呆冗記 人生に有益なことは何一つ書かず、どーでもいいことばかり書いてあるぺえじ。
スパイク・スピーゲルの憂鬱
私論 映画『カウボーイ・ビバップ 天国の扉』
というわけで、カウボーイビバップ、見てきたのだ。
結論から言おう。大変面白かった。上映時間中一回も時計を見なかったのは、確か岡本喜八監督の『イーストミーツウェスト』以来の筈だ。
しかし、同時にどうしても一つの疑問が頭から離れない。
この映画は『ビバップ』である必要があったのか? これである。
というわけで、しばし戯言におつきあい願いたい。
映画『カウボーイビバップ』はTV東京系で13話(うち最終話は総集編)。その後、WOWOでプラス14話(テレ東系最終話は未放映)された1話完結形式のアニメーションである。
というようなことは、ここに来られている方々は承知だろうから詳しくは突っ込まない。
ただ、監督の頭の中に最初にラストシーンが生まれ、そのラストシーンに向かって26話かけてたどり着いた非常に幸せなアニメーションだったということだけは言っておきたいと思うのだ。
たとえ、そのラストシーンが主人公の死であったとしてもだ。
人類が太陽系全域に進出した21世紀。位相差空間ゲート事故という未曾有の危機をくぐり抜けた人々は新たな秩序を築こうとしていた。だが混沌とした惑星社会では発生する犯罪も多様化、従来の警察機構では治安を維持できなくなっていた。そこで太陽系全域に散らばるならず者を捉えるべく、公安当局はカウボーイ法を制定。こうして、賞金稼ぎ=スペースカウボーイが犯罪者を追いかけ回す姿が日常茶飯事となる。(映画パンフより)
この物語はそんな時代のヤロー2人、五月蝿い女1人、ガキ1人、犬1匹のカウボーイチームの物語である。
って、実に秀逸なフォーマットである。しかも一話完結方式なのだ。これは『ルパン3世』並に秀逸なフォーマットであり、いくらでも物語を刻んでいくことが出来るだろう。
しかし、現実はそうはならなかった。物語は激流のように流れゆき、主人公の死で幕を閉じる。結局、『新ビバップ』も『ビバップ パート3』も作ることは出来ない。
しかし、劇場版の制作。舞台はメンバーが全て揃い、そして離散していく寸前の最も一話完結の物語が作りやすい場所。第22話と23話のあいだ。
これを期待して何が悪い?
状態だった。なにせ、私はこの作品、全話LDで揃えたほどなのだから・・・。
しかし、希望は容易に裏切られた。2000年公開の映画はしかし、公開されなかった・・・。
まったく、『ガサラキ』(実はこっちも全話LDを持っている)といい、『ビバップ』といい・・・。
が、幸いなことに1年後の2001年秋、ようやく『ビバップ』の映画は公開された。(『ガサラキ』はどうなっているのだろう?)
で、喜び勇んで見に行ったのだが・・・。
秀逸である。画像に関しては素晴らしいの一言だ。実に映画らしい演出も素晴らしい。ちゃんと映画版の画面サイズを活用しているところも素晴らしいの一言だ。特に軍とソードフィッシュ2(本当はローマ数字)とのドッグファイトなんてリアルでリアルで涙ものだったりする。本当に映像、音楽とも、けなすところは欠片もない。凄いの一言だ・・・。しかし・・・。
ともかく、物語はゲストキャラのヴィンセントを中心に動いていく。スパイクと似た匂いのする男、二人はまるで近親憎悪のように激しい肉弾戦を繰り返す・・・。
しかしだ、そのぶん、チームとしての『ビバップ』は影をひそめる。盛り上がるスパイクとヴィンセントの争いの中ではフェイもジェットも居場所はない。(エドとアインはいつも通りだ。彼らは常にマイペースなのだから)
むろん、スパイクはこの映画には不可欠だ。全26話で語られた彼のバックボーンあってこそのこの映画だ。しかし・・・。だからといって他のメンバーがかすむのはどうかと思うのだ。
22話あたりの、もう、ぴしっとメンバーの分担がきっちり決まってそれぞれが活躍する、『リオブラボー』の後半部分のような映画は作れなかったのだろうか? そう思ってしまうのだ。
そして、予定調和のようなエンディング・・・。
そいつはひとりぼっちだっただけさ。
自分以外の誰ともゲームを楽しめない
夢の中で生きてるような・・・・・・
そんな男だった
そんなヴィンセントの死にスパイクは何を思ったのだろう。何も感じなかったのだろうか?
そして、彼もまた、最終話で醒めない夢から目覚めたことで命を落とすことになる。
この映画が出る前ならば、そのエンディングは納得は出来ないが理解は出来た。「おとこ」とはそういうものかもしれないと。
しかし、この映画によって考えを改めなければならなくなってしまった。
自分と同じ匂いのする男の死からスパイクは何も学ばなかったのだろうか? それともあったのは自分もそうなるであろうと言う予感めいた諦めか? それとも・・・。
何も感じなかったとしたら。感じても行動を制御できないとしたら、それは単なる莫迦である。
しかし? 感じながらも、それでも行動した男も、やはりバカだろう。しかし・・・。それはありだろうか?
「おんな」のために死ぬ「おとこ」はいても、「おとこ」のために死ぬ「おんな」はいない。それは単なる当てつけだ。とは誰の言葉だったか。
ヴィンセントの死を見ながら、自分もまた似たような選択肢を選んだスパイク。
何故なのか?
ま、彼にそんなことを尋ねても「知ったことか」と肩をすくめ、背中を丸めて煙草をくわえて去っていってしまうのだろう。おんなのために死ねなかったおとこはその背中を見送ることしか出来ないのかもしれない(01,9,29)
追伸・・・
結構、翌日、がんがんする頭で推敲したんですが・・・。しっかし、えらいこと書いているのだが・・・。ま、酔っぱらいのたわごとということで。ひとつ。
しかし、本当に 22話あたりの、もう、ぴしっとメンバーの分担がきっちり決まってそれぞれが活躍する、『リオブラボー』の後半部分のような映画。このクォリティで見てみたいのだがなあ。(01,9,30)