庚申堂 (印場元町北島) ▲MENU
舟形高36cm 三面六臂 坐像 持物(輪宝・独鈷杵・鉞斧・鉾)
舟形高46cm 一面ニ臂 立像
. 【左】三面六臂馬頭観音 【右】今は無き庚申堂 石仏は右手の小さなお堂の中旧瀬戸街道から参道を北へ入ると庚申堂がありました。その庚申堂の東側に数体の石仏を納めた小さなお堂がありました。その中に如意輪観音や地蔵菩薩とならんで,馬頭観音の姿を見ることができました。「尾張旭市誌文化財編」(昭和55年刊)には,特に馬頭観音とは明記されていませんが,三面であること,宝冠に馬頭の膨らみがあることから,これも馬頭観音にまちがいないと思われます。
良福寺や城前集会所の左側のものと同じ位の大きさの,比較的小柄な坐像です。彫りが比較的浅いうえ,表面はいくらか磨耗しているようで,顔立ちは今一つはっきりとしませんが,どちらかといえば気難しそうな表情をしています。上左の写真で,馬頭観音の前に並んでいるのは,「見ざる,聞かざる,言わざる」の三猿の一部でしょうか。なお,この堂には宝篋印塔も納められていました。
更地になった庚申堂のあと 2000/08/11撮影
取り壊された庚申堂
区画整理の進展に伴う道路建設のため,この庚申堂もとうとう取り壊されてしまいました。地元の人々の納得の上であり,時代の流れに抗することはできないとはいえ,一抹の淋しさを禁じ得ません。庚申堂前での「ざい踊り」を見ることも,もうできなくなってしまいました。石仏群は良福寺へ
庚申堂や脇の小堂に収められていた石仏群や宝篋印塔,庚申堂の裏手にあった卵塔(禅宗の僧侶の墓碑)などは,良福寺本堂裏手の大弘法の横に移されています。今はコンクリートブロックとセメントで作った墓地のような段々の上に,下の写真に見られるように集めて置かれています。将来はお堂が造られるという話もあるようですが…早く雨風をしのげるようになるといいですね。今回しげしげと見ると,以前に確認した馬頭観音坐像の台座には「萬心(人?)講中」と刻まれています(移動の際,他の石仏と台座がまぜこぜになっていなければいいのですが)。
一面二臂の馬頭観音
また別の石仏の光背には「あしげ馬之碑 正月三日」と刻まれていました(「あしげ」は漢字で刻まれていますが,HTMLでは挿入できません。下の注を参照してください)。尾張旭の馬頭観音には珍しい一面二臂の立像ですが,残念なことに頭部の正面が損傷し,冠の細部がよくわかりません。馬の耳が突き出しているようにも見えますが…もしかしたら聖観音や勢至菩薩かも知れませんね。でも両手を合わせて合掌していますから,多分馬頭観音でしょう。いずれにしても,大切にしていた馬を慰霊するためのものと思われます。(2000/08/12)【あしげ 葦毛】馬の毛色の1種。白い毛の中に,黒その他の色の毛がまじっているもの。
【左】良福寺裏手に移動した石仏群 【中】「萬心講中」の馬頭観音 【右】あしげ馬之碑