1999年11月上旬の日記

銀河の勤務先の予備校の教務担当者から通告された来年度の仕事内容にキレそうになり、以後ずっと不機嫌なままの10日間。信頼関係を一方的に破棄されたとしか受け取れません。ちょうどFA宣言で話題になったホークスの工藤公康投手と同じ心境の日々。(1999年11月13日記)

11月1日(月) ポップ音楽のドメスティック化から世界情勢を考える。
[日記]洋楽がまったく売れなくなっているという話をよく聞く。CDの全売り上げ中、洋楽の占める割合は10パーセント強にすぎず、しかもその多くは『NOW』や『MAX』といったヒット曲のお手軽なコンピレーションだという(『ミュージック・マガジン』11月号の小野島大氏の文章による)。売れているのは宇多田ヒカルのような若者向けの国産ロック、国産ヒップホップだけ。洋楽CDを買うというだけでもう、コアな音楽ファンということになってしまうのだそうだ。洋楽育ちの銀河としては、これが本当のところ健全な現象なのだろうかと、なんだか寂しい気分だ。
で、実はこれ、日本だけではなく全世界的な現象らしい。90年代に入ったのを境にアメリカでもイギリスでも、売れているのは自国の音楽ばかりという状況。以前のようにアメリカのミュージシャンがイギリスの音楽に影響を与えたり、イギリスのミュージシャンがアメリカで成功したりといったことがほとんどなくなった。事情は香港もフィリピンもタイも同じ。自国人が自国の聴衆向けに自国産のロック、自国産のヒップホップを演奏するという図式が世界中の至るところでみられている。宇多田ヒカルが日本だけで800万枚ものアルバムを売り上げ、一方で日本以外の国ではまったく知られていないというのと同じようなことが、大なり小なり全世界的に生じているのだ。
こういう事実を眼前にすると、ソ連崩壊以後の世界情勢と関連づけて考えないわけにはいかない。銀河の認識では、社会主義国家が崩壊し東西対立がほぼ消滅しつつある現在の世界情勢のキーワードは「民族主義(ナショナリズム)」。ソ連の崩壊にだって、社会主義の実験の失敗だけではなく、「民族主義(ナショナリズム)」の台頭という側面が確実に存在する。ユーゴスラビアや東ティモール問題で揺れるインドネシアもそうだが、多民族連邦国家が軒並み崩壊したり、崩壊の危機にさらされている。連邦国家の理念というのはインターナショナリズムにつながる崇高な理想だったのではないか。
そしてその世界的な「民族主義(ナショナリズム)」の台頭の先に見えるのは、ユーロ共同体が示唆する白人国家の連携。そもそも崩壊した社会主義国家ってみんな、基本的には白人国家だからね。東西対立を精算した白人国家の連合により、時代は確実に白人対有色人種の図式に収斂していくのではないだろうか。で、日本はどうするつもりなのかな(ここで、反白人的スタンスをとれば石原慎太郎になっちゃうわけだな、これが)。
うーん、今日の日記はちょっと大ボラもいいとこでしたね(苦笑)。
[BGM]松任谷由実『ノイエ・ムジーク』。売れ線の邦楽(宇多田ヒカルとか小室系とか)を探したんだけど、そんなCD、我が家には一枚もない(まあ、UAやMISIAや椎名林檎やスガシカオはあるんだけどね)。で、少々古いんだけど、松任谷由実名義のベストアルバム。バックミュージシャン(ティン・パン・アレイの流れをくむ人たち)に対する興味で買ったんだけど(オリジナル・アルバムを買う気にはならないもので)、ユーミンってホントにプロの職人だね。その時代その時代の風俗をうまく歌詞に取り込みながらも、フィル・スペクター以来のアメリカン・ポップの王道からはずれない、良質なサウンド作りに成功している(さすがに全31曲を聴き通すとウンザリしてくるけど)。私は買わないけど、この人だとか竹内まりあなんかの曲が売れるんだったら、それはそれで納得できるね。
[読書記録]レオ・バスカーリア『葉っぱのフレディ―いのちの旅―』(童話屋)。「絵本」です。私は別に絵本マニアというわけではありませんので、くわしいことはわからないのですが、発行されて1年以上も経つのにどこの本屋さんでも平積みになっているところをみると、話題になっている本なのでしょう。あんまりよく見かけるので、何気なく本屋で立ち読みをしはじめたらまんまとハマってしまい、購入して家でじっくりと味わいました。「死」がテーマです。オスカー・ワイルドの「幸福な王子」やO.ヘンリーの「最後の一葉」を連想させます(どちらも大好き)。「死」がテーマというだけでもう反則技なのですが、その反則技に簡単にひっかかってしまいました。青春はとうのむかし。朱夏を過ぎ、人生の白秋を迎えつつある私の心の琴線には触れるものがあります。涙がポロポロと止まらなくなってしまいました。作者は哲学者。みごとな仕事です。

11月2日(火) FA宣言をしたホークスの工藤公康投手と同じ心境。
[日記]銀河、キレかかってます。ことの発端は昨日(月曜日)の夜の授業終了後。来年度の仕事のことで話をしたいという事務局側の英語科責任者と会談した。そこでとんでもないことを通告されたのだ。
銀河は、うちの予備校の私大系の長文読解のテキスト(レベルに応じて2種類)の作成に10年間携わってきた(この4年間は最高責任者だった)。そのテキストを今年度限りで廃止し、私大の長文読解用としては別のテキストを作成することになったと言うのだ(なんでも英語科のテキスト全体を大幅改変するのだそうだ)。しかも、新規のテキストは大阪地区で作成することになったので、銀河はテキスト作成の仕事からは外されることになるのだと言う。
そんなバカな話はない。銀河が作成していたテキストはうちの予備校の英語科のテキストのなかでも、(受講する生徒と使用する講師による)評価は常に1位か2位だったはずだ。その点を尋ねると、その通りだと言う。では、銀河の仕事に他になにか落ち度があったのだろうか。ところが、それもまったくなく、むしろ最高レベルの評価なのだと言う。
例えば、経営状況が厳しいのでリストラの一環だというのなら、それはそれで理解はできる。でも、新規のテキスト作成のために、これまで以上のお金をかけることになるのだそうだ。世代交代のために若手に仕事を譲ってくれというのなら、それも十分に納得できる。しかし、新規テキスト作成のために選ばれた講師はみな、銀河と同程度(あるいはそれ以上)のキャリアの持ち主が中心だ。これまでのテキスト体系に欠陥があったというのなら説明してほしいと訊くと、どのテキストも一定以上の評価を得ていて大きな欠陥はないと言う。なんとも妙な話だ。
そのうちに内情を打ち明けてくれた。なんでもうちの予備校には2つの派閥があって(そんなこと知らなかったよ)、来年から閑職に追いやられる予定になっていた側の派閥の巻き返しと、派閥間の取り引きによって決まったことなのだそうだ。銀河は職場ではずっと一貫してとりわけ親しい友人も作らず、政治的な駆け引きからは最も遠いところで、職人的に仕事をこなしてきた。授業評価(学期に1度ずつ受講生にアンケート調査をおこなう)はこの10数年いつも全国でトップクラスの数字を残してきたし、テキスト作成の仕事でもかなり高い評価をもらっていた。そういう実績をないがしろにして、派閥に入って政治的に動いている講師を優遇するような姿勢を見せるんだったら、こんな職場でこれ以上働く気持ちにはなれない。
銀河はこのテキスト作成関連だけで、年間250万円ほどの執筆料をもらっていた。その減収分はどう補ってくれるのかと問うと、それに代わる仕事は用意できていないと言う。そのことに抗議すると、出講日を1日(90分×2コマ)増やしましょうかと提案してきた。冗談じゃない。いまの週4日労働で肉体的にも精神的にもギリギリなのに、これ以上授業数が増えると、確実に破綻が生じるのは目に見えている。
学校側の誠意ある説明と善後策を要求し、後日、ふたたび話し合うことに。でも、職場に対する(わずかながらの)忠誠心や帰属意識は、ぷっつりと切れてしまった。10数年ずっと、お金よりもプライドや充実感の方を重視し、特に文句を言うこともなくコツコツと努力してきた(しかも常にトップレベルの業績を残してきた)人間を怒らせてどうするつもりなのだろう。今後は、お金を稼ぐための場所、そう割り切ることにする。
トランス(用語についてを参照)を容認してくれる、居心地のよい職場だっただけに非常に残念。学校側からの回答を待ちながら、一方で来週からは他の大手予備校と移籍の交渉を開始する予定。

11月3日(水) 怒りはつづく。
[日記]今日はお休み。昨日付けの日記に書いたとおりの事情で、一日中気分が悪い。あれこれCDをかけながら気を紛らわす。夜になって、長*さん(銀河の彼氏)が銀河の自宅の近くまで出てきてくれたので、いっしょに夕食をいただく。
当面、抗議のため、授業以外の仕事(原稿書き、特別イベントの講師役など)をすべてサボタージュすることに決めた。
[BGM]生田恵子『東京バイヨン娘 1951〜1956』。買ったばかりのこのCDには、少々興奮している。生田恵子さんのことを初めて知ったのは『レコード・コレクターズ』誌の95年4月号のインタビュー記事。その記事で、1951年という早い時期に、当時のブラジルの超一流ミュージシャン(レジォナール・ド・カニョートというグループ)をバックに日本人歌手がブラジルでブラジルの曲(当時最高の人気を誇っていた作曲家ルイス・ゴンザーガの「バイヨン」というジャンルの曲)を録音したSP盤が出ていたこと、その当の本人が生田恵子さんという方だということを知った。発売されたばかりのこの盤には、その大変貴重なブラジル録音の3曲が収録されている。最高レベルの伴奏ももちろんすばらしいが、デビューしたばかりでブラジル音楽などこれまでまったく知らなかったはずの生田恵子さんの、初々しいがみごとに「バイヨン」のリズムに乗った軽快な歌いぶりがすごい。ブラジルの曲をすっかり自分のものにしている。生田恵子さん(1928〜1995)はビクターに所属し、1949年から56年にかけて活躍なさっていた歌手。ブラジル録音は、日本人移民のためのブラジル公演旅行の芸能団に参加したときのもの。
[読書記録]ピーター・ファン=デル=マーヴェ『ポピュラー音楽の基礎理論』(ミュージック・マガジン)。今年の6月に発売されたこの本、発売直後に購入して読みはじめていたのだが、4カ月以上かかってようやく読み終えた。読むのにこんなに時間がかかってしまったのは、上下2段組みの分厚い本(本文だけで300ページ以上)だからというだけでなく、満載されている「譜例」をひとつひとつ確認しながら読み進んでいくのに手間取ったからだ。著者は南アフリカ在住のオランダ系白人(つまりアフリカーンス)。アメリカのポピュラー音楽(特にブルース)の成り立ちを、ヨーロッパ音楽とアフリカ音楽の両方にさかのぼり、豊富な具体例をあげて、リズムやハーモニーや歌詞などのさまざまな要因を緻密に分析している。従来、ブルースの起源はアフリカ音楽だというような言い方がなされる場合、そのほとんどが単なる印象論でしかなかった。それに対しこの本は文化論的な解釈を排し、ひとつひとつ具体的な「譜例」をあげて検証して、19世紀のアメリカでブルースが成立するプロセスを解明している。その点もスリリングですごいのだが、ブルースをはじめとするアメリカのポピュラー音楽の成立には、アイルランド音楽が大きな影響を与えていることを実証している点がユニーク(こういう視点の論証はこれまでまったくと言ってよいほどなかった)。アイルランド移民がアメリカにおいて果たした役割については前々から個人的に興味を持っており、きちんと研究してみたいと思っていたところだったので、この本の内容は非常に刺激的だった。

11月4日(木) 不機嫌な一日。
[日記]よっぽど授業もボイコットしようかと思いながらも、職業意識だけに支えられて、体を引きずるようにして学校へ。気分が悪く、ずっとイライラしっぱなし。でも教室で生徒を前にすると、なにごともなかったようにいつもと変わらない授業ができてしまうのは、われながらスゴイものだと思ったりする(ほとんど条件反射だ)。うちの予備校では講師室に用意してあるチョークとマイクを持って教室に行き、授業後は講師室に持ち帰ることになっているのだが、今日の出講校舎はここのところ毎週、講師室のチョークが不備で、授業開始時に少し遅れて席を立とうものならもう必要なチョークがなくなっている(だから、新しいチョークを用意するまで待たされる)。今日はそのことにいつも以上に腹が立ち、担当職員にかなりきつくクレームをつけた。職場ではいつもおとなしくニコニコしている銀河が声を荒立たせたりしたので、職員の方もキョトンとなさっていた。でも、こっちもプロの仕事をしているのだから、講師室担当の職員の方もプロらしい仕事をしてほしいのだ。
[BGM]"Hawaiian Falsetto Voices." ハワイ音楽の器楽的特徴は、例えばスラック・キー・ギターと呼ばれる独自のオープン・チューニングや、ウクレレとかスティール・ギターなどの楽器に顕著だが、声楽的な特徴はなんといってもファルセット(裏声)唱法にある。ハワイの民俗音楽にはファルセットの伝統はないので、ヨーロッパの宣教師たちがハワイに賛美歌を持ち込んだときに生まれたものと推察されている。もともとハワイでは音楽・芸能に女性が参加することはほとんどなかった(あのフラ・ダンスも本来は男性が踊っていたらしい)。そのような環境に賛美歌が持ち込まれたとき、窮余の策として女声のパートを男性が代わりにうたったところから、いまのファルセット唱法のプロトタイプが生まれたのらしい。そういう意味では、ハワイ音楽のファルセットは疑似女性ヴォーカルなのだ(女性ヴォーカルの模写と言ってもよい)。このCDは、ハワイ音楽史上に残るすぐれたファルセット唱法を集めたもの。ソル・ホオピイ、ジョージ・カイナパウ、ビル・アリイロア・リンカーンあたりが有名どころ。女性と聞き間違うばかりの男性のきれいなファルセットが驚異的。個人的にいちばん好きな歌手、マヒ・ビーマーが収録されていないのは残念だが、マヒに関してはフルアルバムを持っているから、まあよいだろう。

11月5日(金) 今日は一の酉で、花園神社は大にぎわい。
[日記]授業は午前中で終わり。今日は病気でお休みしている講師が2人いたが、そのうちのひとりは最近大きな病気で休み、回復して授業に復帰したばかりだったので、ちょっと気がかりだ。いつもの金曜日と同様、仲のいい同僚の女性講師と昼食をいただく。グチのこぼし合いになってしまった。
自宅に戻り休息をとってから、夜7時ごろ新宿へ。長*さんの取引先のスナック(ごくふつうのスナック。長*さんの会社からお茶や薬を買っている)でいっしょに食事をとる。その後、花園神社へ。今日は一の酉なので、靖国通り沿いに露店がたくさん出ていてにぎやかだ。すごい人混みのなか、花園神社にちょっとだけ寄る。今年のお酉さまは三の酉まであるので、二の酉か三の酉のときにまたゆっくり来ることにして、露店で買ったたこ焼きをおみやげに、2人でゴールデン街の「たかみ」(いわゆる女装スナック)へ。
「たかみ」では久しぶりに会えた人もいて、その点はよかったのだけど、11時過ぎにネイティヴの女性客が縄で縛られる展開になってから、ヤな空気に。男性客や女装した男たちが縛られたネイティヴの女性に群がり、キスしたり胸や股間に手を突っ込んだり。銀河的にはいちばん不快で気味の悪い展開。こういう場面を見てると「なんでこの人たちは男なのに女装してるんだろ」って不思議に思ってしまう。いたたまれなくなったので、長*さんには悪いけど(明日は借りを返すからね)速攻で帰宅。
[BGM]DL Project,"Transit Louge." シンガポールの華人、ディック・リー。現時点での最新作。もともと欧米のポップ音楽に強い影響を受けて「シンガポールのエルトン・ジョン」とでもいうべき音楽を作り出していたディックが、「アジア人としてのアイデンティティー」を強く打ち出し、さまざまなアジアの古い曲を素材にした傑作アルバム"The Mad Chinaman"(89年)と"Asia Major"(90年)で爆発的な人気を獲得してから、約10年。久保田真琴との共同プロデュースのもとDL Project名義で発表されたこのCD、空港のラウンジでかかっているBGMというコンセプトで、70年代のポップ音楽のフィーリングを活かした「どこかにありそうで実はどこにもない」無国籍ポップスの試み。没個性であるところが逆にディック・リーらしさに転じている「ねじれ感覚」がおもしろい。同時期に発売された姉妹作、SANDIIの『サンディー・シングズ・パシフィック・ラウンジ・クラシックス』といっしょに聞けばさらに楽しめる。

11月6日(土) 「TSとTGを支える人々の会」公開ワークシップに参加した。
[日記]第71回目の「TSとTGを支える人々の会(TNJ)」の催しは、会場の東京ウィメンズプラザ(青山学院大学の真向かい)を運営する東京女性財団が女性団体交流事業として11月5日、6日の2日間にわたって開催した「東京ウィメンズプラザまつり'99」の公募ワークショップ企画のひとつとしておこなわれた。例によって開始時間の30分前に会場に到着。会場設営や配付資料のセッティングのお手伝いをする。ところが人手が足りないためか、開始時間の5時40分になっても作業が終わらない。廊下にはものすごくたくさんの人たちが並んでいる。作業をつづけながら、参加者の方々に会場に入っていただく。狭い会場にたくさんの人が入ったせいで異様に暑い。すでにこの時点で銀河は汗びっしょりになってしまった。
10分遅れで開始。立ち見の方がたくさんいらっしゃるし、会場に入りきれなくて廊下からのぞき見されている方々もいらっしゃるので、銀河が確保していた自分用の座席はそばに立っていた方にお譲りし、廊下に出て受付係の礼(あや)さんのお手伝いをする。参加者は200人を突破。どうやら前日の朝日新聞で紹介されたため、それを見てやって来られた非当事者の方々が多かったようだ。せまい部屋のなかも廊下も、熱気がこもってサウナ状態。ロビーに行って少し涼んでは、受付に戻ってお手伝いをする、そのくり返し。7時ごろにTくん(もと芹沢香澄)も登場。最初のうちは廊下からのぞき込んでいたみたいだけど、あまりの暑さに途中であきらめて受付係のテーブル付近に戻ってくる。
今回のテーマは「性の多層性と多様性―トランスジェンダーの視点から見るジェンダーとセクシュアリティ」。話し手は、加藤秀一さん(明治学院大学社会学部助教授)、蔦森樹さん(作家、MTFTG)(用語についてを参照)、虎井まさ衛さん(作家、MTFTS)、野宮亜紀さん(TNJ運営委員、MTFTG/TS)。司会は森野ほのほさん(TNJ代表)。で、どんな内容だったのかはよくわからない(笑)。だって、以上のような経緯でずっと廊下かロビーにいたんだもの。でも、今回の催しはむしろ非当事者の方にいろんなことを知っていただくための格好の契機なのだろうから、銀河が非当事者の方に席をゆずって廊下にいたのも、それはそれでよかったのかもしれない。そういえば二次会の席で銀河と同じテーブルについていた約10人のうち、会場内で講演を聴いていた人はたったひとりしかいなかった(笑)。蔦森さんのお話のときは会場内が笑いにつつまれたりしてなごやかなムード。「ああ、この人は講演慣れしていて、話し方が上手だな」と感心したことは覚えている。会場内に入って質問カードを集める役もやらせていただいたのだけど(森野さんが「スタッフの方、質問カードを集めてください」っておっしゃったとき、足りなくなった資料の追加印刷などに人手を取られて対応できるスタッフがだれもいなかったので、銀河が集めにまわった。別に銀河はスタッフってわけじゃないんだけどね)、質疑応答もいつも以上に盛り上がっていたみたいだ。
以前に「エリザベス」(アマチュア女装クラブ)に通っていたときに知り合ったお友だちだとか、新宿の女装スナック(アマチュア女装者及び女装者に興味を持つ男性が主たる対象の飲み屋さん)でよくお会していた男性だとか、ふだんの催しのときには絶対会えないような人たちがたくさん来ていて、そういう人たちと久しぶりにお会いできたのはうれしかった(みんな、朝日新聞を見て来たんだって言ってた)。そのほか、椎名ももこさんや初対面の柳玲蘭さん(ホントは初対面じゃなかったらしいんだけど)にもお会いできた。ニューハーフ系の雑誌のグラビアとかでおなじみの嶋田啓子さん(TNJ運営委員)もいらっしゃっていた(お会いしたのは去年の7月にあった写真家の神蔵美子さんの出版記念パーティー以来2回目)。みんなに「壊れた」って言って冷やかされていたのは、ぽんぽんさん。この後デパートメントH(渋谷のON AIR WESTというライブハウスで毎月第1土曜日の真夜中に開催されるドラァグクイーン系のイベント)に遊びに行くとかで、スカートをはいてピンクの口紅で、超かわいかった。
無事、時間通りに終了。例によって二次会へ。NOVAさん(光瀬かつみさん)は国立競技場にサッカーを見に行っていたそうで、二次会から参加。小学校6年生の性別違和を抱えるMTF(用語についてを参照)のお子さん(いつもスカートをはいている超カワイイ子)をお持ちのお母さまを交えてお話ししたのだが、みんなが自分のことのように考えていろんな発言をしていたのが、心に残った。「どういう生き方を選ぶかは本人が決めることだから、親が安易な結論を出すのではなくて、正しい情報を与えて、本人が決断をする手助けをしてあげるべきだ。選ぶのも苦しむのも本人なのだから」というまっとうな結論に達したのには(当たり前だけど)感動した(無責任な第三者的な発言だったら、第二次性徴が発現する前にホルモン投与をすればいいとか、無茶苦茶なことが言えるんだけど、そういう発言がいっさい出なかったのがステキだった)。
二次会がお開きになった後は、長*さんが待つ新宿の「ジュネ」(いわゆる女装スナック)へ。昨日早く帰っちゃったので、今日はその埋め合わせで朝までいっしょにいる。長*さんといっしょにいると気が休まる。でも、他のお客さんに関することで、ちょっとヤな気分になっちゃった。それはたぶん、明日付けの日記で。

11月7日(日) 私は見せ物じゃないんだから。
[日記](昨日付けの日記のつづき)朝方の「ジュネ」(いわゆる女装スナック)で、ちょっとヤな気分になった。ノンケの男性客がそばの席に座っていたネイティヴの女性客をくどきはじめ、体中をタッチしまくる。女性の方もまんざらではないようで、最後には2人でホテルかどこかに消えていった。それはまあいいんだけど、2人ともお店のスタッフやトランス(用語についてを参照)のお客さんをちょっと変わったナンパの小道具扱いにしている様子がありあり。不快。私は見せ物じゃないんだから。
なにも知らない一般人よりも、トランス系の飲み屋さんに出入りしたり、トランス業界にかかわったりしている(トランスではない)人たちの方が、概して質(たち)が悪いと思うのは、こういうとき。
[BGM]Mary Hopkin,"Those Were The Days." メリー・ホプキンなんて、もうだれも知らないかもね。ポール・マッカートニーにスカウトされ、ビートルズによって設立されたばかりのアップル・レコードから68年に18歳でデビュー。バッドフィンガー(名曲"Without You"が有名)とともに当時のアップル・レコードの看板スターだった女性歌手。60年代後半って、この手のすぐれたポップ歌手/グループが百花繚乱。エディソン・ライトハウスとかフライング・マシーンとかカフ・リンクスとかハミルトン・ジョー・フランク・アンド・レイノルズとかね。このCDはベスト盤。"Goodbye"や"Knock Knock Who's There"などのヒット曲を収録(なつかしい)。表題曲(邦題「悲しき天使」)がデビュー曲だけど、私のカラオケの持ち歌でもあります。

11月8日(月) 闘争心が薄れてきた。
[日記]11月2日付けの日記で書いた来年度の仕事内容の件で、事務局の英語科責任者と再び会談。話をしているうちに、上と下との板挟み状態になっている中間管理職の立場が気の毒になってきて、闘争心が薄れてしまった。話し合いは物別れだったんだけどね。
今年度からうちの予備校の看板講師が大量に他の大手予備校に移籍したのが気になっていたんだけど、うちの予備校って、どんなに実績のある講師でも慰留は絶対にしない方針だということも知った。他の何人もの講師仲間に話を聞いたが、今回のテキスト改変の件に関してはみんな怒っているか、職場に対する愛情が完全になくなっているかのどちらかだった。
自分はどこにも所属したりしないインディペンデントの職人であることを再確認。自分の技術をいちばん高く買ってくれるところで仕事をするだけだ。
夜は長*さんにわがままを言って、ホテルへ。朝まで柔らかな気分につつまれる。
[BGM]『うたう!大龍宮城 オリジナル・ソング・コレクション』。90年代前半に(たぶん)フジテレビで日曜の朝8時台に放映されていた子供向け番組(主演は中山博子)のCD。大好きでかかさず観ていたんだけど、細かいことは全部忘れてしまったし、CDにもくわしいデータが記載されていない(ご存じの方は教えてくださいね)。ミュージカル仕立てのドラマだったんだけど、カントリーありハワイアンありシャンソンありドゥーワップありの挿入歌が、音楽性も高くバツグンにおもしろかった。
[読書記録]萩原裕子『脳にいどむ言語学』(岩波科学ライブラリー)。脳とことばの関係を明らかにしようとする、言語学側からのアプローチを紹介している。チョムスキーの変形生成文法のパラダイムに基づき、失語症や特異性言語障害(文法のある側面に限って常に間違えてしまう遺伝性の言語障害)の分析から、健常者の持つ「普遍文法」(人間である限りだれもが持っている言語能力のこと)の「原理とパラメーター」を解明しようとする。ここのところ自分の専門分野(言語学)の本や論文にあまり触れていなかったので、読み終わるのに時間がかかってしまった。

11月9日(火) イライラする毎日にはマレイシア歌謡。
[日記]11月に入ってからの日記を読み返してみると、なんだかやたらと苛立っているんだよね(苦笑)。こういう日々には、マレイシアの大衆歌謡でなごむのがいちばん。
アジアの大衆音楽のなかで銀河がいちばん好きなのは、現時点ではたぶんマレイシア音楽だ(少し前まではインドネシア音楽がいちばんのお気に入りだったんだけど)。交通の要所マラッカ海峡(ポルトガルやオランダなどの欧米列強やイスラム勢力がインド洋を経てアジアへやってくるときの通り道)をおさえるマレイシアは、昔から東西諸文化の交差点。当然のことながら音楽に関しても、アラブ、インド亜大陸、ポルトガル、そして(おそらく)東アフリカ(特にターラブというジャンルの音楽)などの伝統と共通の要素が感じ取れる。
現在のマレイシア大衆歌謡の基盤を作ったのは、50年代から60年代にかけて活躍した「マレイシア音楽の父」P.ラムリー(作曲家兼歌手)。マレイシアの伝統音楽を土台にしながらも、ジャズやラテンや(おそらく)日本の歌謡曲などの要素を柔軟に取り入れ、独自のニュアンス豊かな歌謡を作り上げた(銀河は服部良一を連想していたんだけど、岩波新書の『ポピュラー音楽の世紀』で中村とうようさんは浜口庫之助にたとえている)。銀河はマレイシア盤のCD6枚シリーズを持っているが、ぼんやりと聞き流していると、同時期の日本の歌謡曲を連想して「なつかしい」気持ちになる。ラムリー自身の歌唱にも味わいがあるのだが、ラムリー夫人のサローマ(こちらはCD3枚シリーズを所有している)のクールな感覚の歌唱(美空ひばりではなく雪村いずみの感覚)は、同時代のアジアでは明らかにあたまひとつ抜きんでていたと思われる。
80年代以降のマレイシア音楽界では、ジャズヴォーカル的な女性歌手(例えばアイシャ)が人気を博していたが、ここ数年、特に若手アイドル・ナンバーワン(歌唱力も若手ナンバーワン)のシティ・ヌールハリザが伝統歌謡を新しい感覚で取り上げた傑作アルバム『チンダイ』を発表して以来、伝統的な大衆歌謡が見直され、さまざまな歌手たちが次々と意欲的な作品を発表しつづけている模様だ。
[BGM]Noraniza Idris,"Bekaba." マレイシアの伝統的な大衆歌謡を代表する女性歌手が、このノラニーザ・イドリス(今年で31歳)。10年以上のキャリアがあるのだが、ブレイクしたのはここ数年のこと。今年発売されたばかりのこのアルバムは、伝統打楽器をナマのストリングス中心のサウンドのなかにうまく取り入れて、伝統的ダンス音楽(ジョゲットとかザッピンとかイナン)のリズムを活かした楽しい作り(手拍子やかけ声が祝祭的空間を演出している)。歌唱の方は、アラブ歌謡を思わせるみごとにコントロールされたコブシまわし(愛らしいシティに対し、大人の女性の妖艶さを感じさせる)。ラムリーの時代以来2度目の、マレイシア大衆音楽黄金期の到来を思わせる傑作。

11月10日(水) 日記の更新がすすまない言い訳(笑)。
[日記]今日も一日中、不機嫌だった。仕事の件もあるんだけれど、よく考えてみると10月のあたまに風邪を引いて気管支炎を併発し、それが完全に治りきっていないうちに次の風邪を引いたりして(なんだ、それは?)、生活のペースがグチャグチャになったのが遠因かもしれない。
毎日の授業準備に追われ(毎年この時期はそうだが、夏の疲れがたまったままのせいか、同じ分量の予習をするのに春先の2倍の時間がかかる)、読んでいないメルマガ、返事を書いていないメールが蓄積していく一方。聞いていないCDや読みたいのに読めないでいる本は山積み。公共料金は払い込みに行っていないし、メンタルクリニックの予約もとっていない。今週はホルモンを打ちに行く時間もなかった。それになぜか毎日、チョー眠いよん。参ったなあ。
というわけで、今日付けの日記は、日記の更新が遅れている(これを書いているのは11月13日)言い訳です(笑)。


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I'd be lost without you.