1939年に処女作である本書「THE BIG SLEEP(大いなる眠り)」を発表、私立探偵フィリップ・マーロウを登場させ、新感覚の語法や人間、情景描写などで、前述したダシール・ハーメットが確立したハードボイルド派の正系後継者として名乗りをあげた。
ただハードボイルド・ミステリ路線を決定付けたというだけで、ハメットとの技術的共通点はそう多くはないと個人的には思う。
ハメット作品へのリスペクトは間違いなくあったし、それは初期に彼が三人称小説の執筆を試みていたことからも窺える。が、結局は個性や独自性を発揮して現在の一人称形式に落ち着いたのだ。
チャンドラーは1959年に没するまで、以下の長編7作、短編集4冊を著している。
・The Big Sleep (1939) 大いなる眠り
・Farewell, My Lovely (1940) さらば愛しき女よ
・The High Window (1942) 高い窓
・The Lady in the Lake (1943) 湖畔の女
・The Little Sister (1949) かわいい女
・The Long Good-bye (1954) 長いお別れ
・Playback (1958) プレイバック
・Five Murders (1944) 短編集
・Five Sinister Characters (1945) 短編集
・Red Wind (1946) 短編集
・The Simple Art of Murder (1950) 短編集
因みに本書、まずいことにハワード・ホークス監督、ハンフリィ・ボガート主演で映画化されてしまった。1946年に公開され、日本では『三つ数えろ』の邦題を与えられた。
個人的な意見を述べることが許されるなら、ボガートはフィリップ・マーロウ役に相応しくない。細身ではあるが、背が高く引き締まった体格を持つマーロウに対し、ハンフリィ・ボガートはあまりに小男すぎる。
もっともこのことは製作者サイドも理解しているらしく、背丈に関連するやりとりにニヤリとする改変を加えていたりする。物語の序盤、マーロウがスターンウッド家をはじめて訪れた際、カーメン・スターンウッドと会話するシーンが原作、映画ともに見られるのだが――
原作では、カーメンが "Tall, aren't you?" (背が高いのね)" と語りかけ、マーロウは "I didn't mean to." (なろうと思ってなったわけじゃないのだが)と返している。
ところが小男のハンフリィ・ボガードが演じたマーロウは、 "You're not very tall, are you?" (背はあまり高くないわね)というカーメンの台詞にこう答えているのだ。 "Well, I try to be." (まあ、高くなろうとはしているのだが)。
1949年にチャンドラーが発表した、私立探偵フィリップ・マーロウを主人公とする長編第5作“The Little Sister”の全訳。翻訳権を創元社が独占しているようなので、もしかすると本作を日本語で読むためには、この文庫本を入手するしかないのかもしれない。訳者は、チャンドラーの長編作品の翻訳を日本人で一番多く手がけている清水俊二氏。
今回マーロウが引き受けた仕事は、失踪した兄を探してくれという行方不明事件。依頼者はタイトル通り、愛らしい娘さんで、彼女は虎の子の20ドルでマーロウを雇うことになった。
仕事自体には気乗りしないものの(そもそも彼を一日雇うには40ドル必要なのだ)、何か曰くありげな娘の態度に不審と興味を抱いたマーロウは、娘の兄が住んでいたというアパートに足を運ぶ。ところが彼の部屋を調べて引き上げようとした時、アパートの管理人が「氷かき」で刺殺されているのを発見。ここから物語は、ハリウッドの煌びやかな映画社会の暗部を巻き込み、大きく発展していく。
処女作である「THE BIG SLEEP(大いなる眠り)」などと比較すると、事件そのものが単純で分かりやすく、入りこみやすい……と個人的には思ったのだが、チャンドラー作品の中ではあまり評判が良くないらしい。というより、長編ワースト候補にも挙がっているようだ。著者チャンドラー自身も、あまり出来に満足していなかったとか。そうは言っても、名言・名フレーズには事欠かないのだけれど。
だがやはり、「FAREWELL, MY LOVELY(さらば愛しき女よ)」、「LONG GOOD BY(長いお別れ)」といったズバ抜けた傑作と比較すると一歩譲ってしまうのは確か。 2004/01/18