宣誓5

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宣誓 I'll swear royalty and love to him.

5.




王子が寝入るのを静かに待っていた侍従たちは、ベジータが寝息を立て始めたのを確認してから、室内の明かりを一つ一つ消していき、終いには王子の寝台の足元一つを残して全てが消された。
「それでは、お休みなさいませ」一礼をした侍従たちが王太子の寝室からしずしずと下がっていく。その足音が遠ざかり、すっかり聞こえなくなる頃にベジータは再びぱちりと目を開いた。彼は眠ってなどいない、さっさと寝たふりをしただけだ。


それから更に半刻ほど、寝台に身を横たえたまま頭の後ろで手を組んで、天井を見つめながらじっと薄闇の中で時が経つのを待つ。足元に一つだけ灯されたままの燭台の炎の揺らぎが次第に静かになり、城内で動きのあるものの存在がようやく疎らになったのを見計らって、ベジータは掛け物を跳ね除けて寝台から床に降り立った。そのまま音を立てないよう注意しながら、素早く外出の支度を整える。濃紺のアンダーシャツを着込みながら、執務机の引き出しを手繰り寄せる。昼間のうちに、その中に携帯用の食糧をいくらか忍ばせておいた。どうせあのバカは腹を空かせたままやってくるに違い無いからな。それから救急キットも少し。あいつはクズの下級戦士だから、どうせまた怪我をするに決まってる。
支度の仕上げに、一旦寝台に戻ると、3つ並んだ豪奢な枕のうち一つの下から、スカウターを掴みだした。それは骨董品どころか歴史書に載ってもおかしくないような、恐ろしく旧式の代物だ。小柄なベジータには似つかわしくない、無骨で不格好なスカウターを身につけて、彼は足音を立てぬよう歩きだした。今夜は新月。


カカロットとの出会いから時が経ち、カカロットよりも年上のベジータは既に少年の年齢領域を超えようとしている。ベジータの身辺警護はいよいよ厳しくなり、この星で一番の素早い動きを持つ彼でも、明るい間に城を抜け出す事は容易ではなくなりつつあった。ベジータは密会の時を夕方から、毎月の新月の夜に変えるよう進言し、カカロットは大した考えも無い顔つきでそれを快諾した。


夜空には僅かな星が瞬くのみで、辺りは殆ど真の闇だ。星明かりを視界の端に眺めながら、ベジータは暗い空を飛んでいた。両手を自然に流し足を揃えて、速度をぎりぎりまで落として地表近くを飛ぶ。なるべくその存在を人に察知されないようにするためだ。わざわざ旧式のスカウターを持ち出したのも通信の傍受を防ぐためだ。精密機械は得てして新型のものほど脆く、旧型のものほど強い。今ではすっかり使われなくなった通信方式のそれに、更に改造を加えてあるので、通信記録を拾われる可能性は極めて低いはずだ。また最悪傍受されたとしても、およそエリート戦士が身につけることの無いような古臭い装備をつけて夜空をふらふら飛ぶ存在など、ほろ酔いでそぞろ歩く下級戦士がせいぜいで、まさか王族がそのような場所にいるとは誰も信じまい。日頃、のろくさく飛ぶ事が大嫌いな彼だが、この時ばかりはゆったりとした飛行を楽しむ事に対して悪い気持ちはしなかった。


やがて手元のコンパスで目的の座標にたどり着いたことを確認すると、ベジータはゆっくりと地表に降り立った。生い茂る木の枝に体を引っ掛けないよう注意しながら。
そこは以前、カカロットとのリンゴ泥棒騒動で逃げ出した際、降り立った場所だ。この森林地帯で一番の大木の根元が、最近の二人の集合場所となっている。夜の森林の大気はひんやりと湿り、水と緑の匂いがする。辺りに動く者の気配は無く、スカウターにも何の反応も出ない。
「どうやらカカロットの野郎は未だここに来ていないらしいな」
ベジータは携帯用ライトのしぼりを最小値にして点灯させてから、大木の根元に腰を下ろした。ついでに馬鹿みたいに重たいスカウターも乱暴な手つきで外した。


虫の音すだく夜の森で、息をひそめてカカロットの到着を待つ。時折そよぐ夜風に草木がさやかな葉擦れの音を立てるのに耳をそばだてながら、しばらくじっとそうしていたが、今夜はどうしてか、なかなか彼は姿を現さない。いつも自分より必ず先にこの場所にいて、待ちかねたとばかりに飛びついてきていた奴にしては珍しい。どれ程そうしていたかそんな事を思ううちに、ベジータはうとうとと眠気を覚え始めた。慌てて頭を振って目を覚まそうとするが、しばらく後にはまた知らない間に船を漕ぎそうになる。


「……ちっ、何をもたもたしてやがるカカロットの奴」
既に時刻は夜更けすぎ、と言ったところか。ベジータは眠い目をこすりながら、足元の草を素早くより分け、目的の株を見つけてその茎を一本引き抜いた。二回前の新月の時見つけておいたそれは、この辺りに群生している覚醒効果を持つ薬草だ。その葉を漬け込んだ酒は戦闘前の景気付けに良く飲まれる。根元近くの固い葉をむしってから、その茎を銜えて齧ると、薄甘く清涼感のある味とともに少しずつ目が覚めてくる。一本その茎を齧り終えると、大分眠気は落ち着いてきたが、未だにカカロットは現れない。二本目を齧ると、眠気が覚める代わりに、苛立ちも募り始める。畜生、カカロットの野郎何してやがる、あの能天気な男の事だ、もしや今日という日を忘れてるんじゃ無いだろうな。三本目を齧りだすと、苛立ちの高まりと同時に、今度は不安までもが頭を持ち上げてくる。
……カカロットの奴、まさか本当に今日の事を忘れているのか?それとも、まさかあいつの身に何か起きたのか?あいつの遠征先で何かが起きて、もしかして…


薬草を必要以上に齧りすぎたためか、眠気どころか今度は気分が高ぶって落ち着かなくなり始めた。ベジータはそわそわと辺りを見回し、探すその姿が見つからない事に落胆し、苛々と髪を掻き毟り、遂に我慢できずに声を上げてその名を叫びそうになったとき、彼の背後で風も無いのに木の葉がひらひらと落ちかかる気配がした。
「…………!」
身にしみついた習慣で、咄嗟に反動をつけずに立ち上がり、気配の喉元へ、手刀の切っ先をぴたりと付きつける。
「――ひえ~っ、あっぶねえなあ!」
気配の主は肩に木の葉を止まらせながら、大げさに驚いてその目を瞬いた。
「………やっと来たか。随分遅かったな」
付きつけていた手を下ろしながら、ベジータは口に銜えていた草をべっと傍らへ吐き出した。うっかりこいつの名を叫んだりする前で良かったと内心安堵の息を吐きながら。
「わりぃわりぃ、オラ、すっかり遅れちまった」
「この俺を待たせるとは良い度胸だな」
気配の主、カカロットが気まり悪そうな笑顔で頭をかくのを、ベジータは不貞腐れた表情で睨みつける。


「悪かったな。オラ、おめえが待ちくたびれて帰っちまうんじゃないかと思って心配しちまった」
「ふん、もう帰ろうかと思っていたところだ」
「でも今までずっと待っててくれたんだよな」
「…………」
相変わらず邪気の無い笑顔を向けられて、もっと悪態を付いてやろうとしたベジータはすっかり毒気を抜かれてしまう。
カカロットは汗をかいたせいなのか髪が少し濡れていて、珍しく肘まで覆うアンダーシャツを身につけている。それから彼は一頻り再会の喜びの言葉を口にした後、ふと不思議そうな顔をした。
「あれ?ベジータおめえ、何かまた背が縮んだんじゃねえ?」
「貴様がでかくなったんだバカめ!!」
きょとん、としばたくカカロットの大きな目は、既にベジータの頭半分ほど上にある。


伸び盛りの若木のごとくすくすくと成長し、手も足もどんどん長くなっているカカロットに対して、ベジータの体はいつまでたっても細く小さなままだった。
『いとも稀なる戦上手』だの『この星始まって以来、不世出の天才戦士』だのと歌われながら、しかし一向に育つことの無い自分の体躯は、ベジータにとって何よりものコンプレックスだった。
「良いかカカロット、良く聞け!!戦闘においては体格の差など何の障害にもならんのだ!それを今から証明してやる、さっさと始めるぞ!!」
「…お、おう」
いきなり指を突き付けられて怒鳴られたカカロットは、また大きく目をしばたいた。
「……ベジータ、やっぱりオラが遅れて来たから怒ってるんかな?」