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住所 : 沖縄県うるま市石川
TEL : 098-965-5634 (うるま市観光課)
公共交通 : 那覇バスターミナルより22·77·111番で1時間20分、
バス停: 石川電話局前/石川IC下車徒歩25分
: 沖縄自動車道石川ICからすぐ(西側右折300m右手)



駐車場
: 有(収容台数少ない)
築年数 : 8年
直径 : 25m
敷地面積 : 1,510m²
収容人員 : 3500人
トイレ : 有
ナイター設備 : 有

 石川イベント広場のある旧石川市はうるま市(平成17年4月に具志川市、石川市、与那城町、勝連町の4市町村が合併してできた)の北側にあり、沖縄本島のほぼ中央、那覇から北東へ32kmの距離にある。沖縄自動車道のインターチェンジや国道バイパスなどが市内を網羅し、交通の利便性は高い。市の北方には標高204mの石川岳がそびえ、そのままやんばるの山々に繋がっている。東側の低地は太平洋に面し、国道329号線沿いを中心に住宅地や商店街が軒を連ねる。西側は恩納村と接しているが東の石川と西の恩納村仲泊との間はわずか4km足らずの距離で本島では最短の区間である。南西部から西側にかけて海抜110mの石川高原と呼ばれる丘陵地帯が続き、お茶や”らん”の里としても知られるようになった。人口約22,232人(平成11年5月現在)、面積21.03k²。

また旧石川市は沖縄本島の真ん中にあって戦後一番最初にできた市であり、戦前(昭和初期)の石川市は美里村 の行政下にあり、字石川は人口2千人 足らずの静かな村だった。伊波、嘉手 苅、山城、東恩納、楚南を含めた六ヶ字全部合わせても人口5千人くらいであったという。1945年4月1日北谷村に上陸し た米軍は、いち早く沖縄本島を石川付近で南北に遮断して戦局を有利に進め、その一方で上陸の3日後には難民収容所を字石川に置いて米軍による沖縄の占領統治を始める。このため、字石川の人口は急激に増加し、六月には2万人余、九月には3万人余とふくれあがり、市の形態を有する人口を抱えるにいたった。「石川市史」によると、小さな部落はまさに「イモ洗う状態の混雑ぶり」だったと終戦直後の様子を今に伝えている。沖縄戦後初めて誕生した市は石川市で、記録によると、終戦の年の9月26日とのことである。その時期と前後して沖縄諮詢会(流球政府の前身)が石川に設置され、沖縄民政府として沖縄全体の行政もスタートした。戦後の混乱の中から生まれたカンカラ三線や村芝居に代表される沖縄の芸能文化、闘牛などの娯楽、そして戦後の学校教育ど、戦後沖縄のすべては1945年に石川の捕虜収容所から始まったと言える。当時の人々の生きていくため のしたたかさと明るさは、二十一世紀へ伝えておきたい史実だ。

 
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