呆冗記 人生に有益なことは何一つ書かず、どーでもいいことばかり書いてあるぺえじ。
春の魔術と黙示の島
なんと、田中芳樹氏の最新作。『春の魔術』が発売された。
あの『夏の魔術』以来、4部作が本当に完結するなど誰も信じていなかったに違いない。
しかし、完結してしまったではないか。ああ、生きていて良かった。そう信じたかった。
何と言っても、田中芳樹氏である。大学1年の春に、『銀河英雄伝説』のローマ数字版X巻を先輩からもらって以来、延々とファンをやってきたのである。
最初に読んだ銀英伝のおもしろさは一言で表現できるものではなかった。翌日には本屋へ走り、とにもかくにも1巻〜4巻をそろえて一気読みしたものである。
読み終えた時、気がつけば電気もつけていない部屋に、日はとっぷりと暮れ。今まで確かに活字を読んでいたにもかかわらず。どうやっても、文字が読めない。そんな経験をしたのは、後にも先にも、『クラッシャージョウ』シリーズを始め、私の一生の中でも二三回しかない。(一番最近が、今年の正月の『ハリポタ』だったりするのがご愛敬だが。
しかし、寡作な時期が非常に長く続き、最近はどうも過去の作品の編訳や原案だけ出して若い作家に書かせたり、シェア・ワールド化したりして、どうも個人的な評価はイマイチと言って良かった。
『クラン』は?
『レッド・ホット・ドラクーン』は?
まさか、『地球儀世界シリーズ』も若い作家に書かせるために文庫化したのではあるまいな。
そんな中での『夏の魔術』シリーズ。作者の一番お気に入りのシリーズの最新作にして完結編。出るという噂を聞いてどれほど期待しただろう。どれほど発売を待っただろう。
しかし・・・。
ここにこの駄文を読みに来ている方で田中芳樹氏を溺愛し、反論を一切認めない方はここで読むのをやめて欲しい。そうここで書かざるを得ない感想を持ってしまったのだ。
あなたを不愉快にはしたくない。下のボタンで他のページに飛んでいただきたい。
もしも、私の田中芳樹愛読者歴19年の時間に免じて年寄りの繰り言を聞いてやろう。そう考えて下さっている方は暫く、ほんの暫く
私の戯言におつきあい願いたい。
まず、本作の問題点は、主人公コンビが主人公コンビでないところにある。耕平&来夢の無敵コンビが結成されるのは第5章、ページにして90ページを超えてからなのである。
確かに冒頭、来夢が行方不明。で、旅立つ耕平というつかみは。普通の作品ならば許されるだろう。しかし、『夏の魔術』シリーズではこれは許されるものではない。断じて許されないのだ。この『夏の魔術』シリーズでは二人は不可分の主人公なのである。それを分離することは物語の根幹に関わることと言っていい。
変わりに前々作で敵役だった亜由美嬢が来夢の変わりに活躍するが。そういう話ならば他を読めばいいのだ。『夏の魔術』シリーズではない。
次の問題点は北本氏の扱いである。いくら人生の黄昏が近づき邪なる者の跳梁に心奪われる頃となったしても、あの、全三作までの年長者振りが消失し、あっさり奸計に嵌ってしまうのはどうしても納得できないのである。しかも、その辺りの説明はろくになく、耕平には忘れ去られている始末である。(120ページの『俺ってバチあたり』発言でその説明がされているとするならば作者も焼きが回ったと言えよう。緻密な構成が持ち味ではなかったのだろうか?
最後にもうひとつ。おまけだが、オタクの藤崎君の扱いである。酷すぎる。第二作のあの愚かではあるが善人といった感じが消失し、単なる無能な邪魔者扱いとなる。作者の中で何かが変わってしまったのだろうか?(最後の扱いでは涙が出た。あんなのではなく、『超能力? 霊能力? そんなものがどうしたって言うんだ。亜由美さん。握手して下さい。サインして下さい。良かったら一緒に写真とらせて下さい。わあわあわあ』というのが正しいオタクではないのか?)
どうやら、彼の中で、私のようなヲタは存在を許されないらしい。もはや読者層からはみ出してしまったのだろうか。
『黙示の島』の軍オタ少年は剣道美少女の心を手に入れた。
しかし、『春の魔術』のアイドルオタ大学生は、作者から存在自体を否定されたのである。可哀想に。
確かに愛読者だと思ってきた19年間。しかし、それは私の錯覚だったのだろうか。いつからこんなにはまりこめなくなってしまったのだろう。時間はすべてのものを変えてしまうのかも知れない。(02,9,20)