呆冗記
呆冗記 人生に有益なことは何一つ書かず、どーでもいいことばかり書いてあるぺえじ。


追悼 内山安二氏

 『大人の科学マガジン』を購入した時の話である。65年生まれで、買えない時期はあったが学研の『○年の科学』を購読していた身にとって愕然とする事実が現れた、
 2002年9月2日、内山安二氏が大腸癌で亡くなっていたのである。ご冥福をお祈りしたい。
 こう言っては申し訳ないが、あさりよしとお氏の『まんがサイエンス』がいかに面白かろうと、私の深い所では、絶対に『コロ助の科学質問箱』や『できる・できないのひみつ』に敵う物ではないのだ。
 残念ながら、私の蔵書は過去幾度かの引っ越しと両親の教育方針により破棄され、現在は、カバーなどどこかに行ってしまい、オレンジ色の表紙を持ったあの2冊の本は記憶の中にしかない。ボロボロになった2冊の本。
 故に、こんなに処置に困る書痴になってしまったわけなのだ。恐るべきは幼児体験なのである。
 「もう、小学生のお兄ちゃんなんだから、絵本とはバイバイね」とか、
 「もう、中学生なんだから小学生の読むような本は棄ててしまえ」とか、
 「高校生になったんだから、くだらない本は棄てなさい」とか言われた結果、高校生になってから新谷かおる氏の『ファントム無頼』がコミックデビューとなり、マンガ、ライトノベル一直線の人間となって今に至るのである。ああ、恐るべきは幼児体験。両親の教育は全て逆効果だったのである。
 息子として何と申し訳ないことか。両親の苦衷を思うは吝かではないのだが、しかし、私の心の痛みを考えれば、現状も宜なるかななのだ。
 いや、あの私のコレクションが消滅した日の哀しみは想い出すだに胸が痛くなるのである。
 話が脱線しすぎた。『○年の科学』と、内山氏の思い出に戻ろうと思う。
 とにもかくにも、小学一年生になった私は、残念ながら、『小学1年生』は買ってはもらえなかった。「あんなマンガも載ってるような雑誌はいらない」という両親の教育方針だったのであろう。
 ちなみに、私は中学卒業まで、マンガという蔵書を持ったことは一度もなかったのだ。
 『1年の科学』そんな両親が選択した学年雑誌であった。しかも、普通なら『科学』と『学習』はセットで購入する者が多かったのだが、私の場合は『科学』だけだった。
 月に一度、学校の理科室に「学研のおばちゃん」が『科学』と『学習』を販売に来る。この時の感動、なんと言えば良いのだろうか。もしかしたら、年配の方が『少年倶楽部』を購入された時と似たものがあるのかも知れない。この教材で1月は遊び倒せるのだ。ああ、選ばれし者の恍惚と不安、我にあり。
 しかし、蜜月はいつかは終わる。ああ、哀しいかな。3年になった時、学校に『学研のおばちゃん』が来なくなってしまったのである。えらいショックだった。2学年から3学年へ。連載物は「つづく」のだ。なのに、おばちゃんは来ないのである。
 両親に聞いても「どこに売っているのか知らない」という。事実、本屋には売っていない。
 哀しい時間が過ぎていった。私は哀しい時間を過ごしていた。
 両親は『朝日小学生新聞』などを半年ほど取ってくれたが、これは科学的好奇心を満たしてくれる物ではなかった。(むろん、影響はあった。『はだしのゲン』の作者が書かれた(と思う)兄弟妹が満州で両親とはぐれ、艱難辛苦を耐え、兄は病死? 弟は何とか帰国。妹は残留孤児となり、日中正常化によって再開するというマンガは私の純粋だった精神に大きなトラウマを残している。絶対的弱者が強者によって被害を受けた時に、過剰反応する性癖はこのマンガによって作られた物かも知れない。だったらえらく逆効果であった)
 そして、私は『科学』と再会する。3年生の初冬。友人の家の玄関に、どう見ても、見たことのある、そして見たことのないプラスチックの固まりが転がっていたのだ。そう、それは『科学』の教材であった。しかし、それは『1年の科学』や『2年の科学』の教材ではなかった。何故なら、私はその全てを保管していたからだ。
 ならば、そう、『3年の科学』の教材だったのである。私は驚喜した。話を聞けば学研のおばちゃんがこの家には来ているという。私は彼と遊ぶ約束も何のその、家にとって返すと母親に友人の母親に即電話するように頼み込んだ。『学研のおばちゃん』はすぐそこまで来ているのだ。もう一件ぐらい増えたって何のことがあろうか。
 かくて、私の元に再び『科学』はやってきた。そして、内山安二氏の温かなキャラクターの元、私は明るい未来を信じることができたのである。こんなにも科学が進めば幸せに慣れるに決まっている。いや、2000年を越えれば、もしかしたらぼくは宇宙に行けるかも知れない。
 今思えば微笑ましい日々であった。
 そして、『科学』の教材は1月遊ばれた後、箱に戻され、本棚に保管され続けたのだ。
 しかし、小学校を卒業したある日、それらの教材は全て父親の用意したゴミ袋に投げ入れられた。本誌や、学研の『ひみつシリーズ』『学研の事典』や『小学館の事典』も縛られ、ちり紙交換へと出されてしまった。
 「もう、中学生なんだから小学生の読むような本は棄ててしまえ」
 命令は絶対だったのだ。こうして内山安二氏との関係は、『まんがサイエンス』のおまけマンガでの再会まで断たれることになる。
 そのときはとてもお元気そうだったのだが。
 内山氏のマンガは、間違いなく小学校4〜6年の私に大きな影響を与えてくれたのである。
 内山氏、本当にありがとうございました。随分と遅くなりましたが、ご冥福をお祈り申し上げます。(03,5,16)


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