宣誓12

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宣誓 I'll swear royalty and love to him.

12.







新月の夜、森は耳を打つ程に静かだった。
頭上に瞬く無数の星は、どれもが青白く生気が無い。木々の間をか細く吹き渡る風も、足元の土も、また死人のように冷たい。


いつも目印にしている森一番の大木に背をもたれさせて、カカロットはうとうとと眠っていた。時折苦しそうに眉をひそめ、唸るような声を洩らしている。その頬は土気色で疲労の色が濃く、今夜の星と同じように生気が無い。いつも健康的に日焼けしてつやつやと光っていた事が信じられない程に。
眠っていたカカロットが、何かから逃れるようにかぶりを振り、その拍子にもたれていた大木から頭ががくりとずれ落ちる。
「………―――――っ!!」
言葉にならない声を上げながら、カカロットは跳ね起きた。ぜえぜえと荒い息をつく彼の額はびっしょりと汗をかいている。
「………………夢かぁ」
眠っていたのは、時間にすればほんの短い間だっただろう。唸るような声で呟きながら手の甲で汗をぬぐえば、たちまち体は夜風に冷やされ、冷え冷えと骨まで染み透った。荒い息を何とか整えながらカカロットは辺りを見回すが、微かな葉擦れの音以外生き物の気配は何も感じられなかった。時刻は既に夜半過ぎ、といったところだろうか。
「…………ベジータの奴、おっせえなあ」
わざと明るく呟いたつもりが、その響きの空々しさに返って虚しさが募る。
―――来るわけねえか
独りごちながら彼らしからぬ自嘲気味な声で、低く笑った。
―――あんな事があったのに




目印の大木に背をもたれさせながら夜空を見上げた。白い星が一筋、空を横切るように流れていく。この夜空の下のどこかに彼がいて、もしかすると同じ星が流れるのを見ていたかもしれない。そう思えばほんの少しだけ力が湧くような気がした。
手に触れた草を手繰り寄せ、口元に横ざまに咥えて噛む。それは覚醒効果を持つ薬草だ。――見つけたのも、その薬効を教えてくれたのもベジータだ。彼も良くそれを口にしていた。その時は何とも思っていなかったが、今なら分かる。彼は自分を待つために、眠ってしまわないようにとこれを咥えていたのだ。うす甘い味を舌先に感じながら、ぼんやりと思う。自分を待つ間、彼はどんな気持ちでいたんだろう?その体を抱きしめ、唇をふれ合わせた時の事を思い出す。あの時舌先に感じた彼の唇からは、確かにこの草と同じ甘い味がした――




あの日以来ベジータからの連絡は途絶えたままだ。スカウターの通信は切られたまま、二度とつながることが無かった。
『貴様の顔なんか二度と見たくねえ、二度と俺の前に現れるな!!現れやがったらぶっ殺してやる!!』
最後に見たベジータの、自分を見る激しい怒りの目、痛々しく傷ついた体、涙の跡の残る頬を思い出す。そして同時に、自分の中の獣の本性が彼に対して行ったおぞましい行為をまざまざと思い出す。



もっと目が覚めるようにと、草を強く噛む。ずっとこのまま起きていたい。眠るのが怖い。あの日以来、眠ればひどい夢を見るからだ。先ほどもうなされて目が覚めた、それは決まって同じ夢だった。
その夢には決まって彼が出てくる。ひどく傷つけられて血を流すその体が、何者かに地面に押さえつけられている。
「いた、い…っ、痛っ……!!」
むき出しの白い足を大きく開かされ、激しく揺すぶられて犯されている。それを止めさせようと何者かの肩を掴んだつもりが、いつの間にか彼を犯す者が自分にすり替わる。自分の下で苦痛と恐怖に怯え、血を流し、泣きじゃくる彼の小さな体を押さえつけ、足を開かせて思うさま突き上げる。
「カカ……やだ……やめっ!……い、やだ……っ!」
自分の腕を掴んで止めてくれと懇願する彼の声を聞いて、よく喚くうるさいやつだと自分は考える。どうすれば黙らす事が出来るかと頭を巡らせ、一層手ひどくその体を犯せば、悲鳴は治まるどころか一層高くなる。どうせ黙らす事ができないのならと、今度はその肌に歯を突き立てて、溢れ出す血を啜り、思うさま味わう。その甘美さに、自分は気分爽快で思わず快哉の雄たけびを上げ―――



「………―――――っ!!」
思い起こすたび手で拭った血の感触と、口に残る濃厚な鉄の味を思い出して身震いする。もっと目が覚めるようにと、顎が痛くなるまで草を噛んだ。
彼に会いたかった。会って、自分の無体を謝りたかった。けれど再び彼に会って、また傷つけてしまうのではないかと思うと、怖くて怖くてたまらない。舌の上に残った草の繊維をぺっと傍らに吐き捨てて、胸に抱えた膝の上に顔を伏せて固く目を閉じた。




月がこの星の周りをひと巡りする前の事が、もう遠い昔の事の様に思われる。
瞼の裏に蘇る、自分を睨みつけてくるきつい瞳。
ふてくされた表情で腕の中にすっぽりと納まっていた小さな体。
そっぽを向いた時に見える柔らかな頬のライン。
自分に寄せられた全一の信頼。
自分にとって大切なものは皆全て自分の手で壊してしまった。
それがどれほど得難い物だったのかを思い知るには、もう全て遅すぎた。





まだ幼かった頃、自分の手から受け取ったリンゴを嬉しそうに、夢中になって食べていた、彼のたまらなくあどけないその横顔を思い出す。
鮮やかなリンゴの赤、幸せの象徴。
―――その思い出が、これからは血の色にとって替わられるんだろう。





―――会いてえなぁ…




もう一度自嘲気味に笑いながら深く深く項垂れる。
どれくらいそうしていたのか、暗闇の中で視線を落としていた手の輪郭が、次第にはっきりと見えてくる。東の空が白々と明け始めていた。



―――二人が出会って以来初めて、彼は遂に約束の場所に現れなかった。