呆冗記
呆冗記 人生に有益なことは何一つ書かず、どーでもいいことばかり書いてあるぺえじ。


さよならだけが人生ならば、どれだけ酒を飲むのだろう

 なんとなく、気分がブルーなのである。ま、武田や朱雀、久部さんや冴速さんまで室蘭に道の駅を探索に行ってしまったのに。私だけ一人寂しく仕事で取り残されたのだ。こんな時は思わず漢詩など口ずさんでしまうではないか。

「勧酒」 于武陵

勧酒金屈巵

満酌不須辞

花発多風雨

人生足別離

 私だって、詩吟の「山」の雅号を持っている朱雀ほどではないが、このぐらいのインテリジェンスはあったりするのだ。ほんの少しだが。
 ま、読み方は以下の通りである。

「勧酒」 于武陵

君に勧む金屈巵(きんくつし)

満酌、辞するを須(もちい)ず

花、発(ひら)けば風雨多し

人生、別離足る

 意味を訳すと

 君にこの金屈巵(取っ手のついた杯)の酒を勧めよう。
 いっぱいに注いだこの酒を飲まないなんて言わせないぞ。
 花が咲いたら雨風で散ってしまうように。
 今度いつ会えるかわからないいんだから。

 ここまで読んできてあれ? と思った方。なかなか鋭い。そう。この詩は井伏鱒二氏の名訳があるのだ。(一部、彼の翻訳ではないと言う説もあるが)

コノサカヅキヲ受ケテクレ

ドウゾナミナミツガシテオクレ

ハナニアラシノタトヘモアルゾ

「サヨナラ」ダケガ人生ダ

 うーむ、今回調べてみて間違いに気がついた。私は「サヨナラ」ダケガ人生サと覚えていたのである。うーむ、だとなんだか拗ねたような感じがするが、だと断定でなかなか意味が変わってくるのではないだろうか。

 ところで、今回の本題。金屈巵である。キンカクシではない。(今回は武田も朱雀もいないので、一人ボケ、一人突っ込みなのだ。ご了承願いたい)
 というのは人間がうずくまったような形を表し、結果、酒壺を意味するようになったという。
 金屈巵とは、黄金で出来た取っ手のついた高価な杯であるのだが、一説によると4升はいるというのだ。さすがは酒壺に取っ手を付けたような杯である。4升。7.4リットルである。確かに、確かに、真夏、大通りで4リットルのキリン・タワーサーバーを後輩と二人で転がしたことがあるが、7リットルは流石に凄いものがある。
 大体中身の液体だけで7.4キロ。入れ物も考えれば10キロを超えるだろう。単純計算で大体20センチ四方大杯である。果たしてこの表現は『白髪三千丈』のような誇大な表現なのだろうか? それとも中国の詩人はこのくらい平気で飲んだのだろうか?
 そんなことを考えながら、私はピザのスモールサイズを目の前に、旅行に行けなかったやけ酒を煽るのである。500缶1パッケージ(6本)って何リットルだっただろうか?
(02,9,16)


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