非・言語的コミュニケーション障害ということ。
(2002.3.22〜23)
参考図書:『心の理論−心を読む心の科学』(子安増生著/岩波書店)
プレマック&ウッドラフ/1978・1988年:『チンパンジーは心の理論を持つか』(P11)
- チンパンジーAが自分のすぐ近くにエサを発見したとしても、自分より優位な地位にあるチンパンジーTがすぐそばにいる時には、わざとエサの方を見ずにやり過ごし、手を出しても横取りされないことがはっきりした時点でエサを取るという行動が見られる。
- この場合、チンパンジーAは、チンパンジーTがエサがあることを「知らない」ことを知っている。チンパンジーAは、その時点でエサを取ろうとすると、チンパンジーTがそれに「気づく」だろうこと、その結果、「横取りしたい」という意図を持つだろうことが分かっている。そこで、チンパンジーAは、このような望ましくない結果を避けるために、エサなどないような「ふり」をしてその場をしのごうとする。つまり、チンパンジーTに対して意図的に「誤まった知識の伝達」を行う。
- 他者の行動に「心」を帰属させることを「心の理論」ということばで説明し、他者の目的・意図・知識・信念・思考・疑念・推測・ふり・好みなどの内容が理解できるのであれば、その動物または人間は「心の理論」を持つ、と定義した。
「心の理論」研究が問いかけるもの(P17)
- チンパンジーやゴリラなどの類人猿は、他の仲間や人間の考えていることがどの程度分かるのか。
- 健常な子どもにおいて、「心の理論」はいつどのように発達するのか。
- 自閉症児は、人の心を理解するという心のはたらきに障害があるのではないか。
- 機械に人間の心を理解する「心」を移植することは可能か。
パロン=コーエン/1995年:『マインドブラインドネス』で提唱した「心を読む四つのシステム」(P32)
※自閉症児では、1と2は比較的正常に発達していくのに、3と4の発達に障害が見られると言う。
- 意図検出器(ID):自分で動くものが目標や願望を持っているかどうかを判断する。
- 視線方向検出器(EDD):ある物に視線が向いていればそれを見ているということを推論する。
- 共有注意の機構(SAM):視線追視・指さし・人に見せるという行動の背景にある心のしくみ。
- 心の理論の機構(ToMM):他者の心の状態に基づいて行動するための心のしくみ。
ありとあらゆるモノに「心」を感じるかどうか?というと文学的・詩的になってしまう。けれど、自分の周りの動いているモノに「意図」「意志」「願望」があるかどうかわかるかどうか?と問うのと、どういう「意図」「意志」「願望」があるかどうかがわかるかどうか?と問うのとでは、問題が違う。従って、他者の「信念」や他者の喜怒哀楽(情動や気分)がわかったからといって、「人が自分のことをどう思っているか?」「人が自分をどうしようと思っているか?」「人に好かれ・信頼されるにはどうすればいいか?」「人に対して何らかの感情を抱いた時に、どういう行動をとればその感情が満たされるのか?」といった、人が最も関心を寄せている事柄が直ちに解決するわけではない。心理学が読心術ではない由縁が、ここにあるのではなかろうか?(心理学者は、読心術の本を書くのが好きなようだけれど…。)
「自閉症児・者は、人の心がわからない」と言われている、といっても、主に【非・言語的=身体的な特徴】や【かかわり方の特徴】に原因があり、それらによるすれ違いであることが多いのではないだろうか? これも、一つのコミュニケーション障害(文化摩擦)なのかもしれない。
そこで、以前に作成した『自閉症の発達課題表』を使って、非・自閉症者に対して弁明してみたい。
自閉症児・者の、身体的な「かかわり」方と行動。 | よく言われること/弁明 | |
1 | 視線・表情・身振りなどが、ぎこちなかったり硬い感じがする。 | 無視している・冷たい・薄情・恐いと言われる。 |
2 | 視線・表情・身振りなどを、他者に興味を示し・自己を主張するサインとして使えていない。 | 沈着冷静・超越している・賢そうだと言われる。この面が目立つと印象が良くなることもあるが、その反面、他のできなさとのギャップが大きくなってしまう。 |
3 | 姿勢が悪く、ふにゃふにゃした感じがする。 | だらしがない・我慢がないと言われる。 |
4 | 姿勢は良いが、堅苦しい感じがして動作もぎこちない。 | 打ち解けない・ムードがない・雰囲気が悪いと言われる。 |
5 | 身体の大きさや動作・行動に見合った物理的距離を、周囲の物や人との間にとることができない。 | 人の動線の中に入ってぶつかったりすると、だいたい失礼だとか不注意だと言われる。 |
6 | 他者の表情・動作・行動に無関心。 | 本当に、注意が向いていないこともある。表情・動作・行動に、何かの意味や感情があると判っていないこともある。係わられると、困ること・解からないこと・当惑することが起きるので、恐怖で硬直し何もできなくなっている場合もある。(こういう時には全く余裕がなく、「関心がないわけではない」と態度に表わして、相手の気を悪くしないための振る舞いができない。) |
7 | 他者の表情・動作・行動に注意は向くが、意味が理解できず関心がないような振る舞いをする。 | 「視線が自分に向けられることが、何かの指示を意味していること」だと、判らない時がある。また、視線・口バク・顔の表情で、自分に向かって何かを要求していることは判っても、要求内容が何だか判らないことがある。 |
8 | 他者の表情・動作・行動の意味を取り違えて、間違った(奇妙な)反応をしてしまう。 | 表情・動作・行動の意味は、ソーシャルスキルとして改めて学ぶべき。たいてい、読み違えていることが多いのだが、自分では確かめようがないため、大きな過ちを犯した後にやっと気づかされることになる。 |
9 | 他者の表情・動作・行動に対して、どう反応していいかわからずフリーズしてしまう。 | 普通の人は、フリーズ状態にはあまりならないようだ。何もしない・ぽかんと口を開けているのは、相手にとってもどう解釈していいかわからないのかも? |
10 | 他者の表情・動作・行動に続いて起こることを予見できず、トラブルを回避できない。 | 表情・動作・行動で、何を表わそうとしているのかわからないことがある。また、表面的なとらえ方しかできなくて、「顔は笑っているけれど、本心は怒っている」とか「礼儀としての、その場限りの作り笑いをしている」ことには、たいていだまされる。 |
11 | 他者から不審に思われるような、行動や態度をとってしまうことがある。 | 自分の行動・動作・身なり・服装の社会的意味、それに対する他者の評価に無頓着。自然には気にならない。 |
12 | 普通なら見れば分かるようなことでも、情報の読み取りが悪くいちいち説明を求める。 | だいたい、うるさがられ・怒られる。 |
13 | 複数の他者の行動を見て、暗黙の内に了解している行動上のルールを読み取ることができない。 | 人の動きの流れをつかんで、うまくそこに入ったり、ぶつからないようにするのは難しい。 |
14 | 行動上のルールを理解することはできるが、状況に応じて即座に行動を調整できない。 | やり方や決まりを作らないとできない動作をする時は、現場の状況に合わせた調整ができない。 |
15 | いついかなる状況でも一定の決まった行動をとろうとして、周囲とのトラブルを起こす。 | 「状況が変わったのに、同じことしかできない」ので、そうなってしまう。 |
16 | 順を追った、明確で具体的な動作の指示がないと、自分のするべき行動が分からない・できない。 | いちいち動素に分解して個々の動きを把握しないと、動作そのものができない。あれこれの動作が混ざるとできなくなってしまうので、関連する同じ動作をひとまとめにした手順を立てないといけない。 |
17 | 一連の動作を身体で覚えることができず、次にやることや順序を考えながら行動している。 | だいたい、それだけで頭がいっぱいになっている。 |
18 | 自分のするべき行動が分かっていても、要求に応じて身体を操作することに困難がある。 | できないこと(表情筋を動かす・動作模倣をする)をせよと言われても、できないものはできない。気合が入ってない・情けない・やる気がないと言われる。 |
19 | 身体感覚が希薄だったり自分の外観に無関心なため、身だしなみの配慮ができない。 | 服は、自分の触覚の許容範囲で選ぶ。何を着るかは、パターン化して決める。仕事や役割に応じた服を決めて、キャラクターを変えることもある。その日の気温に合わせて変えることは、難しい。 |
20 | 予期せぬ事態や割り込みなどで一連の動作が遮断されると、自分のやっていることが判らなくなる。 | 何かの動作をしている最中に話しかけられたり中断すると、わからなくなる。その動作に失敗するか、怒るかのどちらになっても、ヒンシュクを買う。 |
21 | 癇癪・自傷・他害・突然走る・その場で寝転がる・眠ってしまう…などの衝動的な行動がある。 | 行動障害は、たいてい反社会的な意味に解釈される。 |
25 | 感覚的・身体的に許容できない環境条件がある。(或いは、相当に我慢していることがある。) | 精神状態の良否は、闘値(許容限度)に影響する。けれど、感覚器官の性能なので、いかんともし難い。が、ワガママと言われる。 |
26 | 身体の一部または全身を使った、常同的・反復的で日常的な動作がある。 | 手や首を振るのは、意外に目立たず気づかれない。音を立てたり、異様な動きをすると、迷惑になる。 |
28 | 様々な行動パターンを駆使して、(内心は不安でも)外見上は普通に振る舞うことができている。 | 芝居じみていて、大袈裟になってしまうことがある。 |
29 | いくつかの行動パターンを使用しているが、状況の読み違いや失敗が多い。 | 日常的でありふれたことこそパターン化できないため、非常に不自然になる。 |
30 | 使用できる行動パターンが限られていて、活動範囲がせばめられている。 | 身体移動能力に障害はなくても、“どこかに行ける能力”に欠けていて、たいていこれで世の中を狭くする。また、時々、無思慮にどこかに行ってしまうことがあり、それで行動に制限が加えられる結果になることもある。 |
自閉症児・者の「かかわり」方の特徴。 | 何故、話がそれたりすれ違いになるのか。 | |
1 | 特定の個人や愛着対象者としか、かかわりを持つことができない。 | そもそも、信頼の置ける人や話のできる人が、非常に少ない。 |
2 | 何かに没頭するあまり、他者の存在を忘れているような感じがする。(孤立) | 他者の存在を感じたくないので、何かの感覚に没頭しようとしていることが多い。 |
3 | 他者に対して自分が興味関心を持っているモノを示して、共感や批評を求めようとしない。(孤立) | 興味関心を持っているものを示して、共感されたり評価されたりした経験があまりない。それどころか、話も聞いてくれない・見てくれないことが多いので、言うこと・見せることを諦めている。人との係わりや繋がりがないことは恐怖ではないので、それ以上のことはしない。 |
4 | 他者が呈示するものに、ほとんど興味関心を示さない。(孤立) | 本当に、興味関心がないことが多い。 |
5 | 他者が情緒的な共感を求めて働きかけると、拒絶する。(孤立) | 情緒的・感情的な雰囲気が、身体的な苦痛や不快感として感じられることがある(或いは、そういう人がいる)。 |
6 | 他者に関心を示そうとせず、達成感や喜びの共有に応じない。(孤立) | 同じことに興味を持ち、同じような喜びの感じ方をし、尚且つ、同じような喜びの表現をする人が、非常に少ない。 |
9 | 自分が興味関心を持っている事柄を、一方的に他者に見せたり教えようとする。(一方的) | たいてい、見てくれたり聞いてくれたりする人にそうする。でも、相手が本当に興味があるのか・暇つぶしでそうしているのか・いやいやそうしてくれているのかは、判らない。 |
10 | 他者に対して自分が興味関心を持っているモノを示して、一定の反応を常に求める。(一方的) | 「以前あったことは次も起きる」と思っていることがある。 |
11 | どんな話題に対しても、自分のこと・自分の知っていることしか話さない。(一方的) | しかし、それが、“自分自身のこと”であったり、話題に関係なく想起された"自分の記憶や関心事”であることには、自分で気づいていない。自閉症者のそういうメカニズムを知らない人は、更にそんなことには思いも及ばないので、自己中心的・話題からの脱線・人の気持ちに応えていないという解釈しかできない。 |
17 | 状況に応じて、声の抑揚や大きさを調節できない。(一方的) | 自分では判らない。が、これが、社会的な行動の基本だったりする。また、紋切り型の言葉遣い・ぶっきらぼうなものの言い方などは、怒っているような印象を与えてしまう。人を意識して話すようになると敬語を多用するので、非常に丁寧な印象を与える。しかし、どちらも一本調子であることに変わりはない。感情が伝わらない「声」は「心」を感じられないために、不気味に感じられてしまうようだ。 |
19 | 自分の言ったことに自分で答えたり・笑ったりして、自己完結してしまう。(一方的) | 失礼な印象・その場にそぐわない行為・下心がありそうに見える。でも、やってしまう。 |
この他に、「こだわり」障害を持っていることも、誤解を招く原因になる。
- 対象と同一化するあまり夢中になりすぎて人に迷惑をかけてしまうとか、人がいても自分の「こだわり」を通してしまうような明らかな自閉症状態の時は、問題行動になる。←むやみに抑制すると、逆に強化されてしまうことが多いので、段階を追って「好ましい行動」を増やすための治療教育が必要なところ。
- 強固に何かに固執して、いつも同じでないと混乱する状態だけが「こだわり」障害ではない。順序固執のような緩やかな「こだわり」になって目立たなくなったり、生活の手順を構造化して「こだわり」にしていると、適応できているように見えてしまう。その段階になると、自分のやり方を変えない・一度覚えたことをかたくなに守る・他に応用できないことが、「気持ちが通じない」「人の意見を聞かない」「無視した」と受け取られてしまう。
「二次的信念の理解」の意義。(P101〜105)
「一次的信念の理解」 「Aさんは物Xが場所Yにあると(誤って)信じている」という関係がわかること。 「二次的信念の理解」 「Aさんは物Xが場所Yにあると思っていると、Bさんは(誤って)信じている」という関係がわかること。
「二次的信念の理解」ができるようになると、他者から見た自分を知ることによって、他者を通じた自己理解を促進できる。(通常、9〜10歳で可能になる。)
- 「Aさんは、私がAさんを嫌っていると思っているように私には思える。」というような、二者間関係を理解する。
「二次的信念の理解」ができるようになると、三次的信念の理解からn次の信念の理解へと発展し、そのことが複雑な人間関係を理解するために必要不可欠なものになる。
- 「Aさんに対するBさんの信念、についてのCさんの信念についてのDさんの信念。」というような、四者間関係を理解できる。
- 高次信念は、登場人物の込み入った人間関係を描く小説やドラマを理解する前提となる。そのような小説やドラマを通じて子どもの世界は広がっていく。
ここから先は、すっかりお手上げ。何故なら、「自分から見た他者」は存在するけれど、「他者から見えている自分」は存在しないから。
「自分がするべきこと」は、視覚イメージや言葉など通じて構築しているので、それらを手掛かりに行動できる。けれど、「自分に対して他者はどう思っているだろうか?」と考えて他者の視点に立った瞬間、主語は「他者」になって自分が消え、「他者はこう思っているはずだ!」となってしまう。視点を持った主体は、常に一人だから。
自分の視点からなら、「Aさんはこうで、Bさんはこうで、Cさんはこうで・・・」と、∞に続けることができる。人は、「それぞれ違う信念を持っていて、自分の思い通りにならない」ことは知っているし、「Aさんはこう思っているけれど、Bさんはそうは思っていない。でも、AさんはBさんが違う信念を持っていることを知らない。」と説明することもできる。
それで、「どうすればいいの?」ということ。
でも、それは、自分勝手でワガママだということとは違います。いつもいつも、一生懸命に「他者」のことを考えているけれど、自分自身が特異的で特殊であり過ぎるため、ほとんどの場合「他者」にとっては余計なお世話でしかないことが多いのです。また、「共感」したくても同じモノに対して同じ感情が生起しないことが多いし、人に関することはほとんど脅威を感じてしまうことが多いため何もできず、誠意がない・打ち解けないと言われてしまいます。
ちゃんと解かってくれる人がいるところなら、あまり問題を起こさない。なのに、全く解かってくれる人がいない場面では、それだけでひたすら恐くて仕方がないのに、それがまた↑の表に書いたような解釈をされて批難する言葉などを突きつけられます。いつまでたっても、悪循環の繰返しです。