1999年5月上旬の日記

エリザベスに通わなくなって何が大きく変わったのかと言えば、長*さん(銀河の彼氏)と会う時間が増えたことでしょうか。実際この時期以降、長*さんとの関係はさらに親密なものになりました。新しい日常が始まった記念すべき10日間です。(1999年9月1日記)

5月1日(土) 久しぶりにりのの顔を見ることができたのだけれど。
[日記]ゆっくり休んで、家を出たのは遅め。ひとりでお茶を飲んでから、長*さん(銀河の彼氏)の待つ「ジュネ」へ。到着は12時少し前。今日はなんだかベタベタしていたい気分。で、ずっとベタベタしていたら、3時頃、渡辺美樹(=理沙)大先輩と南麻衣子さんがデパートメントH(毎月第1土曜日に渋谷オンエアウェストで開催されるドラァグクイーン系のイベント)帰りでご登場。しばらくすると、お久しぶりの仙台の小谷理美ちゃん(実年齢で銀河とタメ)とEON(有名な女装系のパソコン通信)のボス神名龍子さんがご来店。女装している神名龍子さんを見るのは初めてだったんで目が点になる。早速、銀河のホームページの広報活動をしておく。
そろそろりのたちがデパHから新宿に戻って来て「たかみ」にいるはずだというので、4時頃、長*さんを「ジュネ」に置いたまま「たかみ」へ。すでに、小宮はるみちゃん、りの(大学の後輩だから敬称略)、相原菜摘ちゃん「エリザベス」亀戸店御一行様(もう私はそのカテゴリーには入らないんだ)が到着していた。みんなすごく久しぶりだったし、いろいろと心配してくれていたりのが元気そうだったので、一瞬涙が溢れてきそうになるほどうれしかった。とりあえず、その瞬間まではね。やがて、麻衣子さんも「たかみ」に登場。いつものメンバーでいつも通りエッチな展開。だけどね、はるみちゃんやりのや菜摘ちゃんたちがエッチ方面で盛り上がれば盛り上がるほど、銀河の気持ちはどんどん冷めていった。なんだか異郷にひとりで放り出されたようで心細くて怖かった。長*さんのいる「ジュネ」に逃げ帰ろうかと、本気で何度も思った。なんでだろ。みんな大好きなお友だちなのに。目の前にいるのに、ものすごく遠い世界の人たちみたい。何も通じ合わない。帰りがけ、麻衣子さんが「亀戸」の名を口にした時、全身が凍りつきそうになった。りのからは『くいーん』(アマチュア女装誌)最新号の銀河の写真のところにサインしてくれと頼まれた。みんなにも同じことを頼んでいるらしくて、りのの『くいーん』はサインでいっぱいだった。思わず本名でサインした。りのにはその意味がわかっただろうか。
長*さんと一緒に過ごす時間は幸せだ、どこにいても。ルルや香澄と過ごす時間も幸せだ、どこにいても。ひとりっきりでいるのも大好きだ。孤独には慣れているし、孤独と付き合う術も十分にわきまえている。だけどね、長*さんもルルも香澄もいない「女装の遊び場」は、今の銀河にはつらくてたまらない。何かが違うんだ。たぶん、そういうことなんだろう。
長*さんと「シエン」でお茶を飲み、屋台村に寄った。早めに帰ることにして、朝8時半には新宿を出た。家の近くのコンビニで買い物をしている時、たまたま流れてきた中島みゆきの歌を聞いているうちに、涙がポロポロこぼれてきた。そんな自分の脆弱な精神がイヤだった。たまらなくルルの声が聞きたくなったが、連休中は大学の通信教育のスクーリングで忙しいことを思い出し、電話をかけるのはやめておくことにした。
[回想記]1996年9月に初めて女装会館「エリザベス」(趣味で女装する人たちが集う健全なお店)を訪れたとき、強烈な違和感を覚えました。ものすごく申し訳ない言い方になってしまいますが(とある活字媒体でも同じ発言をしたことがあります)、「お化け屋敷」に来てしまったという気持ちになったのです(自分のことを棚に上げてごめんなさい)。それでもスタッフの方々の対応が暖かかったので2回3回と通ううちにだんだんと慣れてきて、いつの間にかその雰囲気に同化していました。初めて新宿の「女装スナック」(趣味の女装者と女装者に興味を持つ男性を主たる対象にする飲み屋さん)に遊びに行ったときも、同じような違和感を抱きました。この日「たかみ」(素敵な「女装スナック」です)で感じたのはそれと同じ質の違和感でした。なによりも大切なお友だちに対してそのような気持ちを抱いてしまったことがショックでした。本当に逃げて帰りたい気分でした。ところでりのは、銀河が本名でサインした意味(私は女装者ではないというメッセージ)を十分にわかってくれていたようです。(1999年9月1日記)

5月2日(日) iMacのCM。
[日記]湿っぽい日記は昨日で終わり。今日は一日中、明日以降の授業の準備をしていた。思ったより時間がかかってしまった。
ところで、銀河が自分のコンピューターを所有したのは、実は今回で3回目。初めてのコンピューターを手に入れたのはもう12年ほども前のことで、まだMS-DOS以前の8ビットマシンの時代。確かNECの8801SRとかいうやつで、ゲームマシンとして以外には使い物にならなかった。もっぱら「ウィザードリー」というRPGゲームの元祖みたいなのをプレイしてただけ。ゲームならファミコンで十分、仕事に使うならちゃんとしたワープロ専用機をというわけで、すぐにお蔵入りになってしまった。2台目は4年ほど前。勤務先の学校の研究費を使ってもよいと言われて、タダでならということで当時話題になっていたMacのパフォーマ630とかいうのを買ってもらった。Macにしたのは単なるスノビズム。だけど、音楽やプロレスのCD-ROMを買ってきて眺めていたり、マキガメとかいうゲームをもらってやっているうちに飽きてしまった。仕事ならワープロ専用機で十分だし、わざわざ複雑そうなパソコンの使い方なんて覚える気にもなれず、引っ越しの時段ボール箱につめたきり2度と日の目を見ることはなかった。というわけで基本的な使い方も用語も何も覚えないまま、パソコンは私にはどうもねということになってしまった。ソニーのVAIOが出た時にもお友だちに勧められたけど食指は動かなかった。ところが、去年の秋iMacが出た時はやっぱりちょっと欲しくなりましたね。でもそれでも買わなかった。やっぱり引き金は5色のiMac(ライムかストロベリーかで迷った)、それもテレビでローリングストーンズの"She's a Rainbow."をバックにくるくる回るCMを見た時(ストーンズファンなの)。ちょうど、りのちゃんが自分のホームページを作って仲間内でもよくその話題が出てたので、これを買って私もホームページとやらを作ってみようと思いましたね。そのきっかけになったCMはアップルのホームページのここで見ることができます。で、ダブルクリックだのカットアンドペーストだの超基本的なことから覚え始めて(ホント何もできなかった)、なんと2週間後にはホームページをアップロード。最初はりのに作ってもらおうと思ってたのに、全部自分でできて超感激でした。だけど、作りながら何度もわけがわからなくなって、解説書を買い込んできたり、プロバイダーのサポートデスクにメールで何回も質問したり。でもね、そういう試行錯誤が実は楽しいんだよね。おかげでHTMLも多少は使えるようになったし。
[回想記]TV/TG/TS(用語についてを参照)関係の話題から逃げ始めていますね(銀河がホームページ上でコンピューターや音楽の話をしはじめるときはだいたいそうです)。ところで、今回なんとかMacの使い方を身につけることができたのは、ホームページを作るという大目標があったからです。元来勉強好きな性格だもので、今日に至るまで山ほどの解説書と雑誌を買い込んでしまいました。現時点ではCGIとREALbasicの参考書を読みふけっています(難しくてまだ何もできませんけれどもね)。どうもハードウェアよりもソフトウェア、特に自分でプログラムを組んだりする方面に興味があるようです。(1999年9月1日記)

5月3日(月) 心穏やかな1日。
[日記]午前中は仕事。ただし連休中は夜の現役高校生のクラスがお休みになるので、午後からはフリーになった。仕事と体調に関しては絶好調だ。
新宿に出て長*さんとお昼を食べお茶を飲み、その後夕方までひとりで新宿西口のパソコン関係の店を見てまわる。「ことえり」(Macにくっついてくるインプットメソッド)があんまりバカなんでATOK12を買おうかなとか、そろそろプリンターもほしいなと思ったり、うちのiMacと同じストロベリーのグッズ(マウスパッドとか)に心を惹かれたりしながらも、連休前にお金をおろし忘れていたので指をくわえて見ているだけ。
いったん自宅に戻り、9時半に長*さんの事務所へ。しばらく事務所でくつろいでから夕食をとり、早々とホテルへ。ベタベタしてるとりのから電話がかかってきたりした(元気そうでよかった)。その後は朝までぐっすり寝て、いつも通りルノワールのモーニングセット。長*さんの事務所で今度扱う製品のビデオを見てから、午前中には帰宅。特別なことは何もないけど、心穏やかな1日でした。
[回想記]りののことばかり書いていますね。告白しましょう。愛してます(そんなことみんなわかってますけどね)。(1999年9月1日記)

5月4日(火) 新宿西口「嵯峨野」はサービス満点の居酒屋。
[日記]香澄と待ち合わせして、6時少し前に新宿西口の居酒屋「嵯峨野」へ向かう。長*さんの呼び掛けで親しい仲間が集まって一杯やるという趣向だ。3人の他は「ジュネ」(歌舞伎町にある女装スナック)関係者ばかりで、かおるママ、従業員のまさみさん、そして常連客の女性。
この日記にも何回か出てきている「嵯峨野」は、西武新宿駅脇の大ガードを抜けたところにある交差点の角のビルの8階(パチンコ店のはす向かい、宝くじ売り場の隣)にある居酒屋。お安くてサービス満点、料理はおいしくて雰囲気もよい店で、銀河も長*さんと一緒によく利用している。今回は焼酎1本と、牛のたたき6人前などがサービスで(つまり無料で)出てきたりしたため、3時間飲み食いしても1人あたりたった1700円という値段。好きな仲間に囲まれて長*さんも上機嫌。銀河は途中で眠くなって、香澄の肩に頭をのせて寝てましたけど。
その後、長*さん、香澄、まさみさん、銀河というメンバーでお茶を飲んで、10時には帰宅。なんということもない1日だけど、昨日に引き続きリラックスできました。
[回想記]「嵯峨野」は本当にいいお店です。長*さん(銀河の彼氏)と銀河も週に3回は利用しています。よかったらぜひお立ち寄りください。(1999年9月1日記)。
              
5月5日(水) 金延幸子って知ってる?
[日記]いつもの水曜日だったら一日中仕事で疲れ果ててしまうのだが、連休中は夜の現役高校生のクラスがお休みなので、午前中で仕事から解放される。急いで新宿へ向かい長*さんとお昼を食べお茶を飲む。連休前にお金をおろし忘れたこともあって超貧乏なので、早々に自宅に戻る。仮眠をとった後、テキストの執筆、いただいたメールへの返事、ホームページ用の原稿書きなどに没頭し、パソコン雑誌を読みながら金延幸子の新譜"Sachiko"を聴く。25年程前に名盤「み空」を発表した元祖シンガーソングライターの、久保田真琴プロデュースによるファンキーな新作。はっきり言って宇多田ヒカル100人分くらいのパワーです。この人とか吉田美奈子とかって大好きなんですよね(もちろんSandiiも)。で、今日は早めにお休み。
[回想記]金延幸子は日本のロックの黎明期にはっぴいえんどなどとともに活躍し、名盤「み空」(大瀧詠一プロデュース)を残して渡米(ロック評論家のポール・ウィリアムズと結婚したため)。その後アメリカのインディーズシーンで活動を続けていました。最近になって離婚し、活動の拠点を日本に移したようです。この四半世紀、日本のロックが商業主義の渦のなかでどんどん変質していったのに対し、アメリカの地で純粋培養された日本のロック黎明期の魂は、現在のシーンのなかで鮮烈な光を放っています。ワールドミュージックの要素を大幅に取り入れた新作"Sachiko"は、これぞまさにロックと言える一枚です。(1999年9月1日)

5月6日(木) お買い物の一日。
[日記]仕事は午前中で終わり。大宮で昼食をとり少しぶらぶらした後、都内に戻って久しぶりにホルモンを打ちに行く。連休前に行きそびれてしまったので4月19日以来だ。その後新宿に出てお買い物。連休中お金がおろせずに超貧乏だったので、反動でたくさんお金を使う。まずは丸井の地下のヴァージンでCDを4万円分。ワールドミュージックが中心だったが、マレーシア歌謡のおもしろそうなやつを何枚か当てずっぽうで買った。聴いてみてのお楽しみ。収穫と言えば ザ・グリースバンド(これはロック、UKスワンプというジャンル)の71年発表のファーストアルバムのオリジナル仕様のCD復刻盤を見つけたのには狂喜した(高校生の頃の愛聴盤だったんです)。あとはハミングバード(第2期ジェフ・ベック・グループのメンバーによるバンド)が見つかれば言うことないんだけど(でもこんなこと書いても誰もわからないだろうなぁ)。次に西口にまわりソフマップに寄る。今回の買い物の最大の目的はATOK12。早速使い始めているのだが「ことえり」と違ってストレスなく日本語入力ができますね。うれしい。あとは、iMac用個人情報管理ソフトの「コマンド・アイ」っていうやつとか平凡社のマイペディア(百科事典)とか仕事用に研究社の「英和活用大辞典」(これがなくては仕事にならない用例辞典)のCD-ROM版を買い込むが、時間がなくてまだ試していない。そうそう、ストロベリーのiMacとおそろの色のキーボードカバーとかハンディブラシとか電源タップとかもつい買ってしまった。なんやかんやで今日一日で10数万円使った。気分爽快。
6時に「嵯峨野」で長*さんと夕食。長*さんの仕事上の知人の方も同席なさっていたが、「私、長*さんの彼女よ」って感じでふるまってしまった。それを許してくれる長*さんが好きです。いつも通り、長*さんとヴェローチェでお茶を飲んでから帰宅。疲れたのですぐに寝た。
[回想記]豪快な買い物こそが気分爽快の素です。バブルの頃は一日に100万円使うなんてこともありました(バカでした)。ザ・グリースバンド(The Grease Band)はジョー・コッカー(ウッドストックでの熱演が印象的)のバックをつとめていた超ファンキーなバンドです。ファーストアルバムはレオン・ラッセルのシェルター・レーベルからリリースされました。粘りのあるR&Bっぽいサウンドで、イギリスのザ・バンドなんて言われていました。リーダー格のヘンリー・マックローは後にポール・マッカートニー・アンド・ザ・ウィングズのメンバーとなりました。(1999年9月1日記) 

5月7日(金) お肌にトラブル。
[日記]数日前からお肌の具合がよくない。腕や脚がかぶれたようになったりしてつらいなぁと思っていたら、今朝起きてみると、あごからのどにかけて湿疹ができていた。ひどい状態だし、かゆい。お化粧なんてするとヤバいんだけど、仕事に行くのにお化粧をしないわけにはいかないので(お化粧は身だしなみだし、いまさらノーメイクで仕事には行けない)、パウダリーファンデで薄塗りしてごまかす。仕事は午前中だけなので何とか我慢することにした。仕事が終わり速攻で自宅に戻ってお化粧を落とす。朝よりも悲惨な状態。真っ赤になって、まるで虫刺されがたくさんできたようにデコボコだ。それにすごくかゆい。帰りがけに薬屋で急遽調達した皮膚薬をとりあえず塗っておく。長*さんに連絡してよい皮膚薬を用意してもらえるように頼む(長*さんは薬屋の社長さん)。少なくとも今日明日の休みの間はお化粧をしないで過ごすことにする。
で、夜は新宿に出て長*さんと会う約束になってたんだけど、お肌の調子が悪いんでなんとなく気が進まないまま、夕方ごろからついウトウト寝込んでしまう。ふと気がつくと、もう夜中の12時を過ぎていた。携帯にも長*さんが心配して何回も連絡をくれていた様子。ちっとも気がつかなかった。あわてて長*さんの携帯に電話する。今日はこのまま家にいる旨を伝える。ごめんね、約束してたのに。それにすごく心配してくれてありがとう。夜が明けたら、どっかで会いましょう。
[回想記]どうもここ数日使っていた基礎化粧品(の試供品)が原因だったようです。本当に大変でした。長*さんに心配をかけたのが申し訳なくて、電話口でわんわん泣いてしまいました。(1999年9月1日記)

5月8日(土) お肌にトラブルの続編と、香澄と会ったこと。
[日記]朝7時過ぎに新宿へ向かい、長*さんと朝食。その後長*さんの事務所で、ガジュツ(屋久島産の薬草、長*さんの会社の主力製品の原材料)の粉を水に溶いたもので湿布をしてもらう。何分かごとに塗り直しているうちに赤い腫れは引いてくる。かゆみもだいぶ治まった。手当てをしてくれている最中、昨日の晩は本当に心配だったんだというようなことを繰り返し何回も言われる。ごめんね。そしてありがとう。長*さんがお仕事で横浜に向かうということで、ガジュツの粉を分けてもらい、お茶を飲んでいったん別れる。昼前には自宅に戻る。
いろいろと仕事を片づけたりウトウト昼寝をしてから、夜9時半過ぎに「嵯峨野」に長*さんを迎えに行く。またガジュツで湿布をしてもらったりしながら11時まで「嵯峨野」で過ごす。その後「シエン」(深夜喫茶)に移動。「エリザベス」亀戸店帰りの香澄の到着を待つ。当初は香澄とだけ待ち合わせの約束をしていたのだが、りの菜摘ちゃんも来てくれる。うれしかった。しばらく雑談で盛り上がる。1時頃、長*さんは「ジュネ」へ、銀河、りの、菜摘、香澄の4人は「たかみ」へ。「たかみ」は立ち飲み客が出る盛況。中澤清美ちゃんは所用でお休みだったが、久しぶりに足立区(というあだ名の女装の子)に会えた。しばらくすると都美也子ちゃんや、なんと新宿初登場の鏡アッコさん(!)も登場。店に入った直後からずっと「ここだけホモバー」ノリだったりの&菜摘は、気分を盛り上げるためにウィッグをつけテキトーに着替えて、本格的なラヴラヴ状態へ。今日は店全体がエッチモード。銀河と香澄だけはエッチとは無関係にまったりしてたけど、5月1日の時と違って、不快感は覚えなかった。香澄からホームページ用の原稿の一部を受け取ったので、週明け早々にはアップロードできそう。だけど心配なのは、香澄が今日のエリザベスで楽しく過ごせなかったらしいこと(二次会は楽しかったと言うんだけど)。例によって銀河は途中から寝込んでしまったので、ゆっくり話を聞いてあげることができなかった。ごめん。数日中にもう一度連絡をとって、じっくり話をしよう。閉店後、香澄は会社の野球大会があるので速攻で帰宅。りの&菜摘は2人っきりのラヴラヴの場(この日記にも何度も登場している銀河愛用のレンタルルームを教えてあげた)へ移動した模様(真相はりのと菜摘ちゃんのホームページの日記で確認してください)。銀河は長*さんの待つ屋台村へ。この後の展開は日曜日の日記へと続く。
[回想記]ガジュツはウコンと同じ科の薬草で、屋久島では昔から万能薬として使われていたそうです。基本的には胃薬なのですが、傷の手当、肌のトラブル、虫歯、目の疲れなどさまざまな場合に、その粉を使うことができます。長*さんの経営している会社の主力製品は、このガジュツを錠剤にしたもの。500錠入りで3600円。銀河はこれが手放せません。欲しい方は銀河までご連絡ください。ところで、りの&菜摘はこの日以後レンタルルームが癖になってしまったようです。(1999年9月1日記)

5月9日(日) 午前中は長*さんと一緒、午後は仕事の準備。
[日記]昨晩からの続き。「たかみ」閉店後、長*さんの待つ屋台村へ。5時半頃から8時半頃までいたが、その間ほとんど銀河は眠っていました。9時前には長*さんの事務所へ。またまたガジュツで湿布をしてもらい、10時過ぎまで2人してウトウト。その後、ヴェローチェで軽食をとり、新宿西口の最近できた高層ビル1階の広場みたいなところでソフトクリーム。なんか「デート」みたいで楽しい。特別にどっかに行くんじゃなくてこういう風に休日の午前中にのんびりと2人で過ごすのっていいなと思った。
正午には自宅に戻る。今日も仮眠をとったり、授業の準備をしたり、ホームページ用の原稿を書いたりして1日が過ぎていく。
[回想記]この頃から、特別になにかをするわけでもなく長*さんと2人でまったりと過ごす時間が増えてきました。同時に、長*さんと過ごすときはノーメイクでいることが多くなりました。とにかく長*さんと一緒にいると心が安らぐんです。(1999年9月1日記)

5月10日(月 ) まったりとした夜。
[日記]仕事が終わって帰宅したのが夜8時。今日はお肌の具合、ずいぶんよくなった。シャワーをあびたりお茶を飲んだりしてウダウダしてたら、家を出るのが10時半に。「たかみ」に直行して帰宅直前の桂木美穂ちゃんとお話しする。少し風邪気味みたいなので心配だ。その後は女装の子が1人来ただけで、2時半過ぎくらいから高美さんとふたりっきり(結局朝まで他には誰も来なかった)。しばらく高美さんとゆっくりお話しする機会がなかったので、今回の『くいーん』のことや「エリザベス」のことについていろいろと事情を説明し、高美さんの意見を聞かせてもらった。ところで、高美さんも銀河も最新号のカラーページ「歴代フォトコン大賞受賞者のコーナー」に編集部の求めに応じて写真を出したのに、掲載号が送ってこないの。いつもはそういう時は(原稿や写真を投稿した時は)送ってくれるはずなのに。誰か事情をご存知の方、どうなってるのか教えてください。で、そうこうしてるうちにいつものように銀河はウトウトし始め、ふと気がつくと、高美さんはひとりで本を読んでたりして。いつものように軍艦とか落語の本とかなんだろうか。閉店後「ジュネ」に向かい、長*さんをピックアップして「シエン」へ。7時過ぎまでふたりでウトウト。その後、平日の朝ということでご休憩料金に切り替わったホテルへ入る。いろいろあって、11時過ぎにチェックアウト。マック(マッキントッシュじゃなくてマクドナルドね)で朝食をとり、お昼には帰宅。つまり、よくある普通の一日だったというわけだ。
[回想記]村田高美さんと2人であれやこれやとお話しする時間が好きでした。高美さんは銀河よりお年は下なのですが、この世界では大先輩。プロになる前は『くいーん』や「エリザベス」の看板スターで、単なる読者だった銀河のあこがれの人でした。とてももの知りで賢くて言葉遣いのていねいな素敵な方です。高美さんがママをなさっている新宿ゴールデン街の「たかみ」(03-3209-7416)、よかったら一度遊びに行ってみてくださいね。(1999年9月1日記)


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Sometimes I feel I don't belong here.