1999年12月上旬の日記

1年でいちばん好きな12月がやってきました。これまで職場では「なしくずし」的にトランスしつづけ、その結果この1年は完全に女性の姿で仕事をするようになっていましたが、今回、人事担当の責任者にきちんとカムアウトしたのをきっかけに、職場でのトランスが「なしくずし」から「公認」へと向かいつつあります。忘れていけないのは12月5日の誕生日。たくさんの人たちにお祝いしていただき、幸せでした。(1999年12月12日記)

12月1日(水) 生徒募集用パンフレットへの写真掲載を拒否した。
[日記]予備校はこの時期、来年の2月、3月に向けて生徒募集用パンフレットの作成を開始するのだが、そのパンフレットには合格実績や設置コースの説明などに加え、自校の看板講師を写真入りで紹介するページもある。ここ数日いろいろ悩んだのだけれど、来年度のパンフレットへの写真掲載を拒否することに決め、教務サイドに通告した。
そう決めた理由のひとつには、来年度の仕事内容に関する学校側の決定に腹を立て(11月2日、3日の日記を参照)、宣伝などには簡単に利用されたくないという思いが強くなってきたこともある。拒否の根拠として教務サイドには、肖像権に関する契約は交わしていないという点を伝えた。でも本当の理由は、自分のプライヴァシーは自分で守らなければならないと感じはじめたところにあるのだ。
実は今年の8月に、銀河の自宅に怪電話がかかってきた。某写真週刊誌の仕事をしている記者を名乗る人物からのもので、ニューハーフの予備校講師というのは話題になるし、マスコミに取り上げられるのはあなたにも仕事上のメリットがあることなのだから、取材をして記事にしたいという内容だった。いろんなことを根掘り葉掘り訊かれそうになったので、きっぱりとお断りして電話を切ったのだが、最後に「あなたの写真はすでに入手しているから、あとは教壇に立っている姿を隠し撮りすれば記事なんてすぐにできる」という捨てぜりふを吐かれたのにはゾッとした。
その後なんの音沙汰もないから、これがホンモノの記者からの電話だったのかどうかはわからない。でも、自宅の電話番号が漏れていたのもショックだったし(うちはNTTの電話帳には番号を公表していない)、実際のところなにが起こるかは予測がつかない。いざとなったときに自分を守るのは自分でしかないことははっきりしている。学校が私を守ってくれるわけではない。
正直言って、予備校の講師としてやっていくうえで、パンフレットに写真が載っているかいないかの差は大きい。予備知識のない生徒はパンフレットに載っている講師がよい講師だと判断するからだ。でも、いまの銀河にとって大事なのは円滑にトランス(用語についてを参照)を進めていくことだ。少なくとも、自分にはコントロールできないところで(例えばマスコミのような他者の手によって)自分の運命が左右されるようなことは極力避けたいのだ。だから、自分の写真の下に「銀河」というトランス上の仮名ではなく、生活上の名前が記載されているような形での写真公開はしない。予備校講師としての損は承知で、そう決めたのだ。
写真掲載の拒否を伝えたとき、担当の責任者は「先生は専任講師だし、うちの学校でも特に中心的な講師なのだから、協力してもらわなければ困る」というようなことも言われた。まあ、早いうちに学校側に対しては性同一性障害(用語についてを参照)の診断書を提出して、上で述べたような事情を説明し、自分にとって不利な展開にならないようにしなければならないだろう。
[BGM]テレサ・テン『ゴー!ゴー!テレサ』。95年にテレサが亡くなったとき、それがどんなに大きな損失であるかが、日本ではまったくといってよいほど理解されていなかった。テレサがアジア最高の歌手だったと言われてもピンと来なかった方も多いのではないだろうか。日本でのテレサ・テンの扱われ方の不幸は、演歌調の曲を与えられ演歌という矮小な枠の中に押し込められたことにある。テレサの本当の力量は日本でリリースされた楽曲だけを聴いていたのではまったくわからない。例えばデビューしたてのテレサが60年代後半から70年代前半に宇宙レコードに残した録音をセレクトしたこのアルバム。「ラヴ・ポーションNo.9」「月影のナポリ」「グアンタナメラ」「カモナ・マイ・ハウス」「可愛いベイビー」といった洋楽のカヴァーと「真っ赤な太陽」「黄色いサクランボ」「恋の季節」「情熱の花」といった日本の歌謡曲のカヴァーを、ガレージ・パンクを連想させるバックの演奏に乗せて、天才的なリズム感でグルーヴィーにうたう。日本歌謡史上最高の天才少女歌手、美空ひばりと比べても桁違いの表現力。アジア最高の歌手であるのと同時に、20世紀ポピュラー音楽史上で間違いなくベスト5には入る歌手だと言っても過言ではない。オリジナル曲中心の続編『モア・ゴー!ゴー!テレサ』もお勧め。
[読書記録]松村洋『アジアうた街道』(新書館)。筆者はアジアのポピュラー音楽を中心に評論活動をおこなっている音楽評論家。名著『ワールド・ミュージック宣言』(草思社)で名を知られるようになった。本書は、1991年から1998年にかけてのアジア、アフリカ、ラテン・アメリカのミュージシャンのコンサート評、インタビュー(伊藤多喜雄、初代桜川唯丸、アルベルト城間、ザイナル・アビディン、エート・カラバオ)に、書き下ろしの文章を加えたもの。CDに録音された音だけではなく、実際に音楽がおこなわれている現場を重視したレポートが貴重だ。

12月2日(木) 西新宿メンタルクリニックで性同一性障害の診断書を。
[日記]お昼で仕事は終わり。速攻で新宿に戻り、長*さん(銀河の彼氏)とちょっと遅い昼食をいただく。4時前に、予約をとっていた西新宿メンタルクリニックへ。
この病院のことを知ったのは、お友だちのNOVAさん(光瀬かつみさん)からの情報で。性同一性障害(用語についてを参照)のカウンセリングをおこなってくださる精神科としては、首都圏では浦安のあべメンタルクリニック(阿部輝夫先生)、蕨メンタルクリニック(塚田攻先生)、上野の川崎メンタルクリニック(針間克己先生)の3つが知られているが、西新宿メンタルクリニック(岩尾光浩先生)でも性同一性障害の相談に乗ってもらえるということを、NOVAさんに教えていただいたのだ。NOVAさんの場合、ここで定期的にカウンセリングを受け、女性ホルモン剤(プレマリン)を処方してもらっているという。
とりあえず1回診察を受けに行ってみようと思ったのは、院長の岩尾先生にメールで問い合わせてみたところ、ホームページもかなり細かいところまで読んでもらえたうえで、丁寧な返信をいただけたから。それに、長*さんの事務所から歩いて5分(!)という至近距離にあることもあり(超便利)、なにかのときのために面識を得ておいた方がよいかもしれないと判断したからだ。
型通りの心理テストを受け、診察室へ。来診の目的として、職場に提出するために性同一性障害の診断書を書いてほしいという旨を伝える。ホームページで予備知識があったためか(先生はものすごく細かいところまで記憶なさっていてビックリした)、現在の日常生活や職場での状況、パートナーのこと、SRS(用語についてを参照)を希望しているのかどうかなどについて10分ほど質問を受けたうえで、診断書を書いていただけた。あとは雑談(他の患者の方がそれぞれ5分くらいだったのに、銀河には25分も時間をかけていただけたので、感激した)。すでに何人もの性同一性障害の方が通院されているそうだ(新宿っていう場所柄もあるんだろうね)。帰りぎわに「考え方もしっかりなさっているし、今後とも他の性同一性障害(用語についてを参照)の方たちの力になってあげてください」と言われたのには笑ってしまいそうになった。あのぉ、私が患者なんですけどって感じだ(笑)。でも、「なにか困ったことがあったら、またいつでもいらっしゃい」って言っていただけたので、うれしく思った。
さてこの診断書、あとはいつ職場に提出するか、そのタイミングが問題だ。
[BGM]和田アキ子『ダイナマイト・ソウル・ワダ・アキコ』。68年から75年までの初期の和田アキ子のR&B色の強い楽曲を集めたアルバム(96年発売)。オリジナル曲よりも「スピニング・ホイール」「黒い炎」「パパのニューバッグ」といった洋楽のカヴァーの方が強力。その後結局(テレビタレントとしてのキャラクターが立ち過ぎて)、本来の持ち味(アップテンポのR&Bで最高のノリのよさを発揮する)を活かしきれずに、歌手として未完成なままで終わろうとしているのが、和田アキ子の不幸と言ってもよいんじゃないかな。

12月3日(金) 長*さんの知り合いの人が出ているお芝居を見に行った。
[日記]午前中で仕事を終え、いつもの金曜日と同じように仲よしの同僚の女性とお昼をいただく。いったん自宅に戻って、5時過ぎに新宿の長*さんの事務所へ。今日は長*さんのお友だち(新宿西口の居酒屋「嵯峨野」のママの紹介で知り合った)が出演するお芝居を見に行こうということになっているのだ。
「思い出横丁」の火事(11月24日、25日の日記を参照)で延焼を免れた回転寿司屋さんで軽く食事をとり、6時半に最寄り駅の下北沢に到着。リーフレットには駅から徒歩15分と書いてあったのだが、添えてあった地図が非常にわかりづらくて、会場に着いたのは開演時間の7時直前になってしまった。会場の東演パラータは50人も入れば超満員の小さな小屋。学生時代に友人のアマチュア劇団の芝居を見に行ったりしていたころを思い出す。
演目は江戸幕府が開かれたころを舞台にした忍者もの。エンターテインメント性が強くて、なんだかすごくおもしろかった。長*さんのお友だちは薬師寺順さんというお名前で、ふだんは時代劇中心に活動なさっている大衆演劇の役者さんなんだけど、敵役の徳川家康とその影武者の二役でゲスト出演。贔屓目かもしれないけど、出演者のなかでは飛び抜けて光っていた。
帰りがけに下北沢駅南口にある九州風の串焼き屋さん(豚バラの串焼きが超美味)でお食事。おいしいし雰囲気がよく清潔感のあるお店なので、とても気に入った。いつも感心することなのだけど、食べ物屋さんに関する長*さんの選択は見事だ。
[BGM]小島麻由美『セシルのブルース』。95年発表のデビュー・アルバム。全曲が自身の作詞作曲/アレンジだが、ジャズっぽい曲調とアレンジに舌っ足らずの歌唱が妙にマッチしている。言葉の使い方もユニーク。完成度は高いとは言えないが、原石の宝石のおもむき。この後2枚のアルバムをリリースするが、デビュー作の衝撃を越えるまでには至らない。

12月4日(土) NOVAさんのお宅でオフ会。手作りの料理が美味。
[日記]午後2時半から、長*さんがたずさわっているネットワーク・ビジネスのミーティングに出席するために、初台の東京オペラシティタワービルへ。ミーティングのあと、午後5時から地下のインド料理屋さんで忘年会(参加者は40人ほど)。トランス(用語についてを参照)とは無関係の人たちのなかにまぎれ込んで歓談していると、気分がとても楽だ。
忘年会終了後、急いで都内某所へと向かう。今日はNOVAさん(光瀬かつみさん)のご自宅でのオフ会にお招きをいただいているのだ。もともとは、みどり子ちゃんのホームページ奈々さんのホームページの掲示板で交流しているメンバーが10月30日に奈々さんのご自宅でオフ会を開催(10月30日の日記を参照)。そのときにNOVAさんが、次回はNOVAさんのご自宅でと提案してくださったのだ。8時ごろ、最寄りのJRの駅からNOVAさんのご自宅に電話をする(本当は6時が集合時間だったのだ)。先に来ていたみどり子ちゃんに迎えに来てもらう。
今回の参加者は、NOVAさん、みどり子ちゃん、久美ちゃん、奈々さん、2回ほど「TSとTGを支える人々の会(TNJ)」の催しでお会いしたことのある静岡の安藤ゆりかさん、そして、ゆりかさんのお友だちのSAPHIさん(ネイティヴの女性)。銀河を加えて全部で7人だ。銀河が到着したときにはもうすでにだいぶんお酒が入っていた久美ちゃんが絶好調。みどり子ちゃんを相手に掛け合い漫才状態だ(笑)。漫才を聞きながら、ゆりかさんとお話をする。久美ちゃんが疲れて眠りはじめたあとは、みどり子ちゃんとGID(用語についてを参照)関連の話題で話し込む。銀河のとらえ方が間違っていないとすれば、みどり子ちゃんとは考え方の根っ子(すべての行動の土台は自己責任/自己決定だと考える)と表に現れている形(女性のスタイルで仕事をしている)は同じで、根っ子と表面を結ぶ経路がずいぶん違う(自分は女だと認識している銀河と、趣味の女装であることに誇りを持っているみどり子ちゃん)って感じかな。間違っているかもしれないけど。
書き忘れるところだったけど、今回のオフ会で大感激だったのは、なんといってもNOVAさん手作りのお料理の数々。手の込んだイタリア料理をいただくことができて幸せ度満点だった(最後はしゃぶしゃぶだったし)。
明日の予定もあるので、11時半ごろ、これからデパートメントH(毎月第1土曜日の深夜に渋谷のON AIR WESTで開催されるドラァグ・クィーン系のイベント)の会場へ向かうというゆりかさんとSAPHIさんとともに、NOVAさんのお宅を後にする。
[BGM]あがた森魚『日本少年2000系』。76年に発表された『日本少年』は名盤だった。細野晴臣プロデュースのもと、鈴木慶一、山下達郎、矢野顕子、鈴木茂といった錚々たるメンバーによる演奏。仮想の「航海」をモチーフにあがた森魚の少年性が全面的に発揮され、「幻想の日本少年」とでも言うべきテーマが浮かび上がってくる2枚組LPだった。今回の『2000系』は鈴木慶一プロデュースで、曽我部恵一(サニーデイ・サービス)他の新たなメンバーも加わっている。この四半世紀のあがた森魚の音楽の集大成といったおもむきのサウンド(ライもタンゴもテクノ・ポップも)と、76年作品を上まわるスケールの大きさで、理屈抜きに楽しめる2枚組CDだ。音で聴く映画とでも言えばよいだろうか。唯一、歌詞に関しては、前作の方が物語性が濃厚で好きだけどね(まるっきり個人的好みだけど)。

12月5日(日) 誕生日は「TSとTGを支える人々の会(TNJ)」で。
[日記]今日は銀河の誕生日。正午に新宿西口のヴェローチェで、長*さん、女の子モードの緑川りのちゃん、Tくん(もと芹沢香澄)と合流。お茶を飲んだ後、都内某所で開催される第73回「TSとTGを支える人々の会(TNJ)」催しの会場へと向かう。誕生日とTNJの催しが重なったので、よい機会だから長*さんにも一度パートナーとして顔を出しておいてもらおうと思ったのだ。りのもふだんはTV(用語についてを参照)のサークルで遊んでいる子だから、この種の会は初めて。でも、たまにはTG/TS(用語についてを参照)系の自助グループの集まりに参加するのもよい経験になるだろうと思ったので、誘ってみた。あとでりのが「TGやTSだったら、どんな格好をしててもTGでありTSだけど、TVは女装してなかったら単なる兄ちゃんだから、自分のアイデンティティのためにも女装してきてよかった」って言ってたけど(発言の細かなところは違っているかもしれない)、その言葉には「なるほどその通りだな」って、妙に納得してしまった。
会場に到着したのは、開演時間ぎりぎり。今日はスペイン映画『セックス・チェンジ』(1976年。ビセンテ・アランダ監督)の上映会。今年の夏、第8回東京国際レズビアン&ゲイ映画祭で日本公開され評判になった映画で、銀河も見に行く予定にしていたのだけど、当時(7月前半)ひどく精神状態を害していて足が運べなかった作品。観られるのが楽しみだった。ストーリーは、ホセ・マリアという17歳のMTFTS(用語についてを参照)が、女性として生活するために家出し美容師の見習いになるが、MTFTSのキャバレーダンサーにあこがれ、猛練習に耐えて一人前のダンサーになり、最後には性別再判定手術(用語についてを参照)を受けるというもの。
で、この映画は銀河の琴線に触れましたね。何度も涙がこぼれてきてしまった。特に、好きになった男性に誘われて自宅へついていくものの「オカマ」と罵倒されて、自宅のバスルームでペニスをナイフで切り落とそうとするシーンと、運び込まれた病院であこがれのダンサーに「お金さえ貯めれば手術ができる」と諭されるシーン。まわりにだれもいなかったら、確実に声をあげて泣いていたでしょうね。
あとで『僕のバラ色の人生』(1997年。アラン・ベルリネール監督)(去年の暮れから今年の1月にかけて日本公開されたベルギー・フランス・イギリス合作映画。ビデオ化もされている)と比べて、りのと感想を語り合ったんだけど、『僕のバラ色の人生』の方がよかったと言うりのと、『セックス・チェンジ』の方により感動した銀河とで意見が食い違ったのが興味深かった。少なくとも銀河は、同級生の男の子を好きになったり女装をしたりして親と衝突するけど、最後には自分を抑え家族の絆を大切にしようとする7歳の少年をファンタジックに描いた作品(家族愛がテーマだね)よりも、女であることを確信するがゆえに親を切り捨て、最後には手術を受けるMTFTSの物語の方に共感できたということだ(もっとも『僕のバラ色の人生』を観たときもボロボロ涙がこぼれてきたけどね、一緒に観た深津ルルと2人で)。
会の終了後は近くのイタリアン・レストランで二次会。渡辺美樹(=理沙)さんの音頭で、二次会出席者のみなさんに「ハッピー・バースデイ」までうたってもらえて感激しました。本当にありがとうございました。
7時ごろ、長*さん、りの、Tくん、そして銀河は、ひとあしお先に二次会を辞して、一昨日に立ち寄った九州風の串焼き屋さんへ移動。豚バラがおいしくてたらふく食べる(りのが)。その後、新宿へ戻って西口の「ルノアール」でお茶(りのはビール)。Tくんをまじえて久々に3人であれこれ語り合う。11時に散会。
今日はここ数年でいちばん楽しくて充実した誕生日を過ごさせていただきました。今日お会いしたみなさま。掲示板にメッセージを書き込んでくださったみなさま。どうもありがとうございました。そしてまる一日、銀河のペースに付き合ってくれた長*さん、ありがとう。銀河は幸せです。

12月6日(月) 職場でのトランス、「なしくずし」から「公認」へ。
[日記]午前中の授業が終わった後、講師を管理する部署(ふつうの会社なら人事部なんだろうけど、うちの場合、講師人事だけじゃなくて、テキストとか模擬試験とか教室運営だとかをすべて管理する部署)のトップの人に声をかけられ、会議室で密談。12月1日の日記にも書いた生徒募集用のパンフレットへの写真掲載を拒否した件が問題になっていて(銀河が来年度から他の予備校に移籍するという説が有力になっていたらしい)、真意を訊きたいということらしい。来年度の仕事内容に関する学校側の決定(11月2日、3日の日記を参照)について、納得はできないものの一応筋道立てた説明をしてもらえたし、はずされたテキスト作成の仕事に替わる(同等の報酬条件の)別の仕事を何通りか用意し、銀河との合議でどの仕事を依頼することにするかを決定すると言ってもらえたので、ものわかりがよく争いごとを好まない(笑)淡泊な銀河としては、すべてを水に流してあげることにする。
問題はパンフレットへの写真掲載拒否の件。自分のプライヴァシーを守るためだということを説明せざるをえない。とっさの判断で、自分が性同一性障害(用語についてを参照)であること、そのためホルモン療法(用語についてを参照)や精神療法を受けていることをカムアウトし、自分の意志とは無関係なところでマスコミに「ニューハーフの予備校講師」だとか「性同一性障害の予備校講師」などと取り上げられる危険性が少しでもあるのなら、それは極力避けたいということを話した。ついでに、この職場で快適に仕事を続けていけるように、できるだけの配慮をお願いしたいということも付け加えておいた。
銀河が職場でのトランス(用語についてを参照)を「なしくずし」的に開始したのは97年4月のこと。完全に女性の姿に移行した(日常生活でもフルタイム女性として過ごし始めた)と言えるのは98年の12月ごろ。たぶん「なしくずし」のままでも(不利な扱いを受けないという意味では)特に問題はなかったんだろう。でもいろんな場面で不都合を感じたり、不快感を覚えていたこともたしかだ。いちばん大きいのはトイレの問題。男性用に入るわけにはいかないし、他の女性教職員の方々に気を遣って女性用にも入れない。それに、予備校講師って人気商売的な面が強いから、足の引っ張り合いがすごい。生徒からの評価が高ければ嫉妬されて、あることないこと吹聴されたりチクられたり。銀河に対しても「なんであいつにあんな格好をさせておくんだ。クビにしろ」って裏で言っている講師連中が何人かいることも耳に入ってきている(もっとも、トランスする以前からいろんな陰口を叩かれてばかりだから、そんなことには慣れっこだけどね)。とにかく、男性として勤務し始めた職場で途中から(いつの間にか)女性の姿に変ってしまったわけだから、(男性のときのことを覚えている人たちがたくさんいる以上)本人もまわりもやりにくいのは事実だ。
さて、銀河のカムアウトを受けて、講師を管理する部署のトップの人(長い!)からは「先生が性同一性障害だということは、あらためて言われなくてもその姿を見ていればなんとなくわかっていた(笑)けれど、そこまで正直に話してもらえた以上、こちらとしてもきちんと対応する」というようなことを言っていただけた。さらに「うちの職場に限らず、性同一性障害者がそのことを理由に就業上差別的待遇を受けることはあってはならないし、あるはずもない。戸籍上男性であっても、女性の姿で仕事をすることにはなんの問題もない。社会通念に反しなければ(つまりパンツ丸見えのミニスカートをはくとか、生徒を性的対象にするとか、そういったごく常識的なルールに反しない限り)スカートをはこうがお化粧をしようが自由だ。そのことで外部の人間からでも内部の人間からでも誹謗中傷を受けたり、陰口を叩かれるようなことがあるのなら、言っていただけば学校として対応できると思う」というような発言もしていただけた。その後そんなことよりも、学校側として本当に苦々しく思っている何人かの講師の行動について裏話を聞かせてもらった。
今日は時間の制約もあったので、もっと具体的なことについては、パンフレットの写真をどうするかということも含めて、年内にでももう1度、もっと上のポジションの人(東京以東のうちの予備校の統括責任者)も交えて話を詰めることにした(そのときにはこちらも性同一性障害の診断書を提出する予定)。でも正直言って、こんなにうまく話が進むとは思っていなかった。もちろん、銀河自身がこれまで仕事の面や職場での人間関係の面で努力してきたのも大きな要素だ。だけど職場に関しては率直に言って、恵まれていると思う。特に差別問題には敏感な教育関連の仕事だけになおさらだ。このことには素直に感謝したい気持ちだ。
ところで今回あらためて感じたのは、「性同一性障害」っていう言葉の威力。これまで銀河がカムアウトした相手も、その全員が「性同一性障害」って言葉を知っていたし、「性同一性障害」って言った瞬間におおよそのことは理解してくれた。銀河自身は、自分が性同一性障害であろうとなかろうと、そんなことはどうでもいいんだけど、世間と対峙してサバイバルしていくための便法としては、「性同一性障害」の診断書1枚がとても強力な武器になるんだよね。そのことを強く感じた。
もう1度くり返す。たぶん「なしくずし」のままでも特に問題はなかったんだろう。でもカムアウトしたことで、銀河自身の気分がものすごく軽くなったことが最大のメリットだったような気がする。うれしくて踊り出したい気分。再び、仕事に対してポジティヴな気持ちがよみがえってきた。がんばって、よい仕事をするよ。
[BGM]ソウル・フラワー・ユニオン『ハイ・タイド・アンド・ムーンライト・バッシュ』。発売されたばかりのライヴ盤(本当は12月8日が発売日なんだけど、もう店頭に並んでいた)。リーダー格の中川敬が第1期ソウル・フラワー・ユニオンの総決算と自負しているように(『ミュージック・マガジン』99年12月号に掲載されているインタビュー参照)、これまでの最高作であることには間違いない(ということは今世紀の日本ロックの最高作だ)。時には頭でっかちな印象を与えることもある彼らの音楽だが(そのいびつさがまた魅力だったりするのだが)、ここでは頭がちゃんと肉体に支えられている。パンクも沖縄もケルトも在日も俗謡も、すべてが彼らのロック・バンドとしてのビート感に違和感なく溶け込んでいる。とにかく、日本のロックってこんなにレベルが高かったんだなあと感動する作品だ。凄い。ちなみにジャケットで中川敬が着ているのは故フェラ・クティ(ナイジェリアのカリスマ的ミュージシャン)のTシャツ。

12月7日(火) あべメンタルクリニックへ。今後定期的に通うことになる。
[日記]Tくん(もと芹沢香澄)と一緒に、浦安のあべメンタルクリニックに行った。ここは、性同一性障害(GID)(用語についてを参照)の研究と診察では日本でいちばん有名で、埼玉医科大学のジェンダークリニックの委員も務めていらっしゃる阿部輝夫先生(精神科医)のクリニック。自分自身の性別違和(用語についてを参照)の実態がつかめなくてひどく悩んでいたTくんには、以前から、阿部先生に相談してみることを強く勧めていたのだけど、銀河自身も阿部先生に相談したいことが生じたので、Tくんを誘って一緒に出かけることにしたのだ。
会社を早引きしたTくんと、浦安駅構内のコーヒーショップで待ち合わせ。お茶を飲みながら少しお話をした後、駅から至近距離のビルの6階にあるあべメンタルクリニックへ。Tくんの順番の方が先。他の患者さんはひとりあたり5分程度の診察時間だったけど、Tくんはたっぷり20分ほど診察室にいた。自分が何を考え何を感じているのか、あるいは何がやりたいのかって、言葉にして他人に伝えてはじめて、自分自身にもクリアになってくるんじゃないのかな(言語至上主義者ではないけど、言語化されない思考ってあまり生産性がないような気がするんだ)。Tくんが多少はすっきりした顔をして、これからもときどき通ってみると言っていたので、銀河としても今日の役目はほとんど果たせた気分になる。
次が銀河。診察室に入っていくなり、「あなたはもうすっかりできあがっていますね」と言われる(笑)。最初に現在の生活のことを訊かれたので、フルタイム女性として生活していること、そして3年前に職場でもトランス(用語についてを参照)を開始し、いまは女性の姿で勤務していることを、昨日の日記に書いたできごとに至るまで順を追って話した。阿部先生には「よくがんばりましたね」と褒めていただく。まあ、がんばったというよりも、好き勝手にやっただけなんだけどね。そして「そういうことなら、性同一性障害の診断書を書きましょうか」と言っていただく。すでに西新宿メンタルクリニックでも診断書を発行していただいているのだが(12月2日の日記を参照)、阿部先生に書いていただけるのならこんなに心強いことはないので、ありがたく承ることにする。「あなたの場合はいまここで書いても問題はないんですが、一応、初診のときには診断書は出さないことにしているんで、1週間後ぐらいにもう1度来てください。そのときに書きますからね」と言っていただく。
その後、家族構成、パートナーのこと、ホルモン療法(用語についてを参照)のこと、子供の頃に最初に性別違和を感じたときのことなどを尋ねられる。今回先生に相談したかったことは性別再判定手術(SRS)(用語についてを参照)がらみ。詳細をここに書くわけにはいかないんだけど、阿部先生が意見書を書いてくださることになる(
日本国内で唯一の性同一性障害の診断と治療のガイドラインである「性同一性障害に関する答申と提言」に沿って埼玉医科大学でSRSを受ける場合は、2人の精神科医の先生の意見書が必要になる)。何回か通院しなければならないけど、別にあせってはいないから、それで十分だ。診察時間は25分ほど。にしても、この半年で(GID関連以外のものも含め)4つのメンタルクリニックに通った。まるで、はしご状態だ(笑)。
帰りの電車のなかで礼(あや)さん(「TSとTGを支える人々の会(TNJ)」で知り合ったMTFTS(用語についてを参照)のお友だち)とばったり出会う。女性として会社勤めをしている礼(あや)さんは、家庭の主婦でもある。お野菜の入ったスーパーの袋をぶらさげて帰宅の途につこうとしているのが、妙にはまっていて微笑ましかった。
[BGM]山内雄喜&アロハ・フレンズ『ハワイ・ポノイ』。ハワイ音楽のミュージシャンとして、山内雄喜はいま世界最高かもしれない。ここのところすぐれたハワイ音楽のCDを立て続けに発表してきているが、この最新作は、ハワイ音楽と共通の祖(ポルトガル的要素)を持つインドネシア、マレーシア、ブラジルのミュージシャンたちとの共演。ハワイ音楽の根っ子をきちんと押さえながら自由なイマジネーションをふくらませた、まさにワールド・ミュージックとしてのハワイ音楽とでも形容すべき意欲的な作品。個人的にはこれまでの山内作品でいちばん好きだ。
[読書記録]田中克彦『クレオール語と日本語』(岩波書店)。クレオールっていうのは一般的には、(特にマルチニークやグァドループなどのカリブ海の)フランス植民地でフランス語と現地語が混合してできた言語、あるいはフランス文化と現地文化との混合文化の呼び名だ。しかしながら、言語学的な定義は少し違う。交易や植民などの目的で2言語が混合してできた言葉をピジンと呼ぶが、何世代か後に、ピジンを母語として育つ世代が現れることがある。その母語化したピジンのことをクレオールというのだ。本書で使われているクレオールという語は、後者の言語学的な意味の方。クレオールは言語の成立という興味深いテーマに様々な示唆を与えてくれるので、近年の言語学においては特に積極的に取り組まれてきた研究分野。本書はクレオール研究の最新の成果を紹介しながら、日本語の成り立ちも実はクレオール的発想でとらえられることを指摘する刺激的な内容。筆者は日本を代表する言語社会学者(岩波新書の『ことばと国家』が有名)。

12月8日(水) 「お受験」はまったく割に合わないと思うんだけどなあ。
[日記]このところトランス(用語についてを参照)系のネタばかり続いたので、ちょっと軌道修正をしておこう。
で、いきなり思うんだけど、ちまたで話題の「お受験」って、あれはいったい何だ。受験ではなく「お受験」という表現を使った場合、小学校(または幼稚園)の受験を指すらしいんだけど、そんなものに夢中になる母親ってホントに愚かだなあって思う。
高尚な教育論とかの問題じゃない。大学受験予備校の講師である銀河が、純粋に実利主義的にみて、「お受験」ほど(かけた費用や注ぎ込んだエネルギーの割には)効率の悪いものはないって思うんだけどね。
仮に小学校受験に成功したところで、どうせもう1度大学受験を経験しなければならない。大学までエスカレーター式に行ける学校なんて、せいぜい慶應義塾とか青山学院とか学習院程度でしょ(関係者には申し訳ないが、「お受験」に夢中の母親にとってエリートの学校といえるのは、銀河の出身大学も含めて、そんな「二流私大」じゃないんでしょうから)。だったら、公立の小学校、公立の中学校、公立の高校に通わせて、本人が自分の行動に責任をとれる年齢になってから大学受験をさせた方が、お金もかからないし効率もよいと思うんだけどな(大学受験予備校の講師として言わせてもらえば、「お受験」で慶應義塾や青山学院に受かることよりも、大学受験で東大に受かることの方がずっと簡単だ、やり方さえ間違えなければ。それに大学受験なんてちっともつらいものでもなければ、暗くもない)。
将来の子供のことを思って「いい学校」に入れてあげたいんだったら、「お受験」に夢中になるよりも、子供が勉強好きになるようにちょっとだけ努力すればいい(子供を確実に勉強好きにする方法は、そのうちこの日記に書きますね)。
まあ、ブランド品なんかと同じで、子供が「いい学校」に行ってれば親として鼻が高いって発想なんだろうから、何を言ってもムダだけど。
[BGM]Alice Cooper,"School's Out." 72年発表のこのサード・アルバムは、彼ら(一応バンドだから)の最大のヒット作。当時の日本ではお化粧バンドのひとつとして、デヴィッド・ボウイやTレックスといっしょくたにされたり、暴力とセックスを売りにした危険なロックと目されていたけれど、リーダーのアリス・クーパーがもともとフランク・ザッパのマザーズ・オヴ・インヴェンションのメンバーだっただけに、ハード・ロックだけどどことなく屈折した質感のサウンド。ジャケットは学校の机を模していて、アナログ盤では、机のふたを開くと紙パンティーに包まれたレコードが出てくる仕掛けだった。で、いまの耳で聴き直すと、これが拍子抜けするほど健康的な音楽(当時はアブナくてイケナイ音楽だと思ってドキドキしながら聴いてたのに)。大人に反抗し、セックスやドラッグに興味を持つなんて、10代の少年少女としてはまっとうな姿勢だからねえ。

12月9日(木) 今日で今学期の授業は終わり。
[日記]今日で今学期の授業は全部終了。数日間だけお休みがあって、冬期講習、直前講習という正念場へと突入する。4月から担当してきた決められたクラス単位での授業もこれで終わり(冬期講習、直前講習は、生徒が自分にとって必要な授業を選択して受講することになる)。最終日ということで授業終了後の講師室には生徒が何人もやってきて、一緒に記念写真を撮ったり、サインをしてあげたり(最後の週のサイン会は毎年恒例だ)。でも銀河のところにやってくる生徒って8割は女の子だなあ(笑)。浪人生のクラスって、私大文系でも女の子の比率は3割くらいなんだけどね。
さあ、今晩と明晩はゆっくり睡眠をとろうっと。
[BGM]Creedence Clearwater Revival,"Bayou Country." いまの日本で過小評価されているロック・バンドの最たるものが、このCCRだ。実質的な活動期間は60年代末から70年代初頭にかけての4年間ほどだったけど、アメリカでも日本でも数々のヒット曲を連発していた。西海岸出身ながら、アメリカ南部風の泥臭くて強烈なサウンド。リーダーのジョン・フォガティーのヴォーカルとギターは破壊的とも言えるほどの迫力。ザ・バンドとかリオン・ラッセルとかこのCCRとか、南部出身者じゃないミュージシャンの作り出す「幻想の南部サウンド」とでも言うべき音楽は、個人的には大好きだ。このセカンド・アルバムは、R&Bとカントリーがうまく混合した南部風サウンドなんだけど、当時(69年)の音楽シーンの主流だったサイケデリックな匂いをただよわせ、ガレージ・パンク的な側面もある不思議な1枚。

12月10日(金) 愚痴をこぼされても、困るんだけどな。
[日記]12月6日の日記に関して、いろんな方からメールをいただいた。一緒に喜んでくださった方、励ましてくださった方、貴重なアドバイスをくださった方、どうもありがとうございました(返事が遅れていてごめんなさい)。
でもね、なかには自分の置かれている状況に愚痴ばかりこぼしているメールもあって、読んでいてつらくなった(返事の書きようもないでしょ)。突き放すような言い方で申し訳ないんだけど、職場があるから(あるいは家族がいるから)トランス(用語についてを参照)できない、望みの性でフルタイム過ごせないってのは、単なる言い訳だよね、トランスしないことの。本来あるべき性で生活しようと本気で思っている人たちは、仕事をやめたり家族を捨てたりもしているんだよ。何も捨てないでフルタイムでトランスできないことを嘆くだけっていうのは、実はフルタイムでトランスする必要がないだけの話だ。で、それはもちろん悪いことではない。性同一性障害(用語についてを参照)の程度が軽いってことなんだから。
お友だちの愚痴だったらいくらでも付き合うし、なんらかの努力をしている人だったら、たまには愚痴をこぼしたくなる気持ちになることもよくわかる。銀河は「トランス勝ち組」だから好き勝手なことを言えるんだって、言われることもある。その通りだよ。でも、銀河が何も捨ててないとでも思っているのかな。各人にいろんな事情があって、望みがすべてかなうわけではないってことは重々承知している。でもね、最初から最後まで愚痴ばかりってのはちょっとねえ。カッコワルイよ。冷静になって、がんばって!
[BGM]Three Dog Night,"Best 20." 60年代終わりから70年代前半にかけて活躍したポップ・バンド。「ジョイ・トゥー・ザ・ワールド(喜びの世界)」「ママ・トールド・ミー」「ブラック&ホワイト」の3曲の全米ナンバー・ワンのヒット曲を生んだほか、「ワン」「オールド・ファッションド・ラヴ・ソング」「イーライズ・カミング」など20曲以上のヒット曲を放つ。3人のリード・ヴォーカリスト(曲ごとにだれかがリードをとり、他の2人がコーラスへまわる)と4人のバック・バンドからなるグループで、アンサンブルは完璧。彼ら自身は曲作りをせず他のソングライターの曲をとりあげて演奏しているのだが、選曲が絶妙で、スリー・ドッグ・ナイトがヒットさせたことで有名になったソングライターも多い(ランディー・ニューマン、ニルソン、ポール・ウィリアムズ、ローラ・ニーロなど)。自分で作った曲を演奏するミュージシャンの方がえらいというような風潮のなか、こんな良質なポップ音楽が半ば忘れ去られたままなのは残念だ。


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I'm sure I can make it.