宣誓8

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宣誓 I'll swear royalty and love to him.

8.




どんな些細な事だろうと、日々自分の能力が高まっていくのを感じるのは気分が良いものだ。増してそれが自分の望んでやまないものならなおさらだ。召集に応じた兵士達の長い行列であくびをしながら、カカロットはそう思った。


この頃のカカロットは自分の変化の兆候をはっきりと感じていた。身長の伸びや筋肉の発達、肉体の高まりだけでは無い。五感の全てが冴え渡り、聴覚と嗅覚が驚くほど研ぎ澄まされ、視覚は遥か遠くの小動物まで捕らえる事ができた。
戦闘員の実地訓練でも派遣先の戦地でも、その変化ははっきりと表れた。「環境が良い」とされる遠征先の星は常にサイヤ人にとっても環境の良い場所であるとは限らない。その行軍は時には何日も満足に眠る事のできない過酷なものになる事もあるが、ひたすら飛び続けても、彼の体はさほど疲れを感じなくなってきている。時に灼熱の大地を歩み時に氷の雨に打たれても、僅かな休息のみで心身を回復する事が出来た。高重力の星、高気圧の星、未知の病原菌に満ちた原生林に覆われた星。派遣先で同じチームの仲間が次々と根を上げていく中で、より強く、エネルギーに満ち、生き生きしている自分を感じていた。


そして何よりも大きな変化に気がついたのは、本当に些細な事がきっかけだ。
ある日の行軍中、チームでごく短い時間の休息を取った時の事だ。その星は他の星に比べて気温が高く大気も濃厚で少し歩けば汗が噴き出し、腰を下ろした兵士達は皆、本来行軍中には禁止事項だが防具や具足を解いて、衣服の中に風を通していた。仲間の一人が声を上げたのはちょうどその時だ。
『あっちの方で戦闘力の反応があるぜ、何だろうな』
その声に反応してカカロットが顔を上げ、仲間が指さす方角に目を向け、少しの間様子を伺う。
『――ほんとだ、けど大した大きさじゃねえな、虫か小動物だろ』
友人の言葉を受けて何気なく答えたつもりだった。しかし相手が、笑顔になるカカロットを信じられないものでも見たような目で凝視してくるので、何事かと不思議に思った。
『何だよ、オラ何か変な事言ったか?』
『――変も何も、お前、スカウターをつけてないのに、なんで戦闘力が分かったんだ?』
『――へ?』
友人の言う通り、彼は額から流れる汗を手のひらでぬぐうため、スカウターをはずして手にぶら下げていたのだ。彼の最も大きな変化は、五感を超えたところで表れていた。


ーー何でだろうな、すっげえ修行したからかな?
肩幅よりも少し広めに足を開いてまっすぐ立ちながら、カカロットは首を傾げる。物思わしげに組まれた腕はつやつやと日焼けしていて逞しい。
自分の変化の原因について考えてみる。確かに幼少時代から少年兵として実戦地に送り込まれ、いく度となく危機や死線を乗り越えてきた。その度に飛躍的に戦闘力が高まるのは、戦闘民族であるサイヤ人なら誰もが持つ特徴だ。しかしそれだけでは他の友人達と自分との成長の違いの説明がつかない。それならばと遠征先以外での違いを考えてみて、ああ、と少しばかり納得する。自分は修行が大好きだ。遠征先から戻れば、年相応の遊びに興じる友人達と違い、自分は直ちに修行を開始する。基礎体力に精神修行、そして戦いの型に至るまで。強さへのこよない憧れは子供時代から誰よりも強かった。自分は修行が大好きだ、なぜなら誰よりも強くなりたいからだ。誰よりも。


ふと、自分の右腕に目を落とすと、その上腕部には斜めに走った傷痕がある。一見しただけでは気がつかないほどの薄いものだが、良く見れば日焼けした他の部分の肌に比べて傷の部分は白っぽく浮き上がっていた。それを目にするたび、カカロットは自然に笑顔になる。
――ベジータが手当してくれたんだよなぁ
随分前の新月の夜、傷の治療する間も惜しんで飛びだした時に、ベジータは呆れながらも応急処置をしてくれた。結局その後でメディカルマシーンにかかっても傷は残ってしまったが、処置が適格だったおかげで、傷跡は本来よりもずっと薄くてすんだんだと医師に後から教えられた。
傷の手当てをしながら、自分の鼻先でゆれるベジータのつんつん頭や、自分を睨みあげるきつい双眸を思い出す。そしてあらゆるものを打ち倒す力を持ちながら、とても繊細な動きをしていた小さな手も。
――オラ、あいつよりも絶対強くなりてえからな。
彼はカカロットにとって、昔も今も絶対超えたい目標の一人だ。


そんな事を考えていた矢先、同じように行列に退屈していた後ろの友人から、背中をひじで小突かれた。
「――おい」「ん?何だ」
カカロットが振り返ると、背が低く頭をつるつるにそり上げた友人が冷やかすようなにやにや笑いを浮かべながら、再びカカロットの背中を小突いてくる。
「お前気が付いてるか?さっきからあの子、ずっとお前の事見てるぞ?」「へ、誰が?」
怪訝そうな顔つきのカカロットが、友人の目くばせした先を見ると、一本先の同じような召集行列の中で確かに同じ年頃の少女兵が一人、真っ直ぐこちらを見つめて立っている。ざっくりと切りそろえられた短い髪に凛々しい眉、切れ長の瞳を持ったなかなかの美少女だ。ひどく真摯なその視線は、しかしカカロットが顔を上げた事に気づいた途端に慌てたように反らされた。
「な?見てただろ?」「うん、見てたな。…けど、それがどうかしたか?」
きょとんと目をしばたくカカロットの言葉に、友人が呆れたように大袈裟に嘆息してみせる。その間にも少女は顔を反らせながら、物言いたげな視線は相変わらずちらちらとこちらを伺っている。
「まったくお前ってやつは相当鈍いな!さっきから女の子がお前をじっと見てるんだぜ?お前、何とも思わねえの?」
「何ともって…オラ、そんなに面白れえ顔してたか?」
カカロットの言葉に、友人がああ!とまた大袈裟に嘆息する。
「お前ってやつは、いくらなんでも鈍すぎるだろ!女の子がお前をずっと見てるって事は、お前に気があるって事くらい気づけよ!…ったく」
「『気がある』…?」「あの子がお前の事好きだって事だよ」
「…………」「…言っとくけど、あの子がお前の事『好き』っていうのは、お前が『戦う事が好き』とか『飯を食うのが好き』ってのとは違うぞ?」
「ん~~?」
彼の丁寧な説明にも首をひねるばかりのカカロットに、友人が今度こそ本心からため息をついた。


「まったく、お前みたいな奴に惚れちまったあの子が可哀そうだな。だいたい何でお前みたいな奴がもてるんだか。…まあ、確かに最近お前急に背が高くなるし戦闘力の伸びもすげえし、かなり目立ってるからな。お前さ、実際付き合ってる女の子とか、いねえの?」
まあいるわけないか、と付け加える友人に対して、再びカカロットが首をひねる。
「『付き合う』って何だ?」
「そりゃ、いっしょに出かけたり、遊びに行ったり飯食ったり…」
「そんな事とっくに…」「言っとくが『遊びに行く』はダチと戦闘ごっこしたりする遊びじゃねえぞ!?」「何だ違うのか」
「ああもう…ったく!!いちいち説明しないと分からねえのかよ、面倒な奴だな!!要するに、一緒に出かけたり、『キス』とかしたりする子はいないのかよって事だ!!」
「ーー何だ、そんな奴ならオラとっくにいるぞ」
「そりゃ当り前だよな、お前みたいな天然野郎にそんな子がいるわけ……?!えええええっ!いるのかよ?!」
飛びあがりそうに驚く友人を前に、相変わらずのんびりとした様子でしっぽを揺らしながら、カカロットが大きな目をしばたいた。


「うん、いるぞ?」
「…お前、『キス』って何の事か知って…」
「好きな奴と口くっつける事だろ?知ってるさ」ベジータと毎回してるもんな。その時の様子を思い出しながら、カカロットがうんうんと頷く。
「お前、何も考えてないような顔してちゃっかり!!……ったく、心配して損しちまった!!…なあ、相手はどんな子なんだ?」「どんなって…うーん…」
友人の問いかけに対し、カカロットはベジータの事を思い出してみる。自分を睨みつける顔、そっぽを向く横顔、自分より背は低いが、いつも腕組みして偉そうに反らされた体。
「オラよりすげえ強いやつなんだけどさ、背は小さくて細くて、口がものすごく悪くていっつもオラの事にらんでくるんだ」
「…ちょっと変わった子だな…」
それから更に思い出す、あまり日に焼けていない白い肌、あどけなさの残る柔らかな頬のライン、一見そっけなく見せながら、自分の言葉に興味を示す時にほんの少し綻ばせる、小さな唇。
「…けど、笑うとかわいいぞ」
「ああそうかよ、はいはいどうもご馳走様って事だな。……で、最後まではもう行ったのか?」
「最後?最後って何だ?」
「…は?」
「『最後まで行く』ってどこへ行くんだ?」
そう言うカカロットの目は何の邪気も読み取れない。カマトトぶってる訳でも何でも無く、本当に知らないらしい。友人は嫌そうに顔をしかめ、彼の顔と下半身を交互に見比べた。
「…最後ってそりゃお前…」
言いかけて慌てて一旦言葉を切って、周りの様子を伺う。ここはありふれた雑踏の中だ、密談の場でも何でもない。
「いいか、『最後まで』って言うのはな…」
友人は声をひそめ、指でちょいちょいとカカロットを招き寄せる。大きな体をかがめるカカロットの耳元で、友人はこそこそと何事かを囁いた。始めは大人しく聞いていたカカロットの顔が、見る間に茹でたように赤くなる。
――……ええええっ!!!『最後』って…そ、そんな事するのか?!
「わわわ!しーっ、声がでかい!!」
あまりの衝撃に髪も尻尾の毛も逆立てて驚くカカロットの口を、友人が慌ててふさぐ。行列していた兵士達全員の視線が一斉にこちらに注がれるのを、友人がひきつった笑顔で何でも無いのだと手を振って制した。


ちょうどその時、行列は終わりに近づきカカロットと友人の番となった。兵士長が銀の鋲をいくつも打ったブーツの踵をこつこつ鳴らしながら、対象者に出征スケジュールを配っていく。
衝撃のあまり言葉を無くしているカカロットの代わりに、友人がスケジュールを2枚受け取る。それを握らせながら友人はカカロットを物分かりの悪い子を見るような目つきで見た。
「お前、その子とキスまでしたんだろ?相手の子とそうなりたいとか思った事ホントに無えの?」
「……」
そんな分かりきったような事をいちいち聞くなよとでも言いたげな目で見てくるカカロットの背を、友人が気合いを入れるようにバンバンと叩いた。
「まあがんばれよ、今度お前の勉強になるような本や映像をいっぱいもってきてやるからな。じゃ、俺そろそろ行くからな」
じゃあなと手を振って立ち去る友人を見送っても、しばらく動けずにいた。


……好きな奴と口くっつけるって、そういう意味だったのか…?


脳裏にこれまでの経験が鮮明に蘇る。自分を睨みあげてくるベジータのきつい瞳は気のせいかいつも少し潤んでいた。引き寄せたその小さな体はかすかに震えていたし、自分の下で柔らかくほどけたその唇がこぼした吐息はとても甘くて切なげで…
「………!!!」
再び衝撃に頭の中が真っ白になりそうになる。かあっと顔に血の気が射すのを感じる。日頃ほとんど物怖じしたりうろたえたりすることのないカカロットが珍しく動揺している事に周囲が驚きの視線を向けてきても、ほとんど視界に入らなかった。
ベジータはこの事、知ってるんかな?あいつなら頭良いからいろいろ教えてくれるかもな、今度聞いてみよう。幾分見当違いながらも解決策を見出したカカロットは、ようやく気持ちに余裕が出てきて、それまで手の中で握りしめられていた次回の出征スケジュールを開いた。


汗ばんだ手のひらでくしゃくしゃになったその紙面に目を走らせる。どことなくうわの空だった彼の目線は、しかしある一文を目にした途端、驚きに見開かれた。
「――…!!」