あとの祭り[後篇】

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あとの祭り

【後 篇】



「くそっ繋がらねえ!」
「落ちつけよベジータ、まあそうイライラすんなって」
「うるせえな、あいにくオレはキサマのように平和な思考回路じゃねえんだ!!」
携帯電話をいくら鳴らしても、電波が圏外であることを告げるむなしいメッセージが聞こえるばかりだ。
オレたちが待ちぼうけをくらう場所は居並ぶ屋台の裏あたり、人目にはつきにくいが、風がよどんで暑苦しい事この上ない。何も買えないと分かった以上、こんな祭りに用は無いんだ、さっさと帰って寝ちまいたいのにブラは一向に現れない。まったく、いつまで待たせるつもりだ!自分の娘ながらアイツは頑固で奔放で、まったく手に余る。一体誰に似たんだか。


ビル群の谷間に見えていた月がビルの天辺よりも高く昇った頃になると、祭りはますます盛り上がり始めた。往来の人出は一層盛んになり、子供をおぶった父親や赤ん坊をつれた母親、互いの手を引く若い男女から腰の曲がった老人まで、どこから湧いたかと思うほどの地球人達が次々オレの前を通り過ぎる。呼び込みをする売り子の声は一層高く、色とりどりのパラソルの下では裸電球が灯り、子供たちがボールを網ですくってはしゃいでいる。物影からは彼らの袋菓子を狙って、野良ネコがひそかに目を光らせている。
そして、ブラは相変わらず戻ってこない。時間の経緯を示すように、オレの手にした1パックのつつましいご馳走は紅ショウガの一すじも残さず空になっていた。―――ああ、くそっ腹が減った!!


「平和だなあ、ベジータ」
「フン!どいつもこいつも呑気なツラしやがって。オレ達がいなけりゃこいつら全員、チョコやアメのままだったんだ、少しは感謝しろと言いたいぜ」
ああそうだ、魔人ブウの腹に収まって消化されたはずのこいつらが祭りだ何だと浮かれていられるのは、このオレ(…と、隣りにいるヤツ)のお陰だ!そのオレの話を断りやがって、許さんぞ屋台のオヤジ!!
「まあそう言うなって。だいたい魔人ブウの件はオラとおめえにだって責任はあったんだしな」
「……チッ」
地球が大好きなオレの隣りのサイヤ人は、浮かれて通りすぎる地球人どもを見て大層ご満悦だが、オレにとってはそんな事、どうだって良い。それよりも先程から空腹を訴え続ける腹の虫と、ちっとも戻らない娘、そして縁石に座るカカロットが、次々ぱくついている『焼きトリ』の方がオレにとっては大問題だった。


「…………」
「なんだベジータ、機嫌悪いな」
当たり前だくそったれ。
「やっぱり待つのは退屈だもんなあ」
すきっ腹を抱えたまま、カカロットが的外れな事を言ってもオレは腕組みをして黙っていた。1パックの焼きそばを胃に収めてしまった今、オレの手にはもはや何も握られてはいない。くそっ、これっぽちでオレの腹が足りるか!相変わらず人ごみの中から娘が姿を見せる気配も無い。ドコをうろついてやがる!更に運悪く、オレ達が待つ場所は焼きトリを売る屋台の裏だった。オレの立つ場所にまで流れてくる、香ばしいタレの香り、脂が火の上に落ちた時にぱっと立ち上る油煙と炭火の匂い。『……ぐううぅううううっ』!!ああ腹が減った!!
――くそったれ、カカロットのヤロウ1本くらいよこしやがれ!
気の利かない男に苛立ちながら横目で奴の顔を一睨みする。すると視線に気がついたのか、カカロットが急にこちらを見上げてきてオレの目と正面からかちあった。


「………!!!!」
「ん、何だベジータ、んな怖え顔して。あ、そうか。おめえもコレ食いたいんか?」
「だっ誰が!!」
し、しまった、待ち望んだ言葉なのに、思ってもいない事を言ってしまった!持ち前の負けず嫌いが災いして『はい、そうです』と素直に言えない自分が腹立たしい。そんなオレに追い打ちをかけるように、『……ぐううぅううううっ』……またしてもタイミング悪くオレの腹の虫が鳴きやがった!
「なんだ、それなら早くそう言えばいいじゃねえか、食えよ、ホラ」
そう言ってカカロットは、自分が食べかけていた焼きトリの串を差しだしてくる。何で食いかけなんだ、そっちの新しい方を寄こしやがれ!
「誰が食うか!」
「いいじゃねえか、遠慮すんなって」
「食わん」「いいじゃねえか」「いらん」「遠慮すんなよ」「遠慮なんかしてねえ!」「けどおめえ、『欲しい』って顔してるぞ?」「してねえ!」


「いいから、ほら食えって」
「しつこいぞキサマいい加減に……うわっ?!」
言い争ってカカロットの方に身を乗り出していたオレは、ヤツに手を掴まれてものすごい力で引かれた。そのまま、どすん、と尻もちをつくような形で、カカロットの横に強引に座らされる。しかもあろう事か、ヤツはなれなれしくオレの肩まで抱いてきやがった!!
「キサマ、何しやがる!!」「いいからいいから」「暑苦しいんだキサマ、離しやがれ」「くっつかねえと食えねえだろ?ほれ、ベジータあーんしろ」「誰がするか!!」
デカイ体でベッタリとひっついてくるカカロットをもぎ放そうと、オレは必死で身をよじるが、コイツの馬鹿力ときたらそんな程度じゃびくともしねえ。
「キサマ、いい加減にしろ!さもないと……」
『この場所ごと吹っ飛ばしてやる!!』と言いかけて、オレはぐっと言葉を飲み込んだ。ブラの「騒ぎを起こしたら承知しない」という戒めが頭を掠めたのだ。くそっ!!


悪い事は重なるものだ。イライラを募らせるオレの目の前で、更にオレをイラつかせる事が起こった。オレがカカロットともつれ合ってじたばたしていた時、若い1組の男女がオレ達のいる通りへと近づいてきた。いかにも恋人同士といった風情で、互いにくねくねとしなを作り、混雑した往来の中でも相手の姿以外見えていないのか、他の通行人に肩をぶつけまくりながら歩いてくる。ソイツらが、あろう事か往来の真中、ちょうどオレ達の目の前あたりで、おもむろに抱き合ったかと思うといきなり熱烈な接吻を始めたのだ。
「!!!!!!」
人目をはばからずキスするカップルを見て、オレはギュウギュウ圧し掛かってくるカカロットの事も一瞬忘れて絶句した。
「なっ…何てハレンチな地球人どもだ…!!」
更に驚いた事に、音がしそうなほど唇を絡めあいながら、女の方がチラリとオレを見たのだ。気のせいじゃない、表通りから見えにくいはずのオレたちの姿を目に留めて、ニヤリとその目が笑うのをオレはハッキリと見た。……何だ……?まさかこいつ、オレたちに見せつけようってのか?!かあっと顔が赤くなる。それに対してカカロットの方はと言えば、相変わらず平然としたままだ。
「何だ、別にあれくらい誰でもすんだろ?おめえだってオラとしょっちゅうしてるじゃねえか」
オレの肩を抱きながら、事もなさげに言い放つカカロットの言葉に、今度は全身から火が出そうになった。
「バカヤロウ、余計な事を言うなくそったれ!!」
「あ、ベジータおめえ、ここ…」
カカロットの行動はいつでも唐突だ、顔を寄せていたヤツにオレはいきなりものすごい力で顎をつかまれて、強引に上を向かされた。うわあああっカカロット!顔が近い!近すぎる!!
「……ああ、ほら、おめえ口に『青ノリ』ついてんぞ」
ほらココだ、とヤツは片手でオレの顎を掴みながら、反対の手でオレの唇をぐいぐいと擦ってくる。あまりの距離の近さにオレは全身真っ赤になりながら、ヤツの手を払いのけようと必死に暴れた。青ノリだかなんだか知らねえが、そんなものどうだっていい!
「離せ、離しやがれ!!」
「ああもう、動くなよベジータ、取れねえじゃねえか。……ああっもうちょっとだったのに!もう面倒だな」
「おい、キサマ一体何を考え――」
オレの体はカカロットに深く抱きこまれ、奴の顔がこれ以上無いほどに近づき、オレはたまらず目をつぶり、そして―――


―――ぺろり。
「……っと。よし、取れたぞ」
ぎゅっ、と閉じていた目を開くと、舌を出したカカロットが、相変わらずへらへらしながらオレから顔を離していった。オレの唇は、カカロットの舌に舐めとられていた。
「………!!~~~~~キッキサマアアアアッ!!」
いつもながらのヤツの唐突な行動に、オレは今度こそ怒り心頭で立ち上がろうとした。いつものオレならそうだった。……しかし、今日のオレはいつもの少々違っていた。極度の空腹だったんだ。


…何、この味は…!
口の端を舐められた時に感じた、カカロットの舌の感触。同時に感じる、奴がさっきまでパクついていた『焼きトリ』の味。それは、極度の空腹を味わっていたオレの理性を失わせるには十分だった。香ばしい炭の香り、ちょっと焦げたタレと隠し味の酒の絶妙なブレンド、そしてしっかりと下味のついたトリの味!!!!
「カカロット…」
「ん?なんだベジータ、どうし…」
焼きトリ…オレの焼きトリ!!気がついた時には、オレはカカロットの胸にしがみ付き、その太い首に腕を巻きつけて、やつの唇を味わっていた。
「―――お、おいベジータ、おめえどうしたんだイキナリ?!」
カカロットが大きく目を見開いて、驚いた顔をする。珍しくうろたえるヤツの事も気にせず、オレは夢中になってカカロットの唇を舌先で舐めた。ヤツの口の端についた、トリの皮の旨味そして絶妙に味付けされたタレの味。ああ、オレの焼きトリ!!
「……………!」
音を立てそうな程の勢いでオレが夢中でヤツの唇を舐めていると、何を思ったのかカカロットはオレの体を強く抱き締めてきて、顎を掴まれたかと思うと、逆にオレの唇は強くむさぼられ始めた。
「……っん……ふ……」
ヤツの舌がオレの咥内に刺し入れられると、焼きトリ味がいっそう強くなってオレを恍惚とさせる。鼻を鳴らしてそれを味わう。ああっくそっ!待ち望んだこの味わい、オレの焼きトリ!
「……あ……ん…ぁ……カカ、ぁ…足りな……もっと」
こんなもんじゃ足りねえ、もっと、もっと寄こしやがれ!!オレは夢中になってカカロットの唇と舌を舐め、吸い上げ、甘噛みしてはむさぼった。ああ、この味!!味わう程に、ヤツの唇からは先程までカカロットが食っていた様々な物の味がした。この味はタコ焼き!これは…かき氷!これは…焼きトウモロコシ!!これはフランクフルト!!ああっもっと、もっと欲しいカカロット!!










……どれくらいそうしていただろうか。口の端からぽたりと唾液の落ちる感触で我に返った。再びオレが目を開くと、オレを抱きすくめるカカロットが、少しばかり照れたような顔でオレを見ていた。
「何だベジータ、今日は随分ノッてるなあ」
「……は?」
たっぷり2.3秒は硬直しただろうか。オレは暫しの間思考停止状態に陥り……その直後に、自分の取った行動の恥ずかしさに、今度こそ全身から火がでるんじゃないかと思った。おっオレは、今一体何をした…?!オレは……カカロットのヤツに自分から……きっ、きききき、キスを……っ!!!!!
「うわああああああああああっ!!」
自分の頭を抱えて絶叫する。本当ならばついでに大暴れしたいところだが、カカロットにガッチリ抱きすくめられているのでそれは叶わない。何て事だ、このオレとした事がよりによってカカロットに自分から……!!!!
これじゃ例のハレンチな地球人どもよりよっぽどハレンチだ!!そう思って顔を上げると、例のハレンチな地球人どもは夢から覚めたような顔をしてそそくさと立ち去るところだった。まるで自らを恥じ入るかのように。


「あの二人、なんかオラたちをみてビックリしたみてえだったなあ」
自分たちだって散々チューしてたのになあ。カカロットが目をぱちぱちと瞬かせながら立ち去る二人を見送る。
「なあ、おめえもそう思うだろ?」
「うっうるさい!」
「何怒ってんだ?おめえ自分からオラにチューしてきたんだろ」
「うるさい!うるさいうるさいうるさい!!」
自分の行動に衝撃を受けているオレの気持ちも知らず、カカロットはべらべらと喋り続けた。ああくそっ!!オレは何て事を!!それもこれも元はと言えばみんなコイツのせいだ、こうなったらコイツを一発ぶん殴ってスッキリしてやる!!八つ当たりと言われようが構うものかと、オレは怒りながら身もがき、何とか腕だけをカカロットの拘束から抜いた。そして拳を固めた直後、オレのケツポケットからけたたましい電子音が鳴り響いた。携帯電話の着信を示すこの音……番号を見なくても分かる、これは……ブラだ!


ああくそっ、せっかく今からカカロットをぶちのめしてやろうとしていたところなのに!仕方なくオレは電話を手に取った。
「いいかカカロット!い…今の…きっ…キス、は、さっきの焼きそば代としてくれてやるからな!!これで貸し借り無しだからな!!いいか分かったな!!」
指を突き付けられてキョトンとした顔をするカカロットから目をそらし、オレは携帯電話の受信ボタンを押した。
「――もしもし、パパ?待たせてごめんねぇ」
通話口の向こうからは、予想通り娘の声が聞こえてくる。心なしか、随分機嫌が良さそうだ。
「おい、今まで何をやってたんだ!さっさと帰……」
「ごめんなさいパパ、実は今そこで学校の男の子たちと会ってね」
ころころと鈴の鳴るような愛らしくも上機嫌な声が、オレの耳元で喋り続ける。
「私とパンはこれからその子達と一緒に遊んでいこうと思うんだ」
「な、なんだとぉ?!」
「だからね、パパは悟空おじさまと一緒に先に帰っててよ」
「何だと?!おいブラ、オレはそんな事絶対ゆるさんぞ?!」
「じゃあね、パパ。私も頑張るからパパもがんばってね~!」
「おいこら待てブラ!がんばるって一体何を…!!」







ぷつん、ツーツーツーツー…






それ以上の言葉を告げる間もなく、オレの耳元で電話は一方的に切れた。無機質なビジートーンを流していた携帯電話が、オレの手の中でばきばき音を立てて握りつぶされる。先程まで真っ赤だったオレの顔に、今度は青筋が浮かぶのが自分でも分かった。
「わ…若い娘が男と遊ぶだと?!許せん!ふしだらだハレンチだ!!」
「何怒ってんだおめえ、一緒に遊ぶくらいいいじゃねえか」
「バカかキサマ!『遊ぶ』ってどういう事か分かっているのか?!男は皆狼なんだぞ、もしもの事があったらどうするんだ!!」
「もしもの事?ああ、『子作り』の事か?そんなのオラとおめえもやってんじゃねえか。おめえ、いっつも喜んで…」
「キサマはもう喋るなくそったれ!!」
「まあ心配すんなって、パンやブラはオラ達に似て強えからな」
どこまでも平然として、自分の孫の事をちっとも心配していないカカロットに、こいつは地球人だと自称しながら家族の心配もしない欠陥地球人なんじゃないかと詰ってやろうとした時、カカロットが何かを思い出し、ついで少しばかり困ったような顔をした。
「……あ、でももし相手の『男の子』ってやつらにケガさせちまったらちょっとやべえよなあ」


キサマの心配するのはそっちか!そうオレが叫ぶより早く、よしと頷いて、カカロットは勢いよく立ちあがった。オレの手を掴んだまま。
「ベジータ、オラといっしょにパンとブラを探しにいくか」
それからこちらの意見も聞かずにオレの手を引きながら、祭りの雑踏の中に身を滑らせる。
「おい!オレは一緒に行くとも何とも言ってないぞ!おいカカロット、聞いてるのか?!」
「いいからいいから。あの二人を探すついでに、オラがおめえに何かおごってやるよ。おめえ金持ってねえんだろ」
「だからオレはキサマなんかの施しは受けんとさっきから!!」
「なあ、おめえ何が食いてえんだ?」
「そうだな、『たい焼き』が食いた……!!な、なんて事はおれは一切考えてないからな!!」
「そっか、たい焼きだな?お、あの店なんか旨そうじゃねえ?」
「だからオレは……!!」


カカロットに手を引かれ、人の波に湧きかえる雑踏の中へと深く分け入っていく。メインステージの辺りから歓声が上がる。子を肩車する父親、街路樹によじ登って高見の見物を決め込む者。往来の人出はますます激しく、祭りはもうすぐ最高潮を迎えるのだろう。
「―――なあ、ベジータ」
雑踏のさざめきにかき消されそうになりながら、カカロットの声がする。
「ブラって、おめえに似ないでなかなか気が利くんだなあ」
「ああ、なんだ、聞こえんぞ!」
「あ、何でもねえよ。こっちの話」
人いきれに紛れる事無くカカロットの明るい笑い声が響く。ヤツに繋がれた手が熱い。互いの待ち人を探しながら、オレ達二人は、人波の迷宮をどこまでも深く深く分け入っていく。










―――ちなみにその後、オレはカカロットの支払いでたい焼きは食ったが、代金はしっかり払わされた。金の無いオレがどうやって支払ったか、なんて説明したくもねえ、くそっ、釣銭寄こしやがれ!!