宣誓6

sign.jpg

宣誓 I'll swear royalty and love to him.

6.




二人の出会いが昼下がりから深夜に変わった事と同様に、二人が出会うたびすることは、子供じみた『戦闘ごっこ』から、ぎりぎりまで明かりを落とした携帯用の照明を頼りに行われる実践的な組み手に変わっていた。カカロットの戦闘力は相変わらずベジータに遠く及ばなかったが、既に一端の兵士として実戦に赴き戦場で多くの経験をつみ始めているためか、最近とみに上達を見せている。


「……いくぞベジータ」「……さっさと来い」
目印の大木から程近く、森の中のやや開けた空き地に二人は対峙する。気弾は使わず体術のみ、勝負はどちらかが根を上げるまで、あるいは暁が迫るまで。それ以外は特にルールなど設けていない。最もこれまでの対戦成績はカカロットの連戦連敗、しかも一方的な敗北でカカロットが根を上げて勝負が決まるというパターンが全てだった。夜風が吹き渡り二呼吸ほどの間、二人は互いの出方をじっと窺う。
「…………だりゃあああっ!」
威勢の良い唸り声を上げながら、先に動き出したのはカカロットの方だ。固めた拳を大きく撓らせ鋭く突き出す。だがその拳が掠めたのはただの空。カカロットが次の攻撃に移ろうとする前に、ベジータは飛びあがって張り出した木の太い枝を掴んでくるりと半回転し、その張力を生かして大きく後方に飛び退さり軽やかに着地する。カカロットが突進して尚も拳を突き出すと、ベジータは今度は交差した腕でそれを難なく弾き、逆に勢いを反らされて背中を見せたカカロットの背後で大きく飛びあがってその背を激しく蹴りつける。


「うわ!っとと!!」
大きくよろめいたカカロットが二、三歩たたらを踏み、それでも何とか体勢を立て直すと今度は様々な型の蹴りを繰り出してベジータを追い詰めようとした。しかし彼はそれをぎりぎりのところで、最小限の動きで全てかわし、逆にカカロットの懐に潜り込んで肘で強くその心臓部の上を打つ。
「……うっ!」
カカロットが左胸を抑えて大きく呻く。これで息が詰まってこいつは昏倒するはずだ。勝負あった、はずだった。
「……っ、……へへへっ、まだ、だ」「…………!」
カカロットは荒い息と共に激しく咳き込みながら、それでも口の端を持ち上げてにかっと笑う。ベジータは驚愕した。こいつ、耐えやがった!!体躯の成長とともに、その耐久力も上がっているということか?一瞬考え込んだベジータの隙を、カカロットは見逃さなかった。千載一遇のチャンスとばかりに、突き出したカカロットの拳がベジータの左頬を掠める。びっ、と血が一筋飛ぶ。
「……き、貴様……!」
こいつ、俺の顔に傷をつけやがった!!かあっと頭に血が上る。これまで一度たりとも、カカロットの攻撃をこの身に受けた事など無かったのに。
「へっへ~っ、オラやったぞっ!」
初めての攻撃成功にカカロットが歓喜の声を上げる。逆にベジータは傷のついた頬を抑えながら、無邪気に跳ねまわる姿を見て、言い様の無い衝撃に呆然と立ち尽くしていた。





――いつまでも世話の焼ける下級戦士のガキだと思っていたカカロットが、自分の知らないところで、いつの間にかどんどん成長し始めている、という事を今更ながら思い知る。




自分の胸ほどしかなかった上背が今や自分を追い越し、不世出の天才戦士と言われる自分に傷を付ける程にその戦闘力を上げてきている。自分の知らないうちに。
自分があの城に縛り付けられている間、こいつは自分の知らない世界でどんどん成長していくんだろうか?知らない人物達と出会って、いろいろな経験を積んでいくうちに、そのうち自分はこいつにとって目標でも何でも無くなり、飽きたこいつは自分に興味を失ってどこか遠くへ……


……遠くへ?そんな事……
「――ゆるさん、ゆるさんぞカカロット!!」「ベジータ?!」
かあっと頭に血を上らせて、ベジータが大きく飛びあがる。いつも冷静さを失わないなずの彼が酷く激昂した事にカカロットは驚き、咄嗟に反応できずにいるところを、ベジータは頭上から渾身の力で自分に傷をつけた彼の右手を蹴りつけようと、凄まじい勢いで落下してくる。
「ベジータ!!」
漸く反応したカカロットがぎりぎりのところで身をかわし、ベジータの蹴りはカカロットの右上腕を僅かにかすっただけだった。そのはずだった。
「……う、わっ!!」
ベジータの蹴りが腕を掠めた瞬間、大きく呻いてカカロットがその腕を押えて地面に膝をつき、そのままどっと倒れ伏した。


「…………?」
はあはあと荒い息をつきながら、ベジータがカカロットの様子を伺う。蹴りが掠めただけにしては大袈裟すぎる痛がり方だ。――いや、大袈裟などではない。腕を抑えて呻くカカロットは、その腕を庇うようにして体を丸め、額に油汗を浮かせている。
「……おい、カカロット」
息を整えながら、次第にベジータは冷静さを取り戻していく。大袈裟すぎる痛がり方、現れた時濡れていたカカロットの髪、見慣れない肘までの長さのシャツ。
「カカロット、貴様、腕をどうした」「え……?」
荒い息をつくのみで満足に答えようとしないカカロットに、業を煮やしてつかつかと歩み寄る。その傍らに屈み込んで強引にその右腕を取り、シャツの袖を捲りあげた。



「――なんだこの傷は」「え…いや、これはその…」
袖の下に隠されていたカカロットの右腕は、見るも痛々しく大きく切り裂かれ、えぐれていた。おざなりに巻かれた包帯が緩んで、その隙間から新たに血を流す傷が覗いている。顔をしかめていたカカロットが、険しい目線のベジータを前に、何とか体を起して胡坐をかいて座り直す。
「えっと…その…オラ、遠征先でちょっとどじっちまって…」
「そうじゃねえ。何でこんな傷を放置したまま来やがった」
冷静に問い詰めるベジータを前に、カカロットは叱られた子供のように身を小さく縮めている。
「貴様らの居住区にもメディカルマシーンくらいあるだろう、何で治さん」
「…オラ、勿論マシーンにはかかったさ、一応…」
「一応とは何だ」
問い詰めるベジータの言葉に、カカロットはますますその体を縮こませる。
「その…メディカルマシーンなんかに入ってっと、時間かかるしな、治療してる間にベジータが待ちくたびれて帰っちまったら嫌だし……」
上目使いにこちらの様子を伺ってくるカカロットの様子に、ベジータは呆れ返った。自分との待ち合わせに遅れるから、これほどの酷い傷を完治させないままこいつはこの場所にやってきた、というのか? ……自分と会うために?


「はっ!俺様ともあろう者がこんな傷のある奴と戦ってたとはな!舐められたもんだぜ」
思わず掛けそうになる言葉を、ベジータはぐっと飲み込んで、いかにも不機嫌そうに鼻を鳴らしてみせた。
「バカか貴様は。何のために骨董品みたいなスカウターを使ってると思ってやがる、連絡を寄こせばそれで済む、くらい考えなかったのか」
「あ、そっか、そうだよな。…ごめんな、ベジータ…」
すっかり不機嫌な様子となったベジータを前に、カカロットはどうして良いか分からないとでも言いたげに、しょんぼりとただ詫びの言葉を口にする。


――やっぱりこいつ、まだ世話の焼けるガキじゃねえか。
「座ってろ、カカロット。この俺様が直々に手当してやる、ありがたく思え」
「へ?ベジータ?」
きょとんと目をしばたくカカロットを一旦置いて、目印の大木の根元に置いてきた救急キットを掴んで戻り、そのまま彼の傍らにどかりと腰を下ろす。これを準備しておいて良かったぜと独りごちながら。
「自分の傷の応急処置くらい覚えておけ。戦場で死にたくなければな」
言うが早いが、ベジータはいい加減に巻きつけられていたカカロットの右腕の包帯を解き、実に手際良く処置を開始する。傷の具合は、治療仕掛けのところを放棄してやってきたというのは本当の事らしく、ところどころ塞がりかけていて、固まり切らない箇所の傷口から出血していた。傷の程度は思いの他深いが、これならありあわせの道具でも何とかなりそうだ。手早く消毒剤と止血剤、鎮静剤を吹き付けてから、傷を縫合するように止血帯を緩みの無いようきつく巻きつけていく。その魔法のような手際の良さに、カカロットはしばらく呆気にとられたようにその様子を見守っていたが、自分の鼻先でベジータのつんつん頭が揺れているのを見ているうちに、やがて傷の痛みも忘れて笑顔になる。
「すげえなベジータ、おめえやっぱり何でも出来んだなー」
カカロットの明るい声にベジータは答えず、再び鼻を鳴らす。


「…………」
黙って処置を続けるベジータを、始めはカカロットも黙って見つめていたが、そのうち退屈したかのように口を開き始めた。
「――なあなあベジータ、今日の遠征先の星、すっげえ変わってたんだ。その話聞きてえ?」
「…………」
「太陽が五つもあってさ、それが次々昇る星なんだ。一日中昼間だし、そこがまたあっちいのなんのって……」
「…………」
相変わらず黙ったままのベジータの様子にもカカロットは黙ること無く喋り続けた。今日起きた事。明日の天気。遠征した星の話。何を食べた、誰と話した。
やや興奮ぎみにまくしたてるカカロットの話に対し、相変わらずベジータは黙りこくったままだ。それでも、とカカロットがちらりと彼の顔を盗み見る。
ベジータの白い頬が紅潮し、小さな唇がほんの僅かにほころんでいる。ベジータが喜んでる時の顔だ、小せえ時からそうだったもんな。ベジータが一見そっけなく、しかし心の中では実に興味深そうに、頷きながら聞いている事が手に取るようにはっきりと分かった。


それは時間にしてみればほんの短い間だったかもしれない。
「終わったぞ」
ぶっきらぼうに言いながら、ベジータがさっさと救急キットをしまい始める。カカロットが自分の右腕を見ると、そこは完璧な処置が施され、きっちりと抑えられて傷からは最早何の痛みも感じない。
「ひゃーすげえな、もう全然痛くねえや。おめえってホント、何でも出来んだな」
「貴様が何でも出来無さ過ぎなんだ馬鹿め」
そっけなく答えるベジータがふと東の空を見上げると、星明かりが徐々に消え、濃紺の空が薄青く変わり始めている。直に夜が明ける、もう戻らなくては。


「――夜明けだ、カカロット。もう俺は帰るぞ」
「ああそっか、もうそんな時間かぁ…」
何か言いたげなカカロットを尻目に、手早く他の荷物をまとめる。
「帰ったらさっさとメディカルマシーンに入り直せ。その程度の傷なら貴様のような下級戦士でも10分も入ってりゃ治るだろう、まあ傷跡くらいは残るだろうがな」
「うん。…ほんと、サンキューな、ベジータ」
多少歯切れの悪い礼を口にしながら、いつまでもぐずぐずと去りがたそうなカカロットを残して、じゃあなとベジータは立ち上がろうとしたところ、いきなり強い力でカカロットに右の手首を掴まれた。その瞬間、急に既視感に見舞われる。
……何だ?確かこんな事、前にもあったんじゃないか?


「?おい何だカカロット…」相手の意図を聞こうとして、その言葉を言い終わる前に更に強い力で引き寄せられ、不意を突かれたせいで相手の膝上に倒れこんでしまう。
「おいカカロット、何だ一体!……」
見上げると、こちらを子供っぽい大きな瞳が覗きこんでくる。相変わらずの童顔だが、良く見るとその顔は頬が削げ始めて、引き締まった大人の顔に変わりつつあるようにも見える。
ーーなんだこいつ、いっつも締まりのねえ顔してやがったくせに。いつのまにか結構マシな顔ができるようになったじゃねえか。
そんな事をぼんやりと考えるうちに、カカロットの手に顎を掬いあげられた。目の前のカカロットとの距離があまりにも近すぎる。ベジータが思わず目を閉じると、彼の唇にふわりと柔らかな感触が重ねられた。
「……ーーっ?!」
驚いて目を見開くと、視界いっぱいにカカロットの顔が見えて、何が起こったのか一瞬混乱した後、自分が口付けられた、という事に気がついた。



「きっ貴様何しやがる!?!?!」
あまりの驚きに、ベジータは手加減なしの力でカカロットの胸を突き飛ばした。
「…うわわわっ?!」
カカロットの悲鳴に一瞬しまった、と思い、その体が遥か彼方まで吹き飛ばされるのを見るのかと思いきや、意外な事にカカロットはその場によろめいて手を地面についただけだった。
「痛えな~、ベジータ。いきなり何すんだよ!」
「それはこっちのセリフだ!きっ、貴様なぜ、こ…こんな真似を?!?!」
顔を真っ赤にし目を見開いたベジータが、手の甲で自分の口をごしごし拭きながら絶叫する。しかしカカロットは、なぜベジータがそんなに喚き散らすのか、訳が分からないと言った様子で目を瞬いている。
「へ?だって好きな奴とはこうするもんなんだろ?オラそうやって聞いたぞ」
まったく悪びれた様子のないカカロットに、ベジータは眩暈を覚えそうになる。何だその中途半端な知識は!どこで覚えやがったそんな真似!!


「貴様こんな事、他と奴ともするのか?!」
「あれ、そうだなぁ。これってベジータとしか、してぇと思わねえんだよな。なあベジータ、なんでだろうな」
「俺が知るか!」
あくまでものんびりと答えるカカロットを前に、ベジータは荷物を掴んで勢いよく立ちあがる。付き合ってられるかこんな馬鹿!!
「じゃあ、今度はベジータの方からやってみてくれよ。ベジータはオラの事好きか?」
「だから知るかってんだそんなもの!!」
顔を真っ赤に染めたベジータが、力いっぱい地面を蹴りつけて凄まじい速さで白み始めた東の空へ飛び去って行く。信じられないような事を大声で叫ぶカカロットの声を聞きながら。
「じゃあなベジータ、今度あった時は約束だぞーーっ!おめえからやってみてくれよなーーっ!!」



それからというもの、カカロットは密会のたびにベジータに口づけを迫るようになり、それをベジータも甘んじて受けるようになっていった。次第に深くなるそれを受けながらこの行為が指し示す本当の意味を、カカロットが理解しているのか危ぶみながら。