大湯環状列石の謎 |
△大湯環状列石:Aどこに住んでいたのか? 考えられる快適な居住環境としての条件は、 @「食料」確保が容易であること A近くに飲料水があること B生業の場所(狩猟や山菜野菜・木実や果実などの採取)の近くであること C日当たりが良く、ジメジメしていない所 D住居を築造するためには、ある程度の平地が確保出来る所 E風水害(不可抗力な天然災害)の被害を及ぼさない安全な所 F地すべりなどの危険の及ばない所(基岩など岩石があり、地盤の強固な所) G外敵(敵対するヒトの集団)に備え、見通しが良く、かつ防御(隠れる)に都合の良い所 これらを勘案すると、大湯環状列石に係わった人々の住んでいた所は、 (1) 大湯環状列石の位置する舌状台地の北側の縁辺部、又は南側の縁辺部(いわゆる「崖っぷち」) @飲料水があること A岩石があって崖崩れしないこと (2) 大湯扇状地(集宮より上流が湖沼であったと推定すると)の東側の岸辺 関上・集宮・万座を結ぶ線より上流(いわゆる大湯扇状地)は、"せき止め湖"であったとも。 その湖沼には、温泉水が流入して冬でも凍らず、したがって水鳥が飛来するなど、 また魚介類にも恵まれていた……… 因みに、男神女神(十和田末広辺り)より上流は、いわゆる「毛馬内面」と呼ばれ、 集宮辺りまで続いている。したがって、男神女神より上流は"せき止め湖"であった とも考えられている。 十和田火山によってこの辺りを含む鹿角一帯には、軽石などが大量に降り積もった。 そして、それらの軽石は、軽石流となって流れ出し、集宮の"せき止め口"は決壊し、 (1)の北側縁辺部は、岩石もろとも崖が崩れて流失し、 (2)の大湯扇状地一帯は軽石流となって流失した……… わずかに、集宮の森だけ残った……… また、南側(豊真木沢川)の縁辺部も流失した……… (H18.01.27)
「別掲考察」 〔51〕「万座」の意味するもの 〔56〕毛馬内火砕流 〔61〕縁辺部は土砂崩壊地 〔66〕土留工 〔71〕湧水は今も健在 〔81〕舌状台地の地層 |
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