GLN(GREEN & LUCKY NET)からこんにちは
大湯環状列石の謎

△大湯環状列石:B配石の目的は?
 
(1) 祭祀記念碑なのか
(2) 墓標なのか
(3) 石による電気的効果(後述)を期待しての祈り(呪術)なのか………
それとも………?
(H18.01.27)

 自分の祖母は、明治10年(1877)頃の生まれで、95歳位で帰幽された。生前祖母は、 火葬されることを厭い、土葬にされることを望んでいたようである。しかし、冬の正月 二日に瞑目したこともあり、火葬にして葬った。
 ヒトに限らず、死骸を葬ったときは普通、小山を築き、その上に数個の石を載せる。
 石を載せると云うことの理由としては、
@亡骸(病死であれば尚更)から生ずる「穢れ(疫病なども)」の飛散を防止する
A亡骸が、今更蘇生しないように………
B亡霊(死霊)の安らかな鎮魂を願う
C霊魂の遊離を抑える
D盗難を防止する
E墓であること(この地下に亡骸が埋葬されていること)を明示する
などが考えられる。
 
 現在の「墓」は大方、直系一族、つまり「○○家累代の墓」として築造され、埋葬さ れ、関係する遺族がお参りしている。墓地には、代々の遺骨(亡骸)が次々に葬られ、 時間の経過とともに渾然一体となっいる。したがって、歴史が古ければ古いほど、墓地 (墓穴)の容積(キャパシティー)は大きくなることになる。
 しかしながら一方では、「墓地を大きくすると云うことは、それだけ亡骸が増える と云うことであるから、出来るだけ墓地は広げないように」との考え方もある。
 
 このような現代感覚で大湯環状列石の成立した時代を想定するとき、時代錯誤的かも 知れない。
 
 ところで、遺骸が発見されていない(遺物は科学的に識別されていない)にも関わら ず、配石の佇まいを観て、人々は「これは、墓標に限りなく近い」と思い込む。
 そして考え込む、「そのうち、一族に偉大な英雄が傑出したら、これよりもっと立派 な墓を造ってみよう」と………
 
 そんなことを想いながら、いろいろと推理してみたい。
@あるとき疫病が大流行した。生き残った家族は、石の電気的効果を期待して、病死 (夭折)した肉親の蘇生を願った。更にまた、二度と疫病が流行しないように………
Aある集団において、集団を構成するそれぞれの一族が、最も大切な、記念すべき、象 徴的な物(生き物)を埋め、それを永続的に崇拝することとした………
B同じく、一族の繁栄を願って、などの理由で、ある動物を生け贄として神に捧げ、末 永く崇拝することとした………
(H18.01.28)
 
「別掲考察」
@大湯環状列石と十和田湖との位置関係
  次へ進んで下さい