「心の理論」に関する私的研究シリーズ

(2002.3.10〜勉強中につきしばらくお休み

 

「心の理論」に関する私的研究というのは、「心の理論」の欠如が「自閉症」の原因であるかどうかについて検証するものではありません。

では、何を研究するのか? と言うか、何故このような研究を始めたかというと、最近、一般の研究者(自閉症の専門家・全くの門外漢が自閉症を論じる場合両方を含む)が、自閉症を“人の心が読めない”障害であると記述する論文を多く目にするようになったからです。

また、「サリーとアンのテストは、一般的には、「幼児が、“他人が間違った信念を持っていることを推測する”ことができるかどうかを調べるテスト(誤信念課題)である」と紹介されていたり、「心の理論」そのものを“人の裏ゴコロや行間が読めるかどうか”を調べるものであると説明されていることを知りました。

恐らく、一般的にはそういうものなのでしょう。しかし、私にとって「サリーとアンのテスト」は、サリーの視点でも・アンの視点でもない“ワタシの視点”以外の視点を持てない、或いは、視点の切り換えが困難であることを物語るテストでしかありませんでした。

自閉症児の「心の理論」通過年齢をいくら追究しても、単に自閉症児の発達の状態を把握することにしかなっていないのではないでしょうか? 今、本当に必要なのは、{健常児の発達とどこが違うのか?→その違いは、どこかで解消され得るのか・解消することはないのか?→それぞれの発達段階においてするべきことは何か?}ということだと思います。それが、こんなことを始めた動機です。

  1. 発達心理学的な視点から(健常児との比較)。
  2. 比較認知科学的な視点から(サルとの比較)。←あっ、でも、おサルさんの話はぬき。
  3. 非・言語的コミュニケーション障害ということ。
  4. コミュニケーションとは何か?

“わたし”の発達不全と“いま”を考える。

では、どうすればいいのかということ。


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