呆冗記
呆冗記 人生に有益なことは何一つ書かず、どーでもいいことばかり書いてあるぺえじ。


私のテレビマガジン

 さて、『グレートマジンガー』を見ているのだ。というか、結構記憶にあるのはどうしてだろう。やっぱり、私は『グレートマジンガー』から入ったのであろうか。74年9月ということは小学2年生。おそらく、そうなのかも知れない。
 ただ、やっぱり脳内変換が結構進んでいる。いや主人公はもっと大人だとおもっていたのだが、そうでもない。というか結構我が儘兄さんではないか。炎ジュン姐さんも、もっと美人だと思っていたのだが、なんかいろんなものが壊れてしまったようなそんな気もするのだが。しかし、懐かしさも一杯だったりするのだ。
 まったく、ネーブルミサイルはビッグブラストの先駆者なのだ。どうやって保存しているかは知らないが、連射してるし。
 などと言っていたら、やけにすらすらとスペックが連呼できたので、自分でも吃驚してしまった。
 大きさ25メートル。
 歩く速さは時速70キロ。走ると450キロ。
 飛行速度マッハ4。
 アトミックパンチはロケットパンチの4倍のパワー。
 グレートタイフーンは風速150メートル。
 サンダーブレークは300万ボルト。
 ネーブルミサイルはマジンガーZのミサイルパンチよりも3倍の破壊力。
 ブレストバーンは4万度。
 何なのだ? これは。一体、どうしたというのだ。
 しばし、考える。ああ、そうか。
 あれは夏休みのことだった。小学校2年の夏休みである。その頃、私は夏になると祖母の家に何日か泊まりがけに行くのが習慣だった。おそらくは母親の夏休みのようなものだったのかも知れない。
 そういう例は核家族化する以前の30年も昔には良くあったことだと思う。
 朱雀の奴なぞ、例のゲートボール御祖母さんの家で種と畑の替わりに油を畳に蒔いたり、写真が残っているのでもう、親戚の集まりの時に何度でも言われるのだそうだ。更には、どういう訳かわからないが、残念ながら、学校給食で鯨のカツを喰うような世代では我々はないし、更に北海道人のくせに鯨肉のうまさに目覚め、30過ぎてから網走まで暴走するお兄さんになったりするのである。
 私はと言うと、どうも、祖母の飼い犬にエサ鍋のなかにエサの替わりに石をぶち込んで
 「さあ、おあがり」
 とやったらしい。この写真がしっかり残っているので朱雀と同じく、以下同文。
 しかし、何故、昔の親はあんなに下らない写真を撮ったのであろうか。どう考えたって、大通公園でてっ転んで、呆然とし、泣き出す連続写真なぞ、息子の事を考えれば撮れる訳がないのだ。ファインダー覗くと性格が変わるとでも言うのか。それをきっちりアルバムに貼る根性がわからない。
 話が脱線してしまった。
 で、『テレビマガジン』である。このスペックは『テレビマガジン』のマジンガーZの最初の記事ではないだろうか。DVDのデータによると74年9月号の『テレビマガジン』のグレートマジンガーとマジンガーZの比較記事の内容らしいのだ。そうだ。確かにそうだ。記憶がだんだんとはっきりしてくる。
 確かに見開きのピンナップにはマジンガーZとグレートが握手している姿があったような気がする。
 新しいマジンガーは鋭角的でいかにも強そうだった。
 ただグレートタイフーンはブレストハリケーンのように機械獣を溶かしてくれそうにないので不満だった。祖母の家の近くのスーパーの雑誌売り場。祖父と一緒に買い物に行った私はそこで、見つけた幼年雑誌『テレビマガジン』の9月号。買い物の間、邪魔しないように置かれていた時間だけ、その時間だけのつもりで読み始めたその雑誌に魂を奪われてしまったのだ。
 ああ、そうだった。
 幸いにして、母親はいなかったので(いたら買ってもらえたはずがない)そんなに気に入ったならと購入を許された私はもう、大喜びで、その祖母の家での夏のほとんどの時間、その雑誌を見ていたのだ。
 そうだった。ま、その大事にしていた雑誌も、小学校6年生の時にはお別れしたのだが。
 しかし、セミとりや海水浴。かき氷や、西瓜といった夏の思い出でなしに、『テレビマガジン』がその夏の思い出だなんて、哀しいというか私らしいと言うか。
 しかし、やっぱり幼児教育は大切なのかも知れない。まじめに今の自分を鑑み、そう思うのである。(03,6,24)


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