大湯環状列石:Aどこに住んでいたのか? |
△縁辺部は土砂崩壊地 大湯環状列石は、舌状台地の上に存在する。 即ち、奥羽山脈、つまり鹿角の青垣山の山裾から張り出して、河川によって両側を削 られて舌状を呈する細長い台地 = 舌状台地は、鹿角盆地では至る所で見られる。ここ 大湯環状列石のある舌状台地(風張台地とも、中通台地とも)は、北側は大湯川、南側 は豊真木沢川によってそれぞれ浸食されて出来たものである。 この舌状台地は、現在でも崖崩れが発生して、絶えず浸食されている。概ね、表土は 数十cm、それより下部は砂利で、縁辺部(崖)の至る所から、水が流れ出ている。井戸 (いわゆる「つるべ井戸」)が未だ使用されるに至らなかった昔は、縁辺部から湧き出 る水を求めて、その近くに居を構えたものと推察出来る。時代が下って、井戸の掘削技 術の普及とともに、居住地は次第に台地の中央へと進出していったものであろう。 この舌状台地の高さは数十mもあり、至る所で楔状に深くえぐられてV字形谷を形成し ている。崩壊の著しい谷や崖は治山ダムが構築されているが、大湯環状列石辺りの縁辺 部には、土砂崩壊を防止する治山工事は施されていない。 |
[地図上の位置→] 同 [地図上の位置→] |
縁辺部にへばりつくように居住していた縄文人は、「毛馬内火砕流」など度重なる土
石流や土砂崩壊により、大方の人々は住居を失って、やがてこの地を去っていったもの
と考えられる。 なお、舌状台地の縁辺部の至る所には、現在でも人々は居を構えている。そして、崖 から湧き出る豊富な水を有効に活用しているのである。 (H18.04.15)
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