大湯環状列石:Aどこに住んでいたのか? |
△毛馬内火砕流 大湯環状列石のある鹿角の郷は、度重なる十和田湖の噴火により、その都度、降灰物 の被害を受けてきた。 有史的には、915年8月17日に起こったと考えられる毛馬内(けまない)火砕流の噴火 (別掲「十和田湖の噴火とは?」参照)は、大湯川〜下流の米代川流域に多大な被害を もたらしたとされている。 即ち毛馬内火砕流は、まず流紋岩の大湯軽石を降下させ、ついで火砕流は十和田湖の カルデラ壁を越えて大湯側へと、そして米代川に沿って流れ、流紋岩〜珪酸質の(毛馬 内)火砕流となったのである。火砕流は河川をせき止め、大洪水が発生した。現在の集 宮は、そのときの洪水堆積物となって残っているのだと云う。 また、この大洪水によって、鷹巣町市街地辺りでも大量の土砂に埋まったとされる。 つまりこの噴火により、仙台市の陸奥国分寺では870年と930年とみられる遺物包含層 の中間に、このときの火山灰が介在し(白鳥1980)、また火山灰に伴う火砕流堆積物で埋 没した鷹巣町胡桃館遺跡の家屋木材の年輪年代が「>903AD」と測定された(奈良文化財研 究所1990)との調査報告もある。 (H18.04.17)
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