1999年10月下旬の日記

気管支炎は治ったんだけども、寝込んでいたあいだにたまってしまったお仕事(原稿書き)で大変な状態。でも新しいお友だちとの出会いもありました。iBookとグラファイトの新型iMacは、実物を見てものすごく気に入りました。欲しいよ(でももう少し待つことにします)。(1999年11月3日記)

10月21日(木) 「君が代」について、再び。
[日記]9月23日の日記で、忌野清志郎のパンク風「君が代」に批判的なことを書いた。正直言って、ちょっと言い過ぎたかなと思っていたところ、今日発売の『ミュージック・マガジン』11月号に清志郎のインタビューを含む関連記事が掲載されていた(志田歩「ロックで<君が代>を歌う理由」)。清志郎の発言の一部を引用する。「原曲はつまんないんだもん。リズムがないし、暗くて威圧的な感じがするし、右とか左とか関係なく、運動会や入学式とかで歌えっていわれてもこれじゃ歌えないっていうのが本音なんです。まぁ今回のも歌えないかも知れないけどね(笑)」。
清志郎、さすがにちゃんとわかってるじゃん。結局、「君が代」自体が使いものにならない魅力のない曲だってのが、いちばん正しいところだろう。たぶん、だれがどう料理してもダメだ。「君が代」って、明治政府のお雇い外国人音楽家(イギリス人のジョン・ウィリアム・フェントン)が作曲したものをいったん廃して、宮内庁雅楽課に所属する音楽家(名義は林広守)が作り直し、さらにそれを後任のお雇い外国人音楽家(ドイツ人のフランツ・エッケルト)の編曲で初演奏したという経緯からみても、洋風なものと和風なものとの折衷なんだけど(明治維新期に近代国家としての体裁を整えるために、さまざまな場で日本的なものの上に西洋的なものを接ぎ木した例のひとつだ)、その最も出来の悪い見本でしかないのだ。
そう考えているうちに、「なんだ、そうなのか」って気がついた。清志郎のパンク風「君が代」が音楽的につまらないものにしかならなかったというその事実自体が、「君が代」に対する強烈な批判になってるよね、皮肉なことに。ひょっとしたら清志郎、そこまで判っていてやったことなのかもしれない。だとしたらスゴイけど。
[BGM]『街角のうた 書生節の世界』。9月18日の[BGM]で紹介したカオリーニョ藤原と彼のボサノムーチョ『演歌BOSSA』なんかもそうだけど、本当に魅力的な和洋折衷ってこういうものなんじゃないのかな。93年に大道楽レコードから出たこのCDは大正期の書生節のSPの復刻。書生節っていうのは明治期の壮士演歌なんかの流れを引くもの。西洋のフォークソングのメロディーを流用したり、ヴァイオリン(後にはピアノ)のような西洋楽器を用いるものの、三味線風の演奏法を(おそらく無意識に)取り入れたり、日本民謡風のコブシを加えたりして、かなり日本化している。歌詞は時事性のあるもの、ナンセンスソングなどさまざまだ。秋山楓谷・静代「ヂンヂロゲとチャイナマイ」「デモクラシー節」、塩原秩峰「ジョージアソング」、石田一松「インディアンソング」「のんき節」など。愉快だし、驚くほどワールドミュージック的。

10月22日(金) iBookをチェック、これは欲しいな。
[日記]10月19日(火)に新宿西口のT-ZONEで新型iMac(iMac DV)をチェックしたのにつづき、今日は同じ新宿西口にあるソフマップでiBookをチェック。発売日から1週間も過ぎてしまったが、少し落ち着くまで待っていたのだ。それでもかなりの順番待ち。新型iMacの方は並ばなくてもさわってみることができるのに(iMacは5台あるけど、iBookは2台しかないからしかたがないか)。
で、実物を見た印象なんだけど、超カワイイ。写真よりも実物の方が断然いい。旧型iMacより鮮やかな色なのは新型iMacと同じなんだけど、本体の素材の違いのせいか、新型iMacよりもキレイで華やかでしかも上品な感じがする。写真で見たときにはタンジェリンの方が圧倒的に気に入ったんだけど、実物はブルーベリーも同じくらいキュート。本体のさわり心地もよいし、操作もしやすい。画面も小さすぎる感じはしなかった。
試しに持ち上げてみる。取っ手は持ちやすいけど、やっぱり重い(女性ホルモン投与で筋力が落ちた腕にはこたえる)。常時外へ持ち出すのはムリ。でも家の中で持ち運ぶのには不自由はないし、たまの帰省のときに持って帰るくらいのことはできそうだ。これは欲しいよ。でも現時点では結構予約待ちをしなければならない状況のようだから、Mac Os 9がプレインストールされたり新色が出たりする可能性を見計らいながら、年末まで待ってみることにした(2月の帰省には間に合わせたいけどね)。
新型iMacの方は見慣れたせいもあって、19日のときほど違和感はなかった。でもやっぱり、旧型の色と質感の方が好きだなあ。いずれにしてもiBookを買う方が優先だ。
夜はお友だちとの会食から戻ってきた長*さん(銀河の彼氏)といっしょに、久しぶりに歌舞伎町のホテルへ。2人とも体調が万全とはいえない状態なので、ただひたすら睡眠をとった(長*さんの声がすっかりかすれてしまっているのがかわいそうだ)。
[BGM]ハリーとマック『ロード・トゥ・ルイジアナ』。細野晴臣と久保田真琴による超強力ユニットの昨日発売されたばかりのアルバム。録音はニューオーリンズ、ロサンジェルス、東京の3ヵ所。バックにはジム・ケルトナーやガース・ハドスンも。日本側からは鈴木茂、林立夫、駒沢裕城といった懐かしい顔ぶれに加え、山内雄喜もハワイアン・ギターで参加。打ち込みは用いず、タイトル通りアメリカ南部の香りのするアーシーなサウンド。四半世紀ぶりに2人の音楽活動の原点に戻った趣だが、原点回帰といっても螺旋階段をひとまわりして一段高い場所にやってきたという感触がする。ルーツ・ロックだけど、テクノやアジア歌謡やハワイアンの要素も取り入れていて、紛れもなく今の音。しかも新世紀を予感させる音だ。凄いとしか言いようがない。このところプロデュース業がその活動の中心だった久保田真琴の、夕焼け楽団以来のヴォーカルが感動的。
[読書記録]大鷹俊一『レコード・コレクター紳士録』(ミュージック・マガジン)。『レコード・コレクターズ』誌の連載記事の単行本化。無茶苦茶ディープなコレクターの方々(タンゴ研究家とかプログレマニアとかジミヘンの専門家とか戦前のSPの収集家とか)へのインタビュー集。山下達郎、なぎら健壱、山内雄喜などのミュージシャンも。人の家のレコード棚(CD棚)や本棚を見せてもらうのって、楽しいですよね。その人のものの感じ方やライフスタイルまでが見えてきて。そういうノリの本。収集にまつわる苦労話やマニアックなレコードの話題(アイスランドのシンフォニック・ロックってどんなんだ?)も興味深いし、豊富な写真も楽しい。夫婦コレクターの次の発言がおもしろかった。「一回、家でトレードしたことありましたよ。こっちのもので、けっこう私が気に入ってるレコードをいらないから売るとか言い出して、そのとき手放したら、また手に入れるのが大変だというのがわかっていたから、どうしても置いといて欲しいって頼んだんだけど、お金なくて売りたいっていうから、私の持っているのと交換しようって言って、だから結局両方とも家にはあるんですけど(笑)、所有権だけは移ったという」。このコレクター感覚がわかる人にはたまらない読みごたえの一冊。

10月23日(土) 長*さん依存症だ(笑)。
[日記]朝、ホテルを出たあと、新宿西口の「ルノアール」でモーニングセット。夕方に会うことを約束して、帰宅。
昼過ぎに所用で自宅を出る。用事を済ませて3時ごろ新宿へ。長*さんの携帯に連絡を入れてみるが、留守電の応答。新宿をぶらぶらして4時前にもう一度電話。また留守電。その後も何度かけても留守電なので、心配になって長*さんの事務所を訪ねるが、だれもいない。この時点で6時前。ぽろぽろ涙が出てきて止まらなくなったので、いったん家に戻る。不安と苛立ちのなか、ひたすら電話をかけ、ひたすら待つ。
9時半に長*さんから待望の電話。サウナに行ってたから携帯の電源を切ってたんだって。サウナに行くんなら、あらかじめそう言ってくれればいいのに。
飛ぶようにして新宿の長*さんの事務所へ。文句をたくさん言おうと思ってたけど、長*さんの顔を見たらほっと安心して、それだけでよかった。本当は今日は長*さんといっしょに夕食をいただいたら早めに帰宅するつもりだったんだけど、ラーメンを食べて、そのまま長*さんにくっついて「ジュネ」(いわゆる女装スナック)へ。朝までいっしょにいなければ、もとがとれないよ(何のもとだ?)。1年ぶりにポストオペのMTFTS(用語についてを参照)の真唯さんにお会いしたので、じっくりお話をする。SRS(用語についてを参照)についてもいろいろと教えていただく。そのまま朝まで。
[BGM]Alaitz eta Maider,"Inshala." バスクって知ってますか。スペインとフランスにまたがるビスケー湾沿いのバスク語が話されている地域のことだ(独立国家として統一されたことは一度もない)。バスク語を話すバスク人はヨーロッパの先住民族のひとつだと推定されている。日本にキリスト教を伝えたイエズス会のフランシスコ・ザビエルもバスク人だ。このCDは、スペイン領バスクの現代ポップ音楽(トリキ・ポップという名で呼ばれている)。トリキティシャ(アコーディオン)担当のアライツとパンデロア(タンバリン)担当のマイデルの若い女性2人組の今年発売されたばかりのセカンド・アルバム(デビュー・アルバムはバスクでは大ヒットした)。伝統的なダンス音楽(跳ねるようなアコーディオンが特徴)に新しい命を吹き込んだ可愛らしくて元気いっぱいなサウンドだ。バスクの現代ポップ音楽のCDもずいぶん買い込んだが、魅力的なミュージシャンが数多く存在するなかでも彼女たちの音楽が飛び抜けて楽しい。自分たちで曲も作るバスク版パフィーとでも言おうか。

10月24日(日) 「性同一性障害はオモシロ」くない。
[日記]子供のころから「次に生まれてくるときは女がいい」って思ってた。アマチュア女装のサークルでは「今度生まれてくるとしたら、女装の似合う美少年とブスな女性のどっちがいいか」なんて話題が出ることがよくあったんだけど、銀河は、「たとえ容姿が不細工な部類に入ろうが、XXの染色体を持った女性として生まれてきたい」って答えていた(たいていのアマチュア女装者は「女装の似合う美少年」の方を選んでたようだったけどね)。
でも今は違う。男でも女でもどちらでもかまわない。「生物学的な性と性自認(用語についてを参照)が一致していさえすれば、男でも女でもいい」って思う(さらに言えば、性的対象が異性、つまりヘテロセクシュアルでね)。自分は女だ(あるいは女になりたい)なんて思ったりしない男。自分は男だ(あるいは男になりたい)なんて思ったりしない女。例えば女装したいなんて願望を間違っても抱いたりしない男。で、これって、少なくとも95パーセント以上(もっと多いか)の人間がそうだよね。なんでこんなに確率のメチャ高いクジにはずれたんだろうなあ。前に窪田理恵子さんが貧乏クジっていう言い方をされていたけど、ホント、貧乏クジもいいとこだ。
[BGM]葡萄畑『葡萄畑』。はっぴいえんどやはちみつぱいの影響を受けたカントリー・ロック・バンド、74年発表のファースト・アルバム。はっぴいえんどやはちみつぱいのサウンドのリズム面を強化してザ・バンドを目指したら、ブリンズリー・シュワルツになってしまったという雰囲気のアルバムだ(この説明で納得できるマニアな人っていったい何人いるんだ?)。デビュー前、キーボード奏者を探すにあたっての「ガース・ハドスンは無理でも、せめてニッキー・ホプキンスならいるだろうということで」なんていうメンバーの言葉が付属の解説に書いてあったけど、(これもマニアにしか判らないだろうけど)思わず微笑んでしまいたくなるような名セリフ。発売当時は愛聴盤だったんだけど、さすがにいまでは古くさく聞こえるだろうなと思って恐る恐る聴いた。でも意外なほど新鮮で驚いた。矢吹申彦によるジャケットのイラストも素敵だ。

10月25日(月) 長*さん依存症はつづく(笑)。
[日記]夜の授業が終わったあと、長*さんに電話する。お昼に電話したときには、今夜は仕事で人に会う予定だって言ってたはずなのに(だから今日はこのままおとなしく家に帰ろうって思ってたのに)、なぜかお友だちと大久保の居酒屋で飲んでいる。急いで大久保へ。初対面のお客さんがいま英語を習っているというので(英語をしゃべりたがるんだ、この人が)、英会話のお相手をしてあげる(でも、ずっと女性だと思っていてくれたみたい。よかった)。
で、長*さんに引きずられるようにして「たかみ」(いわゆる女装スナック)へ(苦笑)。終電までには帰ろうと思ってたのに、長*さんが銀河の膝枕で眠っちゃうもんだから、帰りそびれて朝まで。
なんか毎日会ってるんだよね、ここのところずっと。そろそろ、いっしょに住むことを考えはじめてる。
[BGM]"Encontro Com A Velha Guarda." サンバが大好きになったきっかけが、76年に制作された『伝統の守り手との出会い』(邦題『すばらしきサンバの仲間たち』)というタイトルのこのアルバム。都市ゲットーにおける黒人たちの生活共同体であり、カーニヴァルのときのサンバのパレードに参加するときの組織でもあるエスコーラ・ジ・サンバを基盤に音楽活動をつづけてきたイズマエール・シルヴァ、ネルソン・カヴァキーニョ、マノ・デシオ・ダ・ヴィオーラといったサンバ界の重鎮たちのセッション・アルバム。当代最高のミュージシャンをバックに、ヴェテランたちの渋いヴォーカルが楽しめる。なかでも「最低賃金」って曲が大好きで、よくレコードに合わせてうたったものだ。サンバを何か一枚だけっていうんだったら、まずはこのアルバムを勧める。

10月26日(火) 「性同一性障害はオモシロイ」について。
[日記]24日の日記のタイトル、意味がわからなかったっていう方が多かったようなので、一応説明しておきます。
佐倉智美さんっていう(たぶん)MTFTG(用語についてを参照)の方がお書きになった『性同一性障害はオモシロイ』(現代書館)って本が出ている。佐倉さんって(面識はないけど)すごく真面目でイイヒトなんだろう(本を読んでそう思った)。初めて女装用品ショップを訪れたり女装外出を経験するところからはじまって、フルタイムで生活している現在まで、そしてフェミニズムやジェンダー論に関する考え方をつづったこの本の内容に対しては、銀河とは全然ものの感じ方が違うんだなあとは思ったけど、そういう考えもありなのかなって、あたまでは理解できた。あたまでしか理解できなかった原因はたぶん、肉体的違和感はないけれども男性の性役割(用語についてを参照)には強い違和感を抱いていらっしゃる佐倉さんと、性役割はどうでもいいけど肉体に対する違和感は強烈な銀河との違いに由来すると思うんだけどね。でもね、このタイトル(関西ノリだよね)はキライ。だって全然「オモシロ」くないんだもん。GID(用語についてを参照)当事者で自分の置かれている状況をオモシロイって思える人、たぶんすごく少ないんじゃないかな。
というわけで、批判ってわけじゃなくって、私は違うっていうのを言っておきたかったんだよ、これを機会に。
[BGM]『いしだあゆみ&ティン・パン・アレイ・ファミリー』。楽曲はすべて、橋本淳作詞、細野晴臣、萩田光雄作曲。バックは細野晴臣(ベース)、鈴木茂(ギター)、林立夫(ドラムス)、矢野顕子(キーボード)、山下達郎(コーラス)、吉田美奈子(コーラス)他という超豪華メンバーによる77年の名盤。いしだあゆみってテクニカルな意味では間違いなく下手な歌手なんだけど、ちょっとオシャレな都会風サウンドをバックにすると、(つぼにはまれば)凄みのあるフェロモンを振りまく。これは間違いなくつぼにはまった一枚。今の時代の不幸は、こんな歌謡曲の生息する場所がない点にもあるよね。ロック系、ヒップホップ系と演歌の両極端しかないんだもん。いしだあゆみ、黛ジュン、園まり、奥村チヨ、小川知子。そういった人たちの後継者の歌が聞きたい。
[読書記録]石井淳蔵『ブランド 価値の創造』(岩波新書)。自分の持つライフスタイルがそれに合ったブランドを選ぶのではなくて、あるブランドを選んだことが新しいライフスタイルを作り出していくのだという結論は、まあ当たり前と言えば当たり前なんだけど、その結論に至るまでの個々のブランドの緻密な分析は読み応えがある。ブランド論の衣を借りた現代資本主義経済論だね。ところで最近、小説を読んでないな。買って積んであるだけで。

10月27日(水) 追悼、二代目若松武蔵大椽。
[日記]夜の授業を終え、帰宅してasahi.comをチェックしていてひどくショックを受けた。「説経節」若松派伝承者の二代目若松武蔵大椽(わかまつ・むさしだいじょう)さんが亡くなられたという。80歳だったここを参照)
「説経節」といってもご存知の方は少ないだろう。基本的に三味線の弾き語りで、浪曲や義太夫をうんと素朴にしたような語り芸だ(あるいはスリーピー・ジョン・エステスのような素朴なブルースの日本版と言ってもよいか)。国文学者のあいだでは、平安時代にしゃべりの上手なお坊さんが、仏の教えを善男善女にわかりやすく説くために始めた節まわし付きの説教(これを「節談説教(ふしだんせっきょう)」という)がルーツだと言われているのだが、実はこの説は不正確。大衆芸能としての「説経節」の直接の祖先は、これとは別だ。平安末期に民間のニセモノの坊さん(まあ、正体は流浪の芸人たちだ)が街頭で民間伝承を説教のスタイルで語り、下層民の心を大いにとらえ流行し、江戸初期には独自の小屋を持つまでに発展した。こっちの方が「説経節」の直接のルーツなのだ。
二代目若松武蔵大椽さんは、「説経節」の革命児であった父親の初代若松武蔵大椽の手ほどきを受けて活動していたが、父親の死(1948年)後さまざまな不幸に見舞われ、芸を捨て自暴自棄になる。酒びたりの生活のなかで視力を失い、生活保護を受けていた。70年代なかばに、二代目若松武蔵大椽さんが若松派「説経節」の伝承者であることを偶然知った区の民生委員の励ましで一念発起、80年ごろから本格的な演奏活動を再開する。このことは当時の新聞に美談として取り上げられたりもしていた。
銀河が初めて二代目若松武蔵大椽さんの演奏に接したのは、ちょうど本格的な活動を再開した80年ごろのこと(正確な日付は失念)。中村とうようさんが構成を担当された「日本人の喜怒哀楽」というシリーズものの企画が下北沢の本多劇場でおこなわれたのだが、そのうちの一日が二代目若松武蔵大椽さん(当時は二代目若松若太夫さん)の「説経節」の演奏にあてられていたのだ(ちなみに他の日におこなわれたのは浪曲、女義太夫、佐渡の人形浄瑠璃、河内音頭、横浜ボートシアターの芝居などで、銀河が日本の大衆芸能にぐんぐん引き込まれていくきっかけとなったイベントだった)。
初めて体験した若松派の「説経節」。演目は「山椒太夫」と「小栗判官」だったと記憶している。浪曲よりももっと感情表現が生々しくてストレートな「説経節」に心を揺さぶられ涙が止まらなくなったのを、いまでもよく覚えている。泥臭くて粗野だけど、それでいて決して下品ではなくすがすがしいインパクトがある(カタルシスってやつだ)。まさしく庶民の喜怒哀楽とともに育ってきた語り芸なのだなと痛感したものだ(いまでも日本の大衆芸能のなかでいちばん好きなのは「説経節」と「河内音頭」だ)。
晩年の20年間は体調を崩しがちだったというものの、演奏活動も順調でレコードも残され、文化庁芸術祭賞なども受賞なさった。若松政太夫さんらお弟子さんも順調に育って、幸せのなかでの大往生だったものと信じる。心からご冥福をお祈りします。
[BGM]『説経節 初代若松若太夫』。二代目若松武蔵大椽さんが二代目若松若太夫名義で残したカセットテープ、いくら探しても出てこない(LPレコードは実家にあるし、CD化はされていないはず)。代わりに、初代若松武蔵大椽が初代若松若太夫名義で残したSPレコードを復刻したCDを聴く。初代は、一時下火になっていた「説経節」に義太夫や新内や薩摩琵琶の要素を取り入れ(三味線弾き語りのスタイルを始めたのも初代だ)、「説経節」の人気を復活させた革命児(他の邦楽家が初代の演奏を聴いて、どのように三味線を弾いているのかさっぱり見当がつかなかったという逸話が残っている)。芸の本質は初代も二代目も同じ(声質もそっくりだ)。初代の方がやや繊細で、ニュアンスが複雑。「石童丸」「小栗判官」「葛の葉」などの名演を所収。間違いなく、日本の大衆芸能の最高峰だ。

10月28日(木) asahi.comの「2代目」って表記はちょっと変。
[日記]ホントは昨日の日記に書こうかと思ってたんだけど、昨日の日記は純粋に追悼の気持ちだけを表したかったので。
二代目若松武蔵大椽(わかまつ・むさしだいじょう)さんの死去を報じたasahi.comを見たとき少し違和感を覚えたことがあった。「2代目若松武蔵大椽」って表記になっていたのだ(ここを参照)。あのねえ、アメリカの大統領じゃあないんだからさぁ。
そりゃあ、銀河も横書きの文章では漢数字の代わりに洋数字を使うのがふつうだ。例えば、「第20代大統領」とか「第40代横綱」とかだったら洋数字の方がわかりやすくていいよね。でも、芸人さんの何代目ってのは、固有名詞(つまりその人の名前)の一部と言ってもいいんじゃないのかな(むかし、ある落語家さんもそのような趣旨のことをおっしゃっていたと記憶しているんだけど、どなたの発言だったか忘れてしまった)。銀河の戸籍名には漢数字の「一」ってのが含まれる。仮に「一美」とでもしておこうか(笑)。この名前は「初めて生まれた子」って意味も込めてつけられたものだから、たしかに数字の「一」の意味合いは残っている。でも、だからと言って「1美」って表記されたら、怒っちゃうよね(戸籍名に対する愛着は結構あるんだ)。「二代目」を「2代目」って表記するのはこれとあまり変わらないと思うんだけど。
どう答えてもらえるかわからないけど、試しに
asahi.comに投書してみますね。

10月29日(金) グラファイトの新型iMacをチェック、これはいい。
[日記]午前中の授業を終え、仲のよい同僚の女性と昼食(金曜日の恒例)。英語科の教材の内容について意見交換をする。
その後新宿へ出て、西口のT-ZONEでグラファイトの新型iMac(iMac DV Special Edition)をチェック。グラファイトのiMacの実物を見たのは今日がはじめて。期待以上だった(iBook同様、写真よりも実物の方が断然よい)。5色のフルーツカラーの新型iMac(iMac DV)の色と質感がいまひとつ好きになれなかったので(10月19日の日記を参照)、グラファイトに対しても期待半分、不安半分だったのだが、あの光沢のある質感はほとんど透明と言ってもよいグラファイトカラーにはぴったりだった。とにかくカッコイイし高級感もある。一見しただけで気に入ってしまったが、ボディーをペタペタなでまわしながら内部をじっくり観察し尽くす。とにかく、いくら眺めていても飽きないってのがいいよね。話題のiMovieも少々いじってみる。細かなことはわからないが、操作感はよい。これは買いかもしれない。というわけで銀河的には、タンジェリンのiBook、そしてグラファイトの新型iMacというのが、購入したい順番。
夜は長*さんと食事。9時近くまで長*さんの事務所で過ごしてから帰宅。
[BGM]Magida Al Roumi,"Ouhibouka Wa Baad...." レバノンの人気ナンバーワン女性歌手の座は長らくファイルーズが占めてきたが、ここに来てそれに並ぶ勢いなのがマージダ・ル・ルーミー(1957年生まれ)。どんどん電子化しダンス音楽の色を強めるエジプトやアルジェリアや湾岸諸国などの他のアラブ圏の現代ポップ音楽 とは違い、レバノンではオーケストラをバックにアラブの伝統音楽と西洋の音楽文化との融合をはかる正統派歌謡(伝統的アラブ歌謡のメロディーに西洋風のハーモニーがつき、アラブの民族楽器と西洋の楽器が無理なく同居する)が人気を集めている。このCDは発売されたばかりの最新盤。円熟期にあるマージダの最高作と言ってもよい。ファイルーズよりもさらに西洋色の強いサウンドだが、少し暗めの曲調にしっとりとした艶やかさを持つマージダの歌声が心地よい。

10月30日(土) 奈々さんのお宅でオフ会。楽しかった。
[日記]奈々さんのホームページのオフ会が奈々さんのご自宅で開催された。参加メンバーは、奈々さん、みどり子ちゃん久美ちゃん、NOVAさん、玲奈さん、そして銀河の6人。もともとはみどり子ちゃんのホームページの伝言板の書き込み仲間だったのだが、奈々さんがホームページを開設したのに伴い、奈々さんのページの伝言板(ここの書き込みはどれも長文で力が入っている)でも交流している面々だ。みどり子ちゃんと久美ちゃんは新宿2丁目にあった伝説の女装スナック「サイクル」(97年7月閉店)のスタッフ(久美ちゃんがママ)だった人たちで、3年来のおつきあい。NOVAさんとは新宿デビューが(つまり新宿にあるアマチュア女装系の飲み屋さんで遊び始めたのが)ほぼ同じころ(NOVAさんの方が半年早い)で、その手の飲み屋さんや「TSとTGを支える人々の会(TNJ)」の集まりなんかでときどき顔を合わせる。初対面だったのが奈々さんと玲奈さん(お会いできるのが楽しみだった)。
5時に奈々さんのご自宅の最寄りの駅で待ち合わせ。初めて訪れる土地だったので所要時間の計算を間違え、10分ほど遅れて到着。すでにNOVAさんが来ている。NOVAさんに挨拶をしてると、隣に立っていた若々しくてすごくカッコイイ男の人がこちらにチラチラ視線を投げかける。あれっと思っていると、それが男性モードの奈々さんだった。奈々さんのホームページの日記の内容(ボヤキがおもしろい)から察してもう少し年輩の方だと思っていたので、すごくビックリする。しばらくして玲奈さんも登場。男女の性別を超越したようななんだかとても素敵な人だ。みどり子ちゃんと久美ちゃんは所用があって遅れるらしいので、4人で奈々さんの家へ向かう。
高層住宅の奈々さんの部屋は、ひとりで暮らすにはもったいないくらい広々として優雅だ。さっそくワインで乾杯。お酒がまったく飲めない銀河もひとくちだけおつきあいする。まずは最近イタリアへ行って来たばかりのNOVAさんのおみやげ話からスタート。
7時ごろにみどり子ちゃんが到着。音楽の話題、外国の話題、仕事の話題。話はますます盛り上がりをみせる。10時に仕事帰りの久美ちゃん(スーツ姿の男性モード)が到着するころには、みんなすっかりできあがっている(お酒の飲めない銀河は雰囲気に酔っていました)。いちばん年上の銀河(たぶん)からいちばん年下の奈々さんまで年齢差は10歳以内。年齢が近いせいか昔話でも盛り上がる。ワイワイやりながらも、大人同士の落ち着いた雰囲気が心地よい。妙に盛り上がった話題は女子大に集団入学する方法について。日本女子大にすることに決めた(勝手に決めてしまった)。男性モードの久美ちゃんは半分セクハラおやじ化している。
終電の関係もあって11時半過ぎにおいとま。新宿に出て、長*さんの待つ「ジュネ」(いわゆる女装スナック)へ。またまた風邪をひきかけた銀河は、お店のスタッフのあきひさんと未央さんからお薬をわけてもらって、長*さんともども熟睡モードに入ってしまった。

10月31日(日) 「ガジュツ錠」(長*さんの会社の製品)の宣伝(笑)。
[日記]治ったばかりだったのに、また風邪をひきかけている。もうこれ以上は仕事を休めないし、風邪で倒れていたあいだに仕事(原稿書き)がたまってしまっている。ここでまたひどくしたら大変なので、部屋中を暖房でガンガンに暑くして休養につとめる。こういうときは「ガジュツ」でうがい。
銀河の彼氏の長*さんは薬屋さんの社長(零細企業だけどね)。その長*さんの会社の主力製品が「ガジュツ錠」。これは屋久島原産の「ガジュツ」(ショウガ科の多年草植物)の根茎の粉末を錠剤にしたもの。本来は胃薬なんだけど、炎症を抑えるはたらきがあるそうで、いろんな場合に使える。例えば皮膚が荒れたときには、「ガジュツ錠」を砕いて粉に戻し水で溶かして荒れた皮膚に湿布すると、すぐによくなる(5月8日の日記を参照)。傷口の消毒にもいいし、目薬代わりにもなる。もちろん胃薬としては最高。で、風邪をひきかけたときには、「ガジュツ」の粉でうがいをするのがいちばんなんだ。
500錠入りで3600円。お安くなっております。薬事法の関係で、欲しい方には銀河が売るとは言えないんだけど、仲介はしますので(笑)ぜひご連絡ください。
[BGM]へぼ詩人の蜂蜜酒『RELIABLE FICTIONS』。「へぼ詩人の蜂蜜酒」っていうユニット名だけど、実質上は全曲を作詞作曲している木村真哉って人のソロ。バックは、大熊亘、向島ゆり子、関島岳郎といったジャズ系の人たち(渋さ知らズだとかソウル・フラワー・ユニオンあたりの人脈だ)。94年発表のこのアルバムは愛聴盤のひとつ。ジャズミュージシャンをバックにした鈴木慶一っていうか、ジャズ風ムーンライダーズっていうか、そんな雰囲気(詩もサウンドのニュアンスも)。残念ながら木村真哉って人のことについてはよくわからない。くわしいことを知っている方はぜひ教えてください。


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