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 猿之助&歌舞伎ファン広場 


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NO 13


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2000年9月01 日/きのしや 
わたしも大好き連獅子

松竹座のカキコミが始まる前に最後の演劇人祭ネタ。
猿之助さんと亀治郎さんの連獅子なら観なけりゃならないと演劇人祭にわたしもいました。こんな席でも一等席?というような2階席いの端っこ(確かに花道は良く見えた)でした。後のおばさま達は時間をずっと気にしていて「八島」が終わったら帰ってしまいました。えっ、うっそ〜。「連獅子」観ないなんて。

亀ちゃんは前回(3年前ですか?)よりも顔は大人びていましたが、やっぱり仔獅子らしかった。96年12月に放送されたビデオを見たら、この時もyuka蔵さんの言っていた上手へごろごろ、下手へ側転でした。全体に(こんな表現変かもしれないけど)メリハリのきいたすばらしい所作です。最後の方の毛振るいでふたりそろって回していて、仔獅子が一瞬速くなると、親獅子もそれにあわせるかのように速くなったのですが、96年版もそうでした。最後にはまた同時になるんです。

もう一つ好きな事は、段之さんの後見が観られること。「子守り」の後見(92年?、段治郎さんも後見だった)から気になる人のひとりです。肩越しに亀治郎さんを見つめている姿はもちろんだけど、道具を渡すタイミングとか、つつつと立て膝で移動するところなんかステキ。この人があの新三国志のおばあさんかと思うとちょっと可笑しかった。

ちょっと残念だなと感じたのは唄でした。素人なのですが、唄はあまり良くなかったように聞こえたのです(96年に比べても)。だから100%満足とは言えない「連獅子」でした。こんどはオペラグラス無しでも顔が見える席で観たいです。


2000年8月31 日/ポケットモンキー 
結構いろいろとあるみたい・・・

はじめまして。とにかく文章にするのが苦手なもので、いつもは心ならずもROM専門をきめこんでいます。
今回はYUKA蔵さんの質問へのレスとして初書き込みを頑張ってみたいと思います。(笑)

<上手に転がってその後、子獅子が横転(側転?)して下手に移動>
してたの。私は<下手に転がる>と思っていたので――

ってお書きですけど、確かに大抵は下手に転がるというのが多いです。
でも今回は上手へコロコロ・・・。

同じ流派でも、同じ役者でも、その時の状態でチョコチョコと変わることもあるみたいですね。ちょっとこうしてみようか・・・とか、五回を三回にしてみようか・・・。
例えば今回の上手へコロコロは、平成元年の二月に放送された段四郎さんと亀治郎
さん親子の『連獅子』でも見られます。
ファンの皆さまなら段四郎さんと亀治郎さんが踊りのお家元でもあるのは(琴吹流)
ご存知だと思いますが、あれは琴吹流の型としてあるようです。


2000年8月30 日/YUKA蔵 
久しぶりの連獅子

たいへんご無沙汰しております。YUKA蔵でございますm(_ _)m
遅れ馳せながら、HPのメーンコーナーの復活おめでとうございます。

掲示板のピックアップ、あれ、いいですね。濃厚さというか想い入れの熱さというか…なんか“翔”らしくていいなぁ。

ところで、私も先日の“演劇人祭”の「連獅子」を観てきました。
夏バテ気味のカラダに栄養補給〜(*T-T*)って感じでした。やっぱり猿之助さんの舞台やないと十分にエネルギー補給できへんカラダになってしもてるみたいです、私(笑)
猿之助さんの親獅子に亀治郎さんの子獅子、安心して観ていられる。
前シテで谷底を見下ろす間合いとかもピタッとあっててそこには谷風が吹き下りるようでした。幸せごはんさんの感想にもありますが、子落としの後に子獅子を探すところ、姿が見えず「育て甲斐のない」と歎くところには胸にキュッときます(T_T)いいよねぇ、あの場面。
また子獅子が駆け上がってくるところを見る表情!なんとも言えません。はぁ…当たり前のように上手いんで改めて褒めることもないような気がしないでもないんですけども、すごいです。

亀治郎さんもホンマ身軽ですよね。子獅子は親獅子の倍は動いてるハズやし、踊りとしてもたいへんでしょうけど、乱れることなくきっちり踊ってはるところはさすが。(でもでもなんで亀治郎さんって花道にかかると顔がほころぶんでしょ?なんかいつも笑いを堪えてるような顔してはるねんけど…気のせい?)

このお二人方の「連獅子」は私も3年ぶりに拝見したのですが、1つ記憶に曖昧なところがあったんです。子落としのところで、親獅子が蹴り子獅子がコロコロ転がるフリがあるんですが<上手に転がってその後、子獅子が横転(側転?)して下手に移動>してたの。私は<下手に転がる>と思っていたので「亀治郎さん、どこまで身軽なのっ」て私はビックリしたんですけど、あれってもともとそうなんでしたっけ?「連獅子」はいろんな型があるし、皆さん案外いろいろ変えてやってらっしゃるようにも思うのでどうなんだろう…と思ったら気になっちゃって。

すごく些細なことかもしれなんですけど…しかも3年前はそこまで意識して観てなかったので、たんなる記憶違いの可能性が高いのですが(^^;;)どなたかご存知なら教えてくださいませ。
どうぞよろしくお願いいたします。

http://member.nifty.ne.jp/yukazo/


2000年8月30 日/幸せごはん 
夏の終わりの大きな花火!

私も行ってきました!! >「演劇人祭」
モチロン6時間近くあった式典の、トリをつとめる『連獅子』目当てです。
初めて奮闘公演に行った十年前から、もう何度観たことでしょうか。。
歌舞伎自体に馴れてなかったあの頃でも、終わった後、気分は高揚し、また幕見に行ってしまったほど。
(あ・その頃は、そんなに何度も同じ演目を観たりしなかったもんで・笑)
それから他のおウチのを観てっても、毎回毎回、おもだかやの『連獅子』って、どうしてこんなに好いんだろうって、再確認するばかりでした。(決して段が多いからばかりだとは、言えないですよね?)
....最後に観たのは、3年前のお正月。
あの時と今、自分の中で違ってるのは、亀治郎さんファンにも、なってしまったコト。
だから、今回、一回公演でのこの演目は、私的にも満を持して(笑)だったので、期待するなと云う方が、無理と云うものでしょう。。

そして、期待を上回るカッコよさでしたー。幕切れの後、もうグッタリ。
どっちを見てイイのか、わからなくなる場面が、案の定たくさんあって、ヒラメの目になって見ても、
見切れるもんじゃないぃい〜^-^;;)。
席が、花道上の二階席と、同時に二人とも視界に入るし、人として見える大きさもいいし、目線が同じくらいで、
舞台を楽しむにはけっこういいハズなのに、やっぱ見切れてない気が大いにする〜〜(ブーブー)。
終わった瞬間、「もう一度リピートして最初から観たい」って、真剣に思いました。
できるものなら、いろんな角度から回り込んだ、立体的なのをねー。

二人並んで出てきたときから、みなぎる気合い。
亀治郎さんの、切れ味の鋭いこと鋭いこと、バッと飛ぶところ、舞台をダンって蹴る音に(もうあまりに早すぎて、どういう動きをしたかも記憶できないくらい)では、感嘆の嬌声にどよめく客席。これもジワの一種? 一度だけじゃなく、何度も起こりました。
『連獅子』前の二つの舞踊も好かったけど、どう客観的に見ても、この演目が、反応も拍手もイチバン多くって、この日は、そんなにおもだかやファンばっかだったのでしょうか?
それとも捉えられた人が、それだけ多かったってこと?

谷底につきおとされ、気を失っちゃう仔獅子くん(カワイイ)が見つからずに、谷を覗く親獅子の様子。ホントに心配そうな思慮深い様子が、なんとも素敵(*^^*)。

後ジテでまた二人が出てきたとき、亀治郎さん、だいぶ青年のカオになったのかな?
猿之助さんと目と眉の化粧がそっくりなのか?、本当に好く似てました。
モチロン、お二人ともメチャメチャ凛々しくて、格好好くてキレイ。。はぁ〜〜(#。#)。
またクラクラしながら、花道上の仔獅子と、舞台中央の親獅子を、ザッピングのように、交互に観てました。(ああ・疲れる^_^;;)
毛振りは、同じメトロノームを持っているかの如く、いつにも増して、息がピッタリ。
観るこっちも呼吸困難になるくらいな、真剣勝負を見るようでした。
最後、段の上に親獅子、下に仔獅子のポーズで決める時の、仔獅子のこみ上げてくるウレしそうな表情が、またまた可愛い♪(←バカ言っててスイマセン。でも仔獅子的には、イイのでしょうか? ) 親獅子は、ビシッとクールに締めてたのにな(笑)。

とにかく仔獅子の成長著しかった(←時分の花ですね!)今回の『連獅子』、
観ること出来て、幸せだったです(*^^*)。
鮮烈に・強烈に、アタマの中に焼き付きました。
やっぱり仔獅子は赤い頭で、親獅子は白ってのが、えらく納得できました。

と・ここで友達からのメールを無断借用(ごめんっ)
>>猿之助さんの豊かな美しさ、
>>亀治郎さんのの煌きの美しさ、
>>夏を締めくくる見事な花火でした(^-^)
ホンマやなぁ。。次は、いつ会うことできるのかな?
私は、オールシーズン、花火オッケー!でーす(笑)


2000年8月29 日/康子.S 
演劇人祭

大阪の空気は濃くなってきたでしょうか?心持ち息苦しく感じます。(*^_^*)
猿之助さんは大阪入りされても、初日が開くまでお申し合わせやなんかできっと忙しい日々を過ごされるんでしょうね。

私も、9月を控えていろいろと(とくにお財布が)大変なのに、どうしても「連獅子」が見たくて演劇人祭へ行ってきました。

NHKの葛西アナウンサーの司会で始まり、「連獅子」までは長かったです。
でも、歌舞伎座の舞台に赤や紫のライトがきらめき宝塚の歌やフラメンコが見られたのは・・・なんか変な感じでしたがめったにないことなので、なかなか面白かったですよ。

勘九郎さん、渡辺えりこさん、串田和美さん、中根公夫さんの放談は、えりこさんの「歌舞伎俳優さんが朝の11時から夜の9時ころまで1ヶ月も公演するのは信じられない。体壊しちゃうよ」という話を受けて、客席でご覧になってた松竹の永山会長に
勘九郎さんが「よく聞いておいてください」なんてやりとがあったり、「それにしても猿之助さんはいつまでも若いねぇ」という話があったり、「ここだけの話」なんてのもあって、おもしろかったですが、最後は劇評家が遅れてるという話になりました。
一番すすんでるのは観客でその次が演劇人、一番遅れてるのが劇評家だという話がとっても印象的でした。

そして新之助さんの素踊り「八島」。新之助さんの目は素敵でした。
福助さん、橋之助さんの「根元草摺引」があってようやくお待ちかねの「連獅子」です。開演から5時間です。

綺麗でしたぁ。2階席からの観劇でしたが、オペラグラスでみる猿之助さんはとってもきれい!獅子頭(ながい毛)をつけて舞台に現れたときは、まるでお人形のようでした。
このまま待って帰って家に飾りたいほどです。
いつもはもう少しふっくらした方がいいと思う亀治郎さんもあの華奢さが子獅子にピッタリです。
踊りも当たり前ですが、イキがあって、あれだけ動き、跳ねるのにバタバタしたりせずよかったです。子を思う親獅子が感じられました。
狂言回しの猿弥さんと段治郎さんも、でこぼこコンビで滑稽さをうまく出してました。
終演は7時前、長かったけど夏の最後を楽しく過ごしました。

>さいらさん
 遅くなりましたが、楽しいカキコミありがとうございました。
 食欲のない(?)夏に最高のごちそうでした。 いつか劇場でお会いできると、楽しみにしています。


2000年8月25 日/きた子 
こんばんは。初めまして。きた子と申します。

猿之助さんとの衝撃の再会については、先日掲示板に少し書き込みをさせてもらいました。
実は、私、母親と妹と映像と合体した「奥州安達が原」を中座で観てるんです。('80*2/23)
ただ券で観る、遥か前に。 しかし、残念ながら、歌舞伎に惹かれるには私は未熟すぎました。
何しろ興味の対象は音楽、それも洋楽ロック一直線の頃でしたから。
というわけで猿之助さんとの再会まで、かなりの時間を費やす事となりました。

今思えば、残念なことですが、必要な時に必要な出会いがあると思えば、あの時、私には必要なかったんだと納得するしかありません。

さて、美耶子さんの文章で一番印象に残ったのが劇評のことです。
こんな事がありました。

'93年にイギリスのミュージカル"Return to The Forbidden Planet"を観ました。
その後、このミュージカルの劇評を読んで、あれれ?と思ったんです。

このミュージカルは「テンペスト」のロック版、SF版で、会場を宇宙船に見立てて、上演中の注意等をやってくれました。
で、劇が始まる前に、解説があったんですが、問題はその解説者にありました。
スクリーンに映ったその人は、洋画、SFテレビを観る人なら誰でも知ってる人でした。
「スター・トレック〜宇宙大作戦」のエンタープライズ号の不屈の機関士、スコッティだったのです。
前ふりの解説者は、アメリカと日本はスコッティ、お膝元のウェストエンドでは有名な科学者だったそうですが、劇評には、「初老の紳士」としか書かれていませんでした。

テレビ、観ぃひんの?と思いましたね。と同時に、こんな事も知らないで、書くなよー、とも。劇評書く人は舞台だけを見てれば足りるんでしょうか。以来、専門バカになってるような人も多いんじゃないかって気がしているもので、美耶子さんの文章にも、うんうんと頷いてしまいました。
淀川長治さんが「歌舞伎観て、涙流せるようになったら、映画がもっと分かる」とおっしゃったことがあります。
また、NHKの特別番組でも、そうおっしゃってました。劇評に限ったことじゃないけど、何か評を書くことを仕事にしているような人は、もっといろんなことに好奇心旺盛であって欲しいとな・・・と願っています。

9月の舞台は9日と10日に行こうと計画してましたが、どうも9日がのっぴきならない事情と重なりそうであぶないんです。
だったら、せめて、最後の1幕だけでも…と思ってはいるのですが・・・・。

長い文章ですみません。これからもちょくちょく、遊びに来させて下さい。


2000年8月21 日/さいら 
猿之助さんのインタビュー報告

遅くなってすみません。インタビューの内容をご報告いたします。
かなりお長文ですので、覚悟してくださいね。勝手に要約するより実際の台詞に忠実なほうがファンの皆さんには楽しんでいただけるだろうと思いましたので、こんな長さになってしまいました。カッコのついていない台詞がわたし、カッコ内は猿之助丈です。



夕べはよくお休みになりました?

「ええ。」

昨日は講議が終わってそのままいらっしゃったんですよね。

「そうです、そうです。」

それから夜まで。

「ええ、年がら年中これやっております。」

で、今日もこれから帰られると。

「はい。」

九州ウォーカーの読者は若いんです。猿之助さんの言葉で、若く歌舞伎の知識もほとんどない読者に、スーパー歌舞伎を語っていただきたいんですが。

「歌舞伎とは何だという質問をよく受けますがね、歌舞伎には歴史もあり、いろいろ奥が深いから、ひとことでは語れないんですよね。まあ強いてひとことで言うとね、瑞々しいエネルギーの燃え上がりだと思うんですね。だから見てもらえれば、何か感じてくれるんじゃないかなと思いますね。若い人は、瑞々しいエネルギーを持ってるわけだから。

はあ、で、それをより伝わりやすい形にしたのがスーパー歌舞伎であると。

「そう、歌舞伎っていうのはいろいろありましてね、いろいろな歌舞伎グループもありますね。だからいきなりそれを若い人が見ても、つまらない、分からない、眠くなるというね。そんな先入観を持ってしまう。見てもいないのに誰かから伝え聞いたりしてね。そういう歌舞伎をわたしは、分かった、面白かった、感動したと言えるような歌舞伎にしたいと。そういった思いで作っていますので。きっと分かった、面白かった、感動したと言ってくれると思うんですね。で、殊にわたくしは、いろんな古典歌舞伎も含めいろんなことをやっておりますが、スーパー歌舞伎は歌舞伎の口語訳ですから。歌舞伎の要素で作ってはおりますが、若い人でも見たらすぐ分かりますので。海外へ出て行って歌舞伎がブラボーと言われるのは、その要素なんですよね。4つの要素。美意識、発想、演出法、演技術。古来の歌舞伎同様にそれらを使いながら、しかも分かりやすくやりますのでね。若い人でも、言葉は知ってるわけですよ。歌舞伎という言葉は。だから今度は、実際に見ていただきたいですね。ぜひね、1回ね。だって、日本に生まれたんじゃないですか、若い人だって。特にこれから国際化時代になってくると、海外で聞かれるんだよね、歌舞伎って何ですかって。そのときにやっぱりね、見ておかないとね。」

以前ご本の中で、日本人は権威に弱いとお書きになっていましたね。スーパー歌舞伎を見て面白いと思っても、権威ある評論家が「あんなのは二流品だ」と言えば、面白いと思っちゃいけないのかな、なんて思ってしまうと。

「自分の目で見るというくせがないね。日本の人は、他人の目で見るくせがついているから。海外は個人主義だから、小さいときから。自分のイエス、ノーがはっきりしてるでしょう?日本のいいところもあるんですけどね。自分の目で、物事を見るともっといいと思うんですね。そういう意味で、自分の目で歌舞伎というものも見てほしい。いろんな歌舞伎がありますし、みんな見てもらいたいけれど、まずスーパー歌舞伎は歌舞伎の入門書だと思うので、まずそこから入って行くわけだから。学校だって、いきなり大学に入っても分からないけれど、幼稚園、小学校から行くわけでしょ。その入門編だと思うんですよ。そういう意味で、まずちょっと見ていただきたいですね。芝居っていうとやっぱり学問じゃないから。感性の世界ですから。ぜひ実際に見てもらいたい。」

スーパー歌舞伎というのは、ある意味古典に帰る、という部分と、新しいものを取り入れる、という部分があって、それらを合わせて歌舞伎の良さを最大限に引き出そうという試みだと思うんですね。でも先ほど、講演会の中でヴェルサーチなんていう言葉が出てきて、さすがにびっくりしたんですが。そういうのも、歌舞伎の世界にありだと思われるんですか?

「そう、だってもともと歌舞伎の衣装は当時のヴェルサーチですもん。当時はあれがヴェルサーチだったんですから」

まあ、そうでしょうけどー・・・?じゃあ、これから洋服を着た歌舞伎なんか出てくるんでしょうか。ああ、これ(新三国志の衣装)も半分洋服みたいなもんですけどねえ。

「ああ、洋服着た歌舞伎、やりたいと思ってますよ。」

そうなんですか!

「はい、現代歌舞伎を。これはやりたいと思ってますよ。実際、その取っ掛かりとして今度宮沢賢治をやりますから。」

講演会でも宮沢賢治のお話、されてましたねえ、びっくりしました。それを歌舞伎に料理するんですね

「そう。現代劇を歌舞伎に料理したらこうなると。だから全員ヴェルサーチとか、三宅一生とかの歌舞伎でもいいんですよ。」

それ(ヴェルサーチなどの衣装)で見得を切って。

「そうそう。背広の引き抜きとかね(笑)。そういうのをやりたい。」

想像がつかないですね

「想像つかないでしょ。ぼくも想像つかないけど。そういう発想も歌舞伎なんです。

長いことそうやってひとつのことを追求されてる方は、特に有名な方っていろんなところでインタビューを受けたりして、その人の発言が残っていきますよね。今回、私も猿之助さんの10年前のインタビュー記事も読みましたし。それですごく印象として強いのは、すごく一貫して、同じことをおっしゃってる。

「そう。わたくしは中学時代のままの少年なんですよ。芸術家は少年のほうがいいね。今でも少年。歳とっても少年の心。」

だから、臆せず夢なんて言葉が出てくるんだろうなと思いますね

「そう。夢見る少年です。中学生と変わってない。」

これは夢をずっと追い求めて、それがどこかのゴールに入ることじゃなく、その過程が大事だという。

「そう。三国志の姿勢とおんなじことやってるわけですね。図らずも。」

そうして飽くなく追い求め続けたら・・・

「一生追い求めますよ」

そしたらヤマトタケルのように白鳥になれると?

「白鳥になれるかも知れない。ふふふ。」

一貫してずーっと同じことをおっしゃってるのが印象的で。

「人はねえ、変わるんですよ。調子良く変わったり、少しずつね。そういうの、ぼく、嫌いなんです」

そう。ずっと同じことをおっしゃりながら、それも少しずつ確実に近付いてらっしゃるんですよね。

「だんだん知恵がついてきますからね。経験を経るとね。

その辺が、いろんな本なり雑誌でも取り上げられたりしていて、おっしゃることが、ふくらんでは行ってるけど、中心は一緒。

「言ってることはひとつなんですよね」

ウォーカーの読者、若い男女に猿之助さんからメッセージをいただけますか?

「特に若い人はね、みんな時間を無駄遣いするよね。時間に流されるんじゃなくて、流れて行く時間の中でふと立ち止まってね。その時間を充実させるっていうかね。立ち止まる時間ってのは、芝居を見たりする余裕の事だね。たまには芝居を見なさいと。そんなね、好きなことばっかりしてないで。三国志見りゃ楽しいから。お勉強の時間じゃないですから。楽しみながら何か考えていただけるから。」

猿之助さんのおっしゃる「くたびれない感動」ですか。

「くたびれない感動ですね、そうそう。みんなが時間を無駄遣いするよね。若いときなんて3時間寝りゃ持つんだから。寝る時間削っていろんなことしなさい。恋も大いにしなさいってね。半端はいけません半端は。みんな半端でしょ。突き詰めなさいって言うんですよ。そういう意味で無駄遣い、中途半端が多いね。で、安易に逃げるじゃないですか。損得で言ったら損な生き方ね、みんな。自分の中で何も固まって来ないからね。」

結局何もモノにしないと?

「そうね」

どうもありがとうございました。長いことお疲れさまでした。

こんな感じです。最初「わたくし」とおっしゃっていた猿之助さんが、話が盛り上がって来ると「ぼく」とおっしゃっていたのが楽しかったです。本当に楽しそうに歌舞伎のお話を聞かせていただきました。こんなに真剣に誠実に、ひとつのことに打ち込んでいらっしゃる方ですから、「中途半端はいけません」と言われたときには本当に心が洗われるような気がしました。
ちなみに余談ですが、そばで写真を撮っていたうちのカメラマンも、歌舞伎にはまったく興味のない人で、猿之助さんを見たのも初めてだったにも関わらず、そのあと一緒に帰りながら「すごい人でしたねえ。あの人が言うと、どんな言葉も迫力を感じさせますねえ」としきりに言っていました。


2000年8月21日/杏ッこ 
亀治郎さんトークショウ〜★ まずは席とりの熱い闘い〜

19日、行ってきました。
私、ものすごいはりきっててましてかなり前から自分で計画を練ってました。・・・・・「遅くとも15:00には着いて〔席取ってる〕と紙に書いてどこかに貼っておこう〜・・」と思ってました。裏が白い紙とペンもバッチリです。
 
 早朝7:00に東京について用事をすませ八丁堀にあるビルに14:00に到着。誰もいない、いない!!さすが、一番のりです。
部屋を覗くと50才くらいのおばさまとおじさんが・・・
私 「えーーと・・ここはこれから柝の会が始まるのですか??」
おばさま「えっ??いえ、いえ、ここはね、これから八王子市のごみのリサイクルと、有機農業から地球環境を考える会があって
     15:00ごろまでかかるのよ。」
私「へっ????ごみの?? はぁ〜・・でもどうしよう・・こんなに早く着て  しまったのに・・・」
おばさま「あらっ!よかったら聞けば??時間あるでしょう〜?人生変わるかもよ
私「ふ〜・・・ん・・じゃぁとりあえず・・聞きましょうか」
 
かくしてどういうわけか、「亀ちゃんトークショウ」→「ごみと地球環境の会」にもぐりこむこととなった。そしてあつかましくもこの後に控えるトークショウに控えて「かぶりつき」に座った。
 
 「ごみのリサイクルと地球環境を考える会」は今現代人が抱えている大問題を討論と実践した報告会でして有意義な会でして最後の方は私までも感動して拍手していた始末。すっかりここの会の代表の人とも仲良くなりました。 

おばさま「よかったでしょう〜!この後はどうするの??どこから来たの?」
私「ええ!!感動しました。で、この後はご贔屓の歌舞伎俳優さんのトークショウなんです。神戸から来てしまいました。」
おばさま「あらぁ〜!!??歌舞伎??」 とずいぶん、びっくりしてはった。

私がごみの会の人と出てきたので「柝の会」の人もちょっとびっくりしてました。(柝の会の入場券を持っていたから)

 かぶりつき席にかばんを置いてましたが掃除ということですべて出されてしまいました。私の綿密なる計画はだめになったんで次は日頃鍛えている「駿足?」で「再度挑戦★」と思ってドアに貼りついたけど、「柝の会員さんから先にどうぞ〜」
もう完璧にアウトでした。なんのために14:00について「ごみの会のセミナー」も聞いたのかしらん?
つくづく不運だな〜。。。私ってほんまにアホやなぁ〜と実感。

亀治郎さんトークショウ〜★意外な面に驚いた!

     「芝居町こぼればなし」
      市川亀治郎 司会は毎度御なじみNHKアナウンサーの葛西さん。

 葛西さんは大変楽しい司会ぶりでした。
今もなのかわからないのですが大阪勤務されていたのでかなり良い感じの「つっこみ」ぶりでした。
座った席は2列目の「亀席側」なんですが葛西さんの方ばかり向いてらしてて横顔ばかりですごく残念★
ちょっと照れ屋さんなんかな??でもきれいなうつくしい細い手を見てれちょっと感激〜!

 亀治さんは「炸裂★トーク」でした。今回「びっくり」したのを中心にカキコします

★今一番凝っているのは「マッサージ」
   ウーーンまだ若いのにぃ〜?? 日本ものは腰を落すから負担がかかるんでしょうね
   葛西さんは「最近は子供でも糖尿病になりますよね」  ここでみんな大笑い★ 思わず、心配になる私でした。
   しっかり筋肉つけてくだされ〜!! (雀右衛門さんは毎日ジムに通ってるらしい・・)

★ この夏、初演出〜
   8月10、11日の「本條会」で6役早替わり付きの舞踊を主役、演出。そしてカーテンコールも。トーク中にも言ってましたが本   條さんは興奮でぽっ〜としてしまってて、亀治郎さんが率先してカーテンコールをしていました。
   え〜と、、この会にまさか演出するとは夢々思いませんでしたが偶然にも行ってました〜★
   はぁ〜・・行っててよかったです!(詳しい話は幸福ごはんさんのカキコを見てください)
   私が見た10日は「猩々」の時(かつらは獅子のような。。です)花道にかかるとなにか嬉しいことがあったのか急に歯を見せ   て「にーっこり♪」 どうしたんだろう?  今思うと初演出で嬉しさがこみ上げたのかしらん??

★亀治郎さんは泳げない
★カタカナに弱い(特に人名)
★あの!亀治郎さんの冷や汗をかくことがある〜!
    私的にこの話が一番おもしろかったです。 例えば猿さまが「○〇の型でやって」と言われてわからない時がたまにあると     か。 それでも「はいっ」と答えるけど内心、冷や汗をかいてるそうです。 なんでも完璧★と思っていたけどこんな面もある     んだと思ってホッとしました。
    彼も人間なんだわ〜♪ 遠い存在だと思っていたのに距離が急に近くなったようでうれしくなりました。

幸せごはんさんのカキコにもあったようにトークショウ最後の締めくくりに彼はとても印象深い話しをしました。

「歌舞伎は観客あってこそ成り立つものですから みなさんで歌舞伎を支えてほしいのです。」って。

絵画は数年先の人々が評価することも可能ですが、舞台芸術は「瞬間芸術」だからその時代の観客が評価するしかないんです。
歌舞伎は古典芸術だけどその時代の空気も舞台から感じさせることができないとお客は敏感に感じてしまう・・
私はこれからはもっと「おもしろい、おもしろくない」とはっきりと評価の対象がわかれてくると思うのです。これまでも多くの本に書かれているようにこれだけ簡単に面白いことがすぐ手に入るのですから。確実に俗に言う「通」の観客は減り、「歌舞伎を見たことがない人」がもっと増えてくるでしょう。
歌舞伎俳優側からの「市場調査」「マーケティング(売りこみ方)」とか、もっと他の業界のやり方を盗み、未開発の観客におもいっきりアプローチしてほしいと思います。
もうすでにどっぷり「歌舞伎狂い」になってる私たちは亀治郎さんの言ってたように【もちろん、しっかりと支え、できれば
想いを後世に引き継いでいきたい】と思ってる次第です。

  ★PS トークショウは18:00から19:00くらいまででした


2000年8月18 日/幸せごはん 
「本條會」 報告

先週の8/11、国立劇場に「本條會」を観に行って参りました(^-^)。
行くまでは、どんな催しか全くわからず。...そんな私^^;;)がナゼに? ...それは、特別出演の亀治郎さんの創作舞踊を観るためでした。

で・分かったのは「本條會」とは、邦楽の新しい世界を開拓する、三味線の家元・本條秀太郎氏主催の、お弟子さんの発表会や、本條さんご自身の実験的な試みなども含んだ、広大な催しなのでした(会場も大劇場の方だったし)。
ただの演奏発表会ってワケじゃなく、舞踊あり、つなぎもスーパー歌舞伎並に早い場面転換で、飽きさせないようにはなっていました。
が・邦楽を聴いてると気持ち良くよくなり、ついつい白河夜船に乗りがちなもんで、まぁー、今回も例に漏れず..(スイマセン^_^;;)。
全部で第五部からなる構成で、その五部の最後の最後に、亀治郎さんはご登場。それまでの3時間余り、ホントにホントに、なーがーかぁ〜〜ったぁ。

しかし、それだけ待った甲斐ありましたっ!!!
「市川亀治郎 六役早変わり相務申候」と云う字を、プログラムに発見したとき、ウレシくなってか(?)、つい笑ってしまった私^^;;)でしたが。やっとのご登場、暗い照明の中、スッポンからセリ上がってくる姿は、出雲の阿国を模したよな、カブいた出で立ち(首にクロスも下げてますぅ)。もう・もう、のびやかに華やかに、メッチャ綺麗でした。舞台がパーッと明るくなったです(^-^)。

そして次々と六役のお着替えに。
私の勝手な主観でいうと、源氏の君(伏し目がちな憂いを帯びた様子が素敵)・猩猩(元気良くクルクルと、舞台を縦横無尽に飛び跳ねる様は『連獅子』を彷彿。( 27日も楽しみ♪)・牛若丸・お光(ここらへん、舞台の奥の方で、ちょっとゴッチャになって、よく覚えてナイのですがー^^;;)。 そう・このときかな、スゴイ流し目があって、瞬間・目が合った気が。三階席・双眼鏡越しにもかかわらず(爆)。同じコトを言う隣席の友達(笑・^^;;)。 でも、その眼力たるや、スゴイなぁー。

そして、最後は鷺娘のような真っ白な衣裳で、切なく舞い踊る様に、ホントにウットリしました(#。#)。ふぅ〜、身体の反らせ方が素敵。

全体的にお化粧も、紅味が多くて、いつもと違って見える感じ。舞踊は、どれも、たっぷりと物凄くのびのびと踊られてるようでした。そして記憶違いでなければ、一言も発すことはなかったと思います。 でも、六役ごとに見せる表情が全部違って、その役々を演じていました。 その人の目を捉えて惹きつける力たるや、いつも圧倒されてしまいます。

聞けば、亀治郎さんが全て衣裳選びをし、振りも創作されたとか。
で・ご自身で踊れば、こういう世界になるんだぁーって、【亀治郎的世界】の一環を見せてもらいました。
次は、一体どんな世界を?  これからも先は長いし、まだまだ楽しみです〜♪

カーテンコールには、また最初の阿国風な衣裳で再度ご登場(このカッコが一番気に入ったので、また見れてヨロコブ私^-^)。
しばし、本條さんと抱き合う姿に、ワールドワイドな感覚の印象が。(ちょっとドキドキしましたケド^^;;)
おかしかったのは、上手・下手・センターそれぞれに、最後、礼をするときに、慣れてるからでしょうかー、上からは回りの方々を目で仕切ってるように見えて、演出家の一端を、垣間見た気がしました(笑)。

あーぁ、この場だけ、またやってくれないかしら(強く願望)


2000年8月18 日/あけみ 
こんにちは 始めまして〜

こんにちは 皆さん

私は40歳の2人の子供を持つ 主婦です。
昨年の11月21日、市川猿之助さんのご公演が 広島県福山市に来られ 歌舞伎のことをまったく知らずに ただ有名な市川猿之助さんを見に行きたいと思い 行きました。 
リーデンローズで始めて観た歌舞伎は 伽羅先代萩でした。
役者さんのお名前もわからず 歌舞伎言葉もわからず なにもかも始めての体験でした。皆さん ご熱演されていらっしゃいましたが 内容がなにもわからなかったのが 残念でした。( お子様が とてもかわいかったです。)
やっぱり歌舞伎は 内容を理解するのが難しいです。
市川猿之助さんの 舞台内容を 理解できる方法をだれか教えていただけませんか?


       ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞  上記のお便りにたいして  ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞    


●康子.S / やっぱり慣れだと思います。

>あけみさま
 「全部理解しよう」なんて思わずに、気楽に回数を重ねて観れば なんとなくわかってくると思います。
 私なんかも、わかったようなわからなかったような舞台も たくさんありますが、「綺麗!」とか「凄い!」とかいう感じで  楽しんでいます。
 また、筋書き(パンフレット)で内容をあらかた読んでから観たり、歌舞伎座や松竹座などではイヤホンガイドというものも ありますので、そう いうものを利用されてもいいかもしれません。 イヤホンガイドはとくに舞踊のときには役立つと思います。

●junko / 慣れだと・・・。

私は去年の新三国志からですけど、去年の7月歌舞伎なんて、ほとんど言っている科白がわからなかったんですよ。

でも、しばらくして、慣れてくると、「あぁ、こういう場面でこういう言葉をよく使うなぁ」と思うようになったんです。
私の外国語なんかの覚え方なんかもそうで、文法なんか全然気にしないですけど、外国人と話している間に「あぁ、この言葉、こういうシチュエーションで使うのね」と思って、自分も使ってみるんです。

あとはもう筋書きに頼っちゃう(笑)。やっぱり筋書き読まないとよくわからないものもありますから、毎回必ず筋書きは読んでます。芝居を見る前の空き時間に呼んじゃうときもあるし、わからなくなって座席で読んじゃうこともあるし。

あと、古典好きだった母親や知っている人に聞く!! わからなかったら、もう人に聞いちゃう!!これもいいですよ!
http://www.sfc.keio.ac.jp/~t97007jy/kabuki.html

●杏ッこ /  もっと楽に見ていいと思う

お芝居とか絵とか芸術って、もっとおおらかに気持ちを楽にして見ていいと思います。
私も俳優の台詞とかその意味とかすべて理解して見るなんてなかなか無理です。いつも「感覚」で見てます。
「このお芝居の色使いがいいなぁ〜」とか「この台詞、なにか心に残る。。」とか、大体こんな感じで見てます。
その時見た想いを大事にして仕事で衣裳を考える時に、突然ふわぁ〜とアイディアが沸いてきたりするんで、私は一番「感覚」を重視して見ます。
「心にひっかかる」なにかを探してそこから「自分の心を旅する」と言えば少々キザなですがホントそうなんです。それがなんだろう??が楽しくって見つづけてその時に具体的に言葉が見つからなくても、時間がたって全然関係ないところや別の書物から「あの時の台詞なこれなんだ」と解ったり再演の時でやっと解ったり・・
翔にカキコするは文にしなくてはいけないから「感覚」を分析するのですが、これがけっこう苦手な作業です。(皆さんもたぶん同感ですね)
記録のためと思いがんばります。
  ★ 軽井沢、毎日20度くらいとか、、羨ましい〜!!

●きた子 / 全て分かっているかというと…?

私も最初、猿之助さんを自主的に観るまでは、歌舞伎=古臭い、分からないと決めつけてました。
映像との共演の「奥州安達が原」を観ておきながら…。
自主的に観に行った公演で全て分かったかといえば、?です。 でも、「義経千本桜」を観て、もう一度観たいと思ったのは、なんと「吉野山」でした。 私はバレエも好きで、キーロフの公演も行くんですが、感覚として同じものとして観てるような気がします。別に理解するとかしないとか考えた事がないような…。

映画ファンで洋画を中心に観てますが、英語やフランス語のセリフを分かってみてるかというと、これも?ですから、
やはり感覚たよりのような…。

すみません、私って考えるのがダメなのかも(笑) 
とりあえず、観て、ダメなら止めるって感じです。 なんて奴だ…。

●Mihoko / スズマさんのカキコ

おかしかったです。想像すると。でも一理あるなあと感心しました。流してしまわずに一応反芻してみるわけですね。
以前、私が歌舞伎舞踊が好きなのは言葉にとらわれない分、じっくり役者さんを見ることができるからとここにも書いたんですけど、案外私は独り善がりな世界に浸っていたのかもしれません。
今度真似してみようっと!
でもいずれにせよ、一期一会の魂の共鳴と言うか、言葉を超えたところでフッと持っていかれる感覚が良くて観続けているんですけどね。

●スズマ / 我流ですが…。

科白や唄の意味がわからない時は、口の中で(もちろん、声には出さないで) 同じ文句を言ってみる。 どういう意味か分からなくても、とりあえず似せて言ってみる。 そうしていると、「わかる言葉」と「わかる言葉」の間に「わからない言葉」が挟まっていることが多いので、前後関係から分かったりする時があります。
聴き取れない時が、いつ襲ってくるか分からないのでわたしの場合は、常に口をもごもごさせて観劇しています。
でも、そうやってもわからないものはわからないです。(笑!)
究極考えると…全て理解している人なんていないでしょう、きっと。

●もんた / 全て理解できなくても〜

、皆様こんにちは。
 歌舞伎の内容についてですが私もタエさんの意見に賛成です。舞台を観ていると確かに台詞が分かりにくかったりスト-リ-がよく飲み込めないと想うことはありますが、楽しい〜凄い〜きれい〜と引き込まれる場面が沢山あります。つまり、全部、分からなくっても良いのでは......。舞台を観終わってからジワジワと感激がよみがえる時もありますし....。
去年の11月に観た「先代萩」ですが今観るとまた違う感情になると想います。初めて観た古典歌舞伎だったので懐かしく、印象に残っています。

●タエ / どうなんでしょうか

その去年の11月の巡業の吹田公演で初めて古典歌舞伎を見ましたが、別に全部は理解できなくても大体の筋がわかればよろしんでは?
それだと、チラシに載ってる程度のあらすじを読んでからよく見ていればなんとかなるように思います。わからなかったところはおいといてわかったところだけつなげば結構平気・・・・という大らかな見方を・・・;;してます。それでもおもしろいものはおもしろいです。
自分のことで恐縮ですが、わからないところというのは主に唄で進むところです。台詞は聞き慣れていなくてもやはり日本語なのでわかります。しかし唄は、もうどうしたらいいのか(*_*)
踊りでわかるだろうとか、特に言葉は気にしなくていい様な場合もありますが、やはり詞がわかった方が繊細なところを知ることができるんだろうなあとちょっと寂しく思います。思い余って、新感線みたいに詞を印刷したペーパーをくれないかしらと考えたくらいです。
とはいえ、猿之助さんの通し狂言はわからなくて困ったりはほとんどしませんが。
宇和島騒動などは「ああ、おもしろかった!」の大満足でした。
歌舞伎のお話はファンタジーと突き抜けた展開、でも感情はリアル、そういうところがいいなあと思います。


2000年8月16 日/杏ッこ 
1992年(平成4年)12月の義経千本桜の思い出

この月は15年ぶりの玉さまとの共演★〜  この時の「衝撃的な思い出」を・・・・

昼の部  1 絵本太功記
     2 ぢいさんばあさん
     3 連獅子
夜の部    義経千本桜 忠信編通し上演

23日に猿さまは大風邪で四ノ切、連獅子を休演という噂が・・・ それもかなり具合が悪いらしいとのこと・・・

24日、噂はほんとでして23日から「ぢいさんばあさん」「吉野山」意外は休演して、他は連獅子は段四郎さん、四ノ切は右近さんがそれぞれ代役でした。猿さまはほんとはすべて休演してもおかしくないほどの高熱を(39度らしい)押してせっかく来てくれている観客のために・・せめてまだ大丈夫だと思う二役を出演されました。
「ぢいさんばあさん」は喉と鼻の調子がかなり悪いようでしたが無事に終えてホッと胸を撫で下ろしました。

夜の部での「道行」。 忠信が登場〜
風邪のためか??なおいっそう憂いが入ってちょっとええ感じ〜★
花道から本舞台に移り演技が続いていくとだんだん熱が上がってきたようで、かなり辛そうでした。目もうるうるしてたし、鼻もつらそう・・・ でもそれをぐっと押し殺して忠信を演じている猿さま。

 ところが最後の頃になると猿さまは高熱にうねされて、ほんとにフラフラ状態でした。客席もかたずをのんで心配でたまらず猿さまの姿を見つめていました。
ぶっかえってから花道に移るとき少し小走りになりますが、衣裳の裾に足を取られて危うく倒れそうに。思わず客席から「ひぃ・・・・」と声にならない叫び声がおこりました。
猿さまのお顔もいつもの忠信の姿でなくほんとにほんとに辛そうな顔。
「猿さま、もう・・もう・・これ以上辛い思いはやめてぇ〜」 祈りに祈って早く終わるように願いました。
「こんなにつらい思いをさらさなければいけないとはなんと役者とはつらいものなんだろうか・・・」
この時ほど思ったことはないです。



朝日2000年8月8日夕刊より/「ARENA]アリーナ

ロマンと深い情趣に満ちた猿之助歌舞伎の最高傑作、遂に大阪松竹座に初登場

 「新しい歌舞伎ファンにもぜひ見てもらいたい」 市川猿之助

 9月の興行で大切にしたいのは、とにかく良い芝居をしたいということです。竹座は開場以来スーパー歌舞伎を上演し、大変温かい喝采をいただきました。今回は満を持して私の出発点ともいえる「千本桜」をご披露するのですから。
 そして、もうひとつ声を大にして言いたいのが「スーパー歌舞伎で歌舞伎はおもしろそうだ」と思ってくださった新しいファンの方々に、ぜひこの作品を見ていただきたい。この作品はスーパー歌舞伎の原点とも言える作品であるだけでなく、古典中の古典と言われながら非常に面白く分かりやすい。歌舞伎の真の醍醐味を知るには最良の作品なのです。
 スーパー歌舞伎はドラマ性で楽しんでいただきましたが、今回はそれぞれの役の魅力に注目して欲しいと思います。私が挑みます三役はいずれ劣らぬ魅力的な個性派ぞろい。しかも非常に歌舞伎的なキャラクターです。
 また今回は鴈治郎さんとの念願の共演も実現しました。実は初めて宙乗りを披露した68年の「千本桜」の時に、御一緒する話があったのですが、かないませんでした。しかも今回の鴈治郎さんとの共演で、戦後を代表する女形の方々すべてと「道行」を演じることになります。果たして上方和事芸の達人である鴈治郎さんと私でどんな道行が生まれるか、今から楽しみにしてください。
 今世紀最後の「千本桜」のフィナーレを、大阪松竹座の初登場で飾れることは、私自身にとっても大きな節目になることは間違いありません。 とにかくロマンに満ちて、私自身立役として役者冥利に尽きるという三役を務められるこの舞台を、お見逃しなく。 (談)


江戸風と上方和事の調和の妙を   中村鴈治郎

 猿之助さんととは、何度もご一緒させていただいているんですが、一番思い出深いのは73、74年と2年連続で実現した2人の奮闘公演でした。特に74年は2ヶ月連続の興行に挑戦したんです。
そのときに、お互いに「これからの新しい歌舞伎を切り開けて行けたら」という思いで意気投合し、またいつか一緒に夢の続きを追いかけたいと思っていました。 今回は、その時の楽しさを思い出しながら、お役にたてばと思っています。
 楽しみは私の静御前と猿之助さんの狐忠信との「道行」。
彼は江戸風で演じるでしょう。それに私がどう合わせていくのか、ぜひご注目ください。 また「鮨屋」の平維盛は上方和事風に演じて、彼の江戸風とのコントラストの妙を楽しんでもらいたいと思ってます。
 大阪松竹座での通し狂言は、昨年の「仮名手本忠臣蔵」に続く2度目。「忠臣蔵」も大変好評でした。これからもどんどん通し狂言を上演する機会が増えてくれればと願っています。  (談)


2000年8月9日/しずか 
有難うございます。

北前さん、先日は、満身創痍で遥々恵那まで来て下さり、本当にお疲れ様でした。
そしてお忙しい所(歯医者通いまで加わった?)詳細な、そしてとても暖かいレポート有り難うございます。
と言ってもまだ途中ですね。狂言半ばではございますが(?)、ついつい嬉しくなって出てきてしまいました。こちらの掲示板にはずっと御無沙汰していて申し訳なかったんですが…。

さて、「その二」の北前さんの考察、全くその通りだと思います。(さすが!)
以前は若いのに達者で、でもどこか地味で、玄人好みと言われていた笑三郎さんの最近の美しさ、華やかさの一端は間違いなく笑三郎の会を続けて来る中で培われたものだろうと私も思っています。
それからこの会が、たんなる舞踊の発表会ではなく、“完全な創作活動”であるだろうという想像も“当たり”ですね。笑三郎さんは新作だけでなく、「京鹿子娘道成寺」等はべつとしても既成のものにも必ず自分なりのアレンジ、工夫を凝らしているんですね。これはやはり普通の舞踊家とは違う笑三郎さんの役者魂、芝居好き、そして“師匠の影響”がそうさせるのではないかと思います。
たとえば第5回の時に上演した「しゃべり山姥」はもともと滅多に出ない舞踊だそうですが、しゃべりの部分も竹本に合わせて踊るだけだったのを、そのままでは物足りないからと竹本と掛け合いでしゃべりながら踊るように変えたのだそうです。
そのとき笑三郎さんの曰く、「せっかく猿之助の弟子なんだから、作品を面白くするのも自分の勤めではないかと思って」。
思えば15歳で入門して以来お弟子さんのだれよりも師匠の身近にいて、「私設秘書」とまで言われる笑三郎さんが、師匠の大きな背中を見て学び取り、身につけたものは有形無形に計り知れない程大きいのではないかと感じました。
猿之助さんはよく「(弟子は)育てたんじゃない、育ったんだ」と仰っているようですが、笑三郎さんを見ているとそれがよーくわかるような気がします。

よく“器用”と言われることの多い笑三郎さんですが、永年応援して来て思うことは、決して器用な人ではない。ただ歌舞伎が好きで好きで好きで好きで、歌舞伎(芸)のためならどれほどでも努力できるし、努力する才能に恵まれてもいる人だということです。
そしてそういう“歌舞伎漬け”振りも師匠の猿之助さんにそっくりなんじゃないかな…とも。

さて、長々と笑三郎さんについて書いてしまってすみません。
北前さん、それぞれの演目についての感想の続きを楽しみにしております。


2000年8月7 日北前/ 
『笑三郎の会』  その一

行って参りました。笑三郎さんのふるさと公演、第七回『笑三郎の会』に。\(^O^)/
我が家から名古屋まで約二時間。そこから中央本線に乗り換えて恵那までは約一時間。
美しい渓流と山々に囲まれた、いかにも時代劇に似合いそうな懐かしい日本の景色が車窓に広がって、やがて到着。
ああ、こういう景色の中で笑三郎さんは少年時代を過ごしたんだァ…って、思わず深呼吸したり、辺りを見まわしたり。
賑々しく華やかに東京の劇場で打つ公演も素晴らしいけれど、こういう風に故郷の温もりを感じさせる場での公演というのも、とてもいいなァ…って思いました。
欠けた前歯を扇子で隠し、打ち身で腫れ上がった右足引きずって行くのか…って、出かける時は正直、気が重かったけれど、行ってよかった! 本当に。

昼が十二時、夜が四時半開演という二回公演で、私は夜の部を観劇することになってたんですが、翔の初期のスタッフで、今はなごや娘歌舞伎の幹部俳優になっている市川三ッ斗さんと久しぶりに“喋りたおそう”ということで、十二時に待ち合わせ。欠けた前歯もなんのその、口が疲れるくらい猿之助さんのこと、舞台のこと、お弟子さんたちのことと、飽くことなく楽しく喋りまくりました。

やがて昼の部が終わり、上気したような表情のお客さんがドドーッと劇場から吐き出されて、いよいよ私たちの番。中に入るとあちこちから贈られたお花のスタンドがロビーを飾っていかにも華やかです。笑三郎さんのお母様(日本的な凄い美人ですよ!)が浅黄色のお着物を涼しげにシャキッと着こなし、ファンや地元の名士(?)らしき人や、あの人この人にもにこやかにご挨拶をされていました。ファン有志というのか後援会の人達というのか、とにかくお仕事じゃなく、笑三郎さんが好きだからお手伝いしてるというのが一目で分かる人達がチケットを切ったり、案内をしたり、プログラムを販売していたりするのもいい眺めです。
観客は地元なまりも飛び交って、いかにもふるさと公演という感じがあふれていました。もちろん劇場でよく会うお馴染みさんの顔もそこここに。東京、大阪、名古屋はもとより、神戸、鳥取、横浜、浜松、四国、九州。多分日本全国から賭け付けたファンが相当数いたに違いありません。
「みんなで言うとるんですわ。○○○(笑三郎さんの育った村の名)にそんなタマがおったんかいなァ??気付かんかったなァ…って」
これは帰りのタクシーの運転手さんの言葉ですが、本当にこのひっそりとした山間の村から出た役者の卵だった少年が十五年後にはこうして全国からファンが駆けつけてくる歌舞伎役者に育ったってことなんですよねェ…。ジ〜〜ン。(T_T) (T_T)


 『笑三郎の会』  その二  

遅れ馳せの『笑三郎の会』の感想です。
今回で七回目ですが、私にとっては初体験の『笑三郎の会』でした。ロビーに貼り出された過去七回のポスターを一挙に眺めると、笑三郎さんが一年ごとに着実に大きく(なんて表現はまだちょっと早いかもしれないけれど)美しくなってきたのがよぉ〜っく分かりました。
たった一日、昼夜二回の公演だけど、この会を続けることが舞台でのあの“華”と“存在感”を引き出すどれほどの力になったか、計り知れないんだなァ…って。
だってこの日ばかりは客席は笑三郎さん一人を観にきたという人達で埋め尽されてるんですもんね。そんなお客さんを前にすれば、誰だって常の二倍も三倍も輝かずにはいられませんよ。そういう経験を七回も重ねてきたことと、笑三郎さんの美しさや存在感がズンズン増してきたこととは密接につながっているような気がします。
あちこちの掲示板にも書かれている通り、本当に一言で言うなら、ただひたすら“綺麗を堪能した!! ”といっても過言じゃないほどの美しさだったんですから。

これは勝手な想像ですか、お芝居好きな笑三郎さんのことだから、出来ることならお芝居による勉強会を、というのはあったんじゃないでしょうか。でもお芝居となるといろいろとあまりにも大変という点があって、たぶん舞踊会形式の勉強会に落ちついたのでしょぅ。
でも“舞踊”は何といっても歌舞伎役者の基礎の基礎だから、若い間にこれをみっちりやっておきたい!という姿勢は、いかにも“正道を行く”って感じがしてとてもいいんじゃないでしょうか。
それに舞踊会形式とは言っても、そこは歌舞伎役者の修行の場としての舞踊会だから、ただ出来上がった名舞踊の何曲かを上手に踊れるようお稽古をして発表する…なんてモンではもちろんないわけです。
これも私の想像てしかないけれど、多分それぞれの題材選びから、表現する物語の運び、作曲振付け、衣裳、鬘に至るまで一つ一つを中心になって作りあげ、一つの作品として舞台で上演する。(踊る) そういう完全な創作活動なのだろうと思うのです。
勉強会というのは、単に踊りや演技が上手くなるための場というだけではなく、歌舞伎役者に求められる演出力とか、創造力、企画力、さらには観客の求めているものを敏感に察知する能力とか…、そういうものを磨く場でもあるはずですよね。そして過去七年の活動を通して笑三郎さんはそういったものをしっかりと身につけられたような気がしました。

というわけでそれぞれの感想を簡単に書いてみます。
まずは『梅川忠兵衛』。笑三郎さんの『梅川忠兵衛』は五年前の寝屋川公演でも観ているのですが、その時の印象は和事の立役ということで柔らか味を意識し過ぎたのか、どことなく女性的な忠兵衛だったような気がしました。けれど今回は優しくて情の深い、切なくて辛い、(もちろん柔らか味も充分な)立派な立役の溜息つきたくなるような忠兵衛さんに成長していて嬉しかったです。 私は個人的に以前から笑三郎さんの立役を観てみたい!と切望している人なので、やった!!って気分でした。
春猿さんとのコンビは背丈の釣合いといい、美しさの釣合いといい、本当にお似合いのカップル。お互いに似合いの相手役に恵まれるって凄く幸せなことですよね。ただ、春猿さんの梅川は忠兵衛に比べてちょっと辛さが乏しかったかな?
元はと言えば自分の為に忠兵衛は封印を切るという罪を犯してしまうわけで、好きな男を死に追いやらなければならないという、身を切るような辛さ、切なさ(もちろん一緒に死ねるという、恋する者にとっての最高の恍惚感もあるだろうけど)など、究極の感じがもう少し濃くあってもよかったような気がしました。忠兵衛に比べてどことなくドライな女性って感じがしたのは春猿さんの持ち味なのかも知れませんが…。
それと凄く感心したのは、幕が上がる前に薄暗いままの場内に流れた『封印切』の場の抜粋。
さすがは通し上演を主義としている師匠のお弟子さんだけはありますよね。舞踊にさえその精神が活かされていて、その後の舞台が俄然ドラマチックになりました。あれは“当たり!”ですね。


2000年8月6日/さいら 
 インタビュー報告(前半)

長くなりそうですが、猿之助さんのインタビューの模様を少しだけでもお伝えしたいと思います。
今回博多で行われたのは、4日夜に博多入りをされた猿之助さんが、初めて博多座を下見に来られ、宙乗りの機材に重りをつけての試運転に立ち会われたときの地元マスコミの取材と、翌5日は「猿之助が語るスーパー歌舞伎の魅力」と題された講演会と、地元のマスコミだけを対象とした記者会見、そしてマスコミ関係の希望者のみに対して行われた個別インタビューで、私はそれらのすべてに参加させていただくことができました。
まず、4日、博多座に私が到着したのは夜の9時頃でしたが、そのときはすでに、猿之助さんは博多座の正面玄関前にいらっしゃっていて、地元テレビ局の取材に応じて、博多座の階段を登るというシーンの撮影をなさっていました。
その日は博多座で、宝塚月組の公演が行われており、わたしたちが劇場内に案内されたのはそのお客さんたちがはけた後、場内の後片付けに入った9時40分ころでした。
9時頃から始めると言われていた私たちは、ロビーで待たされたのですが、おかげで私は持っていた「猿之助修羅舞台」を読み進むことができました。
来ていたほかの記者たちの中にも、歌舞伎の勉強の為らしき本を熱心に読んでいる、わたしのような素人が数人見られました。ほかの媒体の方で、よく顔を合わせるので話をするようになったある女性記者も、「歌舞伎を知らないからどうしていいかわからず困ってます」とこぼしていらっしゃいました。「わたしもです」と言って笑うと、彼女も私の持っている「猿之助修羅舞台」を見てほっとしたように自分のバッグから何やら歌舞伎の入門書らしき本を出して読んでいました。
場内に案内され、係員の指示で花道のそばに記者達が座ると、間もなく白いジャケットに身を包んだ猿之助丈、登場。
テレビの撮影のために大きなライトが当てられて登場された猿之助さんは、まるで舞台で何かの役を演じられているかのような貫禄で、見るものを圧倒する存在感を感じさせていました。記者団も皆、何だかすごい人だ、という空気を感じたらしく、わたしを含め全員が、かたずを飲んで彼の一挙手一投足を見守っている、という雰囲気でした。
会場には脚本家の横内謙介さんもいらっしゃっていて(とてもお若い方でびっくりしました)、お二人の話を少しですが伺うことができました。
先日も書きましたが、博多座の宙乗りは本当に高いんです。ぐんぐん天井へ吸い寄せられる重りを見て、私もほかの記者の方たちと「高いですね、これは怖そう」と言い合ったのですが、猿之助さんも横内さんも
「これは高いですねえ。」
「松竹座よりだいぶ高い。3mは高いんじゃない?わたし高いところはダメなんですけどね(笑)」
と言い合っておられました。そして真剣なまなざしで、テスト走行をご覧になっていました。1度目のテスト走行を見た後、係の方が「御希望がなければこれで終了しますが、どなたかもう一度見たいと
おっしゃる方はいらっしゃいますか」と言われたので、わたしは「今のは本番通りのスピードなんですか」
と聞きました。すると違います、と言われたので「本番と同じ早さでもう一度やっていただけますか」とリクエストしました。
係の方は「本番の早さは、私は決められないので、猿之助さん、お願いします」と猿之助さんに振っていらっしゃいました。そして猿之助さんの指示でスピードアップしての走行。猿之助さんは
「いや、まだ早いな。そう、今くらいですね」とおっしゃりながら、熱心にテスト走行を見ていらっしゃいました。


 報告(後半)

では次に、8月5日土曜日に博多のアクロス福岡イベントホールで行われた講演会「猿之助が語るスーパー歌舞伎の魅力」についてご報告しましょう。
講演は2時からとのことで、10分ほど前に会場に入ったのですが、すでにほぼ満席。思ったより偏りなく幅広い年齢層の方がいらっしゃっていました。歌舞伎を鑑賞することが、まだ一般的に浸透していない博多での講演とあって、講演会の内容はほとんど「猿之助修羅舞台」に書かれているのと同じ内容で、私はそれを読んでいたので大変分かりやすく、お薦めいただいた方に心から感謝しながら聞いていました。
古典歌舞伎から明治時代に発祥した新歌舞伎。その長所と弱点。スーパー歌舞伎を構想し始めたいきさつ。梅原先生とのやりとり、それによるヤマトタケルの誕生。穏やかながら熱心な口調でお話しになる猿之助さんに、会場のお客さんは釘付けになっていました。
皆さん、お好きなんですね。時おり猿之助さんが冗談をおっしゃったりお茶目な面を垣間見せると、敏感に反応してくすくす笑ったり、拍手をしたり。和やかで、いい雰囲気の講演会でした。
途中、脚本家の横内さんも登場されたのですが、お客さんにとっては望んでもないゲスト。大きな拍手と「まああ」なんていう奥様がたの上品な歓声で、大歓迎を受けていらっしゃいました。
そのとき、横内さんが教えてくださったエピソードで、場内は爆笑となったのですが、とっても猿之助さんらしいエピソードなのでご紹介しますね。
まず、お客さんからの質問コーナーで、猿之助さんの健康法を教えて、というのがあったんです。
猿之助さんは「わたしはストレスを感じないんです。好きなことをしているからでしょうか。至って健康ですし、生を縮めることはなさそうですね」とお答えになったんです。
そこで横内さんが突然割って入り、「ちょっと言わせてください。いや、本当は言うまいと思ったんですが、他のスタッフが言え言えと背後で言っているのが聞こえた気がしたんで。」と話を中断されたんです。
何ごとかと思って聞くと
「軽井沢の仕事場で、みんなで打ち合わせをしてたんですよ。昼頃から始めて、夜までかかりました。夜7時頃になると、食事が用意されるんです。皆もお腹が空いて、そろそろ食事に、という雰囲気になるんですが、猿之助さんは「まだです。区切りのいいところまでやってからです。中途半端はいけません」とおっしゃるんです。ガラス戸の向こうに、ご飯が見えてるんですよ(笑)。それで長い長いお預けを食らうんです。ようやく10時頃に打ち合わせがひと段落して、食事にありつけました。
猿之助さんは食事は食事でじっくり楽しまれる方ですから、ワインなんか1杯やりながら、2時間くらいかけてゆっくり食べるんですね。そして12時か1時くらいになって、食事も終えたし、眠くなってきてそろそろ解散かな、と思っていると猿之助さんが、「では続きを」っておっしゃるんですよ!年輩のスタッフなんか、もう半分寝てるのに。
それからまた2〜3時間打ち合わせをして、もう夜中か明け方かという時間にやっと解散しました。僕は宿舎に戻って寝たんですが、翌朝9時頃ですよ、猿之助さんから電話がかかってきて、「夕べ打ち合わせをしたところまでの本、夕方までに見せてください」ですって!鬼かと思いましたよ、本当に!
ずっとこんな調子なんです、この方は。二度と一緒に仕事したくないと、毎日思いながらやってます。猿之助さんにはストレスなんかないでしょうけど、周りはそれで寿命が縮んでるんですからね。」
お客さんの爆笑の後、横内さんはこう付け加えられました。
「でも、初日にお客さんの反応を見ると、スタッフも泣いちゃって、またやろうね、と言い合うんですよね。」
そんな楽しい1シーンもあり、講演会は無事終了。熱気に溢れた会場からお客さんは楽しそうにさざめきながら出て行かれました。この分なら、博多の公演も盛況かも知れませんね。楽しみです。
この後記者会見、インタビューと、短時間ながら続くのですが、ちょっと長くなりすぎたので一時打留め。また筆を改めることといたしましょう。
後半、の次ですからおまけ、とでも題しましょうか。では、また。


2000年8月6 日/上田寿三子 
今週も劇場は満杯だ!!

 大阪・松竹座で「阿修羅城の瞳」見てきました。それにしてもクロスオーバーな芝居でした。メンバーが市川染五郎・富田靖子・江波杏子・平田満・加納幸和・森奈みはる・渡辺いっけい・古田新太他劇団☆新感線のメンバーで育ってきた土壌も普段仕事をなさっている環境もばらばらで、共通項は舞台人であると言うことだけではないでしょうか。
 7月29日付けの日本経済新聞文化欄「名優去り客離れ 新劇改革幕開く」という記事の中で劇団昴の代表福田逸氏は「俳優の演技方法さえいまだに確立できない日本の現代演劇は、結局は伝統演劇に勝てていないのではという疑念が、最近強まっている」と語っておられますけれど、こういうクロスオーバーな舞台から21世紀の現代演劇が生まれてくるのかなぁと思いながら見ておりました。
 松本幸四郎丈が新劇もできる歌舞伎役者なら、市川染五郎丈は小劇場系(もはや小劇場ともいえませんが)の芝居にもでれる歌舞伎役者というところでしょうか。歌舞伎の舞台ではなかなか見られないフェロモンぷんぷんの格好良さを追求した病葉出門(わくらばいずも)役の染五郎丈だったと思います。東京の新橋演舞場での公演をお待ちの皆さんお楽しみにね。
 歌舞伎役者って懐が深い、と改めて認識してしまいました。
 それにしても番付が2,800円とは・・・あきらめてしまいました。

 さて、藤山直美さんの「顔」ですが、東京地区では8月12日からテアトル新宿で始まるようですね。「顔」のHPにある大阪の完成披露試写会の舞台挨拶は大爆笑ものです。ネタばれになるので映画を見てから読んだ方が良いと思いますが、ご紹介しておきますね。↓
 大阪の毎○放送ではこの映画の製作に関わったからかもしれませんが、ラジオで「今年ナンバー1の呼び声高い女性映画」と宣伝しています。でも必ずしもこのコピーがはったりとは言えないなと私は思っているんです。
 私はこの「顔」で、直美さんが今年度の日本のあらゆる映画関係の主演女優賞を総なめにしてしまうのでは、と期待してます。 それくらい面白かったですよ。同志の奮闘ぶり必見です!!


2000年8月6 日/YASUKO.W 
造形大受講を終えて

初参加が97年だったかな?(翔のお便りの過去ページにも投稿させて頂きましたが)やはり、一番感動したのが、猿之助さんの素踊り(右近さんとの連獅子)。
衣装や鬘がなくても、世界を一瞬にして変えてしまう、その肉体や精神のあり方に驚愕しました。
その他にも政岡や実盛も実演して下さったけれど、最初に観たのが連獅子で、それを観ながら、「この空間は今、世界でイチバン贅沢な場所ではないか?」と思ったのを覚えています。
風のそよぐ音まで聞えそうな静寂の中、蜩の声だけが響き渡って・・・そして、突如、出現する異空間。
つい一瞬前まで、にこやかに講義をしていた猿之助さんの顔が、メガネを外して教壇を離れ、舞台に差し掛かったその時、まったくの別の面差しに変化する。

97年は、仕事の都合ですべては参加できなかったので、「翌年は必ず全部参加しよう!」と決意し、98年に再受講。その際は、立廻りや舞踊の実技も参加しました。ある意味聴講生の方が、この授業の質や、有り難味が分かっているので熱心だったりして。

そして、今年、今までのような形式の授業を最後と聴き、講義内容はもちろんやはり役者さんの「素の演技」というのがどうしても観たくて、参加いたしました。
授業のプログラムはほとんど変ってませんが、猿之助さん御自身が実演される演目が減っていてこれはちょっと残念でした。しかし、この講座と並行して、他のお仕事・打ち合わも並行してこなしていらしたようですので・・・・。9〜12月までまだまだ本興行もあるのに、すでに来年・再来年の舞台のことも進められているようです。

私たちも講師陣・本科生に負けず(?)、夜10〜11時まで発表会の練習風景も見学していました。
役者さんが「先生」であるという状況もしっかり観ておきたかったし、(何をどういう手順で教えていくか)日々、仕上がっていく生徒さんたちの演技を観るのも興味深かった。
実技に参加した友人・知人たちもとっても真剣に取り組んでいて、誰もが「熱中している」活き活きとした姿と接するのは、とても嬉しい、楽しい。


2000年8月5 日/さいら 
行って来ます

これから、いよいよ猿之助丈の講演会、記者会見、10分間の個別インタビューと、3本立ての取材に行きます。
夕べ博多に入られ、博多座の下見にいらっしゃった猿之助丈に少しだけお会いして来ました。大変柔らかな物腰の、素敵な男性でした。
博多座の宙乗りのテスト走行を御覧になり、「松竹座よりもかなり高いね、高所恐怖症なのに。これが限界かな」とおどけていらっしゃいました。
今日はどんなお話をお聞かせいただけるか、本当に楽しみです。
まだまだ十分とは言えませんが、本や雑誌もいろいろと目を通し、猿之助丈がいかに凄い方かを、少しだけ垣間見た気がします。いいお話を聞き、いい記事を書いて、まだ歌舞伎に対する認識の薄い九州で、少しでも今まで興味を持っていなかった若い世代の人たちが博多座に足を運んでくれたら、と思っています。私自身も、「新・三国志」のステージを本当に楽しみにしています。ご協力いただいた皆さん、本当にありがとうございました。
また、インタビューの後、もろもろ御報告いたしますね。


2000年7月29 日/スズマ 

「黒塚」のこと

「黒塚」をはじめてみて、一番心に強く残ったのは前シテの岩手の糸操り唄。それを唄っているときの岩手は、人間であり鬼。しかしまた、鬼であり人間。その微妙な所を猿之助丈が体現されていて、とても感動した。
人間であり鬼・鬼であり人間、ということには、すなわち人間はいつでも鬼になりうることが可能であるということ、また人間と鬼は紙一重の存在であるということ、人間誰しもが鬼の部分をもっているということを表しているのではなかろうか?
「黒塚」は人間の根源というか、人間性への問いかけをも有しているような、とても深いものをもった舞踊だと思った。
みていて、とても哀しいのだが…でも後味がいい。不思議な位…。


2000年7月28 日/YASUKO.W 
黒塚を観てーーー心の中の喪失の記憶ーーーー

どうして幸福の記憶よりも、悲しかったり辛かったりしたものの方が、より強く心に刻まれているのだろうと思うことがある。

黒塚を踊る猿之助さんを目前にするその刹那、重層的な感覚が胸の中を駆け巡る。
襲名興行の二十三才の猿之助さんは、どのようにこれを踊ったのだろう・・・・・71年の夏は?そして、今この瞬間の猿之助さんは?
なんの気負いも衒いもなく、ただただ踊るために踊っているように見える。美しすぎる箏の音と尺八の響きの中で。

束の間の安らぎと束の間の希望。薄い月の光の中、幸福の時は短い。

何故、人は人を殺さないのだろう。それは、命への畏怖からではなく、それと引き換えに加えられる罰への恐れ、不名誉や、自尊心の問題かもしれない。
生きていく中で、ある者に対し、殺したいほどの憎悪を(あるいは哀しみや絶望から)抱いたことのない人間が、一体どのくらいいるのだろう。
すべての人間が内包しているかもしれない業を抱える岩手。もしかしたら、ほとんどの人間がせずに済ませている、深い自省さえ加える岩手。裏切り、妬み、嫉み、悲哀・・・本当は、誰が鬼なのか。

一体、人生の中で得るものと失うものとどちらが多いのだろう。
たぶん、等しく与えられ、等しく失うのでしょう。得るものがなければ失うこともない。
この命さえ、いつかは天に、地に、帰る。

強力は好奇心を押さえられなかった。
信頼や抑制よりも、好奇心が勝る。それはとっても素朴な好奇心であったけれど、しかし、一人の人間を消滅させるほどの力を持っている。
「好奇心」には、それだけのエネルギーがあり、それが、人々を未知のものを既知のものへと変えていく根源ともなる。

人間の多様で複雑な感情を上手く扱う術を、私たちは知らない。

舞台上の猿之助さんを見つめつつ、黒塚を創出した猿翁さんの影(それは猿之助さんとの関わりにおいて)や、猿之助さんの前を通り過ぎた、あるいは猿之助さんの中にあるであろう、多くの愛を幻視する。

今度はなぜ、岩手は強力を殺しはしなかったのだろう。
まったくの絶望から?悔恨から?「祈り」とは何のためにあるの?
あらゆる愛によって人は歓喜し、あらゆる愛(の喪失)によって深く激しく傷つく。

今、たったひとつ私を裏切らないものがあるとするなら、舞台から得る絶対の感動。
猿之助さんの存在そのもの。体現する全て。
心が張り裂けるような辛い涙を流した時間をも癒し、生への力を与えてくれる、かけがえのない存在です。

二度と出会うことのない、今年の七月が終わってゆく。
2000年7月28 日/Mihoko 

何だかぼんやりと

千秋楽行ってきました。
朝6時半に帰宅。頭がぼんやりとして長い、長〜い一日でした。

演目はどれも初めて観るものばかり。
ましてや一回だけと思うとしっかりこの目に焼き付けようと意気込んでいたのですが、「黒塚」でもう腑抜けモード突入です。
観ていて思ったのですが、私が舞踊が好きなのは言葉を追わなくていいからだ、と。
振りや表情で想像できる分、じっくり役者さんを見つめられるんですよね。言葉が付くとどうしてもそちらに気がとられて観ているようで観れてないんです。どうも言語タイプではないようです。

さて、「黒塚」は美しい舞台でした。
最初の岩手がシルエットで浮かび上がる場面。第二場の一面の芒が原もビデオで見たより数倍も美しかったです。
そこに浮かぶ鋭い三日月。
下手奥に岩手が姿を見せた時にはハッと胸を衝かれるような感動を覚えました。青白い月夜の世界で思わず踊り出す岩手の無邪気さは、観ていて、こちらも手を取って踊りたくなるような楽しさがあります。

一転して第三場、期待を裏切られて鬼女に戻ってしまった岩手。
怒り狂いながらも次第に己のあさましさにも気づき始めて(と言うより常にその葛藤はあったんでしょうね)木に身体をこすり付けて身悶えする姿には思わず背中をさすってあげたくなるような哀れさがありました。

筋書きを読むと、鬼女は名僧の法力で通力を失い、そのまま何処かへ去っていくと書いてありましたが、岩手が生きていける世界は果たしてあるのでしょうか?


2000年7月27日/myu-ki 
one of them ...

本日は千穐楽。カーテンコールの時の猿之助さまは、舞台の端から端まで、全てのお客様に目を配るように挨拶をなさりながら、客席に手を合わせ拝むようなポーズをとっておられました。
暫く時間が無くてH.P.から遠ざかっていて、昨日の夜、遅ればせながらさかのぼって書き込みを読みまくった後だったので、その仕草を見たときに、北前さんはじめ『翔』に関わる人たちことが心に浮かびました。きっと、猿之助さんも観客席に向けた心の目の中で、みなさんのことを見ていたと思いますよ。
本当に、このページの書き込みを通じて、知り合った方々を思うと「お客様は神様です」という言葉が実感できます。ささやかではあるけれど、私にとってはとても大切な時間と気力とお金でも、猿之助歌舞伎のためならば、と思ってしまう私もちょっと、神様って感じかも。
奢った言葉を吐いたついでにもっと生意気なことを言えば、私たちにとって大好きな俳優さんが、輝く太陽や光る月であるように、その俳優さん達にとっても、フアンが夜空に輝く星に思える時があるのではないでしょうか。大きく輝いて励ましたり、道しるべになたりしてくれる星とか、小さく輝いて和ませてくれる星とか。
猿之助さまがあまりに感情のこもった目で真摯に客席を見渡して下さったから、つい、そんなことを考えました。そうして、その目の中のone of themでいることが、今日もとても嬉しかったです。


2000年7月27 日/幸せごはん 

ただいま〜。

さっき、歌舞伎座から帰ってきたところです。
しかと千穐楽、昼夜通して三階席から見届けて参りましたっ(;▽;)。

通常の、舞台に座ったままの姿勢での「さぁて、本日はこれぎり〜」の挨拶の後、閉められた幕内へカーテンコールを促す、鳴り止まない拍手・拍手。
さてさて、下手側からスルスルと開く定式幕。最後の場に出てらっしゃった役者さんたちが、位置はそのままで全員起立してました。
下手側の笑野さんから、上手側の亀治郎さん、また下手の...って風に互い違いに、前に進んで、ひとりひとりご挨拶。
歌六さんの番だけ、その時、座って両手をついて挨拶をされて。
最後に、どセンターの猿之助さんが、挨拶されたときに、場内最高潮の盛り上がりを迎えました。
つつつつーと、花道の方へも歩いてこられて、あのキラキラした綺麗な目で(ふぅ〜・素敵#。#) 、三階席のこっちまでも場内を隈無く睨んでくださって。両手を胸の前で交差しての、ご挨拶もありました。
もう、万雷の拍手で場内大コーフン!!! 三階のほぼ8割はスタンディングに。
そして、最後に上手・下手・センターに向けて、全員が揃って挨拶したあと拍手のなか、幕は再び閉められたのでした。。(興奮してたので、なんかいっぱい記憶違いがありそうなんで、「おかしーココ」って思ったら、どんどん正してくださいませ。よろしく御願いします)

ハァ〜あ。記念すべき奮闘公演三十周年、2000年の夏が終わりました。
「伊達の十役」(それも一世一代)の去年は、猿之助さんだけが突出してたので、ああいうカーテンコールだったんだとと思いますが(今・思い出しても、ぞぞーっとするような何とも言えない不思議な感覚!)。
今年は、口上をおひとりでされてたし、その中でも「志を同じくする仲間」ってことを強くおっしゃってたように、カーテンコールも「おもだかや一門」の今後を楽しみにさせるよな演出だと、私は思いました。(みなさんはどうでしたか?)
そして熱くて・暖かな観客席(^-^)。。

最後、猿之助さんがお帰りになる姿をチラッと見かけました。さぞお疲れなんでしょうが、そんなことは微塵も感じさせない、大仕事を終えられた、淡々とした爽やかでさっぱりした様子でした(*^-^*)。

猿之助さま。今年も素晴らしい七月をありがとうございました。
これからも、四十年・五十年、もっと・もっと、ずーっと・ずーっと、歌舞伎座の夏に“居座り”続けてくださるよう、応援して行きたいと思ってます。そういう気を起こさせる猿之助さんで、ずーっと・ずーっといて欲しい。。
本当に出会えたことを、お天道様に感謝しています。
....たとえ、市井の一ファンに過ぎなくても、そして切なくなっちゃう時があっても。。


2000年7月27 日/Ruby 
とうとう終わってしまいました。

今日は会社を休んで千秋楽を昼夜に渡り観て参りました。
猿之助さんはじめ一門の皆様、スタッフ、劇場の皆様本当にお疲れ様でした。そして熱い感動をありがとう!
まだ興奮状態で頭が回りません。ただひたすら猿之助さんはすごい!としか言葉が浮びません。
昼の部の「黒塚」「四ノ切」を続けて上演するだけでも大変なことなのに、夜の部では本水まで使っての4役! その体力、気力、お客様へのサービス精神にはひたすら頭が下がります。
そして夜の部、「宇和島騒動」の最後にありました!カーテンコール。
澤潟一門がうち揃っての「本日はこれ切り」で幕がしまっても拍手が鳴り止まず、やがてもう一度幕が開き、皆さん揃って上手、下手とご挨拶。その後猿之助さんにうながされて端から順にひとりづつあいさつされました。
今月は米吉・龍之助ブラザースが話題をさらってましたがもうひとりの重要な子役、清之助役の伊藤君にも観客から盛んな拍手がありました。今月一番気を使っただろうと思える歌六さんの番になると舞台にひれ伏してお辞儀をされていました。皆さんのお陰で無事千秋楽を迎えられてよかったという気持ちがきっとあのお辞儀に出たんだと思います。
そして最後に猿之助さんがまず上手に歩み寄り、2階、3階のお客様に向かって挨拶され、次は下手に行き花道まで進んでご挨拶されました。私は二階にいたのですが思わず立ち上がって拍手してしまいました。2階、3階はスタンディングオーベイションの人が多かったようです。
2階といえば米吉君と龍之助君が出番を終わってから私服に着替えおばあちゃま(らしき人)に連れられやって来ました。身近で見ましたが素顔も本当に可愛い!舞台の上でも今夜は何事もなく二人とも大役をこなしておりました。
思えば4月の「新三国志」から猿之助さんはじめ一門の皆さんは殆ど休みもなく舞台を勤めてこられたのですね。本当にお疲れさまでした。短い期間ですがじっくり休養を取って体を休めていただきたいです。でも京都でゼミナールも始まるしそうそう休んでもいられないでしょうが。
私は9月の大阪には行けそうもないし、10月は。。まだスケジュールがわからないし、11月は博多だからせいぜい行けるのは1回だろうし。。これから飢餓感に襲われるのがこわいです。


2000年7月26 日/三楽亭 

澤瀉屋堪能の一日

 7月22日の土曜日,東京は快晴でした。
猿之助130年,歌舞伎座連続30年記念の興行,澤瀉屋贔屓のみなさまのおかげをもちまして観劇することができました。一日歌舞伎座にこもり,もう大感激・大興奮の一日でした。
 猿之助丈,確実にまた歩みを一歩進められたように思いました。
 「四ノ切」の狐忠信の述回,今回のセリフはハラにこたえました。しみじみと,水が砂地にじわっと染み渡るような,一言一言含蓄のあるセリフでありました。
 「宇和島騒動」の愁嘆場,忠僕胴助の嘆きの真実味,これこそともすれば「大衆劇」「二流もの」といわれがちなこの手の狂言を実のあるものに,観客が共感できるものとする演技だあろうと思います。
  「黒塚」の後シテに「あはれ」が感じられたのも発見でありました。どうしようもない自分,わかっていながらも同じ事を繰り返してしまう人の弱さが浮き彫りにされました。今回,眼目の中の巻よりも下の巻の方に私は魅力を感じました。
 もちろん,「芝居」をより面白くする猿之助丈のこころもたっぷり。狐忠信の宙乗りの引っ込み,鳥屋から吹き出す桜吹雪には驚きとともに「しゃれてるなぁ」と感心。もう3階席から「三代目!」「澤瀉屋!」連発でした。
 「宇和島騒動」の上方芝居の濃厚気分,ワクワクしました。幕切れ,口をついて出ました。「堪能しました!」

 「口上」の背景に書き散らされた文字,中でも「晨」の字に惹かれました。「夜明け」。これからの猿之助丈を端的に現した言葉ではないでしょうか。


2000年7月26 日/いくよ 
金色の輝きに

今日は、千秋楽日ですね。猿之助さん、そしてファンの皆さんおめでとうございます。
さて私は、歌舞伎座に、22日に行って来ました。
『新三国志』の千秋楽に歌舞伎&猿之助さんを初体験して、日が経つに連れてあのいぶし銀のような男らしい関羽の面影を追っている自分に気付きました。でももう舞台は終わってしまっていて、もう一度逢いに行くことも出来ず、東京は遠すぎるし、どうしていままで猿之助さんを観なかったんだろうと、そればかりが思われて、悔しくて、残念で…
そしたら上田さんだとか、杏ッ子さんだとか、yasukoさんだとか、みなさんから、結局はいつ出会ってもみんなそう思うんだってことを教わりました。そして、よくぞ今に間に合ったと言われて、本当にそうだ ! って思いました。それで考えもしなかった歌舞伎座行きの決行です。
泊まりはとても無理な事情があるので、昼の部を一回見ただけで帰って来たのですが、ケイコさんと一緒で私もいま失語症みたいになってしまっています。
スーパー歌舞伎が歌舞伎初体験だったくらいだから、古典歌舞伎を見るのはもちろん初めてだったのですが、あのメクルメクような歌舞伎世界。何だかこれまで捜し求めていた私の世界のような気がしたほどです。
口上、黒塚、四の切と、私の目は猿之助さんにひたすら釘付け。スーパー歌舞伎で見た猿之助さんはいぶし銀の輝きでしたが、歌舞伎座の猿之助さんは、目もくらむ金色の輝きを放っていらっしゃいました。
行ってよかった、本当によかったです。
行こう ! ! と決心させてくださったみなさま、本当にありがとうございました。


2000年7月23 日/あさ 

皆様なぐらないでー

 昼の部観てきました。歌舞伎をはじめてみたのは黒塚でその後東京で黒塚がかかるときは見に行っているのですが、そんなファンからの感想です。

 まず、最初に思ったのが「どうして阿闍梨はお間抜けに描かれていないんだろう」ということです。だって高僧だか何だか知らないけど鬼の家に泊まっちゃって
何も怪しんだり察したりしないなんてほんとに悟りを開けてるの?っていうことでした。
 でも阿闍梨役は皆様もカキコしてるとおり気高い雰囲気で演じられています。どうしてなんでしょう。よくよく考えてみたら、やっぱり阿闍梨はほんとにさとっている高僧だったのかもしれません。(ほかの2人の僧は違うと思うけど)
知っていて鬼女に呼び寄せられてあげたのかもしれないと今回思いつきました。

 なぜならば、旅の一夜に徹夜でお勤めしちゃうというのはいかにも大げさという気がするし、連れの者が岩手の本性を見つけ出してしまったときの怒りは本気だったと思ったからです。(1幕目の最後で足をふみならすところ)
 だから鬼女のことをすべて分かってはいなかったかもしれないけれどかなり罪深いものが救いを求めている気を感じていて、でもほかの者たちをびびらせないために一人の胸のうちに納めていたのではないでしょうか。そして真に罪深いものを仏に帰依させて悔い改めさせるのが目的だったのではないかと思います。
 岩手は仏の道によって罪深いものでも悔い改めれば救われると阿闍利に説かれて
心が洗われますが、実はこのやり取りも話のついでに阿闍利から出たものでなく
岩手のほうから「こんな話もあるけどほんとなの?」と聞いています。
つまり岩手は僧がくる前からそうした救いを渇望していてその願いの大きさに引き寄せられて阿闍梨一行が立ち寄ったのではないでしょうか?その願いの大きさはもちろん鬼女としてのあの恐るべき力と同じ大きさであったでしょうし、結局は鬼女を倒すことができた僧としての力を考えれば阿闍利はただ単に呼び寄せられてしまったのではなく自ら選んでやってきたのだと思えたのです。


皆様なぐらないでー その2

自分勝手な感想なので、その1の文をちらりとでも見てつまらないと思った方はガンガン飛ばしちゃってくださいね。

私は黒塚を見て人間の内面の汚いもの、醜いもの、罪とそして救いがテーマだと思いましたけど、この点についてすこし書き足します。

 前のところで苦悩する岩手を救いにきた阿闍梨という構図を作ってしまいましたが、これを前提として話を進めちゃいます。 悔い改める気になっていた岩手の「悔い改めたい」気持ちの原動力は、年をとったことに関係するのでは。人や世を恨んだり憎んだりするのには大変な体力と気力(情熱)がいると思います。年をとって体が衰えると共に恨みに費やす情熱も目減りしてきます。長年の孤独や苦悩にももう疲れ果ててきます。
 老い先短くなって(おそらく鬼になれるくらいのパワーがあったのだから人より長生きかも知れません。憎むべき者たちももうとっくに死に絶えているかも知れません。)燃え尽きてきた岩手が考えたのは自身の罪に対する後悔・恥じとそこから抜け出せる救いとだったのだと思います。

 岩手はみやこびとだったことに対して懐かしむ気持ちや執着、プライドのようなものを感じていると思いますが、そうだとすると下賎のものではなく少なくとも中流以上の家庭だったと考えられます。(糸繰り歌も「あはれ」だったらしいし)昔のみやこびとならきっとインテリです。(確固たる根拠はないけど)
 老い先短いインテリがその身を支えつづけた恨みパワーをなくしてしまってすることといえば、己の身の上を省みて考えちゃうことくらいしかありません。ただ惰性で命尽きるまで日々のことにのみ費やすことなんてできなそうです。
 そこで鬼になれるほどの恨みパワーと同じくらいの大きさの後悔と恥ずかしさが生まれ、そしてそこから救いへの切実な渇望が生まれてくるのだと思います。
あれだけの恨みパワーをこれだけ長年抱きつづけられた岩手はきっとかなり執念深いはずで、年をとって減ってきたとはいえ残っている分を救いを求めるほうに振り向けていったのではと思います。(この鬼ぱわーと救いへのぱわーの2面性は月夜の影法師の2方向に出てる気がします。おにの影は舞台の奥のほうへ伸びる影、救いのほうは東のほうへ伸びる影です。危ういバランスがみられます)

 さて、そんな岩手の執念が呼び寄せた阿闍梨一行により救いは見出せるはずでしたがまあ世の中そんなにうまくいきません。心無い下のものによって己の本性を白日の下に(月光の下に、というべきか)さらされてしまいます。岩手の後悔や恥の気持ちは先ほども書いたように大きいですから、これを露骨に刺激されては最後の力を振り絞ってまで鬼に戻ってしまったのもうなずけます。これですべてが無に返ってしまったのですから。
 あるいは、(私はこちらの考え方が好きなのですが)己の罪深さを十分すぎるほど認識している岩手には、いくら高僧が大丈夫だといったとしても、あれだけの罪を犯した身の上で救いなんかを求めたりしていいのかという内なる疑問を抱えていたのではないかと思えるのです。つまり鬼に立ち返った裏にあるのは完全なるあきらめ、です。あれだけの罪を犯したのだから救いを求めることなど ひと(悟った僧以外のもの)や自分が許さないだろう(もしできるのだとしても・・・)、という気持ちです。救いはあきらめてもすべてをもうお終いにしたい、ということで破滅を選んだのです。

さて、ここからがほんとに言いたかったことなのですが(やっと?)、私の以上の解釈からすると阿砂利の演技にはもう一ひねりあったほうがよかったのになーと言うことです。助けに寄った岩手が救いの険しい道をあきらめて破滅を選んでしまったのだから気高い演技のどこかで老女に対する哀れみみたいなものがもう少し出ていればよかったのに、ということです。そういう隙が垣間見えたら最後のシーンの岩手が引き立つような気がするんです。どうでしょう?

長々とすみません。もしほんとに全部読んだ方がいたとしたらお疲れ様&ありがとうございました。


2000年7月22 日/Silver Moon 

残念だったこと

初参加させていただきます。
皆さんの感動の心に水を差すようで申し訳ないのですが、夜の部の龍之介くんには非常にがっかりさせられました。
日本人の悪いクセとして、小さな子供が出てくると、何でもご愛敬で拍手を送ってしまう、許してしまうというものがありますが(ありがちな例は、子供のど自慢番組で幼児が「銀恋」をデュエットすると、聞かれたものでなくても入賞するなどのパターン)、可愛いから良い?まだ小さいから仕方ない?そう言うものではないと思います。
役者として舞台に立つ以上、小さくてもプロなのです。勿論、演技がつたないかどうかを言っているのではありません。やらねばならないこと、やってはならないこと位はわきまえさせて欲しいのです。
今回の彼の役は「大名の若君」。最低でも品良くやって欲しいところですが、口を開けて、まるで「村の子供」のような出をしたかと思うと、あちこちを見回してみたり、鼻をほじってみたり。歌六さんがついていながらと、呆れてしまいました。あれでは、猿之助さんにも観客にも失礼ではありませんか。
観客が笑うからうけている、喜んでいるなどと思って欲しくないです。子供の演技でも、本当にすばらしいものならば、観客は笑いません。惜しみない拍手と、感動の涙でそれにこたえることでしょう。
歌舞伎座は、出演することですら1つのステータスとなるような格式ある劇場なのです。そして、今年の7月は「歌舞伎座連続30年」の記念興行なのです。こんなことならば、プロとして仕事をしてくれる、音羽会の子役さんのしっかりした演技で見せて欲しかったと、とても残念でなりません。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 上記の書き込みにたいして ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・    


子役のこと  / 熾絵

皆さま こんにちわ。
米吉くん竜之助くん子役の話題が出ておりますが、私も子役だからと甘やかすというのは潔良しとしません。
しかし私もお二人に着いて書き込んだ手前、誤解のないように追加の一言をと思いまして…。
私が観劇した日は、あちこちの話題とは反対に
米吉くんの健気な姿に感動は致しましたが、龍之助も何の失敗もしませんでしたのでお芝居の邪魔になる事などありませんでした。
台詞もきちんと言ってたし、余所見もしなかったし、口上のときも居眠りなどしなかったし、ただ口上のときのお辞儀が微笑ましかったですけど。
観劇の前から掲示板などで龍之助くんの失敗談を拝見していたので、かえって拍子抜けするほど何事もない舞台だったんです。あまり何事もなかったので日々、厳しく教えられているのかしら?って思ったくらいです。
小さなお子様の事ですから波があるのでしょうね。
もしかしたら米吉くんが猿之助さん相手に懸命にお芝居する姿に目が釘付けになってしまって、龍之助くんが目に入らなかった可能性はあります。
という訳で私はお芝居として楽しみました。


2000年7月20 日/康子・S 
歌舞伎臭ムンムンの舞台でした

18日(夜)、19日(昼)の歌舞伎座遠征から戻って参りました。

まだ充分お稽古が足りてない(松竹座の楽から僅か一週間足らずの開幕ですもんね)ハラハラドキドキの初日報告を、お友達から頂いていましたが、中日も過ぎたし、きっといい舞台になっているに違いないと期待して行きました。
そしてもちろん期待した通りの素晴らしい舞台でした。

一座の若手スターたちで上演された珍しい「鎌髭」。面白い芝居でした。とにかく役者さんがみんな楽しんでましたよね。
その中で段四郎さんが流石に上手く“時代”の雰囲気を出しておられました。段四郎さんが出られると、やっぱりがぜん舞台が締まりますね。

「黒塚」は私にとっては待ちに待った演目でした。ファン一同の力作である「すすき」もこの目で見てみたかったし。
もう、大感動です。景色がとっても素敵でした。「月」、よかったわァ。ライトも非常に効果的でした。
そして猿之助さんの踊りは、手の先、足の先、杖の先にまで神経が行き届いていて、溜息がでるほど素敵。素敵。
段四郎さんの強力もTVでみた時とは少し変わっている気がしたけど、軽やかで愛嬌があって…。
それに梅玉さんの祐慶が気高くて気に入りました。今までみた梅玉さんのなかでは、私的には一番って気がします。

そして「四の切」。これは私の大好きな演目なのです。大好きだから、いつみてもウキウキ、ワクワク、しかもしみじみします。
初日には最後の立ち回りで悪僧が崩れたりと少し危なっかしいところがあったそうですが、今日はお見事!!で、大満足でした。
源九郎狐が初音の鼓をもらって「にっこり」するところなど、観ているこちらにまで嬉しさがこみ上げて、思わず涙がこぼれそうでした。やっぱりいいわ! 猿之助さんの「四の切」。最高。大好きです。
宙乗りも東京へ行く前、松竹座で福助さんと勘九郎さんのを見てきたんですが、猿之助さんの芸術にまで昇華したようなのに比べたら「飛べばいいってもんじゃないんだなァ…」ってことがよく分かります。
(勘九郎さん、福助さんごめんなさい。でも充分楽しかったですよ)
嬉しそうに頬ずりしながら飛び去っていく猿之助さんは、もうもう、最高に素敵、最高に美しかった。

「宇和島騒動」はちょっと間延びする箇所もなきにしもあらずって感じですが、早変わりや滝やらで見せ場も多いし、夏らしいお芝居でしたね。歌六さんのところの坊やも可愛いし・・・
でも、7歳と5歳。たった2歳であんなにも違うものなんでしょうか。お兄ちゃんはしっかりと長いせりふを覚えているのに、弟くんは天真爛漫というか、超大物というか、ずっと天をみつめていました。

滝の場面では、お腹から血のりが噴出すあたりでちょっとモタモタって感じがありましたが、それも「あっ、大丈夫?」なんて、母のような気持ちになってしまうんですよね。猿之助さんて≪本卦がえり≫のお歳を迎えられた方なのに、何故か何をされても「可愛いいっ!」って感じがあるんですよね。

そして、ひときわ目立つ『翔』の文字の前での「口上」。
「一座のものと手を携えてこれからも頑張っていく」という猿之助さんの心を吐露したような「口上」。感動的でした。

30年間も、暑い7月に歌舞伎座を連続大入りにするという偉業を成し遂げられた(これからもずっと続いてほしい)猿之助さんはやっぱり凄い! 偉大だ!!と思います。
これだけお客を集めて、これだけ目イッパイ楽しませてくれる役者はやっぱり猿之助さんしかいませんよね。
そういう猿之助さんの舞台だから、客席の方も本当に見たくて見に来ている人ばかり。雰囲気がいつもとってもいいと思うんです。

これからは、出来ればスーパー歌舞伎で一年の大半が過ぎてしまうというんじゃなく(もちろんスーパー歌舞伎だって好きだけど)、同様に古典にも力を注いでもらえたらと心から願います。
若手もどんどんお稽古をつんで、一層大きく成長してほしいです。

今回は、亀治郎さんや猿弥さんがいつものように大安心して見られたのに加えて、春猿さんの十文字屋の女房が想像以上によかったですね。お声も若い娘役の時に出ちゃう、頭のてっぺんからみたいな発声じゃなく、ほどよく押さえられて魅力的。大人の女の色気と落ち着いた雰囲気がよく出ていたような気がします。

たった2日の、それも昼夜1回ずつの観劇だけでしたが、奮闘公演はやっぱりいいですねェ〜。ああいう歌舞伎臭ムンムンの舞台、関西でも是非是非やってほしい!!
七月観劇が終わってしまって…、あとはひたすら九月を待つばかりになりました。


2000年7月19 日/幸せごはん 
17日の夜の部観てきましたっ!!! 

私が観た中で(って三回だけど^^;)、いちばんコテコテの夏芝居らしい味が出てた気が。(あ・勝手に思わせてくださぁい・笑^^;)

スーパー歌舞伎の衣裳を担当されてる桜井さん、澤潟屋贔屓の芸能人の方、またたくさんのファンの方もお見かけしちゃって、熱気あふれる客席は、平日とは思えなかったです。

役者さんたち、どんどんその役に入ってきて、お芝居が深くなってきてるようでした。それに中日過ぎて、皆さん、お疲れだろうに、却って元気良くなって来てるようにも見えたけどー、どんなもんでしょうか?
延夫さん、初日の頃に比べて、ノドの調子も落ち着いてきて、ホッとしましたです。

右近さんの源五郎さん、ねぇーーホントにイヤな野郎でイイんですわっ(まさしく矛盾)。観るたびにアクが増してってます。憎たらしいコトこのうえない。で、楽しそうですしねー。
猿弥さんのキレイな悪役も、汚い悪役もどっちも腹黒そうでイイし、(もしや昼夜通して、全演目に出てらっしゃいますよね。すごいハードだ)、
笑三郎さんの鬼気迫る怖さときたらないしー(子供だったら泣いちゃいうぅー;_;)、
笑也さんしっとりした眉なしの役も、気品と抑えた情があっていいしなぁーー、
春猿さんの口入れ屋の女房っぷりも、仇っぽくってまたいいし。。

段芝さんの仲居さんも、いい味出てるよなぁー、
門之助さん&亀治郎さんカップルのキレイで、お似合いなことと来たらナイし。
(お兄さん達に比べてとっても頼りなくって・笑、ああいう役回りにピッタシ)
新(?)おもだか三姉妹の舞姿も、艶やかでウットリ(*^-^*)ですよねぇ〜。
            ↑この場面、個人的に、もっともっと長くってイイんですが。。

でもって、猿之助さんでイチバン好きなキャラクターは、なんといっても滝乃ですっ。もともと眉無しの女形姿に弱いし^^;)、特に、猿さまのこういう系って、肉厚な感じで、スゴイ色気があるんですよねぇ〜〜。
彼女は、政岡ほど窮屈な感じがしないですし、「でかしゃった」の所も子どもは生きてるので、安心して観てられるっ(笑)。
オホホっとばかりに、口元隠して嫣然と微笑む様に、もうクラクラですぅ〜(@。@)。ああ・ああいう女性になりたーい。。タフでかっこいいーー。映画で言ったら、「グロリア」のジーナ・ローランズみたいなの。

でもでも胴助!!!....もうイイっ! なんだか「筆幸」以来(?)か、こういうウラぶれた猿之助さんにも、・掴まれます。
あの落ちくぼんだ目を強調する目張り・不精髭にクラクラ(←バカ^-^;)...なことばっか書いてるから、オマエは猿之助だったら、何でもいいのかって言われちゃうんですけど、実際そうですよっ(←フッ・開き直り!^▽^;)

初日に三階から観たときは、気づかなかったんですケド、胴助が、とってもむさ苦しくて、ケンカ弱いじゃんってのは、願をかける為に、断食してたからなんですよねっ(二度目に気づきましたf^^;)。だから、ホントは強いのに、力が入らなくって、空回りしてばっか。。
源五郎一派からの度重なる非道な振る舞いに、ホントに歯がゆく、もどかしく、ああーイライラ。。がんばって、頑張ってよ〜〜、胴助!!!(毎度・手に汗握りしめて観ちゃってますぅ)

そして、ここまで引っ張って・引っ張って、引っ張られるから、本水の滝のシーンで、「おおぉぉ〜〜っ★☆」ってすっごいカタルシスを感じさせてくれるんですよっ。もうドバッと、ブワッと、ガーっと大盤振る舞いがホントに気持ちいいっ。(あのあと、あの浴衣は、どうされてるのでしょうか?)

2回目からの観劇は落ち着いていろいろ細かい点を発見しましたが、 伏線がちゃんと繋がるようになってるし、見せ場が満載だし、胴助の死に場だって、そうやってメチャメチャ興奮しちゃっうし、カッコイィーご一門勢揃い(どの人を見てよいか、あちこち目移りして困るわいのぅ〜・*^^*)で迎えるラストで締めくくられると、「あーほんまエエもん見せてもろたなー」って、大満足な気持ちでいっぱいです♪

いろんな歌舞伎のエッセンスが要所要所に取り込まれてるこの「宇和島騒動」。やっぱ芝居はこうでなくっちゃねぇ。いつでも・どんなんでも、隅々まで気合いの入ってる、おもだかや一門の芝居に限りますっ。

で、今日、いろいろな新聞評をまとめて読んだのですが、まだ千穐楽前だと云うのに、すでに歩きながら書いてあることを思い出して涙ぐんだりする、ヘンな人になってきました^^;)。。どーしよぉ〜〜。
....ってなところで、暑苦しいので、おいとまいたしまする〜〜。
(と宙乗りで、かなたへ消えてくのでした) 長くてスミマセン。でわっ


2000年7月18 日/熾絵 
7月大歌舞伎

7月歌舞伎座、大分前に拝見したのですが、この所多忙と体調不良とその他諸々が重なって、なかなか感想が書けずに居りましたが、漸う漸うのこと感じた事などを…。
といっても相変わらずの拙さですから、お目汚しで恐縮です。

「黒塚」
鬼女岩手の孤独と哀切が滲んでいるような幽玄の月に照らされた茫々たるススキの原、
阿闇梨の言葉に一筋の光を見出し、いそいそと粗朶を拾いに出かける岩手、
ぬくもりを喜ぶ客人の様子を想い描いているのだろうか、一枝一枝に心を込めて拾い集める岩手、
久しく忘れていた幸せの予感に幼心を取り戻し月影と戯れる岩手の可愛らしさ、、
またもや人間に約束を違えられたと知り鬼の本性に戻ってしまいながらも、
変えられない己が性を恨みながら人に復讐せずにいられない悲しい岩手。
物悲しい月光に岩手の悲しみが重なって見えました。
丁度、観劇の少し前にテレビで放映されたのを拝見しました。テレビでは悲しい物語の割に舞台は少々派手に見えましたが、実際に見た生の「黒塚」はしっとりと品の良い舞踊でした。岩手の悲しみの色に染め上げられたような切なさがあります。
それに阿闇梨役の梅玉さんの気品のある姿は、一言で岩手に希望を抱かせるに足りた事が納得出来て素敵でした。
この舞台は猿之助さんの鬼女の童心や人間味の表現の見事さや梅玉さんの阿闇梨の端正で徳の高さを感じさせる演技、山伏達の整然とした動き、代わる代わる調伏しようと迫っていく時の激しい美しさ。強力の段四郎さんのこっけいさ、どれもが程よく調和して、全体に気品のある舞台となっているのが印象的でした。

「四ノ切」
猿之助さんの姿を舞台やテレビで見る度に感じる可愛らしいお人柄と猿之助狐の可愛らしさが溶け合って、見ている側をとっても幸せで嬉しくさせて頂きました。
真っ白い衣装の源九郎狐の姿が、あんまりキラキラ綺麗で、あんまり健気で、あんまりいじらしくて、あんまり可愛いので、つい唇をほころばせたり、ほろりと涙をこぼしたりしながら見ておりました。
変幻自在な登場と綺麗に決まったけれんに歓声をあげながら、特に天上から一気に飛び降りて舞台正面にちょこんと膝をついた狐が、あんまり輝いて見えたので、周りに負けない歓声を上げながら嬉しい涙がこぼれました。
とにかく、とってもとっても楽しみました。
宗十郎さんと芝翫さんの義経、静御前がまるで享保雛のように雅で古風な雰囲気を醸し出して居られるのが、目まぐるしく動き回る源九郎狐の姿と対照的な様で却って調和しており、なんだか舞台の人たちも客席の人たちも同様に狐の妖かしに酔わされているようでした。
「四ノ切」だけで、こんなに興奮してしまい9月の通し狂言は一体どうなる事やら…。

               
夜の部「宇和島騒動」
こちらは圧倒的に猿之助さんに目が釘付けだった昼の部と違い澤潟屋一門の役者さん、それぞれのお芝居とお姿を楽しみました。
猿之助さんの四役は早変りもあるものの、見せ所はそれとは違いそれぞれの役の演じ方の違いかなと思われます。
悪役の家老大橋右膳の歌六さん、刈屋の亀治朗さんの腰元は可愛らしく、門之助さんの若侍姿もとても似合ってたし、右近さんの源五郎も悪党っぷりがよかったし、笑也さんの初音役も綺麗で良かったけど、なんといっても二人の子役、米吉君と龍之介君の初舞台はとても楽しめました。
劇中にお披露目の口上があって猿之助さん、歌六さんに挟まれ並んだ二人の姿の愛らしさ、一生懸命に口上を述べる米吉君、お父様の歌六さんに背中を押されペタっとお辞儀する龍之介君、猿之助さんと歌六さんの口上も爽やかで素敵だったし、昼の部の猿之助さんお一人での口上の緊張感と格式、どちらも歌舞伎らしい趣を楽しみました。
また笑三郎さんのお辰の方の怖さと華やかさが印象に残ります。
胴助と源五郎の本水での立ち回りと血だらけの最期も凄かったし花火もあがって夏らしく、役者が揃って賑やかな大団円。
「ま〜ず、本日はこ・れ・ぎ・り〜〜」のご挨拶が大好きな私としては満足しての幕切れでした。


2000年7月18 日/猿華
『黒塚』♪

先日16日に昼夜観劇いたしました。

幕開けから、どこを見たらよいのか眼がひとつでは足りないよ〜の『鎌髭』、念願の『黒塚』に猿様の『四の切』に大感激でした。

『黒塚』の観劇中に「これはもう一度見たい!もう一度見る!」と、昼の部が終わってチケット売り場へ直行し、23日昼夜のチケットをゲット!
前の日は松竹座で夜の部を予定していて、大丈夫なのか(体力よりもお金が…(笑))とも思いましたが、この見たい見たい病にはかないません。それほどまでに惹きつけられる何かがありました。
猿様の『黒塚』をライブに見ることができて本当によかった。(欲を言えばもっともっと早くに知っていれば…。)
一番最後、鬼女が静かに静かに下がっての幕切れがとても印象的でした…。

歌舞伎座遠征は去年が初めてだったので猿様の源九郎狐は今回が初めてでした。
両親を想う子狐に心打たれ、ウルウルときてしまいました。そしてもう、あのかわいさ♪♪♪
初めて見た歌舞伎が、松竹座での『カグヤ』、
その次に見たのが、南座での勘九郎丈が源九郎狐をなさった『義経千本桜』だったのですが、その頃、超超初心者だった私には今回のように子狐に涙するような心を持ち合わせておりませんでした。
(それだけ成長したってこと??? いやいや猿様の子狐がそれほどすばらしかったから心に打たれたんです。はい。)
9月は『義経千本桜』の通し ! !  いまからとっても楽しみです。

夜の部とか他にも一杯一杯思うことはあるのですが、なかなか言葉にするのは難しいです…。
再遠征、しっかと見てまいりまする〜〜〜!


2000年7月17 日/かわせみ
やっぱり泣けてしまうのは・・・

新米ファンのかわせみです。

おととい2回目の歌舞伎座へ行ってきました。(今月2回目、でもこれが生まれて3回目!)
山梨から日帰りしなければならず、2回とも昼の部だけなのですが。
初回は展開とケレンに心を奪われてしまいましたが今回は黒塚も四の切も、より深く味わうことができ、ますます猿之助さんの舞台へのひたむきさに心打たれました。
最後にどうしても泣けてしまうのは、スト−リ−に感動すると同時に、それ以上に猿之助さんの一生懸命さに心がゆさぶられるからです。自分はこんなにひたむきに毎日を生きているだろうかと。

今までいわゆる芸能人にひかれることなどとうてい考えられなかった私の人生で、市川猿之助という方にめぐり会えたことで何かが大きくかわりそうです。
そう言ったら友人には笑われましたが。

時間もないので追っかけはできないのですが、猿之助さんが現役で役者をされている時代に出会えた運命に感謝して、機会あるかぎりその舞台を拝見して、自分の人生のエネルギ−にさせていただこうと思っています。
いただいたエネルギ−は自分の仕事を通じて世の中を少しでもよくする方向に使っていきますので、こういう形でも猿之助さんの舞台が役に立っているということを知っていただきたくてカキコしました。

これって猿之助さんへのラブレタ−みたいですけど…。


■□掲示板に書き込んでくださったものを折々に保管。それをこのお便りの頁に転載しているわけですが、これ以前の約一 週間についてはついうっかりしている間に消滅してしまいました。というわけでこの間の書き込み分が抜け落ちています。力作をお寄せくださったみなさま、申し訳ありません。ごめんなさい。 m(__)m <(_ _)>

2000年7月10 日/Ruby 
30年の重み

 8,9日と歌舞伎座に行って参りました。まず昼の部の猿之助さんのたった一人の口上を聴いていて涙が出ました。一口に30年と言ってもいろいろな苦労があったはずなのに。。今回の昼の部、家宝ともいうべき「黒塚」と「四ノ切り」が続けて見られるなんてなんと贅沢なことでしょう。
 30年前なら若さとファイト(古いかなこの表現)にまかせて体力もぶつけて一気に上演というのはわかるけど、一応功なり名も成し遂げた猿之助さんが初心に返ってもう一度あの当時と同じ演目でされるということだけでも感激し、このふたつの演目を観ている間中、涙が止まりませんでした。
 筋書きの上演記録を見ていたら私が初めて「四の切り」を観たのは昭和46年だとわかりました。自分では48年頃と思っていたのですが。昭和46年11月が私が初めて「四ノ切り」を観た時のようです。どうも記念すべき30年の最初にあたるこの年の7月には見ていないみたい。人間の記憶とは本当にあいまいで、特に最近とみに中高年健忘症にかかっている私としては記憶が定かではなくて。。
 ただ何故「四ノ切り」を観にいったかというのははっきりしていて、当時私は玉三郎さんの大ファンで玉三郎さんが静御前をするというので見に行った記憶があるのです。(すみません。あの頃はまだ猿之助さんの良さがわからなかったのです。) あの当時すでに宙乗りは有名で私も興味が持っていたのですが、あの当時私が追っかけていたのは第一に玉三郎さん、その次が関西から出てきて間もない孝夫さん、今の仁左衛門さんでした。だからあの当時は玉三郎さんにひかれて猿之助さんの舞台を見に行ったというのが動機でした。(本当に今考えてると何と罰当たりなと思いますが)
 そして初めて観た「四の切」に圧倒されました。頭をハンマーで殴られたくらいの衝撃でした。こんな面白いお芝居があったなんて! それまで劇評で芸術性に欠けるとかケレンに走りすぎるとかサーカスだとか辛口の劇評に影響されて観なかった自分を悔やみました。
 「黒塚」は宗十郎さんがいっしょの記憶があるので初めて観たのは昭和51年だと思います。それから何回このふたつの作品を観たことか。でも今年改めて観ると「黒塚」の岩手の悲しみが今まで以上に胸に迫ってくるし、狐忠信は本当に可愛らしくて親を思う子狐の心情が伝わってくるし、なんでこんなに可愛いのと思わず叫んでしまったくらいでした。 そりゃ昔に比べれば「四ノ切」も「黒塚」も動きは遅くなってますけど(すみません生意気なこと言って)、それを補って余りある芸の力というのか、うーん、うまく表現できないんですが真の花というべきものを感じたのです。(表現力が乏しくてうまく表現できないこのもどかしさ!) そして21世紀に向けてさらに翔び続けて行こうとする猿之助さんとそれに賛同していっしょに翔ぼうとしている一門の方々を見ていたら(いつの間にかこんなに層が厚くなっているという驚きと喜び!)、あらためて猿之助さんのお芝居に出会えてよかったという幸せを実感するとともに、これ からもずうーと体力の続く限り猿之助さんのお芝居を見続けるぞという決意を新たにしたのです。
 夜の部の「宇和島騒動」は初めて観るお芝居でした。いろいろ感想はあるのですが、長くなるのでこちらは改めてまた。。
 乳母の「滝野」色っぽくて良かったわ! でもこの2幕目は米吉くんと龍くんにジャックされたという感じでしたけど。
2000年7月9 日/junko 
あー、激動のMy初日!

8日の夜の部はMy初日でした。
実は去年の伊達の十役の時は昼夜観劇ってこともあったからかもしれませんが、途中でうとうとしてしまったんですねぇ。。。(ひゃぁー、ごめんなさい(T-T))その時は三国志ではまったばかりだったので、慣れてなかったので、歌舞伎の情緒を楽しむまでに余裕がなかったんですね。不勉強を反省しました。

で、今年はしかと全て目におさめるぞ!!と思って、行きました!! でも、1度じゃ目に収まり尽くせなかったです!(爆)
先程私のHPにやっと鑑賞記をアップ致しましたので詳しくはそちらを御覧下さい。

それにしても、猿之助さんの芸域の広さと観客の心に迫りくる気合いはすごいですね! 気合いっていう言葉じゃなんか足りないですね。。。
気迫っていうのかなぁ。危機迫るものがあるんですよね、猿之助さんの演技には!
それに何度見ても早変わりには驚いちゃいます。 何であんなに早いんだよーーー!!とか思いながら。。

それと今回期待していた萬屋Jrもとーーーっても可愛かったです!! 米吉君、かなりお気に入りです!
もちろん、お父様の歌六様もダンディーで、渋好みの私としてはかなり崩壊してます。。。

なんだか、崩壊中の為、このくらいしか書けませんが、た何回か見る機会があるので、またいろいろ見逃したところを見てきたいと思います。

いろいろな事情で見に行けない方もいらっしゃると思いますが、行った人がこうして掲示板で実況してくれたりもするし、これで終わりじゃないんですから、元気を出してくださいね!!    http://www.sfc.keio.ac.jp/~t97007jy/kabuki.html
2000年7月8 日/上田寿三子 
いくよ様

 舞台の上の猿之助さんは私が歌舞伎を見始めたころから、ずーっとあの魅力と情熱を持ち続けていると思いますよ。ただ体型はちょっと痩せてみたり、また元に戻ったりしたこともありましたけれど。
 確かにどうして今まで気が付かなかったんだろうか、知らなかったんだろうかって思う気持ちは誰にもあります。
 私にだって金銭的・時間的・物理的な理由で見逃して悔しい思いをしたお芝居がいっぱいあります。
 でも、そういう思いがあるからこそお芝居を見に行けたときには「私が今見ているお芝居が一番。これは私のために演じて下さっているお芝居なのだ」とちょっと図々しく思うことにしています。
 それにしても猿之助さんのファンとしてのスタートを「新・三国志」の大阪千秋楽で切れるなんて、なかなか幸せ者だと思います。これから一つずつ目の奥に、身体の芯に猿之助さんを刻みつけていって下さい。
               http://homepage2.nifty.com/uranus-1
2000年7月8 日/YASUKO.W 
 祝ヽ(^o^)丿市川猿之助七月大歌舞伎(&MY初日♪

大荒れに荒れた七夕の夜(ハイ、自宅に着くまでに私も踝まで水につかり、胴助同様全身びしょ濡れになって帰りました・・・嬉しい・・・(゚-゚)))
歌舞伎座の舞台上は、満点の天の川にも負けないほどの煌きで輝いていたのでした。(心は猿さま晴れよ!)

>いくよさん

いつ出会っても、結局、皆、そう想うみたいです。「あ〜〜なんで、もっと早く・・・」

最近の私のお宝は、71年、猿之助さんの第一回七月公演の筋書き。とても熱心な方の手許にあったものらしく当時の新聞の切り抜きなども貼られています。 このときは、「猿之助百年記念」ということで、昼の部が猿之助さん担当、夜の部は勘三郎さんと水谷八重子さんの顔合わせだったようです。(猿之助さんもご出演)

さて、宇和島騒動ですが、予習なしでも充分楽しめるお芝居です。下記に、若が今回の舞台の感想を書かれてますけれど、義経千本桜を、伊達十を観たからこそ楽しめる、換骨奪胎も!確かに、昨夜も幕開き後しばらくして私の後方のから「え〜〜なんか思ってたのと違う〜〜」という声が聞こえてきたのですが、でも、連れの方が「いや、これからだよ、これから!」なんて諭して?て・・・

この丁寧なプロローグがあるからこそ、人物関係が明確になり、予習なしでも大丈夫!なのだ。まあ、歌舞伎ってだいたいにおいて、登場人物自身が自分が何者であるか科白で語ってますよね?
科白で、自己紹介および他己紹介(!)してますので、冒頭こそしっかり観ましょう!(ヒアリングしましょう。)
ちょっともたれてくるかな〜〜(←芝居がじゃなくて、客席が)というあたりで、ガシっと観客の心を掴む演出は、さすが猿之助さんのもの。

胴助の本水の立ち廻りや、四役早変りが、前面的にセールスポイントとして打ち出されているけれど、(もちろん、それも素晴らしいけれど!)
今回、私的ナンバーワンは、ビジュアル的にも、芝居としても乳人滝乃。 猿之助さんメチャクチャ綺麗です。 いろいろ見慣れてる!?私も(みなさんも!)また新たな驚きが。
米吉くん、龍之介くんの劇中口上も、可愛らしくて、観ているこちらも嬉しくて、毎晩でも通いたい位。 歌六さんにとっては、毎日が喜びとともに、ちょっぴり心配も尽きないでしょうが(^。^)、 心より、おめでとうございます〜〜!!思わず「萬屋!」って大向かけたくなるようなひとときです。

お弟子さんたちも、それぞれ、見せ場があって、スーパーのみならず、ここまで一門で芝居ができる澤瀉って、人材の宝庫だとあらためて思いました。
なんだか、感嘆してしまったのが、大詰、亀ちゃん、春猿さん、笑野くんの「踊り子」(としてまず)が登場するのですが、美貌かつこれだけの若き踊り手が揃っているなんて!!と。 ホント、女形はバラエティー豊かですよね。
笑三郎さん、笑也さんという異なる個性、門之助さんの古典の女形も味わいがあるし、そして忘れてならぬ!段之さん。 私は、延夫さんの女形もなかなか好きです。(ここのところなさいませんが。)
具体的な、お芝居の感想は、また、今月後半に入ってからにします〜〜。

では、昼の部出陣♪
2000年7月7 日/いくよ 
ただただ、羨ましい…

はじめまして。
私は『新三国志』の、それも千秋楽の日に猿之助さんを初体験(!)したという、出遅れまくりのドジな駆け出しファンです。
笑也さん笑三郎さんはじめ女形さんの想像を絶する美しさに感嘆。 素晴らしいドラマに感嘆。(歌舞伎なのに、よーっく分かる!それだけでも感嘆です) お見事!あっぱれ!!といった演出にも感嘆。端役の人に至るまでが見せて下さったベストを尽くした熱演にも感嘆。もうとにかく感嘆ばかりしていた四時間半でした。
でも帰ってから、目を閉じれば(いえいえ、目を明けている時も)浮かぶのはあの男らしい、強くて優しくて潔い、いぶし銀のような猿之助さんの関羽なのです。完璧に私、猿之助さんの虜です。

最近ファンになった人なら皆思っているんだろうと思いますが、なんで今まで猿之助さんの存在、活躍に無関心だったんだろうって、悔しくて悔しくて…。 テレビタレントや映画俳優なら昔の姿に出会うことは可能です。 ミュージシャンだってレコードやCDがあります。でも猿之助さんはライブが全ての歌舞伎役者なんですよね。

どなたの投稿を読んでも、私よりも多くの猿之助さん、多くの舞台を観ている人のばかりで、本当に羨ましい〜〜〜。

特に≪みやりょう≫さんや、≪若≫さん。三十年以上も猿之助さんの舞台を観続けていらっしゃったってことなんですよね。≪上田≫さんも『宇和島騒動』の初演の頃をご存知とか。…もう、羨ましいを通り越して妬ましいような気分です。
はぁ〜、歌舞伎座の舞台の様子ももっともっと知りたい。 だって、私にはモロモロの事情があって(お察しを)歌舞伎座は余りにも遠過ぎるのです。
2000年7月 5 日/KAORI 
猿さまグッズ@歌舞伎座

7/2初日に行って参りました。
今月の歌舞伎座は猿さまグッズが充実しているので、ご報告です。
三ッ猿団扇(新登場!一押し!!)
三ッ猿の紋が入った団扇が柿色、紺色の2色で各250円。
1F 食事予約受付で販売(気がつかなかった人も多いかも)

三ッ猿扇子入れ
三ッ猿の紋入りデザインの扇子入れが、黒色、緑色で(確か)800円
3F おでん食堂前売店で販売。

三ッ猿ハンカチ
三ッ猿の紋入りハンカチ各色。3Fおでん食堂前売店

サイン入り巾着
猿さまサイン入りの巾着各色。1F売店、3Fおでん食堂前売店

さ〜っとチェックしただけですから、まだいろいろあるかもしれません。
三ッ猿団扇を見た時には、感動しました。プラスチックですけどなんせ三ッ猿印ですから。
歌舞伎座へ行ったら皆さんも忘れずGETして下さい!


2000年7月 5 日/ 若 
懐かしい明治座時代

夜の「宇和島騒動」は、スーパー歌舞伎が軌道にのってから観始めた人にとっては違和感あるのではないでしょうか。
「3S」の猿之助歌舞伎が確立する過渡期の作品で、去年の『伊達の十役』一昨年の『義経千本櫻』といったものを想像し(期待し)ないほうがよいと思います。
 でもそれが「悪い」ということではないのですので、勘違いの無いように。
「3S」の中でスペクタクル性はあるものの他の点では、最近のイメージからすると、特にスーパーから入った人達には「つらい」部分があるのかもしれません。でもCSで放映した『天竺徳兵衛(明治座版)』のように、細かく色々な歌舞伎のエッセンスが盛り込まれていて、他の芝居を知っていればいるほど楽しめます。  あ、これはあれだとか。
去年の12月の『寿根元曾我』をご覧になった方は、ちょっとはおわかりになるかもしれません。
そういう意味で昔からの澤瀉ファンの人には「どことなく懐かしい猿之助歌舞伎」でした。
では、何故、今になってこれを出したかということです。
この芝居が出来た頃の明治座時代には、まだまだ歌六さんは「米吉」だったし、まだ影も形もなかった若手たち、先代鴈治郎さんなど数少ない協力者たちで自分のスタイルを求めていました。
そして三十年奮闘されてきた今、最後に集う猿之助とその一門。
そのなかには無くてはならない段四郎さんをはじめ、若手全員(笑野くんまで)がいます。これらの一門で記念興行の夜の通し狂言を明けられたということが意義あることなのだと思います。それ故の「本日はこれぎり」なのではないでしょうか。
そういうところをスーパー以降に贔屓になられた方々に少しでもわかっていただけたらと思いました。
とてもジンワリとくる感動がありました。