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Last Update 2014.5.7 About This Site   Site map    Mail  
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クリティカル・マス 発生


福岡で“クリティカル・マス”が発生するという噂を聞きつけ集合場所に行ってみた。 そこは、環境問題や国際経済、平和問題等に取り組み、この社会をよくしてゆきたいと願う人たちの集まりがあった。

■クリティカル・マス

クリティカル・マスとは、1992にサンフランシスコで始まった、道路を車から取り戻そうという自転車によるムーブメント。
最初は、サンフランシスコで自転車で通勤している者同士が声を掛け合い、集まって通勤することから始まったらしいが、その流れが次第に大きくなり、 1997年には5000人もの人々が参加するようになった。日本と違って、このところの参加数が大きく増加するのは国民性なのだろうか。 そのころには、一部で信号を無視し道路を塞ぎ、自分達の流れを優先させるようなピースフルでない動きもあったようで逮捕者も出ている。
日本では地球温暖化防止京都会議(COP3)を3ヶ月後に控えた1997年8月に京都で始まり、現在では国内では約8地域で、世界では100ヶ国以上の国で発生しているようである。
しかし、残念だが日本では一般的に普通の人の目にとまることは少ない。 福岡でのクリティカル・マスは、普通の人にどのように写るのだろうか。

■道路は車だけのものじゃない

自転車って道路を走って良いの? なぁんて疑問をもってませんか。
実は自転車は“車道”を走らなければならないのですよ。 “MUST”なのです。 でも、歩道に“自転車および歩行者専用”“自転車専用”の標識が有る場所に限っては、そこを走ることが出来るんですよね。
でもねぇ“歩道”を通れば歩道と車道との段差が激しいし、また歩行者も一緒に通行しているので走ってられないのが実情。
だからといって、車道を走っていると、車はビュンビュン横をかすめるし危ないよね。じゃ、どうすればいいのだろうか・・・
コソコソ端を走らずに、どうどうと車道を走ればいいんじゃないの? 道路は車だけのものじゃないのだから。


■道路を車から取り戻す事は、いろんな面で都合がいい。

車は下品な乗物だと思うのですよ。あんな鉄の塊が、時速40km前後のスピードで、 しかも人のすぐ側を通り抜けてゆくなんて。しかも、安全は運転者の腕任せであり、 事故にあったら不運という言葉ですまされてしまう。だから、毎年1万人近い人が交通事故で亡くなっている。 自動車と人が別の道を通れるようにすれば良いんじゃないかと思うし、また都心部へは公共交通機関で乗り入れるように 法的規制を設けることで、中心部の交通渋滞も緩和すると思う。 もちろん住宅地には、車のスピードが出ないような仕掛けが必要だし、駐車場の整備も必要だ。

福岡市が総力を挙げて取り組む地球温暖化対策の中では「ふくおかを環境にやさしい総合交通体系が確立した都市に変えてゆきます」 として公共交通機関の利用促進をうたっている。しかし、その「総合交通体系」の中には自転車は入っていない。 かろうじて、市民のアクションプログラムの中に「近くに行くときは自転車で」という文言が見えるだけで、自転車は主役ではないらしい。
でも、自転車を移動の手段とすることで、健康や環境問題が改善し、渋滞の緩和や交通事故が減ったりして、暮らし全体の質がよくなると思うのです。

■臨界点は、まだ先

自転車で1車線を使って安全に走ることは、ふだんは道の端っこを走らざるを得ない自転車にとって、 暴走しているように思えていけません。なんとも罪悪感があるのは私だけだろうか? しかも、アピール度の強い天神地区を駆け巡るコースだからなおさら。
「自転車も車道を走る権利がある!」て鼻息荒く走っているわけでもなく、もちろん暴走しているわけではなく、歩行者や車の安全や、 自分たちの安全にも気を付けて走っているんですけどね。

自分が心地よいことをやっていて、それがみんなの心地よさになればいいなと思っているだけなんですけど。 でも、正しいことをしていても、社会のルールは仮に悪法でも守るというのがお約束。 「自分が正しい」ということからは、良いことは、なかなか生まれてこないし、周りに伝わらない。 クリティカル・マスは、そんな姿勢も常識的で受け入れやすいと思う。

クリティカル・マスが、ただの愛好家達の集まりで終わるのか、変な集団で終わるのか、誰かに何かを伝えることができるのか。 普通の人に行動を促すアクションってのは、いつも難しいなと感じます。

■意思表示のやりかたは、たくさん

音楽をかけ、ノボリを立て、思い思いのパネルを掲げて、街行く人に想いを伝える。 そんな、いろんな形の意志表示があって良いと思う。
平和を求める人は“No Blood For OIL(石油のために血を流すな)”、“Fonk For Peace(平和のためにクラクションをならそう)”と、 行き交う車にパネルを見せる。そうすると、街行く車からもクラクションが返ってくる(1台だけだったけどね・・・)。
そんなやりとりの中から、意思表示するひとと、周りの人との垣根が無くなり、 社会に対する意思表示が普通のこととして、当たり前の市民の生活として、 普通の人の暮らしの一部として定着していって欲しいと願う。 社会を自分たちで創ってゆくには、そういった地道な活動が必要なのだと思う。

それには、社会に関心が無い人々に気づいてもらう事が肝心!
そのためには多様なやり方で、取り組む選択肢を提供してあげたい。みんなは自分の気に入った、自分に合う活動から取り組んでゆけばいいと思う。 クリティカル・マスもその一つの表現方法なんだな。

結局、これまで3回のクリティカル・マス(うち1回は、ピースライドとして)は福岡では、少し報道されて終わった。 大多数の普通の人は、このイベントがあったことさえも知らないだろう。

たくさんの人と自転車で颯爽と走りぬけれるようになったとき、福岡は、もっと暮らしやすい街になる。

もっとみんなで走ろうじゃないか。


クリティカルマス フクオカ

ふくおか2010アクションプラン
 第二次福岡市地球温暖化対策地域推進計画
 子どもたちと将来の世代の未来を守るために


〜ピースライド〜 博多駅前 

「誰のために戦争?」のぼりも目立つピースライド。 このライドには、老若男女約30名が集まった。
2003.2.16


〜ピースライド〜 

「No Blood for OIL」石油のための戦争なんて、まっぴら御免
2003.2.16


〜ピースライド〜 ソラリア横

1車線つかってのライド
2003.2.16



クリティカル・マス Vol.1
〜桜ライド〜

"Fonk for Peace" 街行く車がクラクションを鳴らしてくれる
2003.3.29 (Photo by Arei Maeda)



クリティカル・マス Vol.2

ゴール地点で、チャリンコを持ち上げてのポーズ
2003.4.26 (Photo by Arei Maeda)





※CRITICAL MASS(臨界質量)
マーケティングにおいて「クリティカル・マスを超えると、その事象が一部の社会的現象や一過性の流行ではなく、急速に社会に定着する。」という法則があり、その臨界を指し示している言葉。





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