サカタヤスコ風

・・・ デュシャン作品ご紹介 ・・・

* 階段を降りる裸体 *


キュビスム風(立体派・・・つまり2次元の油絵で3Dをやろうとした一派です)の
女性が階段を下りてくる様子が、重なって(ブレて/多重に)描いてあります。

当時盛んになってきた「写真」の手法で、「動きを連続写真として1枚の中に撮る」
のが、なかなかセンセーショナルだったようで、たくさんの画家が影響を受けたよう
ですが、これもその1つ。 日本の「絵巻」で試された「時空の多重化手法」がなぜか
西洋絵画ではこの時代に、時空の表現手法への1つの挑戦として開花しています。

デュシャンは、女性の 「動く足」 を、足をいくつにも描く事で表現しましたが、
この手法は、後に日本のマンガのギャグ表現として、重要なものになりました。

(参考図版)
* 秘めたる音に *

巻いた糸の中に 「何か」 を入れてもらったのがこれ。
鉄板でフタをして 「ボルトとナットでカンペキさ(所ジョージ)」 状態!

ここまでしなくてもいいだろう(たかが糸巻きに・・・)と思うのですが
「秘密」 は厳重に守られていてこそ 「秘密」 なのであります。

ちなみに・・・
「(秘密の)中身は何でもいい(”閉じられた秘密”でさえあれば)」という件について、
ヒッチコック監督の有名な 「マクガフィン」 の説明を思い出す人もいるでしょう。

「マクガフィン」というのは、ヒッチコック映画に出てくる「スパイが狙う国家機密」
とか、 「ギャング達が、目の色を変えて追いかけてくる大変な品物」 とか、
ヒッチコック映画でハラハラドキドキのサスペンスのきっかけになる品物です。

・・・で、その品物の 「正体」 は何かというと、ヒッチコックは
「そんなのは別にどうでもいい、興味がない」 と言っていました。

「機密をみんなが命がけで追いかける」 という設定が映画には大事なのであって、
「その機密とは何だったか」 は映画に出なくてもいいし 「実はそれは**だった」
などという謎解きも必要ない。 その品物が何であろうとそれが「秘密」である限り、
「あいつが”マクガフィン”を持ってるぞ!」 と、いかにも何かありそうに、出演者が
叫ぶだけで十分サスペンスの動機になる。・・・実際の品物や細かい設定はドラマに
必要ない。「マクガフィン」という名前だけでサスペンスは成立する。・・・というのです。

単に 「秘密」 や 「機密」 という役目だけの品物。
いわば 「純粋な秘密そのもの」 を、ヒッチコックは 「マクガフィン」 と呼びました。

この、デュシャンのオブジェの中には、純粋な 「マクガフィン」 が入っています。
* 瓶掛け *

デュシャンのレディメイド作品1作目。

フランスの家庭用品で、洗ったワインの瓶を逆さまにかけて干すものらしい。

私はまだこの「瓶掛け」が実際に使われているのを見たことがありません。
今はあまり家庭で使われていないのかもしれませんね。

で、デュシャンはこれをデパートかなにかから買ってきて、
「オブジェ」として出しました。(たしかに「オブジェ(物)」なんですけどね・・・)

・・・で、ずーーーっと悩んでいることがあるんですけど・・・
これ、太い針金で作ったみたいな品物なんです。
デュシャンがサインを入れるっていって、いったいどこに・・・?????
(ちょっとオタクな悩みだったでしょうか・・・)


* 遺作 *

「(1)落ちる水 (2)照明用ガス,が与えられたとせよ」



正確に言うと、 「遺作」 の扉部分です。

本当はこの扉に穴が空いていて、その穴から中を覗く。という構造になっています。
中には青空の下に、大股開きのハダカのおねーちゃんが・・・ という展開になる
わけですが、私はこの「扉」の部分が非常に重要なのではないかと思っています。

これが、デュシャンが 「ノート」 のメモでずっと追求している
「アンフラマンス(超薄膜)」 である可能性があるからです。


「扉」による隔たりは、見はしても触れられないもの、「雌の縊死体(花嫁)に
けして触れられない独身者達 = 大ガラス(彼女の独身者達によって裸に
された花嫁・・・さえも)」 の世界を、立体化させたもののような気がします。

「扉」を覗き穴越しに通過して、中の「花嫁」に到達するのは 「視線」 だけです。
届いた 「視線」 は、発した人が 「花嫁」 に到達したという事なのでしょうか?
扉を通過する「視線」は、本人の発したものであるのに、本人は届いていません。
この「視線」が「超薄膜」なんだな・・・と私は思ったのですが、どうなんでしょうか。



// アンフラマンス //

デュシャンの魅力は、私は 「意味の多重構造と、静かな官能性」
ではないかと思っていますが、上記の「超薄膜(アンフラマンス)」は
「分離できる限界スレスレの薄い隔たり」 のようなものの知覚で、
たとえば 「(いま、人が立ち去ったばかりの)椅子の暖かみ」 とか、
「”影を作り出すもの” 様々な光および光を反射するものへの連想。
影を作り出すものは超薄膜に作用する」  だとか書いてあります。

椅子に残った体温は、去っていった人の一部なのかその人でないのか、
影を生じさせる人は影を発生させるが、影はその人そのものではない、
本体であって本体でないもの、本体のON/OFF、色即是空・空即是色
「アリマス、アリマセン、ソレハナンデスカ?」(ハムレットの ” To be
or Not to be ”の、ある種の訳) なんて感じの「危ういへだたり感」

この人らしい、冷たい官能感のある設定です。

「 極限的に薄い膜で仕切られたへだたり 」
それが「アンフラマンス(超薄膜)」であります。

* 大ガラス *

「彼女の独身者達によって裸にされた花嫁・・・さえも」


「遺作」 が発表されるまで、最後の大作と信じられていた 「大ガラス」
この作品は、長い間パトロネスに預けられていて、ずっと未完成でした。

ある時、「大ガラス」は輸送中に壊れ、ガラスにヒビが入ってしまいました。
(この作品はガラス板に絵を描いた一種の ”ガラス絵” のようなものらしい)

関係者は真っ青だったようですが、それを聞いたデュシャン本人は、
「これでやっと作品が完成した!」 と大喜びして、その割れたガラスを
1つ1つカケラをつなぎ合わせて、大ガラスを元に戻してしまいました。
(つくづく、細かい手作業の好きな男です。)

偶然入ったガラスの ” ヒビ ” の具合がよほど気に入ったのか、
もっと別に、何か気に入った理由があったのかはわかりませんが、
写真を見たところ、ガラスに蜘蛛の巣のようにヒビが入っています。

彼の 「 超薄膜(アンフラマンス) 」 についてのメモノートの中で、
「蜘蛛の巣」 という言葉とか、「ガラス絵の、絵の具のついていない側」
などという言葉が  ”アンフラマンスの例”  として出てきています。

「ガラス絵」 に 「蜘蛛の巣のようなヒビ」 が入って、
自分では 「偶然とはいえ、うまく要素が入ったなぁっ!」
などと、 こころ密かに思っていたのかもしれません。

// トランク //


”デュシャン作品のミニチュア複製セット” です。

それだけですが、これはつまりこれで「作品」なのではないかという感じ。
デュシャンはこれを 「限定300個」 とかで、作って売ろうとしたらしい
のですが、なかなか完成しなかったようです。 (そりゃそーだろーー!)

トランクの中に、大ガラスとか髭の生えたモナリザ、手のひらに乗るような
「便器」 (うーむ、TOTOのショールームのようだ) などなど、デュシャンの
作品がミニチュア化されて、 「各種詰め合わせセット」 になっています。

で、 デュシャンはむやみにこの詰め合わせトランクの製造に熱を入れたらしく、
宇佐美圭司によれば 「”大ガラス”は単に作品の写真印刷ではなく、ミニチュアの
立体作品」 になっており、 「秘めたる音に」 の写真復元も 「透明のビニールか
プラスチックに写真が刷られ、その下に半透明の隔離板が、さらにその下に黄色の
色紙が敷かれていて、全体が小さな箱に収まっている」という凝りまくったありさま。

それを全部手作りで作っていたんですから、やっぱりこの人は「工芸好き」というか、
無類の手作業好きだったに違いありません。 ちょっとプラモデルマニアの域・・・か、
ボトルシップマニアのような熱心さです。 これなら割れた「大ガラス」のカケラを全部
継ぎ合わせることくらい、けっこう楽しくやれるだろうな・・・  という感じであります。

今は愛好家の手元や、各地の美術館に収蔵されているようです。


2000.2.9.

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