宣誓11

sign.jpg

宣誓 I'll swear royalty and love to him.

13.





どこまでも続く緑の森に、深く深く分け入っていく。
「おいカカロット、一体どこまで行くんだ」
「もうちょっとだって。うーんと、そうだ、こっちだ」
小さな滝を見つけたのだというカカロットに手を引かれ、森の中をどこまでも歩く。そんなものには興味が無いと言っても、奴は全くお構いなしだ。見下ろせばカカロットのつむじが見える。チビで戦いも弱い下級戦士のクズのくせに、俺様の前を歩くとは生意気な奴だ。広大なこの森は今やすっかり自分たちの庭となっている。不慣れな者には幅も奥行も途方も無い迷宮の様に思われるであろう緑の森は、自分たちにとっては気持ちの良い散歩道だ。


「まだ着かんのか、キサマまさか迷ったわけじゃないだろうな」
「だからもうちょっとだって。おめえ本当にせっかちだなぁ」
こちらがいぶかしんでもカカロットは気にすること無く、上機嫌でいつもの調子外れな鼻歌を歌いだす。その背丈は、今や自分とほとんど変わらないほど伸びているが、歌の腕前は相変わらず進歩しないままだ。陽気でどことなく味わいのある歌い方は、まんざら嫌いではないが。


森はどこまでも途切れること無く続いていき、頭上からは、重なり合う枝の隙間を通り抜けて金色の光が帯状に降り注ぐ。その光景を目にしながら、ふと考える。この頃城の警護が厳しさを増してきたので、昼間に抜けだすのが難しくなってきた。そろそろ、カカロットと落ち合う時間を変えた方が良いのかもしれない。そうなるとやはり、人目につかないのは夜だろう。それも月明かりの無い……新月の夜、あたりが適当だろうな。


今を盛りと伸びゆく木々の緑に光輝く金色の太陽。この光景もしばらく見納めという事か。そんな事を思いながら、森の息吹を胸に深く吸い込んだ。
「ほら、ベジータ、着いたぞ」
そういって振り返るカカロットの背丈は、今や自分より頭半分ほど高くなっている。そよふく風に前髪を揺らしながら、こちらを見る。見下ろす視線が気に食わないが、見ていろ、今に俺だって。
「ほら、水の音がするだろ?」
カカロットが指さす方に耳をそばだてると、なるほど確かに滔々と水の流れ落ちる音がする。音の大きさから想像すると、それほど大きな滝では無いが水量はありそうだ。そんな事を考えながら音のする方に意識を向けていると突然、頬にむにゅっとした感触を感じた。カカロットがこちらの頬に唇を押し付けたのだ。
「―――!!きっキサマっ…!!」
「へっへ~、隙あり、だな」
「イキナリ何しやがる!!」
「うわっ!!良いじゃねえか減るもんじゃなし、ほっぺにチュウくらいでそんなに怒るなよ」


こちらが怒鳴るとカカロットは大袈裟に驚いてみせてから、大口を開けて愉快そうに笑った。ぴかぴかに輝く、太陽の様に眩しい笑顔だ。
隙間なく茂った木々の間を抜けて、この上も無く清冽な風が吹く。滔々と水の流れ落ちる音がする。
今を盛りと伸びゆく木々の緑に金色の太陽、そして輝くようなあいつの笑顔。この光景も、もう二度と見る事は無い。











滔々と水の流れ落ちる音がする。涼やかな水の音だ。窓を打つ雨の音のような。
「――――……」
誰かの名を呟きながら、ゆっくりと目を開いた。目を覚まして最初に聞こえたのは窓を打つ雨の音だった。寝る前はまだ降っていなかったが、いつの間にか降り始めたらしい。まだぼんやりとする頭を軽く振って、こめかみを揉む。どうやらまたいつもの夢を見たらしい。そして例によって夢の内容はほとんど忘れてしまっている。
「目が覚めましたか?兄さん」
掛け物をどけながら身を起こすと、良く知った声に呼びかけられた。
「随分良く眠っていましたね」
「…なんだ、キサマか」
声のする方に顔を向けると、そこには声の主、弟・ターブルが枕もとに椅子を置いてこちらの顔を覗き込んでいた。彼は勇猛な者の多いサイヤ人の王族らしからぬ穏やかな表情を見せながら、水差しから注いだ水を兄に勧める。
「どうぞ飲んでください。随分寝汗をかいていたから喉が乾いているでしょう?」
「…………」
「珍しいですよね、兄さんが体調を崩して会議を休まれるなんて」
黙ってそれを受け取る兄のそっけない態度にも慣れたものだ。



コップの水をごくごくと一気に飲み干してから息を吐く。耳をそばだてると、城の中はシーンと静まり返っている。聞こえるのは窓に当たる雨の音だけだ。
「…他のやつらはどうした」
「安心してください、侍従たちは皆下がらせてます。今、このあたりにいるのは僕と兄さん、二人だけです」
何に対しての安心なのだという馬鹿な質問をする代わりに、黙って空になったコップをターブルに手渡した。
「もう夕方ですよ」
今は一体何時だと聞く前に、ターブルはそう答えた。
「朝から殆ど何も食べていなかったから、お腹が空きませんか?何か食べる物を持ってきましょうか。食欲が無いなら何か力の付く飲み物でも準備しましょうか」
「いや、かまわん。それよりも俺はもう一寝入りするからキサマはもう下がれ」
露骨に面倒な物を追い払うような態度でベジータがターブルから目を反らす。別に体調など悪くないはずなのに、なぜか気だるくて口を開くのも億劫だった。たとえ弟でもこれ以上無駄話をしていたくなかった。


「……やっぱり話してはくれないんですね……」
「何か言ったか」
「あ、いえ別に。何でもないんです」
兄に一睨みされて、ターブルが慌てたように首を横に振る。
「じゃあ兄さん、僕は自分の部屋にいますから、何か用があれば呼んでくださいね」
「…………」
目線を合わせる事なくベジータがうなずく。これ以上本当に弟としゃべりたくなかった。弟はその持って生まれた戦闘力の低さに常に身内からも冷遇されてきており、そのせいで相手の表情を読むことにとても聡かった。ある日を境に様子の変わった兄の事も、気が付いていないはずはない。それでも深く追求してこないのは、彼の優しい性格故か。
「無理せず体を休めてください。兄さんは大事な身なんですから」
いずれこの星の王となる大事な身なんですから。寝台から上体を起こしただけの兄の手を弟は取って、その手の甲に恭しく口付けた。
「兄さんはいずれ父上に替わって王となる大事な人なんですから。そしてこの星始まって以来の偉大な王となって、一族を繁栄に導く大事なお人なんですから」
その時は僕もあなたの臣下になって、兄さんを守りますよ。そう言いながら彼は兄の手を額に押し戴いた。


弟が出て行くと部屋はまた静まり返った。窓の外に広がる灰色の空から、降りしきる雨が窓をたたく音だけが聞こえる。もうずいぶんと視界が暗い。分厚い雲の上ではおそらく、日が沈む頃の時間だろう。そして日が沈んでも、雲の上に今夜の月は昇らない。今日は新月の日だった。
兄さんはいずれ父上に替わって王となる大事な人なんですから。雨音が先ほどの弟の言葉に重なる。
「…………」
自分の身は、自分だけのものではない。暗にそう言われたような気がして、おもむろに掛け物を跳ね除け、寝台から足を下ろした。


執務机の引き出しから、旧式のスカウターを乱暴な手つきで掴みだす。骨董品とも呼べそうなそれを、床に無言で落とす。それから、勢いをつけて素足でそれを踏みつけると、乾いた音を立ててそれは粉々に砕け散った。その感触、なんと頼りない事だろう。
「――――っ!!」


親友だと思っていた。衣服を引き剥がされ、組み敷かれてもなお、信じられずにいた。先に裏切ったのはあいつの方だ。あの日、よろめきながら城に戻ってすぐ、力を尽くして人目に触れる前に傷を治した。歪んだ視界、吐き気、痛み。全てきれいに自分の体から消え去った。
古ぼけた通信機器、それだけが王族である自分と下級戦士であるあいつをつなぐ全てだった。なんと頼りない繋がりだった事か。けれどこれで自分とあいつをつなぐものは、もう何も無くなった。
足元に一つ、ぽつんと水滴が落ちる。それを急いでつま先で踏み消した。今夜は新月。けれどもう随分前から自分には関係ない。今夜も自分が城を抜け出す事は無い。再び寝台に戻って毛布を深くかぶり、目を閉じる。瞼の裏に金色に輝く笑顔が一瞬浮かんで、すぐに消えた。それから泥の様に眠った。朝になるまで。






夜の森に、針の様に細い雨が降りしきる。目印の大木の根元にうずくまる人影が、わざと明るい声で呟いた。
「――――ベジータのやつ、遅えよなあ」
濡れそぼった前髪からぽたぽたしずくが垂れ落ちる。手の上で弄ぶ、真っ赤に熟したリンゴの皮の上を水滴が滑っていく。