−日本のトイレ問題−

日本の公共トイレ事情

1.公共トイレは「路傍便所」がルーツ

 公共トイレの歴史は意外に古い。江戸時代の長屋には共同便所があって、その糞尿の売り上げで大家は結構実入りがあった。糞尿は肥料として価値があったから、寺社や仏閣の参道などで肥桶を囲った私設の「公共トイレ」があったそうである。

現在のように行政が管理する公共トイレは、明治初期に横浜で設置されたのが最初だとされる。横浜市の横浜横浜市資料によると、開港場である横浜には大勢の外国人がやってきたが、明治政府は外国との体面上、路傍で放尿する習慣を日本人のもっとも恥ずべき習慣として厳しく取り締まった。明治4年には「放尿取締の布告」なるものが出され、立ち小便にはその場で罰金100文が科せられた。そのため邏卒(警官)は立ち小便の取締りに走り回ったそうである。

 そこで横浜では、町会所の費用をもって辻々に83箇所の「路傍便所」を設けた。4斗樽を地面に埋め込んで板囲いをしただけの簡単なものであったが、この路傍便所が最初の公共トイレであったといわれている。

 その後公衆衛生思想の普及とともに、都市では「公衆便所」が作られるようになった。東京の都心区には意外と公共トイレが多いが、これはこの時代に設置されたものが形を変えて継続しているものであろう。

 ヨーロッパでも19世紀半ばから公共トイレの整備が行われている。かつてのヨーロッパの都市は糞尿の処理が適切に行われずに、不衛生きわまりない状態であったため、行政当局は公共トイレの整備に力を入れた。パリにはかつてエスカルゴと呼ばれた公共トイレが多数市街に設置されていたが、1870年代から公共トイレがつくられはじめ20世紀初頭には約4000人分の小便器があったそうである。

 ロンドンでは1851年の大博覧会のために有料の「パブリック・ラバトリー」が設置された。それまでの汚いトイレに対して、この有料トイレの評判はすこぶるよかった。ロンドンやその他のヨーロッパの都市では、地下の有料トイレがみられる。階段を下りると清掃人が常駐しており、なにがしかのチップを払って使う公共トイレであるが、この地下トイレは19世紀の末頃に出現したものである。

 

 

2.トイレが変わる

 日本のトイレ事情この10年余りでずいぶん変わった。悪評高かったJRのトイレがきれいになり、デパートは競って豪華なトイレをつくり、村おこしの一環として「華麗な」公共トイレが出現するなど、トイレの「進化」は著しいものがあった。

 この流れは未だ衰えず、むしろ海外にまで波及し、香港では日本に負けない公衆トイレ整備が進められているほか、中国でもインドでもトイレ整備に力を入れている。トイレ協会は現在までで、フランス、オーストラリア、韓国、トルコ、シンガポールなどの国々で設立されている。

 かつては公共トイレは、公園の片隅や駅前広場の裏側に目立たないように作られていた。3K、4Kという言葉が人口に膾炙しているが、そもそもこれは「汚い、暗い、臭い、恐い」というトイレの4Kという言葉からきたもの。文字通り、維持管理は不十分で汚く、臭く、人目につかないところに設置されているために暗く、恐い場所というのがイメージだった。

 また、名立たる自然公園では、シーズンオフになるとトイレの屎尿を汲み取って林のなかに投棄するという、自然破壊にもつながる行為をやむなく行なっていたのが実情である。そのため、有名な湿地帯が富栄養化して植性に影響が出たこともあった。

 このような状況が一転、トイレが脚光を浴びはじめると、まちづくりのシンボルとして観光地のホスピタリティの象徴として、あるいは鉄道やデパートの顧客サービスの表現として、トイレの改善が急速に進んだ。

 我々は、1985年に「日本トイレ協会」というボランティア組織を設立た。建築家、デザイナー、環境問題の研究者、機器メーカー、清掃会社等々の人たちが集まって、ユーザーの立場から「快適なトイレ環境の創造」をめざして活動してきた。日本のトイレの進化に一役買ったものと自負しているが、その活動の一環として「グッドトイレ10」を毎年選定している。この応募作品をみると、この10数年のトイレの進化をみることができる。

 最近の傾向は、高齢者や障害者への配慮がいきとどいてきたこと。以前は公衆トイレには車いすトイレは、管理の問題からほとんどなかったが、最近のものにはほとんど併設されている。スペースが広く、利用者が少ないために防犯上の問題があったが、自治体の知恵でこれを「多目的トイレ」とすることで利用者を増やし、この問題をクリアした。

 多目的トイレというのは、車いすで利用できる設備以外に、子供用便器や着替え用のフィッティングボードを設けて、子供連れや女性のストッキングの履き替えなど、多用途の利用ができるトイレ。車いすトイレを「障害者専用」から「誰でもどうぞ」という形態にすることで、様々な問題が一挙に解決した。

 きめ細かい管理ができるデパートや商業施設では、女性のためのパウダールームと称する化粧空間を設けているところが多くなった。平塚駅ビルの「ラスカ」のトイレは、フロアごとにコンセプトの違うトイレを設けている。あるフロアでは、中高年の利用に配慮した設備やデザインを、子供用品売場では親が見守りながら幼児が自分で用を足せる子供トイレを、女性のトイレの側で男性が気兼ねなく待てるよう配慮したトイレなど、きめ細かい工夫がされており、改装前より客足も大幅に伸びたとか。       

 公共トイレでは、トイレに名前を付けるというのがある。静岡県伊東市がその嚆矢であるが、ここでは「磯の香和屋」「笹海の青椿堂」「半四郎の落とし処」などユニークな名前がついている。その後各地で愛称をつけることが広まった。ちなみにトイレのユニークな名前を紹介しておこう。なかよし、八角処(やすみどころ)、やすらぎの館、薬師さんの思考どころ、くまさんランド、ポッポレット、ふれ愛パーク、玉響(たまゆう)、浄心庵(じょうしんあん)、藤棚のオアシス、海のみえるおべんょ、とんぼトイレ、アップルトイレ、アイリスの音入処、ファイブベインズ、四季楽などなどである。

 環境への配慮も大きな変化である。下水道が整備されていないところでは、浄化槽で水洗化しているが、屎尿の独浄化槽は放流水の水質があまり良くないため、これをさらに高度処理する設備を設け単たり、土壌浄化方式な環境負荷の小さい処理システムを取り入れているトイレも少なくない。

 公共トイレは、そもそも自治体が設置し、管理しているものでしたが、国レベルでもトイレの改善に力を入れるようになり、「クリーンタウン事業」(厚生省)、「国立公園トイレリフレッシュ事業」(環境庁)、「ゆったりトイレ整備事業」(建設省)などの事業が実施された。ゆったりトイレ整備事業というのは、高齢者や障害者にやさしいまちづくりを進めようという考え方の一環で進められているもので、公園のトイレに多目的トイレを整備しようという事業である。

「道の駅」というのも、そもそもは一般国道等にトイレがないことから生まれたアイデアである。

このように、ユーザーの立場からみると、トイレはずいぶんよくなった。しかしトイレ全般を考えると問題はまだまだ残されている。

 

 

3.公共トイレの新たな課題

公共トイレでは清掃や維持管理面が問題である。利用者のマナー任せの部分が大きく、建設費に対して必ずしも十分な維持管理費が確保されているわけではない。清掃に従事する人の地位や技術力の向上も課題のひとつである。

また、水や下水道のないところでのトイレのシステムも今後の課題である。そのひとつは災害のときのトイレだ。阪神大震災では、トイレの備えがなかったために被災者はたいへんな苦労をした。多くの都市では十分に仮設トイレの備蓄をしていない。水洗化が進むほど、緊急時のトイレの問題を考慮に入れておかなければならない。

 山岳地のような場所のトイレも問題である。環境面での対策は、まだ十分とは言えない。スイスアルプスでは、高山の山小屋でも登山電車て水を運び、パイプラインで麓の下水処理場まで汚水を運んで処理している。水のないところでこのような大規模なシステムが妥当かどうかは別として、日本の山岳観光地でも、このような姿勢に学ぶべきところは少なくない。

 現在、日本トイレ協会では「山のトイレ改善運動」を展開しており、山小屋のトイレの改善も徐々にではあるが進みはじめた。また、「野糞」は生態系にも影響するので、これを持ち帰ろうという働きかけもしている。

 また、これからは水洗トイレというシステムそのものも見直す必要がある。水資源という問題からみても、飲用にすべき水を大量に使うシステムはいずれ限界が来ようし、下水汚泥は産業廃棄物のなかで最大の量を占めている。処理した水が海や川の汚染にもつながっているのである。こうした環境面からのトイレの見直しが求められているのである。

 もうひとつ特筆すべき事は、学校でのトイレ改善である。滋賀県の栗東まちでは荒れた学校のトイレを改築したことをきっかけに学校施設への愛着がわき、立ち直ったという事例がある。各地で学校のトイレを改善する動きが出てきた。文部省も関心を示している。

 日本トイレ協会では、ボランティア活動として「学校トイレ出前講座」をやってきたが、健康教育や道徳教育、環境教育のテーマとして面白いと評判になった。

 たかがトイレとあなどるなかれ。トイレは実に様々な社会の問題を写しているのである。

 


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