アニー・オークレーの史実


アニー・オークレー(本名:フィービ・アン・モージス)は、1860年8月13日、オハイオで生まれました。オークレーはオハイオ州の地名から取ったと云われています。父親とは早くに死別し、6歳の頃から家計を助けるために狩猟していたと云いますが、これは眉唾くさいですね。それでも、10歳頃から銃を持って森を歩き回り、鳥を射ち落としていたのは事実で、射撃の腕前は天才といっていいでしょう。

1875年4月、オハイオ州シンシナティの射撃大会で、当時射撃名人として有名だったフランク・バトラーを負かして優勝します。アニーはフランクの心まで射止め、半年後には彼と結婚します。アニーとフランクはアメリカ各地で射撃ショーをして回り、1885年3月にバッファロー・ビルのワイルド・ウエスト・ショーに加入します。

身長152センチの眼のパッチリした純情可憐な乙女が、男もおよばぬ腕前を見せるので、たちまち彼女は一座の花形になります。1887年のイギリス公演ではビクトリア女王の前で射撃の妙技を見せ、観衆を魅了しました。アニーの人気の高さに、バッファロー・ビルは嫉妬して、先に帰国したそうですよ。1889年にはパリ万博にあわせてヨーロッパ巡業を行い、ドイツではウィルヘルム皇太子が口にくわえたタバコを射ち落したといいます。アニー・オークレーの名は、世界的に拡まりました。

しかし、1901年10月にショーの移動列車が貨物列車と衝突し、アニーは重傷を負います。5回の手術で回復したものの、第一線を退くことを余儀なくされます。そして、1926年11月3日、生まれ故郷のオハイオに戻り、夫に看取られて他界しました。夫のフランクも後を追うように亡くなったそうです。

 

※映像化されたアニー・オークレー

アニー・オークレーの伝記となると、戦前に公開された『愛の弾丸』と、ブロードウェイ・ミュージカルを映画化した『アニーよ銃をとれ』になるでしょうね。前者はバーバラ・スタンウィックが、後者はベティ・ハットンがアニーを演じていました。内容は、どちらもフランク・バトラーとのロマンスを描いたもので、史実とは少し異なりましたけどね。

主人公の名前だけを借りた女ガンマンが活躍するテレビ西部劇『アニーよ銃をとれ』は、史実とは全く関係ない物語でしたが、アニー役のゲイル・デービスは乗馬や射撃が颯爽としていてカッコ良かったです。

『ビッグ・アメリカン』と『バッファロー・ガール』にバッファロー・ビルのワイルド・ウエスト・ショーが出てきますが、『ビッグ・アメリカン』ではジェラルディン・チャップリンが、『バッファロー・ガール』ではレバ・マッケンタイアがアニーの射撃を見せてくれました。ジェラルディン・チャップリンのアニーは少し捻ていましたけど……

アニー・オークレー(愛の弾丸

アニーよ銃をとれ(ミュージカル)

アニーよ銃をとれ(テレビ西部劇)

ビッグ・アメリカン

バッファロー・ガールズ

 

バーバラ・スタンウィック

ベティ・ハットン

ゲイル・デービス

ジェラルディン・チャップリン

 

 

トップへ    目次へ