宣誓3

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宣誓 I'll swear royalty and love to him.

3.


ベジータは城の中をこそこそ人目を憚って歩いたりはしない。堂々と、ゆっくりと歩く。たとえ今から大人たちに黙って城を抜け出そうとしているとしても、だ。その方が却って怪しまれない。いつも自分の前や後ろにぴったりと付いて回る護衛兵たちは、勉学の邪魔だと室外に追い出し、今はもぬけの殻になっているベジータの自室を護衛しているはずだ。


この城は現在の主であるサイヤ人の手に渡るずっと前から使われ、増築と改築を繰り返しているため、非常に複雑な構造をしている。どこまでも昇って行きそうなエレベーターが突然途中で終わっているかと思えばそこから先は実は跳ね上げ式の階段になっていたり、周りの壁と見分けがつかないほど巧妙に彩色された隠し部屋があったりもする。ベジータが使うのはそんな数多くの仕掛けの一つ、城の回廊から城下へと通じる秘密の抜け道だ。子供の低い目線でしか見いだせないそれは、おそらく城の大人たちは誰もその存在を知らないだろう。何食わぬ顔で壁に手を添えると、壁材の隙間から外気が吹き込んでくるのを頬に感じた。


サイヤ人は戦闘民族だ。王族といえど城の中で安寧の日々を過ごして肉を太らせたりはしない。有事ともなれば自ら戦地に赴き、勇猛な戦いに明け暮れる。そんな彼らだから、あるいはベジータが城下に出たいと一言いえば、堂々と外出する事も可能かもしれない。ただその場合、不穏分子から王子を守るための護衛と従者に何重にも囲まれた、くだくだしくのろくさい道行きになるだけの話だ。そんな事を思ううちに、前髪が落ちかかるベジータの幼い額に力がこもり、小さな唇がぎゅっと引き結ばれる。
白く滑らかな肌にふっくらあどけない頬、本来人形のように愛くるしい容姿を持っているのに、ベジータはいつも子供らしからぬしかめつらしい顔しかした事が無い。この城の中で、ベジータはこれまでただの一度でも楽しく笑った事など無いのだ。






「おーい、ベジータぁ!」
カカロットが手を振っている。驚くべき距離から目ざとくその姿を見つけ出して、嬉しそうにぴょんぴょん飛び跳ねながら両手を大きく振ってみせている。ベジータは手を振り返す事はしないかわりに、ゆっくりとした歩調がいつの間にか小走りに変わっていた。
今日は大規模な遠征隊が任務から戻ったらしい。帰還兵と思しき男たちで、下級戦士の居住区はごった返している。疲れた顔の者、晴れやかな顔の者、これから安酒をひっかけに行く者、目当ての女の元へ急ぐ者。夕暮れ時の街にあふれる彼らの表情は様々だ。


あの日以来、カカロットとベジータは大人たちの目を盗んでは、「秘密の出会い」を繰り返すようになっていった。ベジータは彼に対する周りの警護の目が厳しく、中々まとまった時間で城を抜け出すのは難しかったが、それでも警備のやや薄い、大会議の無い日の昼下がり、あるいは姿を見とがめられにくい夕暮れ時のわずかな時間を狙って、天性の身のこなしと素早さをもって大人たちの目を掻い潜り、ひそかに城を抜け出してはカカロットのもとへと急ぐのだ。
ベジータが来るとき、始めは大勢で遊ぼうと誘っていたカカロットは、なぜかこの頃、ベジータと二人きりで会うようになってきた。



「良かったぁ、来るの遅えから、オラてっきりおめえが道に迷ってるのかと思って心配したぞ!」
「俺が道になんか迷うか。貴様といっしょにするな」
出会うなりベジータの体に飛びついてきたカカロットは、その腕をしっかり捕まえたまま離さない。満面の笑みが浮かんだ顔は健康的に日焼けして、頬にも鼻先にも泥がついている。ベジータは悪態をついてぷい、とそっぽを向きながらも、カカロットの手を振りほどこうとはしなかった。
「オラもよく道にまようからな~、ベジータ、気にすんな」
「だから俺は道になんかまよってねえと…!」
癇癪をおこしかけたベジータの鼻先に、ずいと赤い丸いものが押し付けられた。
「……なんだこれは」
「ベジータも食うだろ?オラ、ちゃんとおめえの分もとってきたぞ」
丸い物をベジータに手渡しながら、カカロットが得意そうに笑う。


それはベジータが見たことも無いシロモノだった。赤くつるつるした球状の物体で、両手で包めるほどの大きさだ。球体の頂点と底辺がくぼんでいて、枝のようなものが付いている。鼻先に近づけられた時のさわやかな芳香にはなんだか覚えがあるが、その形状は見たことが無い。
「ん?何っておめえ、リンゴに決まってるだろ?」
「……リンゴ?これがそうなのか?」
ベジータは別にリンゴを知らない訳ではない。ただ、彼の知っている形状とは随分違っているだけだ。彼の知っている『林檎』とは丁寧に皮が剥かれ芯は取り除かれ、食べやすいように櫛形に切られていたり、甘く煮られたりしながら美しく皿に飾り盛られているものだ。こんな赤くて丸い物体ではない。


ベジータが戸惑っていると、突然今度はカカロットが強くベジータの腕を引いて全力で走り始めた。咄嗟にベジータも「リンゴ」を落としそうになるのを握り直しながら、カカロットに腕を引かれるまま走り始める。
「!おい、カカロット、今度は何…」
「やっべえベジータ、見つかっちまった!!逃げろーっ!!」
「見つかったって何の事、」
状況のさっぱり分からないベジータが疑問を口にし終える前に、背後から罵声が飛んできた。何事かと走りながら振り返ってぎょっとする。髭もじゃで太り肉の大男が、怒りの形相で喚き散らしながらこちらに向かって突進してくるではないか。
「このコソ泥のクソガキどもが!!この俺から盗みを働くとは良い度胸だ!!とっ捕まえて憲兵に突き出してやるからな、覚悟しやがれ!!」


「うわわわわっ!!ベジータ、やべえぞ逃げろ逃げろ逃げろーっ!!」
「おいカカロット、一体どういう事だ、何で逃げるんだ!!」
「だから言ったじゃねえか、おめえの分も『取って』きたって」
「!!!きっ貴様これを盗んだのか?!!」
カカロットの言葉にベジータが驚愕する。異星人を侵略する際の略奪はサイヤ人の間では常識だが、その代わりサイヤ人同士での物資の奪い合いはご法度とされている。特に同じ階級の者からの盗難は厳重な処罰の対象だ。しかも追いかけてくる男の頭から湯気を出さんばかりな怒り様からして、子供だろうと容赦する気はまったく無いらしい。


下級戦士の中では己の腕力一つで食い扶持をすべて賄えるほど実入りが良くはなく、有事で召集かかかるのを待つ間、収入を得るために「副業」を行う者がいる。カカロットがリンゴを拝借したのはその「副業」の栽培地からだ。もちろん気持ちは少しばかりとがめたが、持ち主の男が大して強くもないくせに更に弱い者を捕まえては威張り散らす、いけすかない奴であるのを知っていた事と、何よりガラス張りの建屋の中、どっさり実をつけていたリンゴがあまりに見事で、どうしてもベジータに食べさせてあげたくて、ついいたずら心を出してしまった。


「待てぇぃっ!止まりやがれこのクソガキども!!!」
「止まれるかよってんだー!!」
カカロットはベジータの手を引きながら、夕暮れの雑踏の中や、狭い路地裏を駆け抜ける。振り向きざまに大男に向かってべえっと舌を出すのも忘れない。
「くそったれ!!何で俺様まで逃げなければならんのだ!!」
リンゴ泥棒など全く身に覚えの無いベジータにとっては、とんだとばっちりだ。第一あんな男、ベジータにとって一撃で倒す事など造作も無いが、ここで騒ぎを起こすのは非常にまずい。カカロットに手を引かれて走るベジータが振り返ると、大男が猛スピードでこちらに突進しながらこぶしを固めた右手を引くのが見えた。
「おいカカロット、人気の無いところへは逃げるな、人ごみの中を逃げろ、気弾なんか打たれたら面倒だぞ!」
「んな事言ったってよベジータ、人がいっぱいで通り抜けられねえよ!!」
確かにカカロットの言う通り、表通りは人であふれかえっている。子供が通り抜けようともがいている間に捕まってしまうに違いない。


「ちぃっ!!まったく世話の焼ける野郎だぜ貴様は!!」「おわっ?!」
ベジータがカカロットの襟首をむんずと掴み、力いっぱい地面を蹴りつけた。たちまちベジータの体が手にカカロットをぶら下げたまま、弾丸よりも早く空に舞い上がる。その速さ、全力疾走からの体勢の切り替えの上手さ、到底下級戦士に真似できるものではない。切り裂かれた空気が気圧の変化を起こして暴風となり、何人かの大人がつんのめった。『な、何だ一体?!』尻もちをついた彼らが目を白黒させている。
「このクソガキどもがーーっ!!今度会ったらただじゃおかねえからな、覚悟しとけーーーっ!!」
くだんの大男が顔を真っ赤にしながら地団駄を踏む頃には、ベジータとカカロットの姿は遥か空の彼方の点とすら見えなくなっていた。


カカロットの耳や頬を、びゅうびゅうと恐ろしい勢いで風が擦っていく。こんな速さで彼は飛んだ事が無い。
「ひゃーっすっげー!!ベジータ、すっげー速ぇぞおーーーっ!!」
「このくそったれ、のんきに騒いでんじゃねえっ!!」
見たことも無い速度で、遥か遠い足元の景色が後ろへ流れていく。相変わらず襟首を掴まれているので鼻まで襟に埋まりながら、カカロットがおおはしゃぎしている。ベジータに怒鳴られてもお構いなしだ。
こんな奴どっかに捨ててくれば良かったぜ!!心の中で悪態をつきながら、それでもベジータはカカロットを牽引したまま全力で飛び続けた。