縄文土器 関連
約1万6500年前に縄文時代が始まったと言われています。

縄文時代は草創期/早期/前期/中期/後期/晩期に分類されています。
(土器の型式の違いにより時代を分類しています;土器の型式の違いが文化の発展を示すと判断しているようです)
後期・加曾利B式(煮炊き用)


 日本最古の土器は、1万
6500年前のものです(1999年4月、青森県蟹田町出土土器の14分析結果が報告された)。日本最古の土器は世界最古の土器の1つです。「日本の文化/文明は、独創性がない、ユーラシア大陸のどこかで土器が発明され,縄文人はそれをまねただけ。」と思っていませんか。ちょっと違います。縄文人は土器製作について世界最先端の技術を持っていました。土器の製造技術を大幅に発展させました。明治時代以降の日本人による技術革新のルーツは、縄文時代にあります。
現時点では、中国江西省万年県仙人洞(景徳鎮の東)で約2万年前の土器破片と考えられる粘土焼成片が出土しています。2012/6/29発行雑誌サイエンスに発表されています。Internet情報はこちら。いずれにしても1万年より古い時代の土器研究は日本で一番進んでいます。)

< サイエンス掲載報文の要約文の小輩的日文訳
「2万年前の早期土器、中国仙人洞」
土器が発明されたことによって人間の生活は根本から変化した。この報告書は中国江西省仙人洞で発掘された早期土器の年代及び土器片とC14サンプルの層位関係に関する詳細について記載している。最古の土器片のC14年代は1万9千年から2万年前であり、今まで東アジアや全世界で発見された土器より2千年から3千年より古いものであった。土器が発掘された洞窟内の位置は、土器が氷河期後期に狩猟採取を行った移動民によって作られたことを示している。これらの土器は料理用に使われたのかもしれない。この古い年代は農業が始まる以前、1万年以前から土器が作られ、使用されたことを示している。 >

  1. 漏れない素焼き
    縄文式土器は素焼きです。通常の素焼きの土器は水が漏れます。しかし、煮炊き用の縄文式土器の内部はよく磨かれています。博物館などで縄文式土器を見る時に、内側を見てください。きめ細かく、つるつるです。 
    縄文式土器制作方法は次のようであると考えます。
  2. ”土”の選定
    縄文式土器は粘土だけで作るのではなく、砂/土などのより粒度の大きい鉱物を混合しています。千葉市で使われた縄文式土器の分析から、粘土に混合される土に千葉市の土ではないものもあることが判っているそうです。”土”として雲母が使われているものもあるとのことです。千葉市では雲母は採れません。
  3. 土器の意味
    「煮る」という料理方法は、あたりまえ過ぎる料理方法です。しかし、土器発生以前は煮ることができませんでした。「炊く」、「蒸す」も同様です。もし、煮る/炊く/蒸すといった料理ができなかったら毎日の料理がどのようなものになるか、想像してみましょう。湯を沸かすこともできません。 そんな想像をしてみると、土器が食材の種類を拡大させたことがわかります。縄文時代に、日本人は土器を使用することによって食糧問題を緩和することができました。だから、土器を重要と考え、過度の装飾が施されたと考えます。
    また、素焼きの土器は、過熱されると、遠赤外線を発生して、料理材料の内部を加熱することができるそうです。
  4. 縄文式土器編年表
    土器外見の型式によって縄文時代を区分しています。私は土器の型式(例えば下に画像で示す”加曾利E式”)について関心がありませんので判りません。他のHPや次の本を参照してください。    戸沢充則 編集 「縄文人と貝塚」 六興出版発行(1984)
草創期の縄文式土器は尖底土器と言い、底がとがっているものです。底部を石で固定したり地面に埋めて、倒れないようにし、煮るのに使用するか、貯蔵用に使用するそうです。装飾は簡単についているものでした。

縄文時代が進むにつれて、土器にひもの跡をつけることが流行しました。当時のひもは縄(植物繊維を柔らかくしてよりをかけて束ねたもの)だったので、縄の文様がついてる土器=縄文式土器と呼ばれるようになりました。
中期・加曾利E式(貯蔵用)

5.土器の形の変遷と実用性

 参照文献:「縄文土器のはなし」甲野 勇 著、学生社 発行
 
*** 縄文時代にも最近のバブルと同じようなことがあったようです。 ***

6.漆の使用
漆器は大陸の技術を導入して作られるようになったと言われていますが、日本には縄文時代に土器に漆を塗ったものがあります。漆の利用は日本で始まったのかもしれません。あるいは、日本における文化の継承が途切れた例かもしれません。

ページに掲載した2枚の縄文式土器の画像は、千葉市立加曾利貝塚博物館・友の会発行の「国指定遺跡・加曾利貝塚・絵葉書」(10枚組、¥600)をイメージ スキャナでデジタル データ化して使用しました。


 
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参考: 焼成温度

 土 器 :  1000℃以下     縄文土器、弥生土器、土師器  野焼き
 陶質土器: 1000〜1200℃    須恵器                穴窯
 陶 器 :  1200〜1350℃                        登窯
 磁 器 :  1350℃以上

 焼成工程に於ける素地の構造変化 (高嶋廣夫著「実践陶磁器の科学」内田老鶴圃発行 参照)
   100℃前後 : 吸着水の脱着
   500℃付近 : 構成鉱物の結合水が脱離
  1100℃付近 : 長石系の酸化アルカリを含む鉱物がガラス化して熔融し始める
  1250℃付近 : 長石系鉱物が完全に熔融し、素地は磁器化する(冷却化した時にガラス状になる)

 加曽利貝塚博物館付属・縄文土器研究所の新井司郎氏の研究結果によると、縄文土器の焼成温度は高々800〜900℃とされています。また、加曽利貝塚土器づくり同好会の人の経験によると、焼成温度が600℃でも、時間をかけて土器が充分に硬くなれば煮炊きに使用できるとのことです。 従って、縄文土器は粘土製鉱物の結合水が脱離して粒子間が結合し、水を加えても形を崩さない状態になっていると考えられます。
 須恵器は1100℃前後で焼成されたと言われています。粘土鉱物のうち低融点の鉱物が熔融開始する温度です。1100℃では溶融しない石英系鉱物を熔融した長石系鉱物が結合(結融)する状態になっていると考えられます。”陶器”はこのように粒子が結融しているものです。空隙が残っているために、釉を施すことによって水が漏ることを防止します。
 磁器は1350℃以上で焼成されるために、粒子間がガラス状になった鉱物で充填されるために、杯土の空隙が非常に少なくなるため、器に透明感が出てきて水漏れがない構造になります。

現在、素焼きの焼き物が作られています。備前焼です。 → 備前焼のページへ

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