宣誓15

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宣誓 I'll swear royalty and love to him.

15.




がたがた震えるばかりで脅しても小突いてもそれ以上何も答えない医者の胸倉を突き飛ばし、大男は先を急いだ。暗い回廊を大またで歩く。雲母のように煌く黒や白の素材がモザイク状にはめられた床は、美しいというよりは寧ろいかめしく寒々しい。早く、早く確認しなければ。


ようやくたどり着いた王子の居室に、ナッパが息を吐いて戸口に手を伸ばそうとしたその時、左右に控えていた男が二人、その行く手を遮った。
「止まれ」
「殿下の御前である。控えよ」
どちらも大男のナッパに勝るとも劣らない屈強な兵士だ。浅黒い顔の中で鏡のように光る目がぎょろりと覗いてナッパを睨んだ。
「何だと?おいキサマら、そこを退け!!」
行く手を阻まれたナッパの顔がたちまち赤銅色に染まり怒りの形相になる。盛り上がった肩の筋肉を一層膨らませ歯をむき出して唸るその顔は、心の弱いものが見ればそれだけで腰を抜かしてしまう程恐ろしい。
「キサマら、誰に向かってそんな口を聞いてやがるんだ、言うとおりにしねえと・・・」
唸る大男の声に、しかし同じくらい逞しく背の高い兵士達は眉ひとつ動かない。王子の身辺警護を任されている近衛兵二人は、手入れの行き届いた防具を身につけた腕を背の後ろで組んで、直立不動のまま威圧するようにこちらを見据えてくる。
「キサマが誰か、だと?容易い答えだ」
右の兵士が答え、左の兵士が畳み掛ける。
「ナッパ、キサマは罪人だ」
「なんだと?!」
握り締めた巨大な拳が怒りにぶるぶると震えるのを見ながら、兵士たちはあくまで冷静だった。怒りの裏に巧妙に隠された、彼の動揺を見抜いていたからだ。
「このバカどもが、下らねえこと言ってないでさっさと退きやがれ!」
しびれを切らして強引に押し通ろうとするナッパの腕を、右の兵士がぴしゃりと払う。
「!やりやがったな、キサマらいい加減にしねえと…!」
「バカはどっちだ、この愚か者め」
「キサマは王子に手傷を負わせた大罪人だ」
左右の兵士が交互に答え、同時に相手を睨んだ。


途端に、火を噴くほどの怒りの表情で兵士を投げ飛ばそうとしていた大男の手がピタリと止まった。
「まだ自分の立場が分からんのか。分からんのならもう一度言ってやろう。キサマは王子に手傷を負わせた大罪人だ」
「キサマが今牢屋にぶちこまれていないのは王子のご厚情あっての事だ」
冷ややかな近衛兵二人の視線の先で、怒りを露わにしていたナッパがたちまち水をかけれたように消沈していく。
「謹慎中の身だ、我らにたたき出される前にさっさと戻れ」
「仮にも殿下の側近中の側近であるキサマの事だ、御前で恥をかきたくはあるまい、分かったか。分かったらさっさと戻れ。そして大人しく沙汰が下るのを待つんだな」
兵士たちの言葉を聞くうちに、大男の顔はそれまでの猛々しさが嘘のように蒼白になり、よろよろと後ずさった。確かに兵士らの言うとおりだ。王子の身にもしもの事があれば、自分の命は間違いなく無い。このまま王子が目覚めなければ……、いや、ひょっとするともはや自分の首は既に胴を離れかかっているのかもしれない。ちくしょう、一体何がどうなっちまったんだ。ナッパは大きな手で禿頭を掻きむしりたくなった。


彼らが言い争う戸の向こう、天井の高い広々とした空間の一角で、この星の王子は眠っていた。華美を好まない主の好みに合わせて、真紅の天鵞絨で控えめに内装された寝台に身を横たえて何日も前から昏々と眠り続けている。時折僅かに眉をひそめる以外にその様子はほとんど変わることが無い。年齢よりも随分幼げな表情で目を閉じる姿は、呼気が無ければ眠っているというよりは時を止められた人形のようだ。
そんな彼の周りを何人もの医師が、更に侍従たちが取り巻いて医師の所業をはらはらと覗き込んでいる。医師たちは眠る王子の手をとって脈をとり、熱を測り、心肺機能を確認するがその度に首をひねり、侍従たちは落胆した表情を見せた。曰く、王子の体はどこもお悪く無いのに、一向に目覚める気配がないのだと。


『ナッパ、キサマ俺と手合わせしろ』
兵士たちの訓練場にふらりと第一王子が現れたのは数日前の事だ。滑り止めの利いた素材などでなく、より実践向けにと踏み固めて作られた広大な土間で、王族に次ぐエリート戦士やこの星の精鋭が丁々発止としのぎを削り技を磨いていたが、王子の姿を見た途端、皆一斉に膝を折り、あるいは最敬礼をする。その中で唯一棒立ちのままだったナッパの姿を見留めてベジータが顎でしゃくった。
「この頃体がなまり気味だ、ナッパ、俺の相手になれ」
王子直々の言葉に居合わせた兵士達からどよめきが上がる。
「ええっ俺がかよ?!……ですか?」
「そうだ」
「そりゃまあ、構わねえけ……ですが」
何時もの調子で気安い口を聞きかけたナッパが、周囲の目に気がついてあわてて言い直す。それにしても一体どういう風の吹きまわしだと怪訝に思った。いくらエリート戦士ぞろいとはいえ、この星の誰よりも強く気位の高いベジータが、兵士の訓練場に現れるなど滅多に無いことだ。そういえばここ数日、王子はめっぽう機嫌が悪かった。大方こちらを気が済むまで殴って気晴らしでもしようという魂胆なのだろう。しかし曲がりなりにも自分は王族に次ぐ実力の持ち主といわれるエリート戦士だ、ベジータにかなわないまでも衆人の前で無様な負けは晒せない。


「いくぞ」
そんな事を思う内に、ベジータはこちらが身構える間も無くいきなり拳を振りおろしてきた。慌てて後ろに飛びずさるが、その一撃がかすめただけで腕が強烈に痺れる。その速さ、その重さ。体はナッパの腕よりも細いというのに、まともに受けたら手が根元からもげそうだ。慌ててもち直そうとするが、その隙すら与えられない。切りつけ、打ち払い、蹴り上げる。疾風より早く土砂降り雨よりも激しい攻撃に翻弄され、あっという間にナッパは壁際に追い詰められた。これでもベジータは軽く体を動かしている程度だろう。もし彼が本気になれば、ナッパの首など一瞬で地面に落ちているはずだ。
―――こ、こいつは相当気が立ってるらしいな……!!
そんな事を考えた瞬間、目から火花が出た。うっかり着地したのは地面でなく置かれていた簡易椅子の上で、そのまま身を起そうとしたものだから椅子の上から盛大に転がり落ちて後頭部を打ち付けたのだ。しかし意識を飛ばす間すら与えられない、たちまち容赦のない膝蹴りが降ってきて、夢中で地面を転がってそれを避け、壁にぶつかりながら跳ね起きた。
「…なんだ、もう終わりか?つまらん」
雷光のような攻撃を繰り出しながら、ベジータは息一つ乱さず憮然とした表情をする。それに対してこちらは既に息も絶え絶えだ。自分たちを見守る野次馬たちは、ベジータの動きの凄まじさに皆顔色を失っている。このままでは本当にヤバイぞと、防戦一方になりながら必死で頭を巡らせた。何か、なんとかベジータの気を静めて、この場を切り抜けなければ…!!繰り出される拳を傷だらけになってかわしながら、嵐のような息の下で何とか口を開いた。


「―――よ、ようベジータ、ますます、う、腕を、上げたじゃ、ねえ、か………」
「………………」
どっと噴き出す自分の冷たい汗の匂いと、自分の呼気に交じる恐怖を嗅ぎ取りながら、ナッパはようよう口にした。
「も、もしかしてよう、例の、よ、『夜這い』の相手に、い、良いとこ見せようと特訓してた、とか、か?」
「……――――!!!!」
ベジータの目が、驚愕に見開かれた。なんだ?と疑問に思う間も無かった。残像すら見えないほどの高速だったベジータの動きが急激に鈍ったかと思うと、それまでかすりもしなかった自分の拳が、ベジータのみぞおちに綺麗に決まったのだ。


がくり、とその場に崩れ落ちた王子の姿に、周囲は一瞬呆気に取られたように誰も動けず、しかし次の瞬間にはわああっ!と悲鳴とも怒号ともつかない声が上がった。
「王子、王子!」「ベジータ様、しっかり!」「お気を確かに!」
倒れ伏したベジータを介抱しようと一斉に駆け寄ってくる大勢の兵士の一人に、いきなり胸倉を掴まれた。
「おいナッパ!キサマ、何ということをした!」
「し、知るかよそんな事!!そもそもベジータ……王子が先に突っかかってきたんだぜ?!だいたいベジータに俺の攻撃が通用するわけが……」
「そんな言い訳が通ると思うか!」
目を白黒させながら嵐のような息の下で何とかナッパは答える間にも、わあわあと喚く声はますます大きくなっていく。直ちに医務室へお連れしろ、いや動かすな、医者だ薬だとうろたえ、喚き散らす声が訓練場一体に響き渡っていたその時。
「……――うるさい」
再び衆人は呆気にとられた。地面に倒れ伏していたベジータが、ぼそりとつぶやいたかと思うと、何事も無かったかのようにむくっと起き上ったのだ。
「お、王子?!」
「王子、ベジータ王子!」「殿下、お怪我は?何ともありませんか?」「王子、王子!」
「……――うるさい。大事無い」
慌てて王子の衣服についた土を払おうとする兵士の手をうるさそうに払いのけて、ベジータはそのまま兵士達に背を向けて歩き出した。
「王子、王子!!」「ベジータ様!!」
「ベジータ王子!」
「……――うるさいぞ、キサマら……」
そう低い声で呟いて、それきり無言で何事も無かったかのように訓練場を立ち去ったのだ。


その日の夜からだ。気分が優れないと言って横になった王子が、目を覚まさなくなったのは。


眠り続ける王子の寝台の周りを多くの人が取り巻いて相変わらずうろうろと落ちつかなげに彷徨っている。彼らは皆室内をうろつきながら互いに顔を見合わせ声を潜めて囁きあった。
「まもなく出征の式典も近いというのに…」
「王子がお出ましにならないとなれば、フリーザ様からどのようなご不興を買うやら…」
「フリーザ様は殿下が大層お気に入りだそうだからな…」
「この星がますます安泰になるはずなのに…」
王となるべき者の従軍は、更に巨大な勢力への服従の証だ。それこそがこの小惑星を守る何よりの手立てだというのに、それがもしできないとなれば一体どうなるのか。その結末を想像して誰もが皆蒼白になっていた。












……うるせえぞキサマら。『王子』『王子』って
    俺を何だと思っていやがる












目を開くと眩しい光が溢れて、目を開けていられなくて額の上で手をかざす。眩しい金色の光に清廉な風。緑の森。
ああ、またいつもの夢かとうんざりする。眩しい光を背に受けて、あいつがこちらに手を差し伸べてくる。あいつが、笑っている。