1989年07月27日に任天堂が発売した、ファミリィコンピュータ用ゲームソフト『MOTHER』のノヴェライズ(小説版)。ファミコンは持っていなかったし、然るに原作となったゲームも未プレイなのだが、著者の後書によればゲーム本編とは若干違った要素を持つらしい。サブタイトルに‘The Original Story’と添えてあるのはそれ故か。いずれにせよ、原作ゲームをやったことがなくても魅力を感じられる1冊だった。
手元に1995年刊行の第7刷版があるので、恐らく初読はその年だったのだろう。またこの時点まで本書が書店で普通に購入できたことは明らかだが、その後なぜか絶版になった模様。ファンによる復刊運動の甲斐あって目出度く復活したらしく、これは紙媒体の本以外に電子図書としても手に入るらしい。
世界で最も著名なミステリ作家は誰か。もっとも刊行部数の多いミステリ作家は誰か。 <ミステリの女王> とよばれる、アガサ・クリスティである。その彼女の著作のうち、日本国内でもっとも高い評価を得ているのが本書、「そして誰もいなくなった」だ。このことは、「ハヤカワ文庫海外ミステリ・ベスト100」において総合部門第3位、本格部門第1位を獲得していることからも窺える。
原書は1939年にイングランドで刊行された。日本語翻訳権は早川書房が独占、やはり1939年に <スタア> 誌で連載で紹介されている。その際のタイトルは『死人島』、翻訳者は清水俊二氏。ハヤカワ・ミステリ文庫によると、原題は「Ten Little Niggers」であるとされているが、これはイングランドで初刊行された当初のもので、アメリカで発表される際には「Ten Little Indians」と改題された。現在は「Niggers」、「Indians」共に黒人やネイティヴアメリカンを蔑視する言葉として認識されているため、「And Then There Were None」と改められている。
――イングランド・デヴォン州沖にあるインディアン島に、互いに面識のない男女10人がU・N・オーエンなる人物からの招待で集まった。しかし、島に到着したものの、招待者オーエンの姿が見えないことに客人たちは不審の念を募らせていく。そんな彼らが最初の晩餐の席に就いたとき、どこからともなく客人が過去に犯した殺人罪を暴露する声が轟いてきた。そして連続殺人という名の処刑が、童謡「十人のインディアン」の歌詩になぞらえて開始される。
一人殺されるごとに、忽然と消える一体の人形。オーエンとは何者か、どこに潜み殺人を繰り返しているのか。そして孤島に閉じ込められた10人の男女は生きて島から脱出することが出来るのか。外界から隔離された閉鎖空間の中で殺人が連続して発生するという、いわゆる「孤島もの」「雪の山荘もの」と呼ばれるサスペンス型ミステリを生み出した古典的名作。
本格ミステリなのに探偵役が存在しない斬新さ、叙述トリックや童話その他小道具の使い方の妙、それに基本設定の魅力だとか、この形式のサスペンスの元祖的作品の一つであるとか、とにかく「そして誰もいなくなった」を傑作に推す要素には事欠かない。衝撃のラストしかり、後世のエンタテイメントに本作が与えた影響は絶大なものがある。近年この種のネタが目新しくなくなったのは、ようするに誰もがクリスティのこの作品に刺激され、それを模倣しまくったせいに他ならない。
ただ、ちょっとした前提の狂いで即座に破綻する犯罪計画が危なげなく成功していたり、視点の切り替えが複雑過ぎたり、構成に一考の余地が見られたりと粗も多いことは確か。技術に二つ星をつけているが、これは「1939年当時に読んだらこの評価を与えたであろう」という配慮であることは予めお断りしておく。
――ただ、細々とした欠点を補って余るほど、やはりこの話は面白い。10人の主要登場人物の名前と人柄を把握するまで少し時間がかかるが、彼らを一通り理解し、最初の異変が発生する頃には、すっかり物語にのめりこんでいた。読者は、殺人犯が登場人物全員を殺害するつもりであることを予め知らされる。その殺害方法までも童謡の詩歌で示唆されている。だから、次に誰がどんな方法でその罠にかかるかを手に汗握って見守らざるを得ない。そして登場人物が一人減るたびに、犯人は何者なのだろうと想像せずにはいられなくなる。そのあたりの誘導の上手さ、設定の妙がこの物語のサスペンス性を高めている要因だろう。唸らされるところだ。
大体、完璧な韻を踏む、このタイトルからして良い。1952年時点で、素早く邦題を「そして誰もいなくなった」とした訳者の清水俊二氏はその意味でも偉大だ。彼の翻訳で読めたことを幸運に思うべきだろう。「〜殺人事件」といったタイトルが一般的だった当時、他とは一線を画す斬新で味わい深いタイトルだったに違いない。
ちなみに、本書で扱われている童謡は以下の通り。ラスト部分が He got married, and then there were none(彼が結婚して、そして誰もいなくなった). となっているが、クリスティはこの部分を He went and hanged himself, and then there were none(彼が首を括り、そして誰もいなくなった). としている。
Ten little nigger boys went out to dine
Ten little nigger boys went out to dine ;
One choked his little self, and then there were nine.
Nine little nigger boys sat up very late ;
One overslept himself, and then there were eight.
Eight little nigger boys travelling in Devon ;
One said he'd stay there, and then there were seven.
Seven little nigger boys chopping up sticks ;
One chopped himself in half, and then there were six.
Six little nigger boys playing with a hive ;
A bumble-bee stung one, and then there were five.
Five little nigger boys going in for law ;
One got in chancery, and then there were four.
Four little nigger boys going out to sea ;
A red herring swallowed one, and then there were three.
Three little nigger boys walking in the Zoo ;
A big bear hugged one, and then there were two.
Two little nigger boys sitting in the sun ;
One got frizzled up, and then there was one.
One little nigger boy living all alone ;
He got married, and then there were none.
本書の著者、アガサ・メアリ・クラリッサ・ミラー(Agatha Mary Clarissa Miller)は、1890年09月15日にイングランド南部デヴォンシャ州トーキイに生まれた。ミステリに関しては自身の姉から強い影響を与えたそうで、8歳のときには既にミステリに類する書物を漁り始めていた。1907年にガストン・ルルーの「黄色い部屋の謎」に強い感銘を受け、自分が同じようなミステリを書き得るか否かで、姉と論争した。この出来事が後に作家を志す動機の一つとなったという。
1914年、アーチィ・クリスティと初婚。第一次世界大戦中は、陸軍病院で看護婦を務める。また薬局勤務も経験し、このときに身につけた毒薬・劇薬に関する知識は、後の作家生活に生かされることになる。
作家としてのデビューは1920年、 <ボドリー・ヘッド> 社より刊行されたポアロ第1作「スタイルズ荘の怪事件」によるものだった。ただし、これは7度目の正直であり、事前に原稿を持ちこんだ6社には出版を断られている。
彼女の名を世にしらしめたのは、1926年に発表されたポアロシリーズ第3作「アクロイド殺し」で、この作品で使用された犯罪トリックが『フェア』か『アンフェア』かの大論争を巻き起こし、一躍文壇の注目を集めた。直後、有名な失踪事件を起こしている。
1930年、青年考古学者マックス・マローワンと再婚。以後メソポタミアで夫の発掘を助けながらの作家生活をスタート、1939年には本書「そして誰もいなくなった」を発表する。65歳の時ににMWA(アメリカ探偵作家クラブ)から史上初の「グランドマスター」の称号を受けると、晩年は毎年クリスマスに1作品を発表するというスタイルを確立。イングランドにおいて、「クリスマスの日にクリスティを読む」という恒例行事を半ば成立させた。
1975年にポアロ最後の事件となる「カーテン」を発表、翌年01月12日に85年の生涯を閉じた。その後ミス・マープル最後の事件「スリーピング・マーダー」が刊行される。生涯66の長編と150にのぼる中短編、自伝、メアリ・ウェストマコット名義の普通小説、その他劇場用・ラジオ用ミステリなどを発表、約半世紀に及ぶ活躍だった。その功績は現在でも世界的に評価されており、 <Queen of crime> ――「ミステリの女王」と称えられている。
2004/03/25