宣誓4

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宣誓 I'll swear royalty and love to him.

4.


今や居住地域は遥か遠くなり、足元には森林地帯が広がっている。もうこの辺で良いだろうと、ベジータは森で一番の大木を目標に一気に下降した。見る間に広大な緑の絨毯と見えていたものが樹木の葉となって視界いっぱいに迫り、優雅に着地するにはいささか速度超過ぎみに地面に突っ込んだ。ずずん!と大地に大穴を空けながらベジータが両足で地面に着地し、襟首を掴まれたままのカカロットは勢い余って地面にびたん!と叩きつけられた。んぎゃっ!と悲鳴を上げながら。


「いちちち……ベジータ、もっとゆっくり下りてくれよ、タンコブできちまったじゃねえか」
「ふざけるな!!貴様誰のお陰で助かったと思ってやがる、タンコブくらいで済んでありがたいと思え!!」
額をさするカカロットを、ベジータが力一杯怒鳴りつける。まったく、どちらにとって災難だったか分かったものではない。
「そんなに怒るなよぉ、ほら、これやるからさ」
赤くなった額をさすりながらそう言って、カカロットは膨らみきったポケットからまたリンゴを一つ取り出してベジータに手渡した。そういえば最初に受け取ったリンゴは、逃げる際中に空の彼方へ飛んで行ってしまった事を思い出す。
「………」
体よくリンゴ泥棒の片棒を担がされたような気がしないでもないが、ベジータは黙ってそれを受け取った。ここまで全力で走って、全力で飛んできたのだ。喉が酷く渇いており、鼻孔をくすぐる甘いリンゴの芳香がたまらなく魅力的だ。


「んじゃ、食おうぜ」カカロットは固い木の根を避け、草の上に腰を下ろすが、皮つきリンゴなど見た事が無いベジータはどうしたら良いのか分からない。先ほどの興奮の余韻で頬を火照らせて、にこにこと笑うカカロットの顔をじろりと睨みつける。
「食うって、どうやって食うんだこれは」
「へ?どうやってって、別にそのまま食えば……!あ、そうか!ベジータ、おめえひょっとして、本当にリンゴを見た事ねえのか?!」
「べ、別に見た事が無いわけでは……」
「おめえんち、ひょっとしてものすげえ貧乏なのか?!」
そうかそうかと、カカロットが勝手に納得する。
「おめえ、頭が良いし何でも知ってっけど、知らねえ事もあるんだな。しょうがねえ、オラが教えてやるよ」
ほら、こうするんだと、カカロットはリンゴを服の裾で磨いてから、がぶりと表面にかぶりついた。
「な、簡単だろ?」「丸かじりするのか……」
カカロットに向かい合うようにして草の上に腰を下ろした。自慢のおもちゃを見せびらかすように両手でしっかりとリンゴを握りしめ、小気味よい咀嚼音を立てながらカカロットがたちまちリンゴを芯だけにしていく。あたりにすがすがしい香気が立ち上り、ベジータは乾ききっていた喉の事を思い出してどうにも我慢ができなくなってきた。



手袋はとった方が良いぞ、汁が垂れるからな、というカカロットの言葉に従って白い手袋を手から抜く。リンゴの丸かじりなどやった事が無いが、ベジータも見よう見まねで裾でリンゴを磨き、その表面にかぶりついてみた。その途端に彼の瞳が驚きに見開かれる。
「………!」
「美味えか?」
カカロットの問いかけにうなずくのも忘れて、ベジータは夢中になってリンゴにむしゃぶりついた。口の中にたっぷり溢れる甘い果汁と爽やかな香り、ベジータの知っている『林檎』とはまるで違う。彼の知っている林檎とは、美しく飾り盛られていても時間の経ちすぎで汁気がすっかり乾き切り、口に含んでもすかすかと何の美味さも感じられない物や、甘味で絶妙に味付けされ過ぎていて元の味がすっかり分からなくなっている物だ。こんなにも瑞々しい食べ物を味わった事など、生まれてこの方一度も無い。
「おいベジータ、ストップ、ストップ!!」
夢中になってリンゴをかじり続け、全てを食べてしまいそうな勢いのベジータを、カカロットが慌てて止める。
「芯は残すんだ」
ほら、と自分が食べ終わってきれいに芯だけになったリンゴを見せ、ついでに口の中に残っていた種を一粒、ぷいと地面に吐き出す。
「………」
ベジータも見よう見まねで芯を残してぐるりと果肉を食べ終わり、最後に種をぷいと地面に吐き出した。
「ははっ、種までマネしなくていいんだって」カカロットがおかしそうに笑う。


リンゴの芯を草むらに放り投げ、喉の渇きもすっかり治まったところで、ほうと一つ深い息を吐き出した。
「なあベジータ、美味かったか?」
「ふん、まあな」
行儀悪く(無意識に)指に垂れたリンゴの汁まで嘗めながら、ベジータが鼻を鳴らした。
「おめえ、リンゴ食ってる時すっげー嬉しそうな顔してたな。そんなにリンゴ美味かったか?」
カカロットの満足げな言葉にベジータが目を見開いた。嬉しそう?この俺が?どんな顔だそれは?いつも真白なはずの頬をばら色に染め、目を大きく瞬かせる。あまりに驚いたので、咄嗟にカカロットへの返答の言葉を無くしてしまった。
「おめえ笑ってる方がカワイイぞ」「…………」



自分のささやかな贈り物がことのほか相手に喜ばれて(危ない橋は渡ったが)、カカロットは上機嫌だ(ついでに相手に多大な迷惑を掛けたわけだが)。
リンゴを食べたときのベジータの嬉しそうな表情、ただし日頃から表情の変化が乏しい彼の事なので、微笑したわけでも、まして大笑いをしたわけでもない。それでもカカロットには分かったのだ。鼻をクンクン鳴らしつつリンゴの匂いを嗅いでいた時のベジータは、いつも力をいれて引き絞られているはずの額の力が緩んでいたし、リンゴに齧りついていた時の彼は、ふっくらした頬に赤みをさして、いつも引き結ばれている小さな唇がほころんでいた。表情の変化が乏しいベジータにとって、あれが最上級の喜びの表情なのだ。
カカロットの性格は良く言えばおおらか、悪く言えば場の空気が読めないというやつで、相手の心境の変化に気付かない事が多い。神経質なベジータはいつもそれでいらつくのだと言うが、実は彼は相手の表情の変化を読むことに関してはとても聡いのだ。


上機嫌ついでにカカロットはしっぽで器用に小枝を拾い上げ、それをぶらぶら振って遊び始めた。
サイヤ人は皆、民族の特徴として尾てい部から生える茶色い長い尾をもっていて、もちろんカカロットにもベジータにもそれがあるが、その有り様はいかにも対照的だ。カカロットはいつも尾を勝手気ままにぶらつかせているが、ベジータはそれを腰に帯状にきっちりと巻き留めている。
「なあ」
カカロットは思った疑問を素直に口にする。
「ベジータはなんでいっつもしっぽを腹に巻いてるんだ?」
「なぜだと?当然だ。サイヤ人の弱点を曝け出す事を避けるためと、礼儀作法のためだ。なんだ、貴様のそのだらしない尾は」
「『作法』なんてオラ良くしらねーけどよ、いっつもそんなところに巻いてて疲れねえの?手だって足だってしっぽだって、思いっきり動かした方が気持ち良いぞ?ベジータはそうしたくねえんか?」
「………フン、別に」
作法も慣習もカカロットには無縁のものだ。ベジータは顔を背けながら、面白くなさそうに鼻を鳴らした。


カカロットが無作為に振り回して遊んでいた小枝の振れ幅が、次第に一定となり、何かのリズムを刻み始める。それで拍子をとりながら、彼はいかにも機嫌良さそうに鼻歌を歌い始めた。子供がよく歌う素朴な囃子歌だ。やや調子っぱずれに歌われるそれは、始めは旋律のみだったが、カカロットの気分の高揚に合わせて次第にはっきりと歌詞を結び始めた。単純な音階に、独特の韻を踏んだ歌詞、不思議と耳に良く残る。ベジータは少しの間黙ってそれを聞いていた。
「…………」


王宮では、とびきり美声の異星人が雇われていて、宴ともなれば客をもてなすために、あらゆる星の名曲名歌が歌い上げられる。大人達の輪の中心で、ベジータはいつもそれをむっつりと黙って聞いていた。曲が一つ終わるたびに大人達はそれでやんやの拍手喝采を送るが、彼はなぜそんな『下らん趣向』に皆が喜ぶのかさっぱり分からない。歌など戦闘に一切役立たないではないか、なぜそんなものに皆、喜んだりはしゃいだり、時には涙すら流すのか。大人というものは皆馬鹿なのか。
しかし不思議な事に、王宮歌人の歌う名旋律に少しも感動しなかったベジータが、カカロットの調子はずれの童謡に対しては素直に聞き入っていた。両手で抱えた膝に顎を乗せて、目を閉じる。典雅な異星の言葉など一切出てこない、子供でも容易に発音できる言葉ばかりを繋いだ、戦にまつわる数え歌だ。耳に残る単純なリズムが心地よい。
一聞すると何の意味ももたないようなその歌は、しかしよく聞けば民族の長い闘争の歴史を暗喩するかのような言葉が随所に出てくる。戦いに赴く益荒男の、興奮、恐怖、陶酔、高揚、絶叫。使い捨ての下級戦士の口頭伝承、決して文字になる事の無い歴史。思わず彼もつられて指で拍子を取りそうになった矢先、
「あっ、とと」
唐突に歌が止んだ。調子に乗って振り回しすぎたため、カカロットのしっぽから小枝がすぽっと抜けて飛んでいってしまった。ベジータは不意に我に帰ったように目を瞬いた。



放物線を描いて小枝がぽとりと草叢に落ちるのを見送って、興味を失ったかのようにカカロットが向き直る。
「なあなあベジータ、そういえば」
彼が口を開き掛けたその時、唐突にベジータの腰につけられた道具入れから、けたたましい電子音が鳴り響いた。
「うわわっ!!な、何だ?!」「…………ちっ」
ピーピーと喧しい音の正体は、時限を示すアラームだ。ベジータは舌打ちをした。もう戻らなければ。『時間が来るまで何があっても部屋に入るな、俺様の勉強の邪魔をしやがったらぶっ殺してやるからな』、護衛にはきつく言っておいたが、これ以上帰りが遅れれば城で騒動が起こるのは間違いない。

服についた砂や草を払い落としながらベジータは立ち上がった。
「ーーカカロット。俺はもう帰らせてもらう」
「へ?あ、そうかもうそんな時間か」
ベジータにつられるようにカカロットも立ち上がる。
「何だ、今日は全然遊べなかったなー」
「……その替わり、コソ泥呼ばわりされたり追いかけまわされたり、こんなところまで来させられたり、随分な目にあわせてもらったがな」
「そうかベジータ、そういえばここどこだ?」
いいながらカカロットは、周辺のうっそうとした森の風景を見回した。
「オラ、こっからじゃどっちが自分ちか分かんねーよ」
「ふん、情けない奴め。とりあえず森の上空に出て、周りを見通してみるんだな。それから貴様は太陽の方向に向かって真っ直ぐ飛べ、貴様の居住区につくはずだ。俺はその逆だ」
「そっか、サンキュー、ベジータ」「……フン」
相変わらずの笑顔で礼を言われて、ベジータが仏頂面でそっぽを向く。



…………?
そこまでで、ふと妙な違和感に気がついた。
「ん?なんだベジータ、どうかしたんか?」
一旦顔を背けたベジータが、目を見開いてこちらに向き直ったので、カカロットもまっすぐベジータを見つめ返す。
「なんだ、ベジータ変な顔して。オラの顔に何かついてっか?」
「誰が変な顔だ!」
憤慨しながら、ベジータは違和感の正体について確信した。
こいつ、また背が伸びてやがる!


初めてカカロットと出会ったとき、その身長はベジータの胸までしかなく、座ればカカロットのつむじが見えていたのだ。まず始めにそれが見えなくなり、次にカカロットがベジータを見上げる仕草をあまりしなくなった。そして今やベジータを正面から見つめるカカロットの目線はほとんど同じ高さだ。会うたびどんどん背が伸びているカカロットに対して、ベジータはほんの少ししか成長していない。
ーーくそっ!!俺だってすぐそのうちに……!!
父王は立派な体躯の偉丈夫だ、自分の周りにいるエリート戦士達も皆優れた体格を持っている。自分だってすぐそのうちに、戦闘民族らしい力強い体つきになるはずだ!!



「何だあ?ベジータ、急に怒り出したりしてよ。まあでもおめえはいつもの事かぁ」
「いちいち一言多い野郎だぜ貴様は!!」
じゃあな!と若干声を荒げながらベジータは飛び去ろうとしたところ、いきなり強い力でカカロットに左の手首を掴まれた。勢いをつけて飛ぼうとしていたところだったので、ベジータが大きく体勢を崩しそうになる。
「何だ、貴様まだ何か俺に用か?!」
「なあなあベジータ、教えてくれよ。オラ、さっきも聞こうとしたんだけどよ、おめえのケツについてるピーピー鳴るやつに邪魔されちまったからな」
「だから何をだ!!」
またこいつのくだらん質問か、さっさと答えて帰ってやる!!
突然不機嫌になったベジータをまっすぐ正面から見据えながら、白い手袋のはまった彼の手をしっかりと握りしめ、カカロットは質問を口にした。
「次はいつ遊べるんだ?」
さっさと飛び去ろうと宙に浮かびあがっていたベジータのつま先が、再び地面に付いた。




二人は「秘密の出会い」を繰り返すたび、成長していった。ゆっくりと、少しずつ。