1970年代の劇場公開西部劇


『殺し屋の烙印』(1969年/監督:チャールズ・マークィス・ウォーレン)

堅気の生活をしているプレスリーが昔の仲間に呼び出され、首筋に焼印を押される。彼らはメキシコで黄金の大砲を強奪し、犯人のひとりが首筋に傷を負っていると手配書に書かれていたので、プレスリーを犯人に仕立てようとしたのです。

マカロニチックな曲(音楽はウーゴ・モンテネグロ、主題歌をプレスリーが歌っている)が流れ、髭面のプレスリーが登場した時は、期待できる西部劇かと思ったのですが、銃撃戦のないままにプレスリーは悪党に捕まる始末。2〜3人殺してから捕まれよ。

犯人と間違われて役人から追われ、濡れ衣をはらすために悪党たちを追跡する、という物語展開を予測したのですが、プレスリーは恋人の住んでいる町に来て、保安官に事情を説明すると、保安官は「手配書はきているが、君を信用する」だってさ。おいおい、焼印は何だったんだよォ。

偶然その町に、酒を飲むために悪党のボスの弟がやってきて、プレスリーはそいつを捕まえるが、保安官が負傷してしまう。プレスリーは助手に任命されるが、悪党たちがボスの弟を取りかえすために、黄金の大砲で町の各所をダイナマイト攻撃しても、手をこまねいているだけ。保安官がダイナマイト攻撃で破壊された家の下敷きになって死亡し、さらに恋人までが悪党の人質となってから悪党退治に乗り出すというマヌケぶり。

サスペンスもなく、派手なガンプレイもなく、盛り下がる一方の物語展開。恋人役のアイナ・バリンにも魅力なく、出るはため息ばかり。

私はトホホ西部劇を数多く観てきましたが、これはその中でも最低の作品です。

 

『国境のかなたに明日はない』(1969年/監督:バート・ケネディ)

仇敵を追う旅の途中で、シェリフのケイン(ロバート・ミッチャム)は、カードのいかさまをした保安官を射ち殺した若者・ビリー(ロバート・ウォーカーJr)を助ける。そして、二人がやってきた町は、以前ケインが保安官をしていた町で、この町で息子をならず者に殺された因縁があった。やがて、仇のならず者が現われるが、それはビリーの友人(デビッド・キャラダイン)の父親だった……

一言で言えば、ベテラン・ガンマンとヤング・ガンマンの友情物語。

ロバート・ウォーカーJrとデビッド・キャラダインが、メキシコの将軍を暗殺する冒頭からバート・ケネディの演出は冴えており、彼の作品では出来のよい部類に入りますね。

1971年に日本では公開されており、アメリカン・ニューシネマのような邦題ですが、型通りに物語が展開するオーソドックスな西部劇です。最後の戦いで悪党を倒し、勝利をおさめた主人公は、恋人と町を去って行く……

ロバート・ミッチャムの恋人になるのがアンジー・ディキンソンで、自慢の脚線美をたっぷり披露してくれて満足、満足です。

それから、主題歌の「ヤング・ビリー・ヤング」を歌っているのは、ロバート・ミッチャムなんですよ。味のある歌声で、ハワード・ホークスが『エル・ドラド』の中でミッチャムに歌わそうと(実現しませんでしたが)考えたのがわかる気がします。

 

『シャラコ』(1968年/監督:エドワード・ドミトリク)

 “アメリカ西部開拓時代、数多くの狩猟家が訪れた。その中には有名な作家や貴族もいた。ドイツのウィルヘルム皇子、ロシアのアレックス皇子。アレックス皇子のガイドはバッファロー・ビルが務めた。イギリスからはリチャード・バートン卿、オスカー・ワイルド、チャールズ・ディッケンズ。リチャード・ゴー卿は召使40名を連れての狩猟だった。ここ西部は、人々の野望と冒険心をかりたててやまなかった”

と、オープニングの説明にある通り、ヨーロッパからアメリカ・ニューメキシコに狩猟にやってきた連中が、アパッチの土地でハンティングしたため、アパッチに襲われる物語です。

ショーン・コネリー、ブリジット・バルドー、スティーブン・ボイド、ジャック・ホーキンス、ピーター・フォン・アイク、ウッディ・ストロード、オナー・ブラックマン、ジュリアン・マテオスと出演者の顔ぶれは豪華ですが、内容は今イチ。

バルドーの伯爵未亡人は納得できても、コネリーのインディアンとの混血児シャラコは納得がいきませんね。コネリーの動きは全体的に重く、西部男の動きじゃないですよ。馬を疾駆させる乗馬シーンは、全て吹替えです。

バルドーは、気品は感じられませんが、色気はありますね。それと、なかなかカッコいいガンプレイも見せてくれま〜す。

 

『最後の弾丸』(1971年/監督:アンドリュー・V・マクラグレン)

列車強盗に成功したフリート(ジョージ・ペパード)は、仲間のノーラン(ジョン・ヴァーノン)がふりまいたデマにより刑務所に入れられる。2年半後、出獄したフリートはノーランを捜し出すが、恋人だったケティ(ダイアナ・マルダー)はノーランと結婚していた。フリートはノーランに列車強盗の分け前を要求するが、現金を牧場に投資していたノーランは、中国人の金塊を奪うのを手伝えとフリートに持ちかける。フリートはノーランの仲間になるふりをして、中国人に味方する決意をし、中国人の長老の娘アートイ(フランス・ニューエン)に近づくが……

最初、女好きというのが主人公のキャラかと思っていたのですが、どうもそうでなかったようで、そのへんが曖昧なんですよね。保安官に暴行してまで逃げる必要があったのか、マクラグレン監督にしては杜撰な感じがします。

ラストの決闘で、残りの弾丸が2個となった主人公が、2個目を4発目の弾倉に入れるのは新手でした。ズドン、カチ、カチときて、弾丸が無くなったと思って敵が安心して出てきたところを、ズドン。ヒーローらしからぬ、騙し射ちです。

ダイアナ・マルダーもフランス・ニューエンも魅力なし。マクラグレンの西部劇にしては今イチで〜す。

 

『新・ガンヒルの決斗』(1971年/監督:ヘンリー・ハサウェイ)

クレイ・ローマックス(グレゴリー・ペック)はサム・フォレー(ジェームズ・グレゴリー)と銀行強盗したが、サムの裏切りで捕まり、7年間の刑務所暮らしをする。出所したクレイは、金を持ってカンサスから来る昔の女を待つためにウィード・シティにやって来る。しかし、汽車から降りてきたのは女の6歳の娘ディッキー(ドーン・リン)だった。女は旅の途中で死んだのだ。その頃、サムの居所を知る酒場の親父が、ボビー(ロバート・F・リオンズ)という無法者に殺される。ボビーはクレイを見張るためにサムに雇われた殺し屋だった。酒場女のエンマ(リタ・ガム)にサムがガンヒルの町にいることを教えられたクレイは、ディッキーを預かってくれる所を探すが何処もなく、ディッキーを連れてガンヒルに向かう。途中の牧場で、クレイは未亡人のジュリアナ(パット・クイン)に歓待されるが、ボビーたちが現れ……

スリルあふれる決闘シーンを期待したら肩すかしにあいます。相手がマヌケでイカレた若者だから、グレゴリー・ペックも腕の見せようがありません。

この作品の売りは、ペックと6歳の女の子との道中記にあるので、アクション・シーンは適当に演出した感じがします。西部劇としては物足らなさが多いのですが、ほのぼのとした味わいと、後味の良さで是としましょう。

それと、車掌役のポール・フィックスが、ベテランらしい存在感をしめしていたので、満足なので〜す。

 

『ビッグ・アメリカン』(1976年/監督:ロバート・アルトマン)

開拓時代が終わりをつげ、西部への郷愁をかりたてるバッファロー・ビル(ポール・ニューマン)のワイルド・ウエスト・ショーは人気をはくしていたが、ビルは色々悩みを抱えていた。一つは、一座に居ついて、誰かれかまわず自分がビルを売り出したと語るネッド・バントライン(バート・ランカスター)の存在、もう一つは新加入したスー族の酋長シッティング・ブル(フランク・カクィッツ)のあつかましさだった。離婚問題も抱え、ビルの身辺はあわただしかったが……

『西部の王者』のような本格西部劇と思って観たら、完全に肩すかしをくいます。何しろ監督が『M・A・S・H』のロバート・アルトマンですからね。

西部劇の英雄を裏側から描いた作品で、見事なまでに文明批評のドラマになっています。それにしても、クリーブランド大統領の前で射撃の腕前を披露するアニー・オークレー(ジェラルディン・チャップリン)が、亭主のフランクの口にくわえた煙草を射ちそこねて肩を射ち、痛がる亭主と笑顔で退場するシーンは、まさにアルトマン芸術です。

正統派西部劇が姿を消していく1970年代後半を代表するヒネクレ西部劇の傑作で〜す。

 

 

 

トップへ   シネマ館へ     目次へ