ノート

1.C14分析 このホームページでは、質量14の炭素をC14と書くことにします(厳密には化学では 14が正しいですが)


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2.C/N分析 


具体的には、次の値を X軸と Y軸にとって各々の値と両者の比率をグラフにプロットして判断します。

 δ 13(‰) = (C1312 測定値 - 1312標準)/(C1312標準)×1000

 δ 15(‰) = (N1514 測定値 - 1514標準)/(N1514標準)×1000

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3.塩の製造

 最近は、塩が食べ物に大量に使われるため、悪玉になっていますが、塩は健康管理の上で、きわめて重要な要素です。人間の体を維持するのに塩は必要ですし、神経にも。精神的にも必須な要素です。 現在、誰もが塩はあってあたりまえのものと思っています。 それではいけません。
 塩をどのように摂取していたかを考えることは、歴史を学ぶ上で大きな問題です。


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4.プラント・オパール

佐々木氏のHPにリンクします。  『焼畑、水田、プラント・オパール』 に関するHPです。

http://www.coara.or.jp/~sasakiak/Plant-Op.html

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5.谷戸地形、支谷

谷戸地形 : 下総台地の南端には湧水を集めて小川が流れています。その小川が浅い谷を台地に刻んでいます。 この地形を谷戸地形、谷津地形と呼んでいます。中世/近世には谷戸に水田が作れられました。都川や葭川は比較的大きな谷を作っていますが、それらの支流は小さな谷を作っています。その谷を、”支谷(しこく)” と呼んでいます。












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6.蛍光X線分析   

 2003/2/16、母親の宝物(タタラの鉱滓やサヌカイト、土器破片、石器など祖父が収集したもの)を開けてみました。中に、1982/8/17の朝日新聞記事がありました。


 「X線を使った新手法、岡山理大と京大が協力」  −石器の産地ピタリ−

 古代石器の原産地を、放射線科学を使ってピタリと割り出す画期的な手法が、鎌木義昌・岡山理大、東村武信・京大原子炉実験所(大阪)両教授らの十年がかりの研究で完成、・・・(中略)・・・この手法で、古代遺跡から出土した石器が、従来の想定以上に遠くの産地から運ばれていた、などの事実が判明・・・(中略)・・・岩石に含まれる元素が、X線を当てると、それぞれ異なった強さと波長の蛍光X線を放出する原理を応用。同じ種類の石でも、産地ごとに鉄、カリウム、チタン、ストロンチウムなどの含有比率が違うのを利用して、産地を判定する、というもの。・・・(中略)・・・また、二上山産と見られていた京都・弥榮町の遺跡出土のサヌカイト石器は、実は150km余南西の香川・坂出市の金山産だった。和歌山・北山村には、300kmも離れた岐阜・下呂産のサヌカイトが持ち込まれていた。・・・(中略)・・・大阪市立博物館の安井良三研究主幹は「これまで経験とカンに頼って産地を推定していたが、調べ直せば間違っていたかも知れず、・・・・・・」と歓迎している。


 小輩が20年後に縄文時代の文明に関心を持つことを知っていたのか、小輩が母親が敷いたレールの上に乗っているのか、不思議なことです。





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7.酸素同位体分析から気温を推定する   

このホームページでは、質量16の酸素を16と書くことにします(厳密には化学では 16が正しいですが)

 酸素原子には3種類の同位体があります。質量が、16,17,18の同位体です。自然界にはO16が最も多く、O18、O17は少ないですがそれらの比率は一定です。
時代ごとの気温を調べる時は、南極大陸やグリーンランドの氷(H
2O)の酸素原子同位体の比率を測定します。
 氷や水の分子を原子記号で書くと、H
2Oです(高校の化学のレベルではです)。この分子式の「O」はO16の場合もあれば、O18であることもあります。
 気温が高くなると、0
18のH2Oが蒸発しやすくなります。気温が低いと、しにくくなります。O16とO18の比率と気温の関係をグラフに書いておけば、比率を測定することによって、氷が出来た時代の気温がわかります。
 氷が出来た時代を氷に出来た年輪や氷のひずみを測定することによって決めます。
 上記の測定によって、各時代の気温がわかります。












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8.粘土とは    (浜野健也等編集「窯業の事典」朝倉書店発行 参照)

生 成 :岩石が風化作用、堆積作用、続成作用、熱成作用を受けて作られた微小粒子鉱物。
      堆積作用によって生成された粘土には、淡水成粘土と海成粘土がある。
 海生粘土:焼成温度が1000℃を超えると海生粘土は海綿状になり陶質土器以上の焼き物はできない。
        縄文土器は海生粘土で製作できたが、須恵器は海生粘土では製作できない。
        下総地方に須恵器窯跡が少ないのはこのことが原因。縄文土器製作には海生の常総粘土層が使われた。
        須恵器が5世紀に製作された近畿地方では、海生粘土層の一部が淡水生粘土層であったため、淡水生粘土層が注意深く採掘された。

成 分 :粘土性鉱物の混合物。 粘土性鉱物はカオリナイト、ハロイサイト、モンモリロナイト、タルク(滑石)、セリサイト(雲母)など。
      例としてカオリナイト = AL2O3・2SiO2・2H2O

粒子径 :粘土の性質を示すのは2μm以下の粒子。

性 質 :水を加えると可塑性を示し、乾燥させたり焼成すると硬くなる。
 可塑性:鉱物粒子の固形分が最密充填未満における界面張力による。
 固化 : 200℃以下 = 吸着水や層間水の脱水
       500〜700℃ = 結合水(結晶水)の脱水
       1000℃以上 = 晶系変化 (モンモリロナイトの晶系変化は他の鉱物に比べて低温で約900℃)
       (1350℃以上 = 熔融 但し長石分の多少や塩基性の強弱により、熔融温度は変化する)

水 簸 :すいひ。 粘土を多量の水に分散させ、静置し、デカンテーションすることによって、粒子径の小さい粘土質鉱物を分取する方法。
      弥生土器製作に、水簸を行った胎土を使用したものがあると考えられている。
      須恵器以降の陶磁器製作には一般的に行われている。
      工業的には、セントリクリーナー(遠心力利用分級器)やスクリーン(電動ふるい)、浮遊選鉱法が用いられる。

混 合 :土器、陶磁器は粒子径が大きい珪酸鉱物(砂)と粒子径の小さい粘土質鉱物(一種の接着剤)という組合せで製作される。
      土器、陶磁器胎土の鉱物の粒度分布はバイモーダルもしくはポリモーダル。

ねかせ :精製された「粘土」や「胎土」は数ヶ月〜数年熟成される。
      粘土中の有機物の分解や固形分/気泡の均一化、粒子の水和性を増加させて、可塑性や成形性をよくする。





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9.関東地方の土器編年

1978年、 江坂輝弥 作
時  代 型  式 地層
晩 期 荒海 
姥山台X
杉田U
真福寺
姥山台U
































後 期 安行 
岩井 
曽谷 
加曽利B
堀之内
称名寺
中 期 加曽利E
勝坂 
五領ヶ台
前 期 十三菩薩
草花 
四枚畑
矢上 
水子 
黒浜 
関山 
二ツ木
野中 
早 期 菊名
清水坂・鵜ヶ島台
野島 
子母口
田戸 
三戸 
平坂・花輪台2
稲荷台・花輪台1
草 創 期 夏島 
井草 
橋立 



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10.土器についた指紋が犯人捜査方法開発のきっかけ


1873年に英国人ヘンリー フォールズは医師として来日し、東京の築地に診療所を構え、病人の治療にあたりました。彼は雑誌社を創立するとともに、著名な雑誌に論文を投稿する学者でもあった。大森貝塚を発掘したエドワード.S.モースの論客であり、反対の立場で公開討論を行った実績もあります。
フォールズは大森貝塚で発掘作業に参加した際に、土器の表面にうっすらと残された何本もの平行した曲線に目をとめ、指紋に違いないと考えるようになった。現代の陶器にお同様なことがあるだろうかと思いながら東京の市場を回るうちに、陶器の茶器に指紋があることを認めた。特徴のある曲線のパターンがいくつもあることから、陶器に残された指紋からその陶器の作者を同定できるのではないかと考え始めた。
フォールズが診療を行っていた病院の棚にあるビン入りのアルコールが徐々に減るという小さな事件が起こった。近くにあったビーカーをよく調べたところ、多くの指紋が残されており、その指紋は診療に通うフォールズが教えている医学生のものであり、その人間がアルコールを酒代わりに飲んでいたことが判った。
フォールズは指紋が個人識別の方法として確立するため、多くの学者に協力を得、多くのデータを集めようとして、まずダーウィンに手紙を出したが、ダーウィンは老齢を理由にして支援することはなかった。
フォールズは雑誌「ネーチャー」1880年10月28日号に投稿し、指紋検査が犯人検挙の方法になることを訴え、データ収集の協力を求めた。各国の警察にも協力を求めたが、フォールズの運動に共鳴する人はすぐには現れなかった。
指紋による個人の識別が世間で認められるには多少の時間がかかりました。 現在、どれだけ役に立っているかは誰でも知っています。

「指紋を発見した男」 コリン・ビーヴァン著、茂木健訳、主婦の友社 発行 参照

東京都中央区明石町にある聖路加ガーデン(聖路加病院の東隣)に「指紋研究発祥の地」の石碑があります。
指紋研究発祥の地
ヘンリー・フォールズ住居の跡

ここは明治初年にあった築地居留地の18号地で、英国人医師ヘンリー・フォールズ(1843〜1930)が明治7年(1874)から同19年(1886)に至る滞日中に居住した所である。フォールズはスコットランド一致長老教会の宣教師として来日し、キリスト教布教のかたわら、築地病院を開いて診療に従事し、また日本人の有志とはかって盲人の保護教育にも尽力した。
彼はわが国で行われていた指印の習慣に興味を持ち、たまたま発掘された土器に印象されていた古代人の指紋を発見し、これにヒントを得てここではじめて科学的な指紋の研究を行った。
明治13年(1880)10月、英国の雑誌「ネーチュア」に日本から投稿した彼の論文は、科学的指紋法に関する世界最初の論文といわれ、その中で早くも犯罪者の個人識別の経験を発表し、また、指紋の遺伝関係にも言及している。
明治44年(1911)4月1日、わが警察において、はじめて指紋法が採用されてから満50年の今日、ここゆかりの地に記念碑を建立し、その功績をたたえるものである。











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