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スカーレット・ウィザード番外編

【The Ghost】


II.《生者》−5
 その日の夕暮れになってヨシュアはケリーを連れて村に戻った。
「今日は疲れただろうからな。おれだけで荷物を置いてくる。明日にでも村長に挨拶に行こう」
「わかった」
 農場の柵のところで買って貰った荷物と一緒に降ろしてもらった。
「デイジー!」
 ヨシュアが脇を向いて叫ぶとどこかでバタンと音がした。
「はぁい! 父さん?!」
 ヨシュアの視線を追いかけると、か細い姿が建物の陰から現れた。
「おかえりなさい! 父さん!」
 なにやら足許に置くと駆けてくる。
「おれはダッチェスんところに荷物置いてくるから、ケリーを母さんのところに連れてってくれ!」
 息を切らして駆けてきた娘に手を振る。
「それからひよこ小屋の金網、さしあたり板でふさいでおいてくれ。明日になったら修理しよう」
「あ、あれ、なんとか直しちゃった。もう一枚、上から金網張って」
 赤い布を頭に巻いた少女が笑った。
「ほほう。じゃあ、あとで点検しておこうか。喧嘩するなよ、せっかくのイトコと」
 トラックは走りだして、思わぬ展開にうろたえるケリーと少女を置いていった。
「お帰りなさい」
 振り向くと少女はにっこり笑っていた。「やっとちゃんとうちに来れたのね。心配したのよ。目は
大丈夫?」
 少女は手を差し出したが、軍手をはめているのに気がついて外して差し出し直す。
「デイジーよ。2つ上なんですってね?」
「ケリーだ」
 思わず手をズボンの尻でぬぐって握手する。小さくてケリーの手の半分くらいの細さだった。それ
でもその手はかなり荒れていた。
「こんなに遅かったらお腹空いたでしょう? 今日はね、ケリーが家に来たお祝いに御馳走するって
母さん張りきってるの」
 手招きした。その後に付いて歩く。
「ちょっと待っててね。今、牛小屋で寝床の準備してたの。ケリーには馴れないでしょうから凄い臭
いだろうけど」
「寝床って、誰の?」
「勿論、牛さん達のよ」
 ころころと笑いだす。動物の啼く声が聞こえる長屋の前で押しとどめた。
「きっと窒息しちゃうわよ。ここで待ってて。5分で終わるから」
 暗い中に少女が入る。覗き込むと獣臭さが鼻を襲った。小屋の暗さに目が馴れると、少女が奥の方
でごそごそと作業しているのが見える。
「手伝おうか?」
 なんだかいたたまれなくて訊ねると、「大丈夫よ」と返事が返ってきた。何抱えも枯れ草を抱えて
往復して作業していたが、やがて「完了!」という声とともに出てきた。
「枯れ草だらけだ」
「うん。干し草だからはたけば落ちるのよ」ぱたぱたとはたいて落とす。
「いつもはね、昼間にやっておくんだけど、今日はひよこ小屋の修理で予定が狂っちゃったの。狐が
出てひよこを夜中に獲られちゃうから」
「ひよこ?」
「うん。見たことない? 黄色くてふわふわ温かくてぴよぴよ啼いて可愛いのよ」
 掌で大きさを示す。「今日は寝ちゃったから、明日見せてあげる」
「うん」
 マルゴとやっぱり声が似ている、とケリーは思った。夕暮れの中ではっきりとは判らないが顔も似
てるといいなと思う。
 長屋をぐるりと回ると見覚えのある小さな建物が現れた。
「こっちが作業小屋兼薪置き場なの」
 脇に寄り掛かるように建っている部分のドアを開ける。泥だらけの長靴を脱いで靴を履き替え、エ
プロンと赤い布を外すとぱたぱたとはたいて壁の釘に引っ掛ける。
「こうやってもね、お風呂入らないと家畜の臭いが家の中まで入ってきちゃうのよ。鉱山でもそうい
う臭いはあるの?」
 思いもかけないことを訊かれてうろたえた。鉱山の臭い? そんなものは知らないぞ。
「よく......わからないや」
「ふうん」
 目を見張ったが、ドアを閉めた。建物の扉を開ける。
「ただいま、母さん。ケリー来たわ」
 床は木張り。壁も木の壁でところどころが白い。宿舎とは違う匂いがする。
「調理場はあっちなの」奥を指さす。その先からあの女が顔を出した。
「ああ、よく来たね、ケリー」
 抱きしめられて面食らった。それでも柔らかくて暖かくて悪い気はしない。
「疲れたろう? 父さんはどうしたのかねえ」
「ダッチェスさんのところで荷物置いてくるって」とデイジー。
「じゃあ、食事には当分時間があるね。デイジー、ケリーに部屋を教えてあげとくれ」
「うん。こっちよ」
 手招きした。改めて見ると少女は薄茶色の髪に青とも緑ともつかない瞳だった。唇は薄くて淡いピ
ンク色だった。肌はそう日に焼けているわけでもないが雪のように白いわけでもない。造りは華奢で
細くてケリーよりも頭一つ分小さかったが健康そうだった。
 台所の脇に階段がある。それを登ってさらにもう一層上に上がる。
「ごめんね。うちは狭くて屋根裏部屋しか空いてないの。でも、父さんが断熱材を貼ったからそんな
に熱くも寒くもないと思うわ」
 この間、寝かされていた部屋だった。明かりがつくとやはり木と白い土壁の組み合わせ。なにか清
々しい匂いがする。床にはなにやら敷物が敷いてある。
「ドレッサーはここ。天窓はここのレバーで開けられるの。でも、雨が降り込んでくるから気をつけ
てね。こっちは東側の窓だから、鎧戸を閉めなかったら朝日が見えるのよ」
 白木のベッド脇の窓を指さす。白いレースのカーテンが下がっている。
「お風呂はね、台所の隣にあるの。シャワーだけど。あと、なにか聞きたいことある?」
 首を振った。「多分、大丈夫だ」
「よかった。あのね、家じゃ台所が一番居心地がいいから下に降りてるといいの。あたしもシャワー
浴びちゃうし」
 荷物をドレッサーに入れると階段を一緒に降りる。右手を指さした。
「こっちが父さんと母さんの寝室。こっちがあたしの部屋」
 左手の扉を開けながら、くすっと笑う。
「あのね、父さんのいびきが五月蝿かったらごめんね」
「ヨシュアのいびき?」
「うん。時々物凄いいびき掻いてるのよ。母さんは慣れっこになってるんだけど、あたしが目が覚め
ちゃうくらい。ケリーの部屋って父さん達の部屋の真上だから」
「ふうん」
 デイジーの部屋を戸口から眺める。白い布のカーテンにはフリルがついている。棚の上には茶色の
動物のぬいぐるみが置いてあり、先程の部屋とは違う、もっといい匂いがした。
「じゃあ、下に行こうね」
 着替えを腕に抱えてデイジーが階段を下りる。その後に続くとデイジーは台所で裏側を指さした。
「あそこがバスルームよ。隣がトイレ。じゃあ、あたしはシャワー浴びるから。今日はケリーが暖炉
前の椅子なのよ」
 悪戯っぽく笑う。「今日は特別な日だから」
 そのままシャワールームに消えるのをぼんやりと眺めていると、声をかけられた。
「ケリー。こっちにおいで」
 ジェーンとかいう女が手招きをしていた。台所の食卓で暖炉前の椅子を勧められる。
「ここはいつもはヨシュアの場所なんだけどね。誕生日とか特別な日に主役が座るのさ。今日はあん
たが主役だから」
 大人しく座る。その脇にジェーンは座った。
「今日から、あんたはここの家族だよ」
 ジェーンは優しい口調で言った。「うちの人がどう考えようともね。ずっと居たけりゃ居ていいん
だよ。なりたいものが出来たら、それに向かって努力すればいい。ただ、人生を浪費することだけは
おやめ。あたしがそうだったからわかるのさ。ヤケになって人生送っても後々後悔するだけだよ」
「俺、仲間の分も生きるって決心したんだ」
「そうかい。そりゃあよかった。来年になったら出国の制限も解除されるから、世の中を見て歩くの
もいいだろうね」
 ふと会話が途切れた。
「......あんたには悪いことしたと思ってる」
 ぽつんとケリーは言った。「俺のために居もしない親類をでっち上げて貰って」
「いいんだよ」
 ジェーンは苦笑した。
「本当に居るかも知れないんだから。あたしはチャレスカから流れて大分経つからねえ。あんたと似
たようなもんさ。親は早くに死んじまったし」
 親と言う言葉に聞き覚えがあった。『外』の人間は「親」から生まれるらしい。
「親っていいもの?」
「その人間によりけりだよ。あたしは自分が親に恵まれなかったからね。デイジーにとっていい親で
ありたいと思ってるよ。泥沼みたいな場所からうちの人が引っ張り上げてくれなかったら、きっとひ
どい人生送ってて、今ごろは死んでたよ」
 ケリーは微笑した。「ヨシュアっていい人だな」
「初めて会ったころは、なんてまあお節介焼きだと思ったけどねえ」
 ジェーンは首を振った。「あの人はあの人なりにやりたいことをやってるのさ。デイジーが世話焼
きなのもその血なのかねえ。きっと当分、あんたから離れないよ」
「そうなのか?」
「気を悪くしないどくれよ。あの娘にとっちゃ初めて会う従兄弟だし、あんたがここに馴染めるよう
にと一生懸命なんだよ。年の近い友達もいないしねえ」
 俯いた。「俺、あの子を騙してるんだな」
「血は繋がってなくても従兄弟にはなれるよ。あんたがその気にさえなればね。家族だもの」
 家族。それも初めて聞く言葉だった。
「家族って、そんなものなのか?」
「あんたにとっちゃ、きっと仲間の子達と同じくらいいいものだと思うよ」
 目を瞠った。仲間と同じくらいの存在。そんなものがあるんだ。
 ぱたんとどこかでドアの閉まる音がした。
「父さん、まだ帰ってこないのね」
 デイジーの声が先にやってきた。「ダッチェスさんのお喋りにつかまちゃったのかなあ」
「なに、もうじき帰ってくるだろうさ。ケリーもシャワーを浴びてくるといいよ。埃だらけになっち
まっただろう? 今日はご飯食べたら休むといいよ」
 勧められるままにシャワーを浴びることにする。バスルームは古ぼけた設備だった。お湯はぬるか
ったし思ったほど勢いが無い。シャワーを浴びて出てくるとヨシュアの声がしていた。
「のんびりしてるか、ケリー」
 食卓でヨシュアは寛いでいた。「腹が減ったろう。食事にしよう」
 夕食はご馳走と言われたが、スープにチキンのローストとサラダと果物という質素なものだった。
それでも量はたっぷりあったし美味しかった。
 食事は静かだったが会話は和やかなものだった。デイジーはケリーに「お天気のいいときにあちこ
ち連れていってあげる」と約束してくれた。
「ここは首都の周りに比べれば荒れた土地だけど、とってもきれいな場所もあるのよ」とデイジーは
言った。ケリーにしてみれば生まれたときから住んでいる場所の続きだが、知らん振りを決め込むし
かない。
「どんな場所?」
「内緒よ」
 くすくす笑う。よく笑う女の子だな、とケリーはデイジーを眺めた。仲間の女の子たちは自分達の
前では澄ましていたものだ。
「また冒険しにいくのか」
 ヨシュアがにやにやと笑う。「今度は泥んこになって帰ってくるんじゃないぞ」
「あの時は、雨季だったんだもん。夏だとそんなに雨は降らないし」
 口を尖らす。
「冒険?」
「どこまで行ったんだか知らないがね。夜明け前に弁当持って出掛けて、日暮れに帰ってきたときは
泥だらけさ。湿地を歩いてて転んだんだとさ」
 くつくつと笑う。「うちのはそそっかしいお転婆でね」
「父さんてば!」
 デイジーは真っ赤になった。よく笑って赤くなって元気な女の子なんだと思った。声はやっぱりマ
ルゴに似てるけど、雰囲気としてはルシールやアネットのような年下の子たちと似ているのかもしれ
ない。
 最後は変わった香りのお湯ともお茶とも見えないものを飲まされた。
「香草のお茶だよ」
 一口飲んで奇妙な表情をしたケリーにジェーンは笑った。
「コーヒーや紅茶なんて、あたしらには手が届かないもの。香草なら野生であるからね」
 ケリーはようやっとこの一家がどういう家なのか気がついた。彼らは「貧しい」のだ。話には聞い
てはいた。彼ら特殊軍に祖国を託すために他の市民は生活を切り詰めていると教わったが、これがそ
ういうことなのか? でも、あの「町」はずいぶんと物があふれているようだったが。それに『外』
から「視察」と称してやってきた連中はずいぶんと贅沢な暮らしをしているようだった。
 うつむいたケリーをヨシュアは眺めた。
「疲れたろう。今日はもう寝るといい」
「うん」
 立ち上がった。「明日は何時に起きればいいのかな」
「おれ達は世が明けると同時に起きるが、おまえはまだなれないだろうからな。ゆっくり休むといい」
 休んでなどいられない。そう思った。
「じゃあ、おやすみ」
 おずおずと挨拶すると、階段に向かう。ゆっくりと屋根裏部屋にあがった。服を脱いでベッドに潜
り込む。だが眠気はやってこない。起きあがった。
 清潔だが貧しい設備。美味しいが質素な食事。自分達はもっといい宿舎に住み、もっといい食事を
とり、そして戦ってきた。戦うからにはそのくらいは当然だとも思えるがしかしどこか矛盾を感じる。
 『変わり者の村』という言葉を思い出す。わざわざ質素に暮らしているのだろうか? 
 ふと顔を上げた。誰かが階段を登ってくる。この足音だと......。
「ケリー? 寝ちゃった?」
 ひっそりとした声に、やはり、と思う。あの子だ。
「まだ起きてる」
 ことりと音がしてドアが小さく開いた。隙間からデイジーが顔を覗かせる。
「どうした?」
 ドアのところに行くと、デイジーはもじもじしていたが、「寂しくない?」と訊いた。
「大丈夫だよ」
 小さく笑いかけた。「どうして?」
「なんとなく。ご飯のとき、元気無かったから。あのね、男の子だから変かもしれないけど、これ貸
してあげる」
 押し付けられたものはさっきデイジーの部屋にあったぬいぐるみだった。
「この子と一緒に寝るとね、いつもいい夢ばっかり見たの。小さい頃、父さんも母さんも出掛けて留
守番した夜なんか。だからケリーにもきっと楽しい夢が来るわ」
 たしかに要らなかったが心配してくれてると判って無碍には断れなかった。
「じゃあ、一晩だけ借りるよ」
 受け取る。そのぬいぐるみもいい匂いがした。
「いい匂いがする」
 デイジーはにっこりした。「あのね、香草の詰め物が入ってるの。よく眠れていい夢が来るおまじ
ないなんですって。小さい頃、母さんが作ってくれたの」
 この子は大切にされてるんだな。ふと思った。優しくされてると優しくなって他の誰かにも優しく
したくなる。そう言っていたのはコニーだったっけ? それともアネットだったかな?
「......ねぇ」
 見ると、デイジーは困ったような顔をしていた。
「あのね。もしかしたら訊いちゃいけないのかもしれないけど」
 思わず緊張した。
「マルゴってだぁれ?」
「え」
 心臓がつきんと痛んだ。
「うちに初めて来た晩に、あたしのこと、そう呼んだでしょう?」
 うつむいた。
「仲間だったんだ。あんたの声がそっくりで、生きてたのかと」
 ケリーは次の瞬間、心臓が止まるかと思った。
「ごめんね」
 首に腕を巻き、ケリーを抱きしめながらデイジーは囁いた。「ケリー、村でひとりぼっちになった
んだものね。あたしもチャレスカの血が半分あるから。だからきっと声が似てるのよ」
 違うんだ、マルゴも俺もウィノアの人間なんだ。そして、あんたとは血なんか繋がってない。俺は
あんたを騙してるんだ。
 そう言いたかったが、言えなかった。
 こんなに自分に会えて嬉しがってて優しくしてくれるのを傷つけたくなかった。
「いいんだ」
 優しく腕を離してやる。
「あんたに会えたから。あんたは優しいから」
「ケリーも優しいのね」
 デイジーは目をこすった。「ほんとうに、ごめんね」
「気にしてない。じゃあ、これ借りるな」
 ぬいぐるみを小脇に抱える。「おやすみ」
「......おやすみなさい」
 デイジーの顔が不意に近づいた。頬に柔らかいものが触れると、くるりと身を翻して階段を降りて
行く。
 ケリーは呆然と立ち尽くしていた。
 もしかして、今、俺は頬にキスされたんだろうか?
 ゆっくりと手があがる。柔らかいものが触れた部分に触ってみる。顔が熱くなるのを感じた。
「眠れるかな」
 無意識のうちに呟いていた。




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