呆冗記
呆冗記 人生に有益なことは何一つ書かず、どーでもいいことばかり書いてあるぺえじ。


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 わははははははは。いやあ。もしかしたら、今年度最大の問題作かも知れないのである。『黙示の島』も、確かに問題作ではあった。『夢の涯』は待ち続けた作品ではあった。『春の魔術』は期待はずれであった。
 しかるに、この作品は・・・。ここまで凄まじい作品が今年あったであろうか。
 『A君(17)の戦争 4 かがやけるまぼろし』
 個人的には、この作品をもって、私は佐藤大輔氏=豪屋大介氏を完全に信じるものである。もう、間違いあるまい。
 物語自体は我々の見果てぬ夢。永遠に続く祭りの日々。名作『ビューティフル・ドリーマー』『ハレーションゴースト』である。
 学校祭。こいつは準備の方が数倍面白い。この準備の楽しさに比べれば当日展示なぞたいしたものではない。この輝ける日々が永遠に続くとしたら・・・。それは私のようなお祭り人間にとっては見果てぬ夢なのだ。むろん、朱雀のように放送局などで本当の裏方をやっている人間にとっては、永遠に続く準備の日々というのは悪夢以外の何ものでもないのだろうが。
 しかもだ、ある程度の権力を持って、学校祭を仕切る事が出来たなら、こんな楽しいことはあるまい。
 今回の小野寺剛士君は、信頼できる仲間達とともに文化祭実行委員長として辣腕を振るうことが出来るのだ。憎むべきいじめの元凶だった飯田も、妄想しか持たないオタクの引きこもりだった毒島も、人生を狂わされた大磯も。この世界では信頼に足る仲間達だった。
 そして、我々の見果てぬ夢。「幼なじみの隣に住んでる美少女」さえもが剛士君の側にいるのだ。無敵である。完璧に無敵である。そんな物語みたいな話はそうそう転がっているものではない。
 朱雀の家の裏のお宅には二つ年下の女の子が住んでいた。(四才下の妹までいた。やりようによっては「お兄ちゃん」である。うはうはではないか)そこまでは夢物語通りなのだが・・・。残念ながら幼なじみというほど深い付き合いはなく、更に、美少女でもなかったのである。(合掌)(しかし、失礼な言い方であるな)
 剛士君はそんな状況で敵ならぬ、学校祭という終わらない祭りと争うこととなる。
 しかし、その、絶対的なものと信じた『現実』が亀裂を生じ始める。
 二足のわらじの『ライトノベル』作家として、自らが生み出した、架空の存在でしかないはずのキャラクターと同じ姿を持つ、女教師の出現によって、世界は確実に変貌しつつあった。
 幼なじみとの満たされた生活に対し、感じてしまう後ろめたさ。何かを忘れているかも知れないと感じる焦燥感。
 そして・・・。

 いや、賛否両論、毀誉褒貶。色々な評価があるかも知れないが。私にとってはど真ん中ストレートでツボである。
 この世界を否定してしまうのは、この世界を慈しむだけのトラウマの結晶化が出来ていない人間か、トラウマを現在進行形であがいている人間なのではないだろうか。
 逆に、この世界をすとんと納得してしまうのは。結晶化の終わった『ライトノベル』の読者としては大きなお友達か、本当の対象者だけなのかもしれない。

 しかし、今回も独特の節回しは快調である。

 「……僕は男だ。ボタンじゃない。男として君を好きになることはできても、ボタンになることだけはできない
 (太字は実際は傍点)
 うーむ、何言っているかよく分からないが、読了するとひしひしと意図するところが伝わってくる台詞である。普通は、ここで意地を張るのは少数派である。
 しかし、それ故に私は彼と彼が主人公の世界に期待するのだ。

 しかし、個人的にはこの4巻。『ガサラキ』の平安編というか、『ボトムズ』のクメン編というか、なくてもいいが、物語を深くさせるためには不可欠な展開と信じるのだが。ここで張った伏線は果たして本当に明らかにされるのであろうか。私の深読みという事にはなるまいな。
 少なくともスフィア、ほのか、鈴の音の黒幕、この関係は?(ほのかはスフィアの姉ではないだろうか?)とか、色々と楽しみなことである。しかし、作者、出版社には一刻も早い続編の刊行を期待するのである。3巻+外伝=放置。では、まるっきり某作品と同じではないか。
 あと、もうひとつ。本当の外伝で、作品中で剛士君が書いている『僕達の戦争』出ないであろうか? 無理だよな。しかし、べたべたの『ライトノベル』ダイジェストでもいいから読んでみたいモノである。(笑)(02,11,24)


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