宣誓18

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宣誓 I'll swear royalty and love to him.

18.




三たび、世界は変化した。
目もくらむばかりに天を覆って輝いていた星々が霧散し、代わりに遥か高みでもつれ合い絡み合う緑の枝が空を覆った。枝の隙間を縫って落ちる光の帯は金色というよりはやや赤みを帯びていて、日没が近い事を告げている。真昼よりも輝いていた世界は突然に夕暮れ時の森になった。同時に、自分を包んでいた熱い腕も体も消え失せた。……何だ?何が起こった?高い空から唐突に突き落とされたような感覚に、暫し呆然とする。


「ああ、すっかり遅くなっちまったな」
聞きなれた声よりもやや甲高い声に話しかけられて顔をあげると、目の前にはカカロットが立っていた。その姿を目にした途端また呆然とする。
燃え盛る金色をしていた蓬髪は、サイヤ人にとってありふれた黒いものに戻っている。神々しいまでの威厳を纏った見事な体躯は、すっかり小さくなって出合ったころと同じく自分の胸までの背丈しかなくなっている。史上最強を誇っていた存在は消え失せ、代わりに目の前に立つカカロットは、出会った頃の子供の姿に戻っていた。
……何だ?一体何が起こったんだ、どうして奴は急にガキになった?いや……それよりもこの夢は一体何なんだ?オレの頭はどうかしちまったのか??
先ほどまで感じていた多幸感と興奮が嘘のように冷えて、混乱が訪れる。感情が激しく変化する状況については行けず、ただ呆然と自分の震える両手を目の前に持ちあげてみると、その手はカカロットの変貌と同じく、幼い子供の頃の手になっていた。白い手袋をはめた子供の頃の自分の手だ。
真っ赤な夕日が沈んでいく。ここは惑星ベジータか?それとも『地球』か??それとも―――いや、でも今はそんな事どうだって良い!!


「じゃあな、ベジータ」
会えたらまた。カカロットは一度振り返ってこちらに向かって手を振った後、大地を踏み切り、赤い光の漏れ射す空へ舞い上がる。
「おい、カカロット!」
何かを叫ぼうとすれば、カカロットはもう一度振り返って唇に指を当て、片目をつぶって「ナイショだ」と秘め事の仕草をする。その身に纏っているのは『地球』の民族衣装だ。それが最後だった。もう何を叫んでもカカロットは振り返りはしなかった。夕日の沈む方に向かって飛び去っていく。多くの友人の待つ彼の居住区へ。
夕日とともにその姿が小さくなっていく。太陽が沈む。夜が訪れる。幸福な子供時代の終わりとともに。カカロットが帰っていく、下級戦士の居住区へ。―――いや、違う。もっと違う遠い世界へ。すぐさま直感した。このままではもう二度とこいつには会えないのだと。
「おい待て、カカロット、行くな!」
焦燥に駆られ声を限りに叫んでも、もうカカロットは振り返ってはくれなかった。
「行くな、カカロット!いやだ、行くな!」
よろめく足を叱咤して踏み出しながら、声を限りに叫ぶ。
『オレを一人にするな…!』
更にもう一歩踏み出そうと足を前に出す。しかしその足は大地を踏まなかった。


崩落。唐突に世界は暗転し、足元が崩壊した。何かに取りすがる間もなくそのまま奈落に吸い込まれていく。
「―――――っ!!!」
声を上げる間も無かった。どこまでも続く無のトンネルに沈んでいく。制動を掛けても止まらない。飛び上がろうと必死にあがいても、体が動かない。飛ぶことができない。胸の中が重くて堪らなくて、飛ぶことが出来ない。天を覆うほど大きかった赤い太陽が、急速に遠のいていく。それはあっという間に小さくなり、ボールほどになり、握りこぶしほどになり、指先ほどになって、ついには小さな点となりーーー。
それでも太陽をつかもうと必死に手を伸ばした。底なしの闇にどこまでも落ちていきながら、太陽をつかもうと必死になって足掻いた。自由落下で落ちる速さが増していく。苦しい。あまりの風圧で息もできない。肺が潰れそうだ。それでも必死に伸ばした腕の先には針穴ほどの太陽が見えて、消えた。
「カカロット……」
苦しい、体がばらばらに砕けそうだ。このまま闇の中をどこまでも落ちていき、途方もない速さの風に吹かれて体は砕け、塵になって宇宙を漂い、それでもオレはお前を……
「カカロット、オレを一人にするな………!!!」


―――ベジータ!!!
耳元で誰かが怒鳴っている。誰よりも聞きたかった声がする。今度は眩惑などではない。自分には分かる。間違い無い、本物のカカロットの声だ!ねじくれた陥穽をどこまでも落ちていきながら、あまりの懐かしさに思わず涙ぐみそうになる。
―――ベジータ、手を掴め!!!
遥か遠く針穴のように小さかった太陽が手を伸ばしてくる。こちらに手を差し伸べてくる。太陽そのものの、まぶしい姿。気がつくと指と指が触れ、僅かな感触に縋ろうと夢中でその手を掴んだ。
「カカロット!」
今が最後と喉が切れるばかりに叫べば、強い力が自分を引き上げる。
―――ベジータ……
煌めき、飛び交う光の渦に巻き込まれる。強い腕に抱きすくめられる。その感触がもっと欲しくて、もう二度とはなれる事の無いようにと広い暖かい胸に必死で縋り付く。体が溶け合い彼我の区別は失せ、足りなかったものが埋められていく。
「カカロット……」
ここはこの世のどこよりも安心できる場所。得がたい存在。お前はオレにとって唯一の同族、最後の同胞。その胸に顔を押し付けて……それから大声を上げて泣いた。声の大きさに我ながら驚く。現実ではありえない事だが、所詮これは唯の夢だ。自分の夢の中で自分がどうふるまおうと構うものか。それよりも自分が今一番やりたかった事を今すぐしなければ。相手の胸にしがみついて、その衣服が濡れるのも構わずに頑是ない子供のように大声を上げて泣きじゃくれば、強い腕にあやすように背をさすられた。離れがたい何よりも求めて止まない存在。顔を押し付けたその胸からは、夜の森のにおい、それからひなたのにおいがした。
カカロット、お前に会いたい。オレはもう一度キサマと……
















意識が浮上して最初に見えたのは白一面の眩しい世界だった。頭がくらくらする。ぼうっと霞んだ世界。光に馴染まず目が眩んで、思わず再び目を閉じると瞼の裏に幾千億の星の残光が見えた。
「……………」
長い眠りから覚めるとそこは白一面の眩しい世界で、色つきの影が何人か自分の上にかがみ込んでいるのを知った。
―――ベジータ兄さん!
―――おお、目を覚まされたぞ!!!
―――誰か、今すぐ医師を呼べ!!


光の強さにひどい頭痛を感じて再び気を失いそうになるのを、強く握られた手の感触に引きとめられる。
……カカロット……?
「兄さん、兄さん!しっかりしてください!」
……ああ、なんだ……ターブル、キサマか……
「……何だ……何が一体どうなった……?」
洩らした自分の声は、自分でも驚くほどに擦れていた。まるで口をきく事を何年も忘れていたかのようだ。長い、本当に長い夢をみていたような気がする。それから(多分)今日起こった事を思い起こす。確か自分は憂さ晴らしをしようとナッパと手合わせをしていたはずだ。けれど奴がつまらん事を言うものだから思わぬ失態を起してしまい、それから……それから?何だ?思い出せない。ただ断片的に覚えているのは……瞬く星……自分を呼ぶ声……誰かを追い求める自分……自分を抱き締める強い腕……
「おおおっ良かった、王子様、気がつかれたのですね?!」
感極まったような声を上げながら、医師団長が涙を流さんばかりに感激した声で駆け寄ってくる。事実、彼にとってこれほど喜ばしい事は無かった。もしこのまま第一王子が目を覚まさない事があったら、或いは彼の命も無かったかもしれないのだから。
「良かった、意識が戻られたのですね。どこか痛みますか?吐き気はありませんか?」
寝台から身を起そうとする王子を押しとどめながら、医者がいくつかの質問をする。脈をとり、まぶたをめくってみながら、最後に飲み物を勧めてくる。
「どうぞお飲みください。むせないようにゆっくりと、ですよ」
飲み物を湛えた器を唇に押し付けられてベジータは唸ったが、口の中に滑り込んできた液体が思いがけず甘く優しい味がしたので、大人しくそれを啜った。この味は…ああ、そうだ、リンゴの味……それにしてもなぜ自分の寝室にこいつらがウロウロしているんだ?
これが日ごろの彼ならたちまち激怒して室内にいる全員を部屋ごと吹き飛ばしかねなかっただろう。けれど今はもっと大きな疑問に気を取られていたので、そんな事はどうでも良く思われた。
自分が見ていた長い長い夢。自分を抱く腕。自分を呼ぶ声。あれは……そう思った時、頭の中に直接語りかける声がはっきりと聞こえた。
―――良かった、目が覚めたんだな―――
「……!お、おい、キサマ……!!」


空になった器を放り投げ、驚く周囲をよそに勢いよく掛け物をはねのけてベッドから飛び起きる。間違えようもない、この声は、夢でずっと聞いていた声だ。間違いない、アイツの声だ―――
「王子?!」「ベジータ様、まだ起きてはなりません!!」
―――良かったな、ベジータ
慌てふためく侍従や医療スタッフの胸を突き飛ばし、よろめきながら外と繋がる部屋の窓を目指す。間違い無い、アイツの声だ。まっすぐ歩こうとするが上手くいかない。頭がぼうっと痺れたようで、目の焦点も定まらない。胸がどきどきと激しく高鳴り、体が熱い。おそらく飲まされたもののせいだろう。酒に酔った者のように左右に大きく蛇行しながら、それでも必死で前に進み、窓に手を掛け、鎧戸を跳ね上げて窓を大きく開け放った。
ここは小高い丘の上に建つ王宮、中でも王太子の寝室は高い位置に据えられ窓からは遥か城下が一望できた。ここ数日振り続けていた雨が小止みになり、雲の切れ目から金色の薄日が射し始めている。疎らになった雨足は、連日の嵐が嘘のように淡い軌道を描きながら、遥か地面へ落ちていく。窓の外にあつらえられたバルコニーは建物の割りに狭く、排水の追いつかなかった水たまりがいくつか残っており、王子はその上を素足で踏みながら遥か下の足元、王宮の裏庭を見下ろした。そして、今最も目にしたくて、目にする事が叶わないものを見出した。


―――目が覚めたんだな。
雨が落ちていく遥か先、テラスに身を乗り出す王子を、カカロットが見上げていた。異星の植物が種々植えられた庭先、丁重に剪定された植え込みの間からカカロットがベジータを物言いたげにじっと見上げている。その髪を雨が濡らし、頬を雨粒が滑っていく。笑っているのか泣いているのか良く分からない表情だが、遥か距離を隔てているはすのベジータの目に何故かくっきりと良く見えた。
「お、おい!キサマどうしてここへ―――!!」
困惑しながらベジータが声を上げる。まさか、どうしてカカロットがこんな場所に?!馬鹿な、そんなはずは無い、城の警備は厳重だ、一介の下級戦士がおいそれと忍び込めるような場所では無い。それに今惑星ベジータの下級戦士はほとんど出征中のはずだ、偶然奴は対象を外れたということか?―――いや、そして何よりも。奴は『王宮』の『王太子の間』真下に居る。どうやって入った?どうしてここが分かった?……広大な王宮の中で、どうして王太子の間の下にいる?……もしかして、あいつは何もかも知って……
頭がくらくらする。ぼうっとして何も考えられなくなってくる。舌が上手く回らなくなってくる。
「カカロ…ット……」


目を覚ました途端、窓に駆け寄って足が濡れるのも構わずバルコニーに飛び出した王子を見て、周囲は再び慌てふためいた。あまりにも長く眠っていたため、脳に損傷でも起して奇行に出たのと思ったのだ。侍従達があわてて王子に駆け寄ってくる。
「いかがされました王子!」「ベジータ様!」「王子、お気を確かに!」
「……な、何でも無い……」
一瞬背後に気をとられたベジータが、もつれる舌で何とかそれだけを答え、再び視線を足元に戻すと、また新たな眩暈に襲われた。
―――先ほどまでカカロットが立っていた場所には、もう誰もいなかった。その上芝を踏んで立ち去った形跡も、空を飛び去った痕跡も、何一つ残っていなかった。
…何だ今のは。夢だったのか?オレはまだ夢を見ているのか?あいつはどうしてここに…
「兄さん、まだ無理をしてはだめですよ!ほら、しっかり……」
よろよろと崩れる体を弟に抱きとめられながら、この星の王子はまた気を失いそうになっていた。








「うわぁっ?!」
大気も凍る寒冷な系外惑星の極地帯、窓の外は相変わらずの猛吹雪だ。時計と荒れ狂う外の景色を交互に眺めていた友人が、突然素っ頓狂な声を上げた。偶然にも手の中でもてあそんでいたスカウターが、唐突に背後のカカロットの存在を示したのだ。
「悪ぃ悪ぃ、脅かしちまったか?」
勢いよく振り返るとそこには、カカロットがいつもと同じへらへらした笑顔で立っていた。
「お、脅かすなよお前!!いきなり後ろにたつなよな?!」
「何だそれくらい、そんなに驚くなよ」
どちらかというと臆病な部類に入る友人の顔を見ながら、カカロットが両手を腰に当てて呑気な顔で答える。
「い、いきなり後ろに立たれたら誰だって驚くだろ!第一、お、お前今まで一体どこへ行ってたんだ?」
「ああ、ちょっとションベンだ」
「何言ってるんだ、お前さっきトイレと逆の方へ出てったよな?!けれど今度は反対方向から出てきたぞ?!何なんだ一体?!」
「…えーと、そうだっけな…?」
青ざめた友人が、早口にまくし立てる質問にのらりくらりと答えながら、カカロットは、再び三重窓の傍に腰掛けた。窓枠に肘をついて外を眺め始めるその顔は、なぜかうっすらと微笑んでいる。相変わらず外は視界ゼロの猛吹雪だ。けれど窓の外を凝視するカカロットには何かが見えている様子だった。
「な、何なんだよ一体……」
目の前のカカロットをこれまでと変わらず頼もしく、そして少しばかり背筋が寒くなるような思いで友人は見つめた。見えざるものを見据えて薄く笑うその表情にすっかり気を取られている友人は、しかしある意味幸運だったと言えるかもしれない。カカロットの靴の裏についたもの、もしこれを目にしたら、友人は惑星ベジータへ帰還早々に自分の頭が正常かどうか、調べてもらうために医者に飛び込んでいたに違いない。


カカロットの靴の裏には、緑の芝が付いていた。雪と氷に覆われたこの星に存在するはずのない、惑星ベジータ固有の植物。あと数百年日の昇らない寒冷な惑星の景色を眺めながら、なぜかカカロットの靴には今しがた踏みしめたばかりの緑が痕跡として残っていた。
「………………」
外は視界ゼロの猛吹雪、けれどうっとりと薄く笑うカカロットの目には何かが見えている様子だった。