焼けると白粉がくすんでみえるので焼くことができないが、立役は全然OK!
お酒大好き、カラオケ大好き。
猿之助一門はカラオケ好き。
歌本のとりあい。
よくつるんで遊びに行ったり、飲みに行ったりする。
妻と一緒にカラオケとかも行っている。
3年前に結婚したが、巡業が多いと妻と会わない時間も長いのでいつまでも新鮮。
猿之助さん
超きびしくて、すごい人。怖い。
毎日芝居の勉強ばっかりして芝居のことばっかり考えている。
右近さんとディスコに行ったときにも芝居のこと考えていて、オグリの鏡ばりの舞台を思いついた。
本当は舞台全面にコンピュータ制御のテレビを並べたかったが予算上あきらめて鏡にした。
右近さん
超酒好き。遊ぶの大好き!
笑也さん
駄洒落の好きないいお兄さん。
気さくな身近なかんじの女形。
1月の公演の練習は、それぞれ別々に稽古して、いろんなところにいろんなことを習いに行って
初日ちょっと前に集まって全体を合わせるんですって。
それで息がピッてあっちゃうんだもん。
さすが、すごいね・・・。
超すごい!
こんな感じのことをトークされて、
あとは歌舞伎の豆知識のいろいろとか、1月公演(巡業)のことなんかを話されてました。
部屋子と弟子の違い、隈取りは中国の京劇のメイクがもと、
「き」について、「あいびき」にすわっているのは立っていること、
着肉、歌舞伎十八番・・・
実は知らなかったことばっかりでした。
でもって・・・
なにしろ関係者なもので・・・控え室にもちょっと出入りしたりするわけで、ほんのちょっぴりだけどお話もしてしまいました。
あたし、甘酒出してあげたのぉ・・・。うれしかったです。
次は笑也さんの講座です。
歌舞伎ファンのみなさま、一門ファンのみなさま、よろしければお出かけください。
1998年11月9日/ りんご
■ はじめてお便りします。
私の知人の一人に鳴り響く猿之助ファンがいます。その人を通して何とはなしに猿之助さんの存在は意識していたのですが、でもまだ私は一度も猿之助さんの舞台に触れたことはありませんでした。
もの心ついた頃からズーッと西洋音楽漬けのような暮らしをしてきて、今もピアノ教室を開き、児童合唱団の指導に携わったりしている関係からか、また数回観た歌舞伎が難解で退屈という印象のものでしかなかったからか、歌舞伎は私には絶対に合わないもの、全く縁のない世界という思い込みがあったのです。
それが、今回知人の熱心なススメ ( もし面白くなかったら、退屈したら、チケット代倍返ししてあげる!って)もあって、初めて松竹座に出かけました。
そして観た『ヤマトタケル』は、もう、もう、もう! 面白いだとか、良かったとかの表現で済ませられるようなものではありませんでした。
一度見ただけでは実は『ヤマトタケル』の素晴らしさは半分しか見ていないと思うとか、見るほどに新しい発見がある進化する演劇だ、とかいうような意見がこのお便りページにもありましたが、私も緞帳が下りた瞬間に「もう一度見たい!絶対見たい!!」と思いました。
でもその時点では千秋楽までのチケットが全くない状態で、折角の追加公演日も昼夜ともレッスンが入っていて動けず、結局私は10月20日に一回見ただけで終わってしまったのです。
「猿之助さんの公演は後になるほどチケット取るのがむつかしくなるから、なるべく早目に見ておかないと、後でもう一回なんて思っても見られないかも・・・」と注意されてたのに、まさかこの私が「もう一度!」となるなんて、思ってもみませんでした。
『ヤマトタケル』は長い間、新時代の歌舞伎だとか、イヤちょっと違うとかいろいろの意見の中で500回を超える公演を(しかも全て満員御礼状態で)重ねてきた舞台とのことですが、私にはそんなことはどうでもいいことのような気がします。日本の演劇の中に、『ヤマトタケル』という世界に誇れるような素晴らしい舞台がある!という、そのことの大きさに比べたら。
それにそういう両方の声があがるということ自体、猿之助さんから言わせれば”思うつぼ”ってところでしょう。なぜなら『ヤマトタケル報告白書』の中でもおっしゃっていますよね。”ある人から観れば「これは歌舞伎だ!」と思うし、ある人から観れば「これは歌舞伎じゃない。今迄に観たこともない何か新しいものだ!」と、そう見えるような舞台を作りたいというのが一番の基本的な考え方だった”って。
私の場合も、まるでもの凄いスケールのオペラのようだ!というのが第一の印象でした。それほど音楽も色彩もそして豪華さも全てが本当に素晴らしいものでした。
そして猿之助さんの素晴らしさは言わずもがなとして、端役の方々にいたるまで、歌舞伎俳優の皆さんが持つ確かな演技力!これが伝統の力というものか、と伝統というものに対して畏敬の念を抱いてしまいました。
私はあの『ヤマトタケル』を世界中の人々にも是非是非 見せて欲しい!!と切望します。黒澤明監督の映画が大絶賛を受けたように、『ヤマトタケル』も世界の演劇界に大ショツクを与え大絶賛されるに違いないと思うのです。
1998年11月9日/ Mituko F
■ヤマトタケル千秋楽に編集長にお会いして、お話しをする機会に恵まれ嬉しいことでした。その時、編集長に、「男の人は大向こうを決められるのがいいですね。勉強しはったら?」と勧められました。
ところが、小生はその時点で既に体験済みであったのだ。しかも、本格的に 声を掛けたのは、この日、ヤマトタケルの千穐楽が初めてだったのだから、恐いもの知らずもイイトコである。
◇この日の大向こうさんは、3階に御常連、ベテランの方がいらしたようだが、熱気ムンムンの千秋楽ということで、私も相当に張り切ってしまった。
◇しかし、自分の声がちゃんと 舞台まで 届いていたのか、抑揚・イントネーションが大丈夫だったのか、今頃になって心配になってきた。やはり自分の声を鍛えるところから始めなくてはならないであろう。大向こうも難しいことだと改めて良くわかった。
◇小生の座席は、2階3 列7番。Kumiko.T.さんの真後ろであったとは・・過日の感想を読んでビックリしてしまった。知らぬが仏ながら、お騒がせをいたしました。
◇ヤマトタケルは想像以上に声の掛けやすい芝居であった。ヴィジュアルな衣装や舞台装置、アクロバチックで派手な立回りに目を奪われがちではあるが、演出・演技の土台が、歌舞伎そのものであった証拠だと実感している。
◇伊勢の場で、後ろの方から話し声が聞こえてきた。あの人(倭姫)はなんて言う人?前の方で、サブロー、サブローって言ってるよ。小生の掛け声が未熟だったらしい。この日の倭媛は柔らかな感じで、いつもの笑三郎さんとは一味違った新鮮な演技だったのに、申し訳ないことをしてしまった。エミサブ!の方が良かったのであろうか?
◇走水の場では、静かな場面の台詞と台詞の間に声を掛けるという高級な?技にチャレンジした。手前勝手に、その時は、うまくいったと思っていたが、どうだったのだろう。
ブッカエリのあと、入水するところはタイミングがほんのちょっと早 かったと反省している。春猿さんを応援するつもりが、却って邪魔をしてしまったのではと気になる。
◇カーテンコールで一人一人、順番に挨拶された時は、客席も大興奮! つられて全員に声を掛け続けたのでイササカ息が切れてしまった。
その時、伊吹山の猪さんが素顔?を見せて くれた。三階さん達にも光をあてて、苦労に報いようとの御大の御配慮であろう。嬉しくなって、笑三!とは叫んだが、段三郎さんの名前を思い出せず失礼をしてしまった。これまた、失敗であった。
◇梅原先生も舞台に登場された。勿論、梅原!梅原!大先生!である。原作者が舞台に出る例も少ないが、その人に声を掛ける大向こうも小生くらいなものかもしれない。
幕間にロビーで梅原先生にサインを頂いた時、『今日は僕も舞台に出るから』とお話しして下さった。いつものニコヤカさに輪を掛けたデレデレのお顔を拝見出来たことは、この日最高の、忘れることのできない嬉しいことでした。
帰りの新幹線の中では、疲れを感じながらも、スッキリした気分であった。 劇場の中で気持を発散させてしまったためだろうか。
しかし、芝居の感激の余韻にはあまり浸ることはできず、日がたつにつれ、勿体無かったというような気持が強くなってきた。
12月の歌舞伎座では不慣れな大向こうはお休みにして、ジックリと演劇鑑賞をすることにした・・(ゴツン)痛ぇなあ・・鑑賞だなんて、柄にもないこと言うんじゃないよ。それより、銭勘定をちゃんとしとくれってんだぃ。誰のおかげでお芝居に行けると思ってんだぃ・・・
いずこも同じ秋の夕暮れ、それに付けても・・・
1998年11月9日/ しっぺぇ太郎
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