呆冗記
呆冗記 人生に有益なことは何一つ書かず、どーでもいいことばかり書いてあるぺえじ。


人生激情3 テロリスト 完

 というわけで、現状に於いては一応、このテロリスト問題においては結論をつけたいな、と思うのである。
 で、人生のほとんどを、歴史書を読むことに(買うことに?)費やしている友人朱雀龍樹(現物)を隣に置いて、更にメールその他の反響をもとに、一回、まとめをしてみたい。そう思うのだ。
 「ども、朱雀です。おい、上杉! 270万の車買おうかと悩んでいて悪かったな!」
 ひえ、そこからくるか?
 「わずか50万の違いだが、エンジンは500CC大きいし、ブレーキは4輪ディスクだ。高速道路で、もう少し加速があれば、緊急事態に4輪ディスクであれば、そう思っても後悔先に立たずなんだぞ」
 それ、わずかなのか?
 「人一人怪我させたら、50万で済むか? 特に教員なんぞ、事故ったらおしまいだぞ」
 そうか・・・。そういう考えもあるのか・・・。
 「最近色々あるが、やっぱり教員は万が一を考えないといけないんだ。事故が起きてから、ああしたら、とか、こうしたらなんて考えるのはごめん被る」
 はあ・・・。
 「というわけで、4輪ディスクと2000CCエンジンは必要経費なんだが・・・」
 が?
 「50万あれば3回は京都に行ける!」
 つうか、バイオ買わなければ2回は京都に行けたんじゃないか?
 「それはそれ、これはこれだ」

 はあ・・・。ま、ともかく、今回の米国同時多発テロについてのまとめをしたいと思うんだが・・・。
 「おし、まず、前提条件として『テロは戦争にあらず。テロは許されるものではない』これをはっきりさせる必要がある」
 うむ。
 「某スポーツの公平性も何もわからない日本最大の新聞社が『テロ戦争』なんて書いているから困ってしまうんだが、ワシントンポストが『これはもう戦争だ』というのと、『テロ戦争』では天と地ほどの違いがある。
 『これはもう戦争だ』。というのはテロは通常は戦争ではない。しかし、ここまでやられたらもう、戦争並みだという意味だし、『テロ戦争』というのはテロと戦争を一緒くたにする頭の悪い表現でしかない」
 はあ・・・。
 「『テロに対して妥協はない』これは絶対の前提条件だが、貴様の『テロリスト』にはどこにもこの表示がない」
 いや・・・。冒頭の・・・。
 「
『私は嫌いなものがいくつかある。自分の考えを大事にしない奴。自分の考えに固執するあまり、他人の考えを尊重しない奴。酒を水で割る奴・・・。
 しかし・・。これはもしかしたらそれ以上かもしれない・・・。自分の考えに固執するあまり、他人の命を大事にしない奴』

 これで、それを理解しろと言う方が難しいぞ。
 更に、文末だが、
 『
小泉首相は米国の行動に追従する談話を発表している。
 しかし、その発表はアメリカにテロ行為をしかけたテロリストたちの標的となることを意味することをどれだけの人々が理解しているだろうか?
 欧州の国々が微妙に距離を置く中、日本の突出ぶりはどうしても目立つ。
 しかし、日本人は何もわかっていないのではないだろうか・・・。
 かくいう私も何がわかっているのだろうか? 人と人の間の闇は斯様に深いのだろうか?
 今後、あの第二次世界大戦すら「古き良き時代」と思われるような凄まじい新しい戦争の時代が始まることは間違いない。
 しかし、どれほどの日本人がそのことに覚悟しているのだろう。かくいう私にも覚悟はあるのだろうか?

 これもわかりにくい文章だよな」
 それは、国家のありようではなく、個人個人の考えの問題として提示したんだが・・・。
 「それも、提示がない。
 だから、冴速さんの表現を借りると、

・首相の談話
・テロリストたちの標的となることを理解しているのか。
・日本の突出が目立つ
・どれほどの日本人がその覚悟をしているのか
  ⇒テロの標的になるのがいやだから欧州の国々の様に微妙な距離を置くべきである。と読める。
 多分、他の人もそういう印象を持つと思うよ。
 もっとも、そっちの方が一般的な考え方で私達の様な考えの方が危ないやつと思われるのだろうけど。

 となる。それもこれも、貴様の前提条件の甘さにある。テロというのは戦争じゃないんだ。そして、テロはあってはならない行為なんだ。そのことをしっかり前提条件にしなければ、以後の文章は誤解を招きかねないんだよ」
 しかし、IRAと戦い慣れてるイギリス、世界中でテロ対策に追われているフランスのスマートだが確実な対応に対して、日本の対応ははしゃぎすぎの感がないか?
 「うーん、それは言えるな・・・確かに」
 私としては今のはしゃぎすぎに恐怖を感じてしまうのだ。
 「それはあるな。世界の常識では『テロと戦争はイコールではない』。しかし、日本では『テロに妥協はない』というもう一つの世界の常識を前提にテロ、イコール戦争としたい連中はいるんだろうなあ」
 やっぱり・・・。
 あと、これは『人生激情 2 続 テロリスト』の感想として小白滝からもらったんだが、

 正、不正規はともかく、人を殺すのは良くないことだよな。実際のところ、何万人もの女子供を、戦略爆撃といった名目で、世界の警察という名目で殺してきたアメリカが背負った業と言うしかないね。俺の場合は、戦争だろうと、テロだろうと自分のわがままを通すのに、人を殺す奴は嫌いなんで、どっちが悪いとか、いいとか、そんなことはどうでもいい。ただね、人って言うのは、本当に道義を忘れてしまったのかねぇ。それが悲しい。お前さんは戦争にはルールがあるといったが、それはルールではなくて、道義があるのだと俺は考える。極端な言い方をしてしまえば、戦争なんかにルールなんぞは無いのだよ。勝てばよいだけ。もっと反感買う言い方をすれば、政府公認で、堂々と人殺しができるイベントとが戦争だな。そんな狂気の中にいても、人間が人間として生きるためにある理性的な部分が道義だよ。これはどんな人でも持っていたものだよ。それを最初に壊したのが、アメリカ。そしてそのアメリカが、ヒューマニズムをとくのだから、アメリカの被害にあった連中は頭に来る。そして、起こってしまったのが、「目には、目を」だよ。けっきょく、ただ小ずるいだけの、道義などかけらも持ち合わせていない人間が、権力と、暴力を持つとろくなことにならないという例が、またしてもここにあるのではないか。いやだね、まったく。

 「うーん。痛いな。確かにその一面はあるが、ただ、こう言ってしまうと、歴史学上の『戦争は外交の一形態』(故に最小限のルールは存在する)という大前提が崩壊する。
 逆に言うと、そう言ってしまう歴史学というのは見方によっては書生学問に見えるのかもしれない。ただそう言うモノではないと自分的には信じているがな。そうでなかったら歴史なんぞ教えてられるか。
 しかし、小白滝さんの感想は随分と重いものがあるなあ。
 うーん、こうしてみると自分としては結構『自由の国アメリカ』の良心を信じたいところがあるんだな・・・。なんかびっくりした」
 『自由の国アメリカ』?そんなものあるのか?
 東京大空襲が都市の周囲から計画的に焼夷弾を投下されてもか?
 「・・・」
 日本敗戦が決定的でも、戦後を見越して原爆投下を行ってもか?
 「しかし、それが戦争だ。戦争当事国の国民だったんだからな。そこが、今回のテロ事件とは大きく違うところだ。宣戦布告によって戦争状態に入っただからこその行為だからな。
 だからこそ、戦争は絶対にやってはいけないんだ。そして、『テロと戦争は絶対に違うもの』という認識を忘れてはいけないんだと思うぞ。
 あと、最後に二三言いたいことがある」
 なんだ? 
 「まず、今回の事件を『パールハーバー』と呼ばないで欲しい。あれは正規の戦争行動だった。どうでもいいことかもしれないが、やはり気になる。確かに外務省のミスで宣戦布告は遅れたが、戦争だった。
 ま、外務省には言いたいことが山ほどあるがな。
 日本は『国辱史観』は存在しない。『国辱外交』があるだけだ。というのが主観だな。ま、これはここで語ることではないか」
 そうしてくれると助かる。
 「次に、今回の事件を『カミカゼ』とも言わないで欲しい。『カミカゼ』は民間人を巻き込んだことは一度もない」
 しかし、そう考えてはいないんだよな、彼らは・・・だから映画『パールハーバー』で逃げまどう女性達に帝国海軍の爆撃機が機銃掃射しているんだよ。
 「その話はなしだ。あれは無茶苦茶な映画だからな。作戦会議とか・・・」
 そうだな。ともかく、『テロ許すまじ』『テロは戦争ではない』『テロに妥協はない』この三項目を『呆冗記』の定義とする。『戦争と日本の国際貢献』なんぞは別の話だ。
 「異議はないぞ」

 ま、そんなこんなで、このネタはもう、おしまいとしたい。冴速玲氏、小白滝氏に心からの感謝を。
 「あれ・・・?」
 えーい、自分の顔に指を差すな。貴様にはこのワイルドターキー12年の瓶を預けてやる。
 「おお、ずっと前から気になっていたがようやく我が手に来たか」
 勝手にやってろ、
 次回からは『人生に有益なことは何一つ書かず、どーでもいいことばかり書いてあるぺえじ』に戻ります。(00,9,26)


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