1.8 稀な事象の統計
事故ゼロで、何km走れば十分か
この回で分かること
- 「事故ゼロ」が示すこと・示さないこと を説明できる
- 3の法則 で、必要な無事故走行距離をすぐに見積もれる
- 走行試験だけで安全性を示すのが難しい理由と、SOTIFでの対策の方向を説明できる
直感で理解する
ある自動運転車が、テストコースと公道で合計10万km走り、事故は一度も起きませんでした。「この車の事故率はゼロ」と言ってよいでしょうか。
答えは「言えない」です。仮にこの車の本当の実力が「10万kmに1回」事故を起こす程度だったとしても、10万km走って たまたま事故ゼロで終わる確率は約37% もあります。3回に1回以上は「事故ゼロ」になってしまうのです。
では、どこまで走れば「少なくとも10万kmに1回よりは安全」と言えるでしょうか。走る距離を伸ばすほど、「実力は10万kmに1回なのに、それでも事故ゼロ」という偶然は起きにくくなります。
目標距離の3倍を走っても事故ゼロなら、「もし実力が目標ぎりぎり(またはそれより悪い)なら、こんな結果は5%以下の確率でしか起きない」と言えます。これが、信頼度95% で「目標より安全」と主張するための条件です。
3の法則(rule of three)
目標が「X km に1件以下」なら、無事故で 3X km 走れば、信頼度95%でその目標を満たしていると言える。
数式で確かめる
事故のように「一定の割合で、互いに無関係にランダムに起きる事象」の回数は、ポアソン分布 で表せます(1.3)。1kmあたりの事故率を \(\lambda\)(ラムダ)、走行距離を \(d\)、事故の件数を \(N\) とすると、事故件数の平均は \(\lambda d\) で、事故が0件で終わる確率は次の式になります。
\(e \approx 2.718\) はネイピア数と呼ばれる定数です。ここでは \(e^{-1} \approx 0.37\) と \(e^{-3} \approx 0.05\) の2つだけ覚えておけば十分です(グラフの37%と5%)。
本当の事故率が目標値 \(\lambda_0\) だったと仮定して、「それでも事故ゼロになる確率」が5%以下になる距離を求めます。
\(1/\lambda_0\) は「1件あたりの距離」X のことなので、\(d \approx 3X\)。これが3の法則の正体です。信頼度を変えると係数が変わり、90%なら約2.3、99%なら約4.6になります。
| 目標(1件あたりの距離) | 必要な無事故走行距離(信頼度95%) |
|---|---|
| 10万kmに1件 | 約30万km |
| 100万kmに1件 | 約300万km |
| 1億kmに1件 | 約3億km |
| 米国の死亡事故率 1億マイルに1.09件 ≈ 約1.5億kmに1件 | 約4.4億km (約2.75億マイル・地球約1万1千周) |
計算してみよう
発展:途中で事故が起きたら?
走行中に事故が起きた場合も、目標を満たしていると言える可能性はあります。ただし必要な距離は増え、係数「3」が次のように大きくなります(信頼度95%)。
| 観測された事故件数 k | 0件 | 1件 | 2件 | 3件 |
|---|---|---|---|---|
| 必要距離(目標距離 X の何倍か) | 3.0 | 4.7 | 6.3 | 7.8 |
一般には カイ二乗分布 を使った次の式で求めます。k = 0 のとき \(\chi^2_{0.95}(2)/2 \approx 3.0\) となり、3の法則と一致します。
SOTIFの規格 ISO 21448 でも、同様の統計的な考え方で、妥当性確認に必要な走行距離(時間)を見積もる例が示されています。詳しくは 5.5 で扱います。
発展:事前の根拠を走行実績で更新する
3の法則は「走る前は何も知らない」という立場の計算です。1.2 のベイズの定理を使うと、走る前にもっている根拠(分析やシミュレーション、前のシステムの実績)を事前の見込みとして入れ、走行実績で更新できます。いちばん簡単な形は、事前の根拠を「\(d_0\) km 走って事故 1 件と同じ重さ」と表す方法です。このとき、無事故で \(d\) km 走ったあとの事故率の上限(信頼度95%)は次のようになります。
\(d_0 = 0\)(根拠なし)なら、3の法則そのものです。目標が「1 億 km に 1 件以下」なら、3の法則では 3 億 km の無事故走行が必要ですが、事前の根拠が「2 億 km 走って 1 件」に相当すると言えるなら、実走行は 1 億 km で足ります。途中で事故が起きたときは、上の表と同じように係数が 4.7、6.3 … と増えます。
大事なのは、\(d_0\) を大きく見積もれば、必要な距離はいくらでも減らせてしまうことです。事前の根拠が本当に「何 km 相当」なのかを、第三者に説明できる形で示す必要があります(→ 5.10)。シミュレーションの結果をどこまで実走行の代わりにできるか(5.7)、ソフトウェアの更新で前の実績がどこまで引き継げるか(下の「接点」)も、この \(d_0\) の見積もりの問題です。
自動運転との接点
- 走るだけでは時間が足りない:米国の死亡事故率を基準にすると約4.4億km。100台の車両が24時間365日、平均時速40kmで走り続けても約12.6年かかります(上の計算機で確かめられます。RANDの試算でも約12.5年)。「人間より20%安全」と示すには約110億マイル(約177億km)が必要という試算もあります(RAND, 2016)。
- 距離の「中身」が大事:3の法則は「事故率がどこでも一定」という仮定の上に成り立っています。実際には、晴れた高速道路の1万kmと、雨の夜の市街地の1万kmでは危険の度合いが違います。どのODD・どんな条件で走ったかを無視して、距離を単純に足し合わせることはできません。→ 4.1 ODD
- ソフトを更新したら?:認識モデルやソフトウェアを更新すると、厳密にはそれまでの走行実績は「別の車」のデータになります。変更の影響をどう評価するかも重要な論点です。
- だからSOTIFでは:距離を積むだけでなく、危険につながりやすい条件(トリガー条件)を狙って試す シナリオベース検証、実走行を補う シミュレーション、稀な事象を効率よく探す 重要度サンプリング などを組み合わせます。→ 5.5〜5.8
- 一度も見ていない危険の確率:無事故は「未知の危険がない」ことの証明にはなりません。一方で、記録したヒヤリハットのうち「1回しか出てこなかった種類」が多いなら、まだ見ていない種類が次に出てくる確率も高いと考えられます。N 件の記録のうち1回だけの種類が N₁ あれば、次の1件が新しい種類である確率はおよそ N₁/N ——この考え方(グッド・チューリングの推定)で、未知の危険の大きさを見積もります。→ 5.2 4つの領域、用語集
- 事故の「手前」を数える:事故よりずっと頻繁に起きるヒヤリハット(例:衝突までの余裕時間 TTC が短い場面)から事故率を推定する方法もあります。→ 1.9 極値と裾の重い分布
まとめ
- 事故ゼロは「事故率ゼロ」の証明ではない。目標距離の1倍を走っただけの事故ゼロは、37%の確率で偶然起きる
- 3の法則:目標「X kmに1件以下」を信頼度95%で示すには、無事故で約 3X km
- 人間並みの安全性を実走行だけで示すには数億kmが必要。だからSOTIFでは、シナリオやシミュレーションを組み合わせる
確認クイズ
Q1. 目標「100万kmに1件以下」を信頼度95%で示すには、無事故で何km走ればよい?
約300万km。3の法則で 3 × 100万km です。
Q2. ある車が50万km走って事故ゼロでした。信頼度95%で言える事故率の上限は?
3 ÷ 50万km = 100万kmあたり6件。つまり「約17万kmに1件より悪くはない」までしか言えません。「50万kmに1件以下」とは言えない点に注意しましょう。
Q3. 目標「10万kmに1件以下」で試験中、事故が1件起きました。合計何km走って1件のままなら、信頼度95%で目標達成と言える?
約47万km。事故1件のときの係数は約4.7なので、4.7 × 10万km です。事故ゼロなら30万kmで済んだので、1件の事故で必要距離が1.6倍近くに増えます。
もっと知りたい人へ
- 次の回:1.9 極値と裾の重い分布
- 関連:1.2 条件付き確率とベイズの定理、4.1 自動運転レベルとODD、5.5 受入れ基準と妥当性確認目標
- 解説動画:YouTube(約5分)(静止画のスライドと音声で要点を説明。英語版の記事には英語の動画があります)
- 参考文献
- N. Kalra, S. M. Paddock, Driving to Safety: How Many Miles of Driving Would It Take to Demonstrate Autonomous Vehicle Reliability?, RAND Corporation, RR-1478-RC, 2016.
- J. A. Hanley, A. Lippman-Hand, “If nothing goes wrong, is everything all right? Interpreting zero numerators,” JAMA, 249(13), 1983.