呆冗記
呆冗記 人生に有益なことは何一つ書かず、どーでもいいことばかり書いてあるぺえじ。


大団円(未来少年コナン 2)

 さて、再び『未来少年コナン』ネタである。
 しかし、ハイハーバーの豚飼いさんの話はやっぱり記憶になかった。
 どうやら、私はあの、サルベージの後、ずっとインダストリアにいたと思っていた節がある。だから、私はラナちゃん一世一代の晴れ舞台をすっかり忘却していたようなのである。
 あの、ガンシップ沈没の顛末だ。
 しかし、あのくらいの少女が、沈みゆく船の中で、実際、浸水が著しい船の中で、ああも見事にコナンの助けを待っていられるものであろうか? もう、これは単なる囚われのお姫様の範疇を越えたキャラクターといっていいのではないだろうか?
 普通ならあそこで、ああも堂々としていられる状況ではないはずである。なのに、彼女は床にひざまずきベットに肘をのせてただ祈るようにコナンを待つのである。
 いやあ、やっぱり宮崎アニメのヒロインは一種男の理想像なのかもしれない。
 しかしだ、単なる囚われのお姫様ならば高い塔の一室に閉じこめられていればいいものを、この物語の悪役、レプカはもう、このお姫様を高い塔の先に立たせたり、等、ちっとも閉じこめておいてくれないものだから、ラナちゃんはそのたびに獅子奮迅の大活躍をしなければならないのである。いやあ、大変だ。
 ま、確かに悪役、レプカこそこの物語での唯一の『悪』と呼べる存在なのかもしれない。
 間違った知識と価値観しか与えられなかったが故に『悪』の道に踏み込んでしまったサルベージのお兄ちゃんや、身に余る野望を未熟な精神に持ってしまった豚飼いのお兄ちゃんなどとは違い、彼はもう、一切の妥協のない『悪』である。これはもう間違いのないことなのだ。
 委員会の老人達は、乏しいエネルギーを元に太陽塔に残る人類の技術をなんとか後世に残そうという『善』のために、あのような二級市民、などという制度を採用するしかなかった。彼らの価値観では限りあるエネルギーを共有することで得られる短期間の多数の幸せよりもエネルギーを独占することで少数の長期間の幸せを求めたのだろうか? いや、そうではない。太陽エネルギーを地上に送る機能を持った衛星の存在が、彼らを狂わせたのだろう。その衛星があれば、太陽塔は無限のエネルギーを発生しうる。その時に無限のエネルギーを共有する長期間の多数の幸せを求めたのだろう。
 結果として彼らの考えは、長期に渡る苦渋を大多数の人間に強いることとなったのだが・・・。
 しかし、レプカがどこから彼の野望にとりつかれたかはわからない。しかし、人類を滅ぼしかけたタブーであるギガントを使って行う権力の維持と遂行。もう、大悪党の考え方である。ラストがあまりにもしょぼいので小悪党のように思えるが、おっとどっこい。彼はその野望を刷り込まれたどこかの宰相と違って、一から十まで自分の力で悪事をなそうとした大悪党なのである。故に、ラストは格好良く、
 「一瞬は確かに地球をこの手に握ったぞ」
 位のことは言って、炎の中で哄笑しつつ燃えさかるギガントと運命をともにして欲しかったな・・・。などと思うのだ。
 いくら何でも、脱出し損なってあの終わり方ではもう、コアに取り込まれてしまう並に格好悪いではないか・・・。と思うのだが・・・。せっかく、本当のもう、情け容赦のない大悪党になれる素質を持っていたが故に、残念である。
 しかし、この大悪党のラストがどうもギャグ(時計塔の針に挟み潰されたり、なんなり)というのは、宮崎アニメのお約束なのかもしれない。
 とにもかくにも、ラナを、モンスリーを、ダイスを救った、『存在』としてのコナン。『存在』の価値は、仕事がある間必要なだけで、その仕事が終わってしまえば消えてゆくしかない。歴史上、必然的に出現し、消えていった、歴史を、そして人々を変えていった人物でその終わりを全うできた人間はほとんどいない。
 あまりにも大きな力を持ち、人々の狂った道をただした少年、コナンはは、その仕事を終えたあと消えていくしかなかったのだろう。しかし、漂流するコナンは、ラナちゃんによって救われる。すなわち、『存在』であったコナンはラナに救われることによって、元の少年に、残され島のコナンに戻れたのかもしれない。

 いやあ、仕事があんまり忙しいのでなんなへりくつをこねてしまったような気がする。
 しかし、レプカの最大の罪というのは、もしかしたら、ラナちゃんいじめた、この一言に集約できるのかもしれない・・・。(01,10,14)

追伸
 しかし、こう書いて思ったのだが、宮尾岳氏のマンガ、『Kazan』って、コナンとフォーマットが酷似しているんじゃないかな・・・とふと気づいたりしているのだが。
 「しかし、ここはその証明を書くには狭すぎる」
 なんちゃって。
(01,10,17)


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