・・・ おまけ ・・・

寓意画とデュシャンとの(サカタヤスコ的)関連(観)

デュシャンという人は、いかにも象徴画や寓意画や錬金術なんてのがすきそうであります。

東野芳明は 「裸にされた花嫁(大ガラス)」 の最初のデッサンと、  ”ユージェーヌ・カンスリエの錬金術の挿し絵 「裸にされた花嫁」 ”  という絵がそっくりだと指摘しています。

「裸にされた花嫁」 というのは、錬金術で非常によく出てくる表現で、 「賢者の石(錬金術で一番大事な秘密のアイテムです!)」 から、 全ての色彩(服や装身具)を剥ぎ取り、至高の透明性(つまり裸の処女)を得る、 錬金術の象徴的な表現だそうで、 「花嫁」 というのは錬金術で言う  「結婚」 ・・・(水銀=女性)と(硫黄=男性)を化合(結婚)させて、 究極の目的である 「金」(錬金術の最終目的は ”金” を好きなだけ作り出すことです)にするための作業・・・   を、表しているというのです。

錬金術というのは、火や石や水で様々な実験を繰り返し続けたために、 化学の基礎ができたり、陶器を焼けるようになったりと、 いろいろ副次的な産物を生み出していますが、 基本的に、秘密の作業だったために 「象徴」 や 「記号」 や 「たとえ」  で説明や書物が表されることが多く、  「シンボライズされた不思議な絵」 の数々も、その副産物の1つです。

また、デュシャンは 「絵の中に描かれたものに意味(メッセージ)がある」  のが好きだったらしく、「蜜蜂の発見」なんていう神話的な主題を描いた ピエロ・デ・コジモという人の絵が好きだという話をしています。

こちらは錬金術の挿し絵のような「象徴画」ではなく、 もっと神話的というか物語めいたもので、 サテュロスや古代ギリシャ的な人々が集まって、 大木を見てなにやらしている情景が描いてあり、絵のタイトルから、 「蜜蜂」に関する伝説を描いたのだろうと想像できます。  (私は「蜜蜂の始まり」についての伝説を知らないので、 なにやらファンタスティックで面白そうな情景に見えるだけなんですが・・・)

ともあれ、自分の作品のタイトルに複合的な意味を持たせる (*[注]は下)のが好きなデュシャンですから、 絵の中に多重の象徴的な意味が隠された 「錬金術」 の挿し絵や  「象徴(寓意)画」 を好きそうなのは、想像にあまりあるところです。





−[ 寓意画とシンボル ]−

西洋絵の中で、 日本にあまりないタイプの絵のジャンルに  「象徴的表現を使って物事の成り立ちや性質を描く、寓意画」  という系統があります。  (19世紀末〜20世紀初頭に現れた「象徴派(シンボリスム)」 とは少し目的が違います。 「象徴派」は絵画運動であり ”画家個人が何を描くか” が大変重要ですが、 「寓意(象徴)画」の方は一種の実用品であり、極端に言うと画家は誰でもよくて、 別の画家に取り替えても象徴する意味さえあっていれば、 絵の価値が成立するような部分があります。)

「寓意画」は教訓や事物の意味や哲学的命題や定義を、 多彩な「シンボル」を使って絵の形に構成したものです。

寓意として描かれるシンボルというのは、わかりやすいところでは  「花をまきちらす乙女=春」 とか、「白百合=聖母マリア=純潔」 とか、 「フクロウ=知恵」 とか、「朝=子供時代 昼=青年 夕方=晩年  の3点セットで ”人間の一生”」 ・・・とかで、 静物画の画面に堂々と不気味な髑髏を描く 「オムニア・ヴァニタス」  なんかもこれの一種です。  「豚=貧欲」なんていうのは、教訓的な意味を絵の形に変換したものです。  (豚にはちょっと迷惑だと思いますが・・・)

これらシンボルは、ごく普通の肖像画や静物画の中にも、 メッセージを伝える手段として一般的に広く取り入れられていました。
19世紀以前の西洋絵画で、絵の中の人物が何かをわざわざ手に持っていたり、 妙な品物が背景に描き込まれている場合は、たいてい何かの「シンボル」である事が多く、 宗教的な象徴の事もありますし、その人の人格や職業、家柄や歴史的な事件、状況や感情、 何かの物語に見立てたもの・・・などなど、表そうとする意味や内容は様々ですが、 絵画的な装飾としての意味以外に、 絵に何かのメッセージ性を含ませたい時の表現方法として、 「添え」の形で「シンボル」がよく使われています。


さて、人物画などの「添え」ではなく、シンボルの意味そのものをテーマに描くのが  「寓意画」 というジャンルです。  何かの属性の説明とか、何かの教訓とか、何かの象徴とか、哲学的命題とか、 人生の意味とかを、目になじみやすい「絵」の形にして、 具象的に表現しようというものです。

で、機能的にというか、結果的に、
描かれた絵は 「多重画(ダブルイメージ)」 に近いものになります。
「古めかしい衣装を付けた女性(ヨーロッパ)が、 若いはつらつとした女性(アメリカ大陸)と手をとりあう」 という絵で、  「新大陸発見」 を表現するとか、そういうのです。

これなんぞは、一見、美しい女性が2人描いてあるだけなので、 単なる美人画かと思って見ていると、実はわりとハードなテーマであった。 ・・・という感じですが、おとぎ話のような絵が政治風刺であったり、 脳天気なドタバタ騒ぎが化学の説明であったりと、なかなか方向性が多彩です。

先ほどの「オムニア・ヴァニタス」なんかは、 「いろいろあっても、 人間は必ず死んで最後はこんな髑髏になっちゃうんだ。 ”無を思え”か・・・  人生っていったい・・・」 などとしみじみするために、 わざわざキモチ悪い(というか、縁起悪い)髑髏の描かれた絵を、 家に飾っているわけです。
そういう意味で単なる装飾とか美術芸術ではなく、 非常に実用的な意味のあるもので、 どちらかといえば「絵画」よりは「書物」に近い存在意義のもの、  「見る」 というよりは 「読む」 という感じ。
もともと西洋絵画の歴史は「美術品」よりは「実用品」としての要素が強いので、 こういうジャンルがあるのもなるほどなぁ・・・という感じです。

日本では、これに近いジャンルを探すのは非常に難しいのですが、 仏教の教えをユーモラスな絵の形で象徴的に描いた「大津絵」(仏教の教訓画)が、 かろうじてこれにあたると思います。(藤娘とか、雷の行水とか、ひょうたん鯰とか、 鬼の念仏とかが、大胆なタッチで描かれているアレです。)

で、 「これの象徴はこれ」 という変換システムは、一種の 「お約束」 になっていて、  「割れた鏡や瓶は処女制の喪失」 なんていわれると  「なるほどねぇ」 という感じですが、  「カメレオンはまわりに合わせて体色を変化させることから  ”火によって変化させられる金属を表す”」 なんていう錬金術的な説明になると、 もう好きにしてちょうだいという感じ!  予備知識のない素人が、絵だけを見て意味を判別するのはまずムリです。

「シンボルを描く絵画」 の典型的な例は 「錬金術」 関係の物で、  実験室らしい部屋の空中に 「目」 だけが大きく浮かんでいたり、 裸の女性の頭から実のなった大木が生えていたりと、ファンキーというか、 意味を知らないまま見ると 「なんなんだこれは!」 というか、 ほとんどやりたい放題ですが、空想的雰囲気の画面構成がたいへんに面白く、 シンボライズされた世界を追求する事に没頭した20世紀初頭の象徴派 (シンボリスト)のみならず、超現実主義者(シュールリアリスト)や、 各種 ”いままでの網膜的絵画に飽き足らない画家たち” の  強い興味を引いたようです。



”A vanitas Still Life”   Pieter Claesz



−[ タイトルの多重性について ]−

[Ex.1]
デュシャンの立体作品で ”フレッシュウィドウ (できたての後家さん) ”  というタイトルがつけられた、緑色の窓枠があります。

東野芳明氏の解説によると、  FleshWidow が FrenchWindow ( フランス窓 )  と読み間違いやすい上、 Flesh がスラングで 「 淫らな 」  という意味があり、さらに 「 観音開きで開閉するフランス窓 」 に対する  「 落とし窓 」 の方は 「 ギロチン 」 と呼ばれていて、 それも、フランス語のスラングで 「 後家さん 」 になる・・・とか、  (ギロチンは、彼の作品に出てくる ”首なしの花嫁” や ”去勢”  を連想させる)
FrenchWindow を、  「風邪を引いて鼻がつまった状態」 で発音すると、  FleshWidow になるとか・・・ いろいろ深読みされています。
(ここで ”ローズ・セラヴィよなぜくしゃみをしない”  というデュシャンの作品名を指摘するところがうまいっ!   もちろん ”ローズ・セラヴィ” はデュシャンの女性名でありますから、 自分自身について何か言っているんだろうと思いますが−−−  私はここで、鼻が詰まると2つの ”N” が抜ける事に注目したいなぁ・・・ わざわざ両方とも ”N” が抜けるんだから、 N の字か発音そのものに 意味があると思うのだが・・・ とはいえ英語もフランス語も弱いので、 自分ではいかんともしがたい。  誰かに謎解きを依頼したいくらいです。)


[Ex.2]

モナリザの絵はがきにヒゲを描いただけの、 まるで低級な何かのイタズラ描きみたいな作品に、 下に 「L.H.O.O.Q.」 と書き込んだものがありまして、 これは、アルファベットとして読むと  「エラ・シオ・オ・キュ(彼女のお尻は熱い=この女は欲求不満)」、 英語として読むと 「ルック(見ろ!)」 になるらしい。  他にレオナルドがホモだったという話とか、 デュシャンが女性名を持ってて女装して写真を撮っていたこととか、 いろいろ連想できるのであります。
後日談として、今度は普通のモナリザの絵に「ヒゲを剃ったモナリザ」 ってタイトルつけて提出してます。
・・・このオヤジはほんとにもぉ・・・



なお、意味の複合 (意味の多重化) という点では  「エナメルを塗られたアポリネール」 も、  ” 「看板の広告絵画(イラストというか、かわいい女の子の絵)」  という皮を被った 「商品広告(実際には、描かれた女の子ではなく、 販売される製品や物品を表現している)」が、 「デュシャンの作品」  という皮を、もう一枚被っている”  ので、そういう点でやはり  「複合的な (1枚の絵が多重化されている) 」  趣味のものではないかと思います。

ここまでくるともう、ダブルでもトリプルでも、何でもいらっしゃい、 という感じ!



2000.2.9.

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