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謝花勝一 著 「ウシ国沖縄・闘牛物語」より。

作家の井上靖(1991年2月没)は1949年(昭和24年)、42歳で文檀デビュー。同年12月、「文学界」に発表した「闘牛」で翌年2月の芥川賞(文芸春秋社主宰)を受賞した。第一作での受賞。井上氏は宇和島闘牛が兵庫県西宮市で遠征興業されたのを見て、小説の題材にした。小説の中では「角と角とを突き合わせた生き物の何処か問の抜けた、到底理解しがたいふしぎな競技であった」「この退屈極まるテンポののろいどう見ても近代的とは思われぬ競技のために、あれ程、苦労した津上の気が知れないのであった」と登場人物に闘牛の状況を語らせている。筆者が思うに、井上は闘牛を多分、スタンドの最上段から鳥徹したのであろう。間近で牛の目や息遣いを感じれば描写は違ったものになったと思える。闘牛はなるほど初心者には適切な解説がないと単調で退屈のように写る。井上には闘牛がもの珍しく写っただけのように思える。

沖縄では第4回すばる文学賞を受けた又吉栄喜氏(作家、1947年生)が、70〜80年代にかけて闘牛を短篇小説の題材にしている。その小説は牛の心理描写まで踏み込んで、なかなか読みごたえがある。又吉氏の作家としての事実上のデビュー作は「カーニバル闘牛大会」(1976年11月、琉球新報短篇小説賞受賞)「牛をみないハーニー」(集英社、青春と読書1982年11月号)、「島袋君の闘牛」(月刊青い海、1982年12月号)、「闘牛場のハーニー」(月刊沖縄公論、1983年6月号)と続き、又吉氏が当時、闘牛に思い入れが強かったことを示している。又吉氏は、ガイドブック「闘牛沖縄」(沖縄タイムス社)の巻頭言、「闘牛賛歌」で「二十代の前半、結核を患い、無力感に苛まれた私は、頻繁に闘牛を見に行った」と記している。氏の二十代後半といえば1967〜70年に当り、ゆかり号の時代から鮫島号、昆布サイヨー、栄野比トガイー、宇堅カキヤーの活躍へ移っていく時期。闘牛も戦国時代を迎えようとしていたころである。

「カーニバル闘牛」は瑞慶覧基地内での闘牛大会を題材にとり、牛が米国人の自動車を壊したことを巡るトラブルの顛末を、占領者の意識と住民の視座から書いている。「牛を見ないハーニー」も「闘牛場のハーニー」も、米国人の愛人になった沖縄女性の屈折した感情を闘牛場を舞台に描写したものである。牛の戦いを具体的に描写して興味深いのは「島袋君の闘牛」だ。その部分を抜粋してみる。

「一屯近い体を全力でぶつける。角が頭皮から根こそぎもぎとられるんじゃないかと、私を危惧させる角と角との激突。黒いビロードのような筋肉を痙攣させ、目をみひらき、口から泡を垂らし、地鳴りを響かせ、そのように一心に闘い、しかし死なない。勝負がついた直後はそれどころか、びっくりするはどあっけない。負けた牛は角をはずし、柏手に尻を向け、三、四歩ステップする。すると、勝った牛はそのまま立ちつくすだけなのだ。」「このような闘いってあるだろうか。私は思う。偽ものの聞いじゃなかったか。真剣に闘っていたのなら、あのようにあっさりできるはずがない。嫉妬心や復讐心はどうなったんだ。敗牛は身を滅ぼすまでやぶれかぶれに闘いつくさないはずはないんだ。卑怯な手も当然考えなければならない。そして、勝牛は将来、逆転され、苦境に陥れられる恐怖におびえ、敗牛を徹底 してやっつけるはずだ。聞いの途中で相手が首をさげたからといって、許す、そんなもんじゃないだろう。ちがうだろうか」「牛はすべて似ている、というのが私の今の今までの『牛観』だ。しかし、私は、三、四組目の対戦のとき、ふと気づいた。牛たちはみんなちがう、どこかちがう」「私に向かって牛が突進してくる。この闘牛場に入った時、私はふいに感じた。…だが、数分もしないうちに私は土俵の真近くに坐りたい衝動をおさえかねた。牛の鋭い角で一突にされたかった」

ここには一般的に深追いをしない、必要以上に相手を傷つけない闘牛の不思議さに作者の分身である私が当惑している様子が分かる。さらに、牛の角で一突にされたかった、という下りは、闘病生活を送っていた私の生と死への葛藤を読み取ることができよう。90年代に入り、第二期黄金期を迎えたと言われる沖縄闘牛。牛と人の哀歓が数多く語られれば文壇にも闘牛をテーマにしたものがまた登場することだろう。

闘牛の "魅力" を各層の人に聞いた。

闘牛の一番の醍醐味は牛の闘争心。牡牛の「悲しい性(さが)」もあるが、必死な戦いは見ている者に感動を呼ぶものがある。特に、これまで名牛と呼ばれてきた牛には擬人化したくなるほどある種の感動がある。牛主でもその人が本当の愛牛家であれば、自分の牛にいかに愛情を注いでいるかが、一つびとつの仕草の中から見ることができる。勝ち牛だけでなく、熱戦の末に破れた牛も拍手で送り出したい。(宮城邦治氏、沖縄国際大学教授)

いつもは穏やかだが、ひとたび闘牛場に現れると聞いに挑む威風堂々とした姿。力みなぎる四肢の踏ん張りと柏手の虚をつく俊敏さ。ぶつかる音のすさまじさ。人力では理解しがたい力のぶつかりあい。教えられた訳ではないのにいろんな技をくり出す知恵。いったん相手が逃げるとほとんど追うことなく、必要以上に柏手を傷つけることのない紳士的行為。自らの勝利を理解するかのような勝ち誇った態度。(比嘉良憲氏、闘牛史研究家)

牛は内部から燃えあがってくる力を泰然と待ち、一瞬に燃え、大地を蹴り、一目散とどまらない。八百長も何の策略もなく、ただ目前の戦う相手にだけ全力、全魂を集中する。小山のような体が内蔵する全力を二本の角に集め、美しく戦う。私は思う。神々が力くらべのために牛に化身したのではないだろうかと。人々は勝ち牛のまわりに群れ、三線を弾き、歌い、カチャーシーを舞う。天真爛漫な喜びが目ににじみ、牛の目に似る。(又吉栄喜氏・作家)

闘牛の最高美技は掛け押しで相手を柵際まで押し込んで横っ腹に飛び込み、柵に叩きつけること。押し込まれた方は、お尻が柵にあたり、後ろ足の踏ん張りがきかなくなるので、必死になって土俵中央に回り込むか、押し戻そうとする。ここで技と力のぶつかりあいが繰り広げられる。(喜岡靖彦氏、徳之島出身)

これまでに何十頭と父と共に飼育してきた。見込み違いで肉用牛に出したりと失敗も随分経験した。それでも購入して一旦自分の牛小屋で草、飼料等を食べさせ、一日でも飼育すると愛情がわく。その日から家族の一員だ。一度飼育した牛はどこへ行っても自分の愛牛だと思い、飼育状況や対戦状況が大変気になる。私の人生には闘牛があり、闘牛を一生の友として歩み、健康と心の慰めとしていきたい。(幸地政和氏、元石川市闘牛組合連合会事務局長)

元来牛という動物は、動きの鈍いものの代名詞として使われてきた。その敏捷性はあまり知られていない。しかし、対戦しいったんチャンスとみると攻撃に転じる動きは目にも止まらない。ここに闘牛の醍醐味がある。(上原政英氏、元闘牛解説者)

闘牛の面白さは忍耐、力強さ、スピード。私たちが世話に熱を入れている苦労に報いるために牛は死に物狂いで戦っているように思える。牛の頑張りと勝利の喜びで家族の絆は一層強くなるように思える。(玉代勢光子さん、女性闘牛土)

真剣勝負の見ごたえ。そして、勝負はやってみないとわからない。その駆け引きのおもしろさ。(世嘉良正樹氏、闘牛士)

 
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