−日本のトイレ問題−

阪神大震災とトイレ

阪神大震災から5年たちましたが、「喉元すぎれば熱さを忘れる」の諺のごとく、私たちはあの教訓を生かしているでしょうか。被災地でもっとも困った問題の一つであるトイレについて、以前「空気調和衛生工学会」の学会誌に掲載された論文を再掲します。

はじめに

 阪神淡路大震災は、最終的に死者5,000人以上を数える大惨事となった。この震災で、近代都市の様々な欠点が浮き彫りになった。また災害に対する日頃の備えについても、その課題が明らかになった。

 そのひとつとして、トイレの問題があげられる。災害に対する備えは、水や食料については考えられていても、これまでトイレの備えということはほとんど考えられてこなかった。30万人以上が避難生活を強いられたが、震災直後から避難者がもっとも困ったのがトイレの問題であった。

 神戸市では被害にあった区域はほぼ100%水洗化されており、水道が断絶したために水洗トイレが使えない状態になった。仮設トイレの備蓄はなく、震災直後は穴を掘ったり、袋に便を貯めるなど涙ぐましい工夫を余儀なくされ、避難所では高齢者がトイレに行けないために水分を控えすぎて脱水症状を起こすなど、悲惨な状況も生じていたのである。

 たかがトイレとあなどってはいけない。この災害がもし梅雨時や夏に発生していたら、衛生状態は最悪の状態を招いたかも知れず、高齢者や障害者、病弱な人にとっては地震の被害以上に苛酷な状況に置かれていたかもしれないのである。

 筆者は震災後、神戸市内において避難所のトイレと実態を調査した。本稿では、これらの調査結果から、これまであまり関心を持たれなかった災害とトイレのありかたについて論じてみたい。

 

1.水道と下水道の被害

 震災によって、ライフラインは大きな打撃を受けたが、とりわけ困った問題は水である。神戸市内の水道は、被害のほとんどなかった六甲山の北側のニュータウンを除いてほぼ全域で断水した。水道は1週間後に復旧したところもあるが、80%程度まで復旧するのに1か月以上かかった。

 断水によってもっとも深刻な被害をもたらしたのは、火災の消火用水周知である。長田区、兵庫区などでは大規模な火災が発生し、100万平米を超える面積が焼失したが、消火栓から水が出ないためなすすべがなかったといのが実情である。

 また病院でも治療に使う水がなく、家屋の下敷きになった人が透析などの治療を受けられずになくなったケースも少なくないと聞く。

 飲み水は全国から応援にきた自治体や自衛隊の給水車が供給した。震災当初は、倒壊した家屋が道路をふさぎ、緊急自動車や救援物資を運ぶ車で市内の交通はほぼマヒ状態であったため、給水車は避難所に飲用水を運ぶのがやっとで、給水活動が市域全域にいきわたるようになったのは2〜3日後であった。

 水の供給量は、ひとり1日20リットルという計算がされていたようである。しかし20リットルというのは最低限の飲用水としての量でしかなく、顔を洗ったり洗濯その他の雑用水として利用するだけの十分な水は供給されなかった。電気もガスも断絶していたため、煮炊きすることはほとんどできなかったが、たとえ簡易コンロがあっても料理するほど水は供給されなかったということである。

 もちろん水洗トイレは使えなくなった。風呂も使うことはできず、長い間風呂屋には行列ができた。市外にわざわざ風呂を使いに行く人も少なからずいた。

 ここでまず、水の供給について、今後の防災対策を考える上での課題を提起しておきたい。

 第一に飲料水の確保が不可欠であることは言うまでもないが、ただ飲用の水であればペットボトル入りのミネラルウォーターが全国から届けられたように、比較的簡単に供給体制をとることは可能である。

 しかし確保が難しかったのは、家庭や避難所においては洗濯などに使う雑用水である。被災直後の混乱で、公園のトイレも避難所のトイレもすさまじく汚損されたが、これらを清掃するにも水がなかった。衛生面を考えると清潔を維持するための水の供給を計画しておかなければならないだろう。

 また大量に必要とされた消火用水や、その後の倒壊した建物の撤去などにともなう粉塵防止のための水の確保も考えておかなければならない。これらの水は、下水処理水や海水でもよいわけであるから、非常用として水道とは別のラインを設けておく必要があるかもしれない。 水の確保で役立ったのは河川である。下水道が普及しているため、水量は少ないものの市内の河川の水質は比較的良く、洗濯に利用したり、避難所では風呂の水に利用したところもある。水洗トイレの水としても、河川の水が使われた。

 下水道の被害状況の調査は、水道に比べてかなり後まわしになったが、幹線の管渠の被害は少なかったため、各家庭や施設内の配管が壊れていなければ汚水は流れたようだ。神戸市下水道局では汚水幹線83q、枝線約1200qを3月はじめまでに調査している。その結果では、管渠の損傷は比較的少なく、取り付け管の損傷や排水設備の損傷が大きかった。

 神戸市内に7箇所ある下水処理場はすべて被害を受け、そのうち市内の処理量の30%0受け持つ東灘処理場はかなり被害が大きかったため、隣接する運河を締め切って沈殿池とし、未処理の汚水をいったん沈澱させて上澄みを殺菌して放流するという非常措置が5月まで続けられた。

 神戸市では海に放流したが、これが仮に内陸部で水道取水源の上流にある処理場のような場合には、取水源と浄水場にも甚大な被害をもたらす恐れがある。上水道が復旧すれば汚水はどんどん流入することになり、下水道の禁止措置などの対策を講じることが必要になる。はたしてそのようなことが可能かどうか、流域全体での防災対策が求められよう。

 


2.避難所と仮設トイレ

 もっとも被害の大きかった神戸市内では、火災および倒壊家屋が9万2,000棟、避難者が約23万人を数えた。

 被災者は公園や学校などの公共施設に避難したが、ほとんどの避難所では断水によって水洗トイレが使用できなかった。仮設トイレの配備は、震災翌日の1月18日から始まったが、十分な数が行き渡るまでには2週間以上かかった。

 その間、被災者たちはどのようにしてトイレの問題をしのいだのだろうか。飲用水しか確保できない当初の段階では、便器に新聞紙などを敷いて用を足し、そのままくるんでごみ袋に入れて保管するという方法がとられたようである。ただこれは、ごみ収集に際して汚物の飛散などの問題が発生した。

 水の供給にややゆとりが出てくると、小用はそのままトイレに、大便はバケツに水を用意して流すという方法をとった。しかし水の節約のために、紙は流さないようにしていた。

 避難所では男性の小用は、当初校庭の片隅などで立ち小便で間に合わせたケースも少なくなかったようであるが、避難者の数が2000名、3000名というような避難所では衛生上大きな問題となった。

 幸い学校にはプールがあり、雑用水として使うには十分な量があったため、これを汲み置きして水洗トイレに使ったところが多い。なかには防火用水としてプールの水の使用を禁止したところもあり、そこでは近くの川の水を汲んだ。

 穴を掘ってトイレを作るということは、実際にはなかなか困難で、緊急時のトイレ対策としては役に立たない。穴を掘る場所がなかなかないことや、かなり深い穴を掘らなければ用をなさないためである。

 仮設トイレは2月末には540箇所、約3,000基が設置された。この時点で避難者約60人に1基になり、数のうえでは一応間に合うようになった。

 神戸では災害とは風水害が想定されており、地震への備えはきわめてとぼしかった。トイレについても、水洗トイレが使えなくなる事態というのは、ほとんど想定されていなかった。汲み取りトイレは水害に弱い。便壺に水が流入すると汚水が辺りに漂い、衛生上非常に大きな問題がある。しかし雨水と汚水を別々の管で流す分流式をとっている神戸では、水洗トイレは風水害にはむしろ大丈夫なシステムとして認識されてきたのである。

 そのために、トイレの備蓄はまったくおこなわれていなかった。イベントなどに使用する「移動トイレ」が多少ある程度で、仮設トイレはすべて他から調達しなければならなかったのである。

 東京23区や静岡県の自治体などからは備蓄していた「組み立て式トイレ」が救援物資として提供された。その他、レンタル会社などの保有する設置型トイレの借り上げなどで賄われた。

 仮設トイレはほとんどが汲み取り式で、なかにわずかであるが鉄道のトイレのように洗浄水が循環する方式のものがある。

 組み立て式トイレは、固液分離して水分のみ殺菌して外に流すという方式になっており、うまく使えばほとんど汲み取りがいらないというのが触れ込みであったが、実際には組み立て方や使用方法がよくわからないまま使われており、災害トイレとして開発された特性があまり生かされなかったようだ。

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