呆冗記
呆冗記 人生に有益なことは何一つ書かず、どーでもいいことばかり書いてあるぺえじ。


老いて益々盛ん也

 少しばかり老いて益々盛んだった人々の話をしようと思う・・・。
 私の祖父さんはなかなかの頑固者であったが、ともかくこよなく酒を愛した人であった。何と言っても孫がまだ小学生の頃に、前立腺を切り、『うちの人の病気』という冬休み帳に
 『うちのひと おじいちゃん。 びょうき ぜんりつせん。 なったげんいん おさけののみすぎ』
 と、書かれたのことがある人である。
 それでありながら、十数年前に死ぬその前日まで晩酌を欠かさなかったという・・・。
 ガラスの切り子細工の銚子に、その日の分の酒を満たし、野球を見ながらちびちびと飲んでいた姿を今でも思い出すことが出来る。
 また、煙草も確か缶ピースを晩年まで月に3缶は吸っていたのではないだろうか。それで八〇余才まで生きたのだから、おそらくは丈夫な人であったのだろう。
 まったく、我々のひ弱な体に比べ、かの歳の方々の丈夫な事、呆れるほどである。若い頃のボーナスはほとんど飲み屋のツケに消えたなどという豪快な飲み方をした日には、確実に私など肝臓を破壊されてしまうであろう・・・。

 丈夫といえば、朱雀のお祖父さんお祖母さんにも愉快な逸話がある。お二人がまだ、80才になったかならないかのころ。
 ある、日曜の朝のことだそうだ。
 朱雀の上の叔母さん(朱雀の母上は四人兄弟の一番上。女、女、男、女の4人兄弟である)が8時頃お祖父さん、お祖母さんの家に電話をかけたが出ない。
 「ま、朝の散歩にでも行ったのね」
 そう思った叔母さんはそのまま放っておいたのだそうだ。
 昼過ぎ、下の叔母さんが電話をしたがやっぱり出ない。
 「あら、買い物にでも出たのかしら」
 そう思った下の叔母さんもそのまま放っておいたのだそうだ。
 しかし、夕方、二人の叔母さんが、用事で電話を交わしたときに恐ろしい事実が判明したのである。
 「そういえば、お姉ちゃん。お父さん、お母さん、昼過ぎに電話したときにいなかったわよ」
 「え、あたしが電話した朝にもいなかったのよ」
 さあ、大変である。朝から昼過ぎまで音信不通。直ちに事態はお祖父さん、お祖母さん宅に一番近い、朱雀の母上の所に伝えられたのだという。
 しかし、夕方の電話は呼び出し音を伝えるばかりである。
 80過ぎの老夫婦が朝から夕方まで音信不通・・・。全ての人があまり芳しくない想像をしたとしても、責められまい。
 「龍樹! あんた、車出しなさい!」
 哀れ、休日をまったり過ごしていた朱雀は愛車レオーネと共にお祖父さん、お祖母さん宅に向かったのだそうだ。
 そして、慌てふためいた母上と朱雀の見たものは・・・。
 朝の7時から夕方5時過ぎまで、お弁当もって、屋外ゲートボール場で練習し、真っ黒に日焼けした元気なお祖父さん、お祖母さんだったという・・・。
 80過ぎのこのバイタリティ。流石は世界ゲートボール大会日本代表としてブラジルまで行ったご夫婦であった。
 私や朱雀や武田には絶対に無理な話ではないのだろうか・・・。
 ま、そんな老いて益々盛んな方々から見れば私たちなど「最近の若い者はなっちゃいない」の最たるものなのかもしれない。

 ただ、出来れば私も可能な限り、元気な老人になりたいな。などと不埒なことを考えているのである。やっぱり老人になっても、あちこち旅行して歩いて、旨いものをたらふく食いたいな。などと思ってしまうのだ。
 まあ、今でも、稚内の牛タン、網走の鯨、池田のカニなど、けっこう信じられない事をやっているが、夢は象潟のイワガキ、名古屋のみそにこみ、九州のふぐである。
 目指せ! 全国制覇! って・・・しかし、私は嫁さんもらう気があるのであろうか? なんかとっても心配になってくるのである。
(01,10,17)


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