作者別一覧
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JONATHAN HARR
ジョナサン・ハー



「シビル・アクション」（原題：A CIVIL ACTION）上下
形態文庫 種別ノンフィクション 部門長編
出版新潮文庫 値段￥743+705 初版2000-02-01
 総合－
 ストーリィ☆
 技術－
　2003年の年末年始、仕事に出たは良いが近年稀に見る豪雪と積雪、それにともなう路面の凍結で外回りの仕事に出られず待機指令が出たとき、内務仕事をサボって読んだという思い入れ深い作品。
　著者の処女作にして、ＵＳＡ <タイム> 紙のベストブックス、ノンフィクション部門３位受賞作。また、全米批評家賞最優秀ノンフィクション賞受賞、全米図書賞候補作にもなった。
　原書は日本語版の翻訳者、雨沢泰氏による巻末解説にもあるように、1995年にメジャー映画化の鳴り物入りで本国ＵＳＡで刊行されたベストセラー・ノンフィクション。
　原題「A CIVIL ACTION」は、直訳すると「ある民事訴訟」となる。このシンプルなタイトルが物語るように、本書は水質汚染による公害民事訴訟で、大企業を相手に戦った原告団と原告側代理人を務めた若き弁護士の奮闘を描いたノンフィクションである。

　ただ、話は古い。本書は1960年代後半の訴訟を描いている。ボストン郊外の町ウォーバーンで、急性リンパ性白血病（ＡＬＬ）を発症する子供が相次いだことから、全ては始まった。白血病を患った子を持つ８つの家庭が、その原因を産業廃棄物による水源汚染であるとし企業２社を相手取った民事訴訟を起こした。
　住民側の弁護人として調査を担当するのは、経験は浅いものの自らが借金を重ねてまで調査費用を捻出しようとする情熱家の若き弁護士、ジャン・シュリントマン。彼は住人側の主張を通し、２社からアメリカ合衆国史上最大の賠償金を勝ち取ろうと奮闘する。
　流石に実際にあった出来事をノンフィクションとして本にしただけあり、様々なところで事件にリアリティを感じさせる。同じ被害者でありながら主張や経済状態、価値観の相違から決して一枚岩にはなり得ない被害者の各家庭。シュリクトマンの武器である、情熱と若さだけではどうにもならない現実の壁。原告側、被告側それぞれの思惑と立場……実際にこの世に生きる人間たちの、血の通った物語なのだということを、随所から窺わせてくれる良作だろう。
　現実にあった話だが、その辺のリーガルサスペンス（法廷推理小説）などより断然読み応えもある。結末もまた物語にありがちである安直なハッピーエンドではない。

　――ただ、本国アメリカと比較して、日本ではリーガルサスペンスはあまり評価されない。これは要するに、日本の裁判制度が一般人に近しいものではないこと、閉ざされた彼岸の存在であるため欧米ほど文化的に成熟していないからだ。
　アメリカやヨーロッパなどでは、一般人が「陪審員」として刑事・民事裁判で大きな役割を果たす。欧米社会の文化人にとって、裁判とは非常に身近な存在であり、時に良質なエンタテイメントとして認識される存在なのだ。事実、アメリカでは <Ｏ.Ｊ.シンプソン> や <マイケル・ジャクソン> などの大スターがスキャンダラスな事件の容疑者として法廷に立たされ、裁判の模様はＴＶカメラを通して全土の全家庭に放映される。コートＴＶという裁判専門のチャンネルがあり、専門家や評論家を招いて、激論が交わされる。無論、こうした話題性の高い裁判は民衆から大きな注目を得、それは視聴率として数字に現れる。
　こうした文化的な裏付けがあるからこそ、欧米社会の人々はリーガルサスペンスを日本人より楽しめる。Ｒ.Ｎ.パターソンや、グリシャムがベストセラーになるのは、だからなのだ。
　その辺りの事情を考えると、アメリカ本国で高い評価を得た本書だが、日本で同等の反響を呼ぶことができるか、また出来たかを考えると疑問符がつく。やはり、社会性や文化の成熟度の差なのだろう。日本人に対して積極手にプッシュできないのが残念ではあるが、星に関してはやはりその点を加味しないわけにはいかない。
2004/02/17



ROBERT A. HEINLEIN
ロバート・Ａ・ハインライン



「夏への扉」（原題：The Door into Summer）
形態単行本 種別博士論文 部門－
出版早川書房 値段￥1400 初版1994-03-31
 総合☆☆
 ストーリィ☆☆
 技術☆
　実績と実力、経験と評価を備えた大御所作家を称えるため、英語圏文学界は良く『BIG-3（御三家）』 という表現を持ち出す。サイエンス・フィクション界におけるそれは、即ち「アイザック・アシモフ」「アーサー・Ｃ・クラーク」そして本書の著者、「ロバート・Ａ・ハインライン」の３人がそうだ。

2004/02/17



ROBERT B. PARKER
ロバート・Ｂ・パーカー



「ハメットとチャンドラーの私立探偵」（原題：The Private Eye in Hammett and Chadler）
形態単行本 種別博士論文 部門－
出版早川書房 値段￥1400 初版1994-03-31
 総合－
 ストーリィ☆
 技術☆
　実績と実力、経験と評価を備えた大御所作家を称えるため、英語圏文学界は良く <御三家> という表現を持ち出す。たとえばサイエンス・フィクション界であれば「アイザック・アシモフ」「アーサー・Ｃ・クラーク」「ロバート・Ａ・ハインライン」の３人がそうだ。
　ではハードボイルド・ミステリ界の <ＢＩＧ３> ――すなわち御三家はというと、「ダシール・ハメット」「レイモンド・チャンドラー」「ロス・マクドナルド」の３名が通説して挙がる。
　本書は、 <スペンサー・シリーズ> やレイモンド・チャンドラーの遺作 <プードル・スプリング物語> を引き継いで完成させたことで有名なハードボイルド作家、ロバート・Ｂ・パーカーによるもので、先に挙げたハードボイルド・ミステリ御三家の作品を題材として研究、1971年にボストン大学大学院で博士号を取得するために提出した博士論文を編集したものである。
　論文本来のタイトルは『暴力的なヒーロー、未開原野の伝統と都会の現実、ダシール・ハメット、レイモンド・チャンドラー、ロス・マクドナルドの小説における私立探偵の研究：The Violet Hero, Wilderness Heritage And Urban Reality : A Study of The Private Eye In The Novel of Dashiell Hammett, Raymond Chadler And Ross Macdonald』で、これをパーカー本人が一般向け書籍用に編集したのが本書ということになる。この博士論文のタイトルと本書タイトルを見比べてみると分かるように、元の論文にあったロス・マクドナルドの名が本書のタイトルには見当たらない。編集の課程で、ロス・マクドナルドに関連する項目を大幅に切り捨てた結果である。

　本書は全６章からなり、最初の３章でアメリカ文学の特性をフロンティア、プロテスタント倫理、自然、都市化といった概念から捉え私立探偵小説の本質と関連付けた後、第４章でハメットが生み出した二人の探偵コンチネンタル・オプとサム・スペードを、第５章でチャンドラーの探偵フィリップ・マーロウを取り上げて深く掘り下げている。
　ハメットやチャンドラーが生み出した私立探偵とは何者なのか、何故に彼らの作品はハードボイルドと謳われるのか、その特徴と特性はどこにあるのか。周囲から高い評価を受けていることからも分かるように、非常に興味深い論文となっている。正直、アメリカ文学を論じた前３章は些か冗長で退屈だったりもした（勿論、後の３章を深く考察するためには不可欠な予備知識であるのだ）が、話が実際にハメットやチャンドラーの探偵たちへ及んでくると俄然面白くなる。
　それ以外にも、第１章冒頭の一文で「アメリカ人の魂の本質は堅牢で、孤立していて、ストイックで、加えるに殺人者なのである。白人社会に背を向ける者、自らが信じる生き方を頑ななまでに貫徹しようとする者、孤独であり自らを顧みることなく、禁欲的で挫折を知らない。死によって生を保ち、殺戮によって生きる――これこそまさに純なるアメリカ人である」というようなＤ・Ｈ・ローレンスの言葉を引用していて、これにズバリとハードボイルドの本質を指摘させている点なども面白い。

　正直、何の興味もない人間に本書をお勧めするのはどうかと思う。ハードボイルド・ミステリやハメット、チャンドラーなどが築き上げてきたその歴史、アメリカ文学などに興味関心がないと本書は楽しめない。無論、ハメットとチャンドラーの著作を網羅していることも、本書を咀嚼嚥下するための条件の１つとなる。
　それに、パーカー自身がアメリカ人であるせいか、少し本国を良心的に解釈し過ぎている。たとえばチャンドラーはアメリカを舞台に、アメリカ人としてフィリップ・マーロウの物語を書いたが、彼は半生をイングランドで過ごしたせいで、アメリカに完全に馴染めない部分をどこかに持っていた。その疎外感や客観的視点から、物質的富を追求し過ぎるアメリカ社会やフロンティア精神に対し批判的な見方をしていたことは一目瞭然である。彼はアメリカを愛したが、アメリカのあり方に疑問を持ってもいた。そういった部分に充分触れているとは思えない。
　とは言え、ハードボイルドとは何たるかを追求する意欲に溢れるものにとっては、まさに必読の１冊となることは間違いないだろう。
　本書は1984年に本国アメリカで出版され、日本では朝倉隆男の翻訳によって1994年に紹介された。
2004/02/17



「初秋」（原題：Early Autumn）
形態文庫本 種別ノヴェル 部門長編
出版ハヤカワ文庫 値段￥520 初版1988-04-15
 総合☆
 ストーリィ☆
 技術－
　ロバート・Ｂ・パーカーといえば、著作を増やすたびに評価を下げていったハードボイルド作家という印象が強い。初期には今回紹介する「初秋:Early Autumn」を含めて幾つか評価を得た作品を著しているが、徐々に質の低下がささやかれていった。彼にレイモンド・チャンドラーやロス・マクドナルド亡きあとのハードボイルド界を担う人材として期待をかけていた者もあったが、そうした読者の大半は既にそうした期待を過去のものとして忘れている。現在ではむしろ作家としてではなく、「ハメットとチャンドラーの私立探偵」で見せたようなハードボイルド・ミステリの研究やその論者としての期待をかけられている、というのが実際のところだろう。

　そうした風評を事前に耳にしていたものだから、実際、パーカーの作品に手をつけるのが遅れた。徐々に悪くなっていく、と事前に聞かされた作家の作品には確かに関心も向きにくいというものだ。まだチャンドラーやロス・マクドナルドの作品を網羅していないのでは、それも尚更である。
　しかし、前評判どおり本書「初秋」の出来はよろしかった。それが第一印象である。
　確かに主人公で私立探偵のスペンサーの造詣は、いささか安っぽく、むしろ俗流と侮蔑された暴力性や奥行きの浅さを指摘されるネオ・ハードボイルドのヒーローに近しくもある。特に街のチンピラに相手にしたときや、女性を前にして長口上をきるときなどはそうした部分が顕著に見えた。
　しかし、ある特定の人物と関わったときスペンサーは豹変する。まさに古き良きハードボイルドが内包していた男のあり方と悲哀、寂寥感、奥行きを見せるのだ。
　その特定の人物というのが、殻に閉じこもった15歳の少年――本作の第２の主役である、ポール・ジャコミンである。彼と触れ合うとき、スペンサーは教師であり友人であり、男であり、そして父親になる。
　よく「初秋」は探偵と少年の心の交流を描いた作品だ、と囁かれる。まさにその通りだと言えるだろう。

　スペンサーとジャコミン少年との出会いは、少年の母親によって間接的ももたらされた。
　ある日、母親がスペンサーの事務所を訪れ、「父親に連れさられた息子のポールを取り戻して欲しい」と依頼したことから全てははじまる。
　スペンサーはこの依頼を受け、少年とその父親の居場所を突きとめる。が、それは同時にあらたな問題の発覚をも意味していた。離婚した少年の両親は互いを憎しみあい、相手に対する嫌がらせをはかるために少年の争奪戦を繰り広げている事実を知ったのである。
　息子を引き取るのは相手にダメージを与えるため。息子は相手に屈辱を味あわせるための道具。そのように思考する両親の狭間にあり、ジャコミン少年は心を閉ざし、何にも興味を持たない無気力な子供となった。
　憤ったスペンサーは少年を引き取り、両親の悪影響をはねのけるべく「自立」の術を伝えるべく決心した。だが、無骨な探偵には算術や詩は教えられない。彼が与えることができるのは肉体を強化する方法、そして拳闘。調理、大工仕事、困難に直面したときの心構え、生きていくうえで自らに課すべきルールの存在だった。
　こうしてスペンサー式の鍛練を通し、少年と探偵との交流がはじまる。

　1981年にアメリカで発表された本作は、ディック・フランシスの <競馬シリーズ> やギャヴィン・ライアルの諸作で抑制のきいた翻訳技術を披露してくれた菊池光氏により日本で紹介されている。早川書房から単行本として刊行された後、文庫版として装いを新たに登場したのが本書。当然、訳者は菊池光。巻末には郷原宏氏の作品解説があり、ハードボイルド・ミステリの変遷やその中にあってのパーカーの位置づけなどを分かりやすく語っている。
　ネタばらし的な要素はないので本編を読む前、読了後、いずれに触れても構わないだろう。個人的には本編に触れる前に予備知識として一読し、物語を読み終えた後に再度履修――というパターンをお勧めしたい。
　なお、本著「初秋」には「晩秋:Pastime」という続編が存在する。やはり菊池氏の翻訳によりハードカヴァー版、文庫版がいずれも早川書房から発刊されているので、本書を読んで内容に感心するようなことがあったなら是非こちらも手にとって欲しい。内容は、成長したポール・ジャコミンが再び問題をかかえスペンサーのもとを訪れるという直接的な続き物になっている。
2005/09/10



SARAH BARCLAY
セーラ・バークリー



「ジェイミー」（原題：JAYMEE : THE STORY OF CHILD B）
形態文庫 種別ノンフィクション 部門長編
出版清流出版 値段￥1800 初版1998-06-13
 総合☆☆☆
 ストーリィ☆☆☆
 技術☆☆
　個人的に極めて深い思い入れのある作品であり、最高のノンフィクションである作品。
　1995年王立ＴＶ協会賞を受賞した、ＢＢＣ（ＵＫ放送協会）のドキュメンタリィ番組『パノラマ』で特集された、白血病と戦う少女の物語を製作者の一人セーラ・バークリィが活字化したもの。
　著者のセーラ・バークリィは、ＢＢＣの人気番組『パノラマ』の医療・社会問題担当記者。半年を費やして制作した <ザ・ストーリィ・チャイルドＢ> は、特別番組として放映され大反響を呼んだ。既婚で１児の母。イングランドはロンドン在住（1998年現在）。

　本書の内容は、そのサブタイトル <骨髄性白血病を闘い抜いた少女の物語> が語ってくれている。主人公は、ジェイミー・ボーエンという１０代前半の少女。プライヴァシー保護のため、マスコミがイニシャルを取って <チャイルドＢ> と呼んだ、白血病の闘病患者である。
　彼女を蝕んだ急性骨髄性白血病（通称ＡＭＬ）は白血病という血液ガンの一種で、この白血病はこの世に存在するあらゆるガンの中で、もっとも多くの子供の命を奪ってきた病である。
　ジェイミーは多くの人々に支えられながら、敢然と白血病に立ち向かった。その彼女の生き様をセーラ・バークリィが客観的かつ淡々とした、優れたドキュメンタリィ・タッチで描いている。
　生きるとは戦うことである。それを言葉ではなく、自らの人生とその歩み方で示してくれる者は少ない。しかし時に、ようやく１０歳になったばかりの少女が我々にそれを教えてくれることもある。それを確認させてくれる、これは絶好の機会になるだろう。
2004/02/17



HENRY RIDER HAGGARD
ヘンリィ・ライダー・ハガード



「ソロモン王の洞窟」（原題：King Solomon's Mines）
形態文庫 種別ノヴェル 部門長編
出版創元推理文庫 値段￥450 初版1972-08-25
 総合－
 ストーリィ☆
 技術－
　イングランドの作家ヘンリィ・ライダー・ハガードが1885年に著した冒険小説の古典。
　世界的に有名な作品で、 <シャーロック・ホームズ> シリーズなどで知られるコナン・ドイルをはじめ、後の冒険小説作家に多大な影響を与えた作品でもある。
　主人公アラン・クォーターメンは初老の域に達しかけ、引退を考えはじめた狩猟家。彼はアフリカでの仕事を終えて故郷に帰る途中、英国の貴族ヘンリィ・カーティス卿に出会い、莫大な富をもたらすといわれる伝説的ダイヤモンド鉱山「ソロモン王の洞窟」を求め消息を絶ったという卿の弟の捜索を依頼される。
　子どもの養育の問題もあり固辞しかけたクォーターメンだったが、カーティス卿の提示した破格の条件は結局、彼の首を縦に振らせる。
　クォーターメンは、カーティス卿とその友人である退役軍人グッド大佐らとともに「ソロモン王の洞窟」をめざす。だが、彼らを待ち受けるのは帰還率ゼロ％の過酷な冒険だった――。

　本書の主人公アラン・クォーターメンといえば、映画「リーグ・オブ・レジェンド」で透明人間やジキル＆ハイド、ヴァンパイアなどの紳士同盟を率いるリーダー格として登場した、ショーン・コネリィ演じるアラン・クォーターメインが最近では記憶に新しい。
　これは別としても、まだ映画がモノクロの時代から「ソロモン王の洞窟」は何度も映画化され、その度にまずまずの興行成績をあげたようである。初期の作品は名作としての誉れも高い。
　確かに「ソロモン王の洞窟」をめざすクォーターメン一行は何度も全滅の危機に陥り、その度に読者をハラハラさせる。
　手に汗握る展開、無駄な描写を極力省いたスピード感、疾走感と、本作はエンタテイメント性が非常に高く、まるで映像化を前提に考えられていたかのような筋立てになっている。もちろん、暗黒大陸の秘境探検ということで視覚的にも想像力を書きたてられるシーンが満載である。
　とはいえ100年も前に刊行された古典のなかの古典である。秘境探検といった題材自体が、現代社会においてはなかなか受け入れられにくい。19世紀の人間と違い、現代人はその点で想像力が貧弱だし、未開の地への好奇心をもっていないためだ。
　その辺りが本書の評価にどう響くかはなんとも言えない。是非、10代の少年少女にお勧めしたい。
　ちなみに本書の翻訳は大久保康雄氏が担当。主要キャラクターであるアラン・クォーターメン、カーティス卿、グッド大佐が活躍する続編も存在し、これは「二人の女王（原題：Allan Quatermain）」のタイトルで1887年に刊行されている。日本語版はやはり創元推理文庫から出版されており、翻訳者は前作に続いて大久保雄氏。
2006/04/22



YUICHI HAMABE
浜辺祐一



「こちら救命センター」
形態文庫 種別エッセイ 部門－
出版集英社文庫 値段￥429 初版1992-08-25
 総合－
 ストーリィ－
 技術－
　1990年11月、1991年11月にテクノコミュニケーションズより刊行された「Dr.HAMABEの病棟こぼれ話」第一部、第二部を、改題して文庫収録した作品。
　救命救急センター勤務の医師が、（解説によると）本来は看護婦さん向けの月刊誌に連載したものらしい。基本的に医者の下につく医療従事者を対象としたものなので、説教的な要素が強い。それを別にしても、著者は自分の思想を他人に説教するのが好きな性格とみえる。ただし、その説教に説得力があるかというと、これは多いに疑問。
　救急医療現場にいる人間たちが何を考えて勤務しているか、それに触れてみたいと思うなら一読するのも一興か。それ以外の人間にとっては、これに費やす本題を上乗せして、少し豪華な夕食でも食べに行ったほうが良いだろう。
2003/11/18



SAMUEL DASHIELL HAMMETT
サミュエル・ダシール・ハメット



「血の収穫」（原題：RED HARVEST）
形態文庫 種別ノヴェル 部門長編
出版中公文庫 値段￥360 初版1977-12-10
 総合☆
 ストーリィ☆
 技術☆
　1929年、本国アメリカの <クノップス社> から刊行された著者の処女長編であり、ハードボイルド文学の形式と文体とを推理小説に本格導入、これを成功させた初めての例として知られる記念碑的作品。
　今回紹介する中公文庫版ではタイトルを「血の収穫」としているが、同様に本書原本を翻訳している <早川書房> はこれを「赤い収穫」としている。 <創元社> と <講談社> は本書と同様「血の収穫」というタイトルを選択しているが、いずれもハメットの同じ作品を翻訳したことには変わりがない。
　ちなみに中公文庫が翻訳を任せた河野一郎氏であるが、及第点をつけてよい仕事はしているように感じた。単語の選択に首を捻らざるを得ない箇所が多々あったのは確かなのだが、一応は読める文章にしてくれている。ただ、小説家としての才能はあまりないようで、単語や一人称のほかにも語尾の揃え方などに荒を見出すことができないこともない。他の翻訳者の作品と、仕事の質を見比べてみたいものである。
　ちなみに本書の巻末で作品解説を担当しているのは権田萬治氏だが、彼の仕事は文句なしにすばらしい。ダシール・ハメットを開祖とするハードボイルド・ミステリの歴史や位置付けを冒頭で分かりやすく語り、さらに本書のあらすじを「ネタばらし」にならない程度に上手にまとめ、さらには本書が書かれた当時（20世紀前半）のアメリカの社会事情、ハードボイルドの語源的由来や簡単な定義、著者ハメットの生涯にわたるまで広く浅く、噛み砕いた表現で非常に分かりやすく語ってくれている。
　本書を読む上で非常に有用な予備知識を与えてくれているので、普段はそういう習慣を否定している読者であっても、今回ばかりは巻末の解説から先に読んでしまうのも良いだろう。むしろ、それをお勧めしたい。

　肝心な物語の内容だが、これは一部の権力者に牛耳られた鉱山の街 <ポイズンビル> を舞台に繰り広げられる、主人公対ギャング一党との抗争を描いた、ミステリというよりはヴァイオレンス的な雰囲気の方が強く感じられるような作品に仕上がっている。
　主人公であるコンティネンタル探偵社サンフランシスコ支局員（名前が紹介されないので、読者の間ではもっぱらコンティネンタル・オプの名で通っている）は、地元新聞社の社長から仕事の話を持ちかけられ、 <ポイズンビル> に足を踏み入れる。しかしそれも束の間、面会して商談をまとめる前にその社長が何者かに銃殺されてしまうという災難にみまわれてしまう。
　仕事の話を台無しにされ面白くないコンティネンタル・オプは、 <ポイズンビル> の実質的支配者であり、殺された社長の実父であるエリヒュー・ウィルソンを訪ね、彼の街で猛威をふるい始めた３大ギャングと腐敗した警察を取りしきる地元警察署長を壊滅・粛清するという大仕事を請け負う。
　かくしてコンティネンタル・オプは、街のＶＩＰたちの裏情報を多数握る高級娼婦ダイナ・ブランドの手を借り、 <ポイズンビル> を牛耳る権力者たちを抗争の渦へと引きずりこむべく画策を始める。

　近年、この手の形式で描かれたこの手の話は珍しくない。つまりギャングやマフィアなどが互いに勢力争いを繰り広げるさま、裏社会の権力闘争などを乾いた文体で綴った作品はどこにでも見られるようになった、ということだ。
　だから現代の読者の多くは、特にこの作品に新鮮さを感じないかもしれない。それどころか、「よくあるヴァイオレンス小説」の一本として片付けてしまうことすら考えられる。
　だがそれを以って、この作品を断じてしまうのはあまりに早計だし、乱暴だ。
　この「血の収穫」のような作品が巷に氾濫するようになったのは、ダシール・ハメット以下の作家たちがこの「血の収穫」に多大な影響を受け、これを模倣しようと試みたからである。
　この作品や、後にサム・スペードを主人公に据えて書かれた「マルタの鷹」といった諸作がレイモンド・チャンドラーを生み、ロス・マクドナルドを呼び、そして原尞を動かしたわけだ。
　本書に触れるとき、我々はそうした歴史的背景を完全に無視するべきではないだろう。こだわり過ぎる必要もないが、本書はそうした「しがらみ」からは決して逃れることのできない、旧世紀に創作された古典的名作なのだ。
2004/07/18



「マルタの鷹」（原題：The Maltese Falcon）
形態文庫 種別ノヴェル 部門長編
出版ハヤカワ文庫 値段￥640 初版1988-06-15
 総合☆
 ストーリィ☆
 技術☆
　1929年発表の処女長編「血の収穫：RED HARVEST」、やはり同年刊行の「デイン家の呪」につづく、サミュエル・ダシール・ハメットの第３長編。
　ハメット作品の主人公といえば、本作以前はコンチネンタル・オプの名が真っ先にあがった。しかし、この「マルタの鷹」でサミュエル・スペードを登場させてからというもの、ハメットの小説からコンチネンタル・オプはその姿を消している。その意味でも、ハメットの転機ともなった記念すべき作品。
　同時に本書は、あまたの評論家や批評家、読書家などからハメットにおける最高傑作として良く名前の挙げられる作品でもある。彼らの主張が妥当であるかの判断は読了した読者たちそれぞれの見解に任せるとしても、「マルタの鷹」がハメットを語る上で避けることの出来ない、代表作であることに異論をはさむ者はいまい。
　ちなみに <ボギィ> ことハンフリィ・ボガート主演で映画化もされており、こちらの評価もきわめて高い。ハードボイルドミステリの手法をとった映画としては、史上最も優れているという声は良く聞くものである。

　内容であるが、マイルズ・アーチャーと私立探偵社を共同経営するサム・スペードを主人公としたハードボイルドミステリになっている。
　冒頭でスペードは、若い娘を依頼人として事務所に迎えいれるが、これが全ての発端だった。女性は17歳の妹がチンピラと駆け落ちしてしまったので、その事実が両親に発覚する前に彼女を連れ戻して欲しいとスペードに懇願する。
　依頼者の娘がいうに、妹と直接あうことはできなかったが、駆け落ち相手のチンピラと接触することには成功したらしい。つまり、彼をたどれば妹のもとにたどりつける公算が高い。
　相手が若い麗人ということもあり、事務所はこの話を200ドルの前金と共に引き受けることになった。実際に調査にのりだすのは、主人公サム・スペードの相棒マイルズ・アーチャー。彼は早速、駆け落ち相手というチンピラの尾行を開始する。
　ところがその夜、自宅で休んでいたサム・スペードは相棒アーチャーが射殺体で発見されたとの連絡を受けた。やがて、アーチャーが尾行していたチンピラも同じく死体として見つかることに。
　これが単なる駆け落ち騒動では片付かないことを悟ったサム・スペードは、依頼人の娘を問い詰め、徐々に事件の裏に隠された驚くべき真相に近付いていく。

　心理描写をいっさい排し、徹底して主人公の行動を描写していくというハメット一流のハードボイルド節は健在。心情風景の書き込みがまったくないため、そのぶん物語はスピーディにリズム良く展開していく。この点、読んでいて心地よい。
　登場人物たちの精神状態といえば、何気ない仕草や表情、セリフなどからしか感じ取ることができないが、ハメットの綴る文章からは直接的な心理描写以上にこれが浮き上がって見えるから不思議なもの。すこし人間の表情にこれらの表現を頼りすぎている感はあるが、これは個人的な嗜好の範囲で収まるものだろう。
　事件そのものもそうであるが、ヒロインである依頼者の娘も興味深く書かれている。
　彼女は見かけどおり天使のような娘なのか。それとも天使のような悪魔なのか。死体が量産される血なまぐさい事件の中心にはいつも彼女の影があり、まったく油断をゆるさない。
　彼女がときおり見せるか弱さは演じられたものではないのか。怯えた若い娘を演じ、男たちを翻弄しているに過ぎないのではないか。そうした疑念と共に、彼女の正体と腹の中を探っていくのも本書を楽しむ筋のひとつ。
　ある意味で、彼女と主人公とのラヴストーリィとしてみることもできるのだ。

　ところで本書、翻訳権を一社が独占しているということがないため、各出版社から様々な訳者の手で日本語版がリリースされている。ここで紹介しているのは小鷹信光氏の <ハヤカワ文庫> 版であるが、これ以外にも同氏による <河出書房新社> 版、村上啓夫氏を翻訳にすえた <創元推理文庫> 版、石一郎氏の訳による <角川文庫> 版、鳴海四郎氏の <筑摩書房> 版などがある。また――これは絵本だが――亀山竜樹氏の <あかね書房> 版や、ハインライン著「夏への扉」の名訳でしられる福島正実氏が手がけた <文研出版> などもあり、これは個人的にも興味深い。
　このうち、小鷹信光 <ハヤカワ文庫> 版と村上啓夫 <創元推理文庫> 版、石一郎 <角川文庫> 版の３種は実際に読み比べて検証してみた。
　手に入れやすいのは、ハヤカワ版と創元版の２種。
　このうち今回紹介しているハヤカワ版は最も文字のサイズが大きく、その意味で読みやすかった。巻末の解説（訳者あとがき）も最も充実しており、ページ数も多い。「マルタの鷹」の分析と「ハメットの略歴」を２部構成でわりとしっかりやってている。
　またハメット本人による序文（まえがき）が唯一収録されている点が大きく、結局はこれが決め手となった。資料的にもたいへん有用なもので、あると無いとではやはりかなり価値が違ってくる。反面、情景描写がおざなりで、角川版や創元版と比較すると遜色が見られる気がした。
　たとえば、一番最初の主人公スペードの描写について。
サミュエル・スペードの角ばった長い顎の先端は尖ったＶ字をつくっている。口元のＶは形が変わりやすく、反り返った鼻孔が鼻の頭につくる、もう一つの小さなｖ。黄ばんだ灰色の目は水平。鉤鼻の上の二筋の縦皺から左右に立ちあがる濃い眉がふたたびＶ字模様を引き継ぎ、額から平たいこめかみの高い頂にかけて、薄茶色の髪もＶを成している。　（小鷹信光訳／ハヤカワ文庫版）

サミュエル・スペードの顎（あご）は長くて角ばっていた。顎は先のほうがつきだし、口の下でＶ字型になっている。口はそれほど際立っていないが、やはりＶ字型だった。鼻先がぐっとまがり、小さいながらもう一つＶ字型をつくった。黄味がかった灰色の目がまっすぐ横に切れている。鉤（かぎ）鼻の上のほうの二つならんだ縦じわからぐっと盛り上がってでっぱっている濃い眉が、まう一度Ｖ字型のモティーフを現した。薄茶色の髪の毛が――高い平べったいこめかみから――生えのび、前額の一点へ垂れ下がった。　（石一郎訳／角川文庫版）
　小鷹の描写は、すなおにイメージが頭に浮かび上がってこない。鼻孔がどちらがわに反り返っているのか分かりにくいし、それが鼻の頭に小さなｖを作っているという表現も解釈しにくいのだ。
　こうした分かりにくさ、文章としての不可解さは人物描写にとどまらず、土地や風景の描写などにも見られる。分かりやすく意訳している箇所もおおい（ある意味で訳者の個人的解釈がでしゃばり過ぎていて鼻につく）。長所も目立つが、短所も目立つというわけだ。
　その意味で、ハヤカワ、創元、角川の３種のうち、日本語としての文章能力が１番高いと感じられたのが角川版である。しかしこれは絶版になっていると思われ、入手が困難であると予測される。そのうえハヤカワ版などに比べると文字が小さく読みにくい。巻末の訳者あとがきにも大したことは書かれていない。
　創元版は、ハヤカワと角川の間に位置するような出来栄えで、特に推すべきポイントも落とすべきポイントもない。
　どれもが一長一短であるが、とりあえず資料の豊富さでここではハヤカワ版を推薦させていただいた。
2005/08/22



「ガラスの鍵」（原題：THE GLASS KEY）
形態文庫 種別ノヴェル 部門長編
出版創元推理文庫 値段￥400 初版1960-05-20
 総合☆☆
 ストーリィ☆
 技術☆
　ハードボイルド小説を好むと言いつつダシール・ハメットを知らない者があるとすれば、その人物は確実にモグリだ。なぜならばハメットとは、非情な視点と渇いた文体から綴られる「ハードボイルド」という小説形式をミステリに本格導入し、これを成功させた――いわば、ハードボイルド・ミステリ小説の開祖とも言える人物だからである。
　恐らく歴史上もっとも有名なハードボイルド作家であるレイモンド・チャンドラーも、このダシール・ハメットに強く影響を受け、そのリアリズム精神に裏打ちされた著作の数々（特に「マルタの鷹」）を「ミステリとして最高のもの」と手放しに讃辞している。
　まあ、チャンドラーはハメットに心酔していたわけだからして、この「最高」発言は酷く偏った観点から出た言葉なのではあるが、いずれにせよハメットがその功績を称えられて然るべきハードボイルド・ミステリの父であることまで否定しようという者は少ないだろう。

　ダシール・ハメットは、1894年メリイランド州に生まれた。家が貧しかったため13歳の時から働き始め、以後は職と転々。1915年、20歳の時にピンカートン探偵社へ入社した。この時の上司だった人物が後にハメットが生んだ探偵、コンチネンタル・オプのモデルとなったらしい。
　激務で体調を崩し探偵を辞めた後、静養中に執筆活動を始める。1922年にパルプ・マガジン「ブラック・マスク」誌上に処女短編「帰路」を発表。以後、パルプマガジン作家としての地位を高め、長編「血の収穫」や私立探偵サム・スペードの活躍する長編「マルタの鷹」でその地位を不動のものとした。
　本書「ガラスの鍵」はそうした絶頂期に発表された名作の１つで、ハメット自身がその数ある著作の中で最も愛着を持った作品であるという。日本では同名のタイトルで３冊出版されていて、『ハヤカワポケットミステリ』版は砧一郎、『創元推理文庫』版は大久保康雄、『ハヤカワ・ミステリ文庫』版は小鷹信光がそれぞれ翻訳を担当している。今回紹介しているのは創元推理文庫版で、400円の値段は1986年当時のもの。原本は1931年に出版された。
　翻訳権が１社に独占される傾向のあるレイモンド・チャンドラーと違って、ハメットの翻訳版は複数の出版社から刊行されるケースが目立つ。この「ガラスの鍵」もそうだが、出世作である「Red Harvest」は『ハヤカワポケットミステリ』『ハヤカワミステリ文庫』『創元推理文庫』『講談社文庫』それぞれから計４冊刊行されており、訳者も個々で違う上「赤い収穫」「血の収穫」と邦題が異なる。「マルタの鷹」に至っては訳者６名、合計で８冊を超える同タイトルが出版されているので注意。

　肝心の内容だが、実は期待していたより随分と面白かった――という感想を持った。上院議員の息子が殺害されるというシンプルな事件を扱っているのだが、被害者が被害者だけに事は政治的な影響力を伴ってきて、様々な人々に大きく作用してくる。そういった要素が、事件そのものを非常に興味深いものにしているような気がした。
　物語の主人公は、ネド・ボーモン。賭博師（ギャンブラー）で、暗黒街のボスであるポール・マドヴィックの親友という一風変わった男である。マドヴィックは市政の実権を握るために、ヘンリィ上院議員を再選させるために協力態勢を固めた。そんなおり、ヘンリィ上院議員の息子テイラー・ヘンリィが何者かに殺害される。
　さらに事件直後、ポール・マドヴィックがその犯人であることを示唆する怪文書が巷に出まわり始めた。誰もがそれを信じ、やがてマドヴィックは窮地に陥っていく。ネド・ボーモンは親友の嫌疑を晴らすため事件の調査に乗り出すのだが……。
　真犯人や怪文書をバラまいているのは何者なのかという謎、マドヴィックと敵対する勢力の動き、暗黒街の覇権を巡る裏切り、鞍替え、抗争など見所は多い。
　とはいっても、そこまでヴァイオレンスな雰囲気はなく血なまぐさいシーンもそこまで多くはない。わりと読みやすいこともあるので、ハメットの入門書としてもお勧めできるかもしれない。個人的には、ハメットの他の著作にも触れてみたいと思わされた作品だった。
2004/01/25



TAKUMI HAYASHI
林巧



「亜州魔鬼行」（アジアン・ゴースト・ロード）
形態文庫 種別ノヴェル 部門長編
出版角川ホラー文庫 値段￥629 初版2000-12-10
 総合－
 ストーリィ－
 技術－
　主人公の鬼沢仁は２４歳、無職の青年。刺激とは皆無の生活を送る彼に、馴染みの台湾料理店の女主人から美味しい仕事の話がもちかけられた。香港の親戚に荷物を手渡しに行くだけで、多額の謝礼を約束すると言うのだ。もちろん話に飛びつき、さっそく香港へと向かう鬼沢だったが、到着早々に下町でトラブルに巻き込まれる。
　一見、卑しい靴磨きにしか見えない老婆の紙人形を誤って踏みつけてしまい、酷く罵倒されたのである。鬼沢は後に香港のガイドから、その老婆はプロの呪い屋で、鬼沢が踏みつけてしまったのは小人（シュウヤン）という呪いの道具だと教えられる。そして老婆が投げつけた「ポッカイ」という言葉は、彼を呪い殺す呪詛の言葉だと。
　宿命的に邪悪の渦に飲みこまれていく鬼沢青年の波瀾に満ちた旅路を描く、エキゾチックなオリエンタル・ホラー。
　事件が起こり、それが展開し、そしてクライマックスへ向けて収束――というような展開ではなく、連載が途中打ち切りの憂き目に合い、なんとか帳尻を合わせるために話に都合をつけました……というようなスッキリしない物語だった。特にスリリングだというわけでもないし、ホラーとして滅法怖いということもない。唯一、東洋的神秘を感じさせる濃密な世界観は魅力かもしれないが、それだけでは長編一本読ませる力にはなり得ない。中途半端かつ消化不良の感が最後まで拭えない作品だった。
2004/03/03



RYO HARA
原尞



「そして夜は甦る」
形態文庫 種別ノヴェル 部門長編
出版ハヤカワ文庫 値段￥660 初版1995-04-15
 総合☆
 ストーリィ☆
 技術☆☆
　原尞の存在は、全国チェーンの古書店で有名な「BOOK-OFF」の店頭で知った。何故、この本を手にとって購入を決めたのかは未だに分からない。ハードボイルドという、定義のイマイチ分からない未知のジャンルに興味があったから……というのもあるだろうが、一番の理由は100円という値段と新品と見違えるような状態の良さにあったのではないだろうかと自分なりに分析している。
　結論として、これは大きな切っ掛けとなった。ハードボイルドというジャンルの面白さ、そして原尞というその分野における希代の書き手を見出す結果となったからだ。
　本書を読んだのは2003年夏のことだったと思うが、2004年１月現在、こと和製ハードボイルドの世界において彼を超える作家には未だ巡り合っていない。
　確かに「テロリストのパラソル」で知られる藤原伊織などの優れたハードボイルド作家は何人か知っているし、その作品を評価もしている。だが、小説や物語として高く評価できても、ハードボイルドというフィルターにかけてなお傑作と呼べる作品は少ない。
　藤原作品も、主人公の周辺に無駄に女性を配置し過ぎ、見方によっては雰囲気をぶち壊しにしてしまっている。その点、原尞は女っ気を作品から完全に排除することを使命と感じてでもいるかのように、女性キャラターを徹底的に目立たせないし、中年作者の妄想を思わせる絡ませ方をさせたりしない。
　そういう意味で、原尞はとことんまでハードボイルドという形式に拘れる作者だと思うし、拘ることに意義を見出すタイプの書き手であると思う。それは本書がハードボイルド派を確立させた、レイモンド・チャンドラーに捧げられていることからも窺える。――きっとチャンドラーにとってのダシール・ハメットが、原尞にとってのチャンドラーなのだろう。

　原尞は、知る限り３本の長編を書いていて、これらは沢崎という私立探偵を主人公としたシリーズものとなっている。そのシリーズ第１作が本書「そして夜は甦る」である。
　チャンドラーのフィリップ・マーロウがそうであるように、この沢崎も他愛もない小さな依頼を受け、それが切っ掛けで複雑に入り組む不可解な事件に巻き込まれていく。今回の彼は、佐伯という行方が掴めなくなっているルポライターの捜索を、ある男から２０万円で依頼され調査に乗り出す。だが単なる行方調査だったはずの仕事は、やがて過去の東京都知事狙撃事件と関連していく。
　綿密に練りこまれたプロットと、小粋な会話。その世界観が見せるある種の哀愁。ハードボイルドが本来備えるべき条件を見事にクリアした、記念すべき長編デビュー作。
　本作を読んでいないハードボイルド・ファンがいるとは思えないが、もしそんな人間がいるとするならば自信をもって本書をお勧めする。因みに本作には、1988年４月に早川書房から発刊されたハードカヴァー版も存在する。
2004/01/08



「私が殺した少女」
形態文庫 種別ノヴェル 部門長編
出版ハヤカワ文庫 値段￥680 初版1996-04-15
 総合☆☆
 ストーリィ☆☆
 技術☆☆
　早川書房から1989年10月に発刊された同名ハードカヴァーの文庫版。同年度の第102回直木賞受賞作。「そして夜は甦る」に続く沢崎シリーズ第２弾。
　後に紹介する沢崎シリーズ完結作「さらば長き眠り」も良かったが、３部作の中で最高傑作はと問われれば本書を最有力候補として挙げるかもしれない。もっともストーリィ展開がスピーディてスリリングだからだ。
　主人公の沢崎は私立探偵。例によって不可解な依頼人から不可解な呼び出しを受け、閑静な高級住宅街のとある家に呼び出される。てっきり何か仕事の依頼かと考えていた矢先、何の心当たりもない誘拐事件に巻き込まれてしまう。
　誘拐されたのは将来を嘱望されるヴァイオリンの天才少女で、犯人からは身代金が要求された。沢崎はその金の受け渡しを担当させられることになり、金の詰まった鞄を抱えて街中を駆け回ることになる。果たして誘拐された少女は無事なのか、犯人は何者なのか。
　タイトルの意味が理解できた頃には、もう物語にどっぷり嵌って抜け出せなくなっているだろうこと請け合い。
　やはり小粋な会話や綿密に計算し尽くされたプロット、巧みな構成、洒落た語り口。直木賞は当たりハズレが大きいが、これはお勧めできるだろう。
2004/01/08



「天使たちの探偵」
形態文庫 種別ノヴェル 部門連作短編
出版ハヤカワ文庫 値段￥660 初版1997-03-15
 総合☆
 ストーリィ☆
 技術☆☆
　早川書房から1990年04月に発刊された同名ハードカヴァーの文庫版。私立探偵の沢崎を主人公としたシリーズ初の連作短編集。日本冒険小説協会大賞最優秀短編賞受賞。このシリーズ恒例のことだが、文庫版には解説の類がなく、代わりに著者が書き下ろした掌編が収録されている。
　『少年の見た男』『子供を失った男』『二四〇号室の男』『イニシャル”Ｍ”の男』『歩道橋の男』『選ばれる男』の全６篇収録。依頼人が全て子供で統一されているところが面白い。
　長編で本シリーズを楽しめた読者にはお勧めできる。本書を読むタイミングとしては、シリーズ完結編である「さらば長き眠り」の前、長編第２弾「私が殺した少女」の後が最適だろう。
2004/01/08



「さらば長き眠り」
形態文庫 種別ノヴェル 部門長編
出版ハヤカワ文庫 値段￥800 初版2000-12-15
 総合☆☆
 ストーリィ☆
 技術☆☆
　早川書房から1995年01月に刊行された同名ハードカヴァーの文庫版。もうタイトルからして、チャンドラーを意識しているのが分かるハードボイルド小説だ。「長いお別れ」「さらば愛しき女」「大いなる眠り」を足して３で割ったとして思えない（苦笑）。と言うか他にどういう解釈があるのだろう。
　いつ第２期が始まるのか分かったものではない、私立探偵沢崎シリーズ第１期の完結作。1995年の「このミステリがすごい！」国内部門第５位、「週刊文春」の第３位に選ばれている。
　４００日ぶりに東京に帰ってきた私立探偵沢崎を待っていたのは、浮浪者の男だった。 男の導きで、沢崎は元高校野球選手の魚住から、１１年前に自殺したとされる義姉の死の真相を突き止めてほしいという依頼を請け負う。調査を開始した沢崎は、やがて八百長事件の背後にある驚愕の事実に突き当たる……。
　シリーズ最大の文量をつぎこんだ傑作だけあってお勧めしたいところだが、そんなことはどうでも良いから早く第２期を開始してくれと言いたい。
2004/01/08



「愚か者死すべし」
形態文庫 種別ノヴェル 部門長編
出版早川書房 値段￥1600 初版2004-11-15
 総合☆
 ストーリィ☆
 技術☆☆
p353








2004/01/08



RICHARD G. PARRY
リチャード・パリィ



「ウイルス汚染機着陸不能！」(原題：VENOM VIRUS)
形態文庫 種別ノヴェル 部門長編
出版東京創元社 値段￥680 初版1995-07-21
 総合－
 ストーリィ－
 技術－
　アラブの狂信的テロリストが致死性ウイルスを世界にばら撒こうと画策、ジャンボ旅客機を乗客もろとも汚染してしまった。更にテロリストたちは次なるウイルス散布計画を実行しようとしている。これをいかにして未然に防ぐか。ウイルスを巡った追撃戦を描いた作品。翻訳者は内田昌之。
　原題「VENOM VIRUS」を「ウイルス汚染機着陸不能！」と訳している時点で、賢明な読者は不吉なものを感じ取るべきである。大元の話自体が良作とも佳作とも言えないものであるうえ、翻訳がこれでは厳しいものがある。自分はこれを100円の古書として購入したのだが、それでも納得のいく買物ではなかった。お勧めはしない。
2003/11/18



HAYAKAWA
早川書房編集部



「ＳＦハンドブック」
形態文庫 種別実用書 部門－
出版ハヤカワ文庫 値段￥580 初版1990-07-15
 総合☆☆
 ストーリィ☆☆
 技術☆☆
　科学や化学という言葉に、得体の知れない拒絶反応を示す人間は多い。理系の世界を想像しただけでメマイがしてくる、などという人間は昨今まったく珍しくなくなってしまった。深刻な理系離れが社会レヴェルで問題視される時代である。それも仕方のないことなのかもしれない。
　そうした科学を忌避する社会的・文化的傾向は文学の世界にも少なからぬ影響を与えていて、そのことは『ＳＦが全く読まれなくなった』という事実が如実に語っている。
　辞書をひくと、ＳＦのことは「科学・技術の思考や発想をもとにし、あるいはそれを装った空想的小説」というように解説されている（広辞苑第五版）。考えてもみれば、科学や理系の世界が嫌いな人間にＳＦを読めと言うほうが無理なのかもしれない。

　嘆かわしいことにＳＦが何の略称なのかも知らない人間が増えたので一応触れておくが、ＳＦはサイエンス・フィクション（science fiction）の頭文字である。日本では空想科学小説などと訳されることが多い。
　文学的にはファンタジー（空想小説・幻想小説）の一分野とされていて、両者の境界は『不可思議な現象（例えば魔法）などを単なる奇跡と解釈せず、独自の理論や法則で意味付けしこれを論理的に説明しようとする姿勢が見られるか否か』――をもって判別することが多いようだ。
　つまり魔法を見ても、「わあ不思議だ」で済ませてしまうのではなく、「魔法とはこういう現象をこのように利用して起こす、法則性をもった現象なのだ」と理屈っぽく語っているものがＳＦだ、というわけである。
　とにかくＳＦとは、ある科学技術や科学理論をストーリーやトリックに応用・展開して、一種の幻想小説を描こうと試みる分野である。

　――今となっては、ＳＦ小説を好んで読むのは一部の物好きな連中に限られるようになった。海外のＳＦ小説を専門的に紹介してきた国内最大のブランド <ハヤカワＳＦ文庫> の青い背表紙は、書店の商品棚のスミへスミへと年々押しやられていき、ついには小さな書店からその姿を消してしまうに至っている。
　確かにＳＦ小説は、他のジャンルと比較しても取っ付きにくい特性を備えている。作家や作風によって雰囲気ががらりと変わるし、俗に「ハードＳＦ」と呼ばれる科学理論をフル活用したものは多少の知識と経験を積んでいなければ歯が立たなかったりもするものだ。読む人間、楽しめる人間を選ぶ、決して万人向けとは言えない分野だということは認めよう。
　だが、そのことだけを以ってＳＦ小説を蔑ろにしてしまうのはあまりではないか。中にはハインラインの「夏への扉」やダニエル・キイスの「アルジャーノンに花束を」のように、ジャンルの垣根を越えて人々に強く支持される作品だって存在する。
　未知との遭遇、新た価値観や世界が開かれる瞬間とその刺激――センス・オヴ・ワンダーを何より強烈に示してくれるのは、間違いなくＳＦ小説なのだということを知らない人々があまりに多過ぎるのではないか。

　本書「ＳＦハンドブック」は、ひとりでも多くの人にＳＦ小説を読んでもらいたい。その素晴らしさを知って欲しいと願う人々が生み出した作品である。
　読者と評論家・作家などが選んだ人気作ランキングである「オールタイム・ベスト」から始まり、編集部が選ぶ名作集、作家たちによる「マイベストＳＦ」の紹介とエッセイ、初心者向けのＳＦ講座（ジャンルの紹介やＳＦ文学賞受賞作のリスト等）、年代別のＳＦ小説史とそこから生まれてきた名作の紹介、用語解説、既刊（邦訳）作品をまとめた一覧票などなど、ハンドブックというより「古今東西ＳＦ大辞典」といった盛り沢山の内容だ。
　巻末には「人名」および「タイトル（題名）索引」が用意されており、探し物などにも向いている。
　また一部ではあるが早川書房の刊行したものばかりでなく、他の出版社の作品もそれが名作であれば紹介しており、まさにこれ１冊を持っていればＳＦ小説界の全てが分かる本となっている。ＳＦ小説を好むものばかりでなく、これからＳＦ小説を読んでみようという者、またＳＦに全く関心がなかった者にとっても必携の一書と言えるだろう。
　ただし、今から入手するなら新世紀突入を記念して2001年に刊行された「新・ＳＦハンドブック」の方をお勧めする。
2004/07/12



「新・ＳＦハンドブック」
形態文庫 種別実用書 部門－
出版ハヤカワ文庫 値段￥740 初版2001-04-30
 総合☆☆☆
 ストーリィ☆☆
 技術☆☆☆
　ＳＦ小説に興味がある、ＳＦ小説を読んでみようと思っているが何から始めたら良いのか分からずにいる、ＳＦをそこそこ読み進めてきたがもっと深くこの分野のことを知りたくなった、という人々にお勧めされるべき１冊があるとすれば、それがまさに本書「新・ＳＦハンドブック」だろう。
　ハヤカワ文庫ＳＦの創刊20周年を記念して制作された「ＳＦハンドブック」は『ＳＦ大百科』とも言うべき素晴らしい資料集であったが、刊行されたのは1990年。もはや新世紀のＳＦ業界には対応していけない。
　本書はそうした時代の転換を考慮して、旧ＳＦハンドブックを改訂、21世紀の情報を付け加えたヴァージョンアップ版である。
　作品の人気投票である「オールタイムベスト」も更新され、旧版のランキングには名前のなかった新しい作品――たとえばダン・シモンズの「ハイペリオン」などが登場している。
　もちろん1990年以降に刊行されたＳＦ小説のデータも加わり、更に対談コーナーの面子も一新。今から手に入れようという者があれば、旧版ではなくより充実した本書の方をお勧めしたい。
2004/07/12



「冒険・スパイ小説ハンドブック」
形態文庫 種別実用書 部門－
出版ハヤカワ文庫 値段￥720 初版1992-10-20
 総合☆☆
 ストーリィ☆☆☆
 技術☆☆
　本を読む習慣を持たない者は、いざ「何か小説を読んでみよう！」と思い立ったところで何から手をつけて良いのか迷うものだ。書店で大々的にとりあげられているベストセラーは大抵の場合、大袈裟に持ち上げられ過ぎて名前だけが有名になった作品であったりするし、かといって他に本を選ぶ際の基準にすべきものに心当たりはない。
　さて、どんな作家のどんな本を選んで読むべきか……。そもそも、この世にはどんな小説があって、読書家たちはこれをどのように認識しているのか。
　そんな迷える初心者の大きな味方として、本書は存在する。

　そもそも早川書房は、海外作品の翻訳において日本一の歴史と業績をもった大手出版社である。その早川書房は営業の一環として1972年に <ハヤカワ文庫ＮＶ> というブランドを設立、精力的に海外の冒険小説やスパイ小説などを国内に紹介してきた。その活動が20周年を迎えた記念として、本書はまとめられたわけである。
　内容はタイトルを見ての通りで、1972年からの20年間で <ハヤカワ文庫ＮＶ> が紹介してきた数々の冒険・スパイ小説に親しむための手引書、ハンドブックとなっている。
　そもそも冒険小説とは何か、海洋冒険小説、スパイ小説、謀略・情報小説とはなにか、といった簡単な定義付けの問題から、それらの分野における人気ランキング（各ジャンル・ベスト30）、総合ランキング（全ジャンルのベスト100）、好きな主人公や脇役の人気投票結果、冒険小説を愛する作家たちのエッセイや対談、簡易辞典、作品と歴史的事件の関連をまとめた歴史年表、主要邦訳作品の大一覧表などなど、痒いところにも手の行き届いた丁寧な造りが特徴的で、単なるハンドブックとしてだけでなくデータベースや資料集としても重宝する。
　巻末には「題名」「作者」の両方に対応した索引がついていて、非常に使いやすい。何から読んでいけば良いのか分からない初心者は読者や評論家たちの投票によって出来あがった各ジャンルの人気ランキングを参考にし、上位作品から読んでいけば問題ない。
　小説を読みなれた玄人は、自分の知らなかった埋もれた名作を発見するために本書を役立てると良いだろう。非常に情報量の豊富な１冊なので、使い様は人それぞれ。720円と文庫本にしては多少値が張るが、600ページを超えるそのボリュームを考えれば決して損はしないだろう。
2004/07/12



「ディック・フランシス読本」
形態単行本 種別解説書 部門－
出版早川書房 値段￥1600 初版1992-11-15
 総合☆
 ストーリィ☆
 技術☆
　 <競馬シリーズ> で知られるグランドマスター・ディック・フランシスの著作が30作を達成したことを記念して出版された、フランシスの入門書であり解説書でありファンブック。
　早川書房はこの手の記念出版を過去にも経験しており（レイモンド・チャンドラー読本など）、また得意としているようだ。それだけあって中身も大変充実している。
　フランシス本人がこの本のために寄せた序文に始まり、『ブラインド・チャンス（Blind Chance）』(1979)『キングダム・ヒル競馬場の略奪（The Rape of Kingdom Hill）』(1975)の短編２本を所収。他にも、フランシス本人や舞台となったイングランド各地の写真集、競馬シリーズの翻訳を担当する菊池光氏や九條今日子女史らによるエッセイ「フランシスと私」のコーナー、日本の騎手・評論家・女優などをゲストとして招いた座談会、フランシスが来日した際の講演模様、フランシス本人へのインタビュー、友人たちが語るディック・フランシス、競馬シリーズ30作の批評と分析、１作ごとのデータ（あらすじ、主人公、舞台、背景、原題の意味）と著名人たちによるエッセイ、「フランシスと英国」と題した各レポート……etc、まさにもり沢山である。

　個人的には「血統」の冒頭シーンで描かれたテムズ河の写真が非常にありがたかった。物語に登場した、まさにその場所が写されているためにイメージの補完に役だったのである。
　上には挙げていないが、著作リストを含んだ詳細な <ディック・フランシスの年譜> も資料的価値が大きい。この１冊があれば競馬シリーズと作家フランシスのことは大体把握できるだろう。
　フランシスに関心がない人間には普通にお勧めする程度でとどめるが、フランシスのファンには購入を義務付けるくらいしても良いのではあるまいか。買う買わないは別にしても、これはファンならば読んでおかねばなるまい。
　ちなみに２本の短編は、競馬シリーズ初の短編集として刊行された「出走：FIELDS of 13」に収録されているので、これ目当てに購入することはない。
2004/10/29



I N D E X