宣誓16

sign.jpg

宣誓 I'll swear royalty and love to him.

16.




全てを吹き飛ばす暴風と氷のつぶてで、視界は完全にゼロの状態になっていた。目の前に広がるのは氷に覆われた白い眺望、寒々とした景観、吹き付ける局地風、地吹雪。先ほどまでは岩の斜面上空を飛び去る暗雲が見えていたが、今ではそれも白い闇に阻まれて見えない。
「―――まったく、ひでえ天気だよなあ」
まあ、こんな場所まで来て『ひでえ天気』も無いけどな。雪と氷に覆われた系外惑星の極地近く、ようやく見つけだした岩盤質の洞窟内に簡易ハウスを立て、吹き荒れるブリザードから一時退避する。窓の外を見ていた友人が、全くひどい場所に来たものだとぼやいた。


「超希少鉱石だか何だか知らないけどよ、何もこんな星から掘り出さなくても良さそうだよなぁ」
「…うーん…」
「さっさとお偉い学者さん達に場所を譲って、俺たちは早く帰らせてもらいたいもんだぜ、なあ」
小柄な友人は頭の後ろで手を組んで椅子の背もたれにもたれかかり、カカロットは三重窓の枠に肘を付いて気の無い返事をする。天然資源を多く有する星は、たとえ居住に向かなくても高値で売れる。今回彼らが派遣された先もそんな星の一つだった。言い渡されたのは原生生物の掃討。近頃みるみる頭角を現してきたカカロットと、その巻き添えを食らう形で友人がこの攻略難易度Aクラスの星に派遣されてきた。
目に写るのは凍てついた景色、大気も凍る光景。黎明のような暗さの中、本当にこの星に太陽……最も近い恒星……が地平線から昇り切るには、惑星ベジータの暦であと233年かかるはずだ。心楽しくなるような物は何一つ見えない。後発の地質調査隊が到着するまであと(惑星ベジータの暦で)数日、それまでせいぜい住み良い環境を整えておいて彼らに引き継いでやる事くらいしか後はやる事が無さそうだった。


「そういえばお前さ、何でも母星でバイト始めたんだってな?」
「…んー…」
友人の問いかけに、カカロットからは気の無い返事が返ってくる。
「何だっけ、食品工場の手伝いだったか?戦闘の収入だけじゃ足らないって事だよな、そんなに食い物にでも困ってたのか?」
「…んー…」
「あ、ひょっとしてお前、例の『彼女』にプレゼントの一つも買ってやろうって魂胆か?」
「…んー…」
「…ったく、しょうがねえなあ。まるで心ここにあらずって感じだな」
この星で果たすべき使命は果たし、後はお迎えの宇宙船を待つのみだ。ろくな気散じも無い狭い居住スペースで、じっと息を殺している他ない。この星の大気は呼吸に向かないから外出もままならない。いや、そもそも大気そのものが凍りつくような寒冷惑星だから、特殊スーツを纏っていなければ外に出たが最後、たちまち細胞単位で凍りついてしまう事は間違い無い。


そんな死と隣り合わせの退屈の中、唯一の話し相手であるカカロットは、先ほどから話しかけても気の無い返事しかしない。友人は諦めたようにため息をついた。しかし彼はカカロットに対して感謝こそすれ、腹を立てる気は全く無かった。カカロットがいなければ彼の首は今頃胴から引き抜かれて、のたうつチューブの塊のような奇怪な原生生物や、毛むくじゃらの化物の消火液にゆっくりと溶かされていたはずだ。何度も生命の危機から救ってくれたカカロットを心底頼もしく思いながら、友人が再びカカロットの方を見上げた。するとその目が不思議そうに見開かれる。カカロットの目が、窓の外に明らかに焦点を合わせている。白い一面の闇の中、明らかに何かが見えている様子だった。
「……おい、外に何かいるのか?」「………」
「ひょっとして、敵襲か何か…」「………」


友人が不安そうに声をかけても、カカロットは答えない。その目は窓の外の景色の更にずっと向こう、ただ一点をひたすらに見据えている。友人はこの頃のカカロットの変異に気が付いていた。カカロットの目はスカウターなど無くても遥か遠くの小動物の動きを捉え、耳は暗闇でも誰の呼吸か聞き分けられるほど鋭敏になっている事に気がついていた。そのカカロットが、見えざる者を見据えながら、何事かを低く呟いている。
「………ベジータ………」
「は?何だって?」
何を言ったかと友人が聞き返す前に、カカロットは立ち上がった。
「悪りぃ、オラちょっと……へ行ってくる……・」
「は?どこへ行くって?」
「………………」
友人が声をかけても、もうそれ以上カカロットは何も答えない。
「おい、どこ行くんだ?トイレはあっちだぞ?」
「………………」
カカロットは何も答えないまま、部屋の奥へ消えた。








惑星ベジータの赤道よりもやや緯度の高い位置にある王宮。そこに住まう王子の居室に、多くの人物が忙しなく出入りする。城の重臣や長老、身分の高い戦士達、さらに王子に最も近しい血族。それに交じって医療技術者や補助スタッフも。
『どうだ、王子はお目ざめになったか』
『いえ、それが相変わらず…』
『まったく貴様らは何のために雇われているのだ!このままではフリーザ様に申し開きが出来ぬ、さっさとベジータ様に目覚めていただかねば…
ー――王子?ベジータ?
ー――誰だそれは?



ー――ああ、そうだ、オレの事だったな……




眩惑されてはいるがこれが夢なのだという認識はあった。暗い夜空を一人飛ぶ。ここは森へ向かう空、夜の散歩道。頭上を巡る幾千の星。
生れ落ちる星、死にゆく星。超新星爆発。光速の10倍近い速さで広がる激しい衝撃波を、無限程に隔てた宇宙船の中から眺めた事がある。まるで観客のいない大花火ショーだと思った。宇宙のどこよりもまぶしい光を放つ星の死は美しい。自分に詩を解する趣味は無いが、自分が詩人でないことが残念な程には美しい。
子供の頃、宮廷歌人の歌声を聴いては涙したり喝采を送る大人たちを見て軽蔑した。戦闘民族にとって『詩』が何の役に立つかと、そう思っていたからだ。けれど、今ならなんとなく分かる気がする。たとえ文化の味を知らない未開人だろうと、花を見れば美しいと感じ、星の輝きには心動かされるものだ。
闇が均一に広がり頭上を星が巡る。こうしてもう何日も星の間を彷徨っている。何日?いや、ひょっとすると何週間、何ヶ月、それとも何年も……あるいは……ほんの数秒?
宇宙の広大な腕の一角、赤い惑星に星の一つが落ちる。辺りは目もくらむような光が満ち、唐突に夢は真昼の光景になった。


カカロットに手を引かれ、森にどこまでも深く分け入っていく。ああ、またいつもの夢かとうんざりする。ただ、いつもと見る夢とは何かが違う。違和感の正体はカカロットが振り返るとすぐに分かった。いつも夢の始まりには子供の姿で現れる彼が、随分成長しているのだ。
「なあなあベジータ、これは何て草なんだ?」
「何だ、見せてみろ」
より分けられた薬草の束に、カカロットが次々と質問を浴びせてくる。一つ一つの薬効を教えてやれば、そのたびにすげえすげえと声を上げるカカロットの言葉がくすぐったい。けれどそれを言葉にするのは気恥ずかしくて、つい心にも無いことを口にしてしまう。
「まったくキサマというやつは。少しは本でも読んだらどうだ」
「…ああ~、オラ勉強嫌えなんだよなぁ」
それにベジータに聞いた方が詳しいしな。カカロットがにっと歯を見せて笑う。日焼けした顔の中でその白さが眩しい。キサマ、少しは本でも読め。先祖から受け継いだ大事な知識だからな。
サイヤ人が異星から科学を略奪するより前、その暮らしは素朴で、野蛮で、生命に溢れていた。動植物と寝食を共にし、時に破壊し、時に共存しながら生きてきた。薬草の知識はその名残だ。子供の頃に消滅した母星、けれどその記憶はずっと自分の中に残り続けている。


……『母星が消滅』だと??一体何の事だ、バカバカしい。


拭いきれない違和感の元は他にもあった。どうして自分は昼間の夢ばかり見るのだろう?この森に昼間訪れるのはずっと昔、子供のころだけなのに。いつも自分は新月の夜、月明かりの無い森で落ち合っていたはずなのに。
頭上を覆う幾千億の星。入滅する星、真っ白な尾を引いて流れる星。天を覆うばかりに無数に輝いてその光は真昼のよう。





「じゃあな、ベジータ」
会えたらまた。
次はいつ会えるんだ?
そうだな、それなら……



…俺をひとりにするな…













無数の星々、星雲の渦、明々とした星、ぎらぎらした星。姿を現す宇宙。無限の広がり。―――全てを抱合するもの。
どこだここは。惑星ベジータとは違う、見たことも無い惑星だ。青く輝いているのは大気の成分のせいか。初めて見る惑星。………けれど………じっと見ていると胸が痛むような気がするのは気のせいか………『懐かしい』、と感じるのはおそらく以前侵略した星に似ているからに違いない。そうでなければ説明がつかない。暗い宇宙から眺めていた自分は、いつの間にか大気圏を突き破り、その惑星上に降り立っていた。固い岩盤質の地表。さほど厚くはなさそうだが建造物の建立に十分耐えられるだけの強度は持っていそうだ。大気の成分も呼吸に申し分無いレベルだ。重力は………惑星ベジータの10分の1、といったところか。



『地球』っていったな。まあまあの星じゃないか。