自作 土器 -
左: 2003年。 大木8式土器。加曽利貝塚で作った3個目の土器です。器形や施文が加曽利E式に似ているところがあります。関東や新潟の土器に影響を与えたとのこと。 右: 2004年。 加曽利B式。 |
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左: 2003年。 右: 2005年。 青森県の是川王子遺跡出土の縄文中期の土器です。ある本の写真では黒光りしていたので漆を塗って見ましたが、別の本では若干黒い部分もあるということで、扉のある棚に眠っています。 |
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左: 2005年。 長野県中期浅鉢。 右: 2006年。 浅鉢。 |
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左: 2004年。 最左は長野県藤内出土中期・神像円筒土器、中は長野県棚畑出土中期・浅鉢、すぐ左は栃木県出土阿玉台式土器 右: 2004年。 神像円筒土器の正面。 |
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「阿玉台式土器」に困っています。「おたま」と「あたま」の2つの読みがあって | ||
左: 2006年。 津南火焔型土器。津南市のなじゃもんに展示されている70cm級の土器です。なじゃもんに行って作りたいと思い、始めましたが、口縁部と胴部の接合が写真を見てもわからず、再度行って接合部を徹底的に写真を撮って詳細に確認。やはり不整合。博物館の人に聞くと、出土した時に口縁部と胴部以下は離れており、別々に成型してから繋げたのではないか とのこと。左の画像は成型6回目のもの。2014/3/11の地震で倒れた際に鶏頭冠を含む後部が割れて数十の破片に。気長に修理しようと思っていたら、しっかりと残っていた胴部を倒してまた壊して、修理をやめました。2006年に比べて成型の腕が上がったので、もう少し小さな火焔型土器を作ります(2014年の考古学総会で十日町市博物館の人の火焔型土器の構造をCTスキャンで分析するとの発表があり、作り方もはっきりしてきているようです)。 右: 2008年。 関西胴下部穴有。 |
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左: 2008年。 群馬県千網谷戸遺跡出土の土製透彫耳飾。とある大学の先生と話していたら、「土製耳飾りは出来ますよ」と言って作ることになりました。小輩がイメージしていたのは右の右端の耳飾り。先生がイメージしていたのは左の直径10cmクラスの耳飾り。本を見て作れると思っていたら、実物を見ないと作れない。高崎市の博物館に行って本を見て、何回も成型。粘土は粒子径が細かい必要があり、成型道具は陶芸の道具を使わざるを得ませんでした(実部は赤色顔料は使っていません)。 右: 2008年。 新潟、関東西部出土の土製耳飾り。 |
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